・「愛ある船旅への幻想曲」(48) カトリックの信仰と教会が別個にならないように

 「カトリックあい」の新年1月の巻頭言を読ませていただいた。執筆、編集者の方々の働きには敬服しかない。「カトリックあい」は、社会に適合したカトリック系独立インターネット新聞であると私は思っている。

 私が所属していた小教区は、某宣教会の司祭たちが司牧していた。それが、ある日突然、教区管理となった。信徒たちが知らないだけで、水面下では何かが動いていたのだろう。教区の方針が次々に伝達されて、あまりの変わりように、私たち信徒は面食らった。ましてや、他教区司祭が転任して来られての”教区の教会”のスタートだった。

 長く小教区に属していた信徒たちの戸惑いは、怒りとなり、「教会に文句は言わないけど、献金も金輪際、しない!」と訴えた。教区会議に出席した私は、「宣教会から教区になったら何がどう変わるのですか?」と質問したが、「何も変わらないし、いつでも、宣教会に戻れます」と笑いながらの答えが返って来ただけ。だが、実態は、決してそうではなかった。今は亡き信徒の方々の無念さが、よく分かる。

 他の信徒たちにとっても「教区って何?」という状態であった。教区司祭と宣教会司祭の役割や立場が違うことなど、知るすべもなかった。

 そして、教区の会議報告・議事録が小教区には発表されず、会議に参加していない宣教会司祭にも伝えられない状態が続いていた。その後、いくらか改善されたものの、教区が作成、発表した議事録に書かれたやり取りが、信徒が報告した内容と違ったことがあった。この時は、教区の議事録の方が正しいとされたが、このような食い違いがあってはならない。教区会議に出る信徒代表は信徒たちの意見を把握し、結果も正確に報告することが重要だろう。

 後に、自分自身が教区の会議に出席するようになったが、回を重ねるたびに「おかしい!」と思うことが増えた。だが、質問しても納得できる答えはなく、カトリック組織の在り方に幼稚さを感じ続けた。会議の大半の時間は会計報告にあてられ、討議すべき議題は後回しだ。他の出席者たちも、「教区の会議はお金しか興味がないのか」と疑問を呈していた。

 私たちは「小教区あっての教区でしょう」と小教区が財政的にも自立を保てるようにするよう主張し続けた。だが、”トップ集団”から、「そうじゃない。教区あっての小教区だ」と一蹴され、「そんな信徒はいらん」とまで言われた。全ての小教区の運営が困難になったら、教区はどうなるのか、私たち信徒は百も承知だった。

 そして、「教会とは何?」と考えるようになった。森司教様の著書を読んでいた私は、ある日,『カトリックあい』に出会った。その後、当時の担当司祭が「森司教を黙想会指導にお呼びしましょうか」と言われた時には、私は飛び上がって喜んだ。そして、私は森司教様本人と出会ったわけである。1対1で話をする機会があり、初対面の私に「あなたも書きなさい」と言われたことが頭から離れず、、今やこのように辛口コラムを書かせていただいている訳である。

 私とて、カトリック信徒として”ほんわかしたこと”を書こうとは思うのだが、「地方信徒の教会離れにはそれなりの原因がある、このままの教会でいいのか」と、捨て身覚悟の投稿を続けている。

 カトリックの信仰と教会が別個の状態にならないように、と願い、今日も「人間らしく自然体で生きていければ幸い」と思っている私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2025年1月30日