今年ほど「神の語りかけ」を感じた夏はない。 戦争や自然災害の怖さから命の大切さを見つめ直し、 全ての人々の心の平安を得るために祈る。 一人の私という人間の答えも、神はご存知だろう。
先日、同級生の男友達と久しぶりに会い、 高校時代にカトリック教会で4人の米国人司祭方から英語を習った ことを互いに懐かしく話した。1人の司祭は米国の超難関・ 理系大学出身で、友達は数学も教えて頂いたようだ。
人生の過渡期に素晴らしい司祭方に私達は出会った。だが、 そのうちの2人の司祭は私達が高校卒業前に結婚した。 この地で愛する人を見つけたようだ。当時、 未信者の英語を習う高校生や高専生は、 司祭が結婚できないことを知らなかった。突然、 英語クラスが閉講された理由を当時は知るすべもなかった私だが、 今ははっきり分かる。。
あれから半世紀以上たった今も司祭の独身制は変わらない。 「カトリックの司祭は結婚できないんだろう?」と友達。 この質問になると、誰もが小声になる。。
最近では、 異なる宗教間の対話は以前よりも活発に行われているかも知れない が、肝心のカトリック信者同士の対話はできているだろうか。
カトリック教会には、 独身制を守る司祭と妻を持つ終身助祭がおり、 独身男女の修道者が別々に組織を形成している。 この組織形態から世間は何を感じるだろうか。 学校の社会の教科書にあるカトリック教会は、 中世ヨーロッパでの権威、 日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ ザビエルとイエズス会そして豊臣秀吉に始まる禁教、 ルターの宗教改革等が記載されているが、 司祭の独身制については書かれていない。
近年、司祭の性的虐待事件が世間を騒がせていることから、「