創世記を初めて読んだ時、私は2章の次のフレーズに感動したのを覚えています。目の前に突然、雄大な景色が思い浮かんだのです。しかし今、それは私に反省を求めています。
「エデンから一つの川が流れ出て園を潤し、そこから分かれて四つの川となった。その第一のものの名はピションと言い、金を産出するハビラの全域を巡る川であった。その地の金は良質で、そこではまた、ブドラク香やカーネリアンも産出された。第二の川の名はギホンと言い、クシュの全域を巡る川であった。第三の川の名はティグリスと言い、アシュルの東の方を流れる川であり、第四の川はユーフラテスであった」(創世記2章10~14節)。
神は、創世記1章で、「我々のかたち」(26節)に創造された人に、2章では、土の塵で人を形づくり(7節)、そこに命の息を吹き込まれ(同)、「我々の姿」を授けました。後にイエスが、「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ福音書4章24節)と言われたように、人が神を礼拝するために、霊と真実をもって生きるようになるためでした。
「エデンの園」は、私たち人にとって、神との原体験の記憶を指しているのかもしれないと思います。記憶は常に知識の宝庫です。ですから「エデンから一つの川が流れ出て園を潤し」とある「一つの川」は、神が人相応に授けられた、人間の知識なのだと考えます。それは、「我々の姿」を現す霊の領域ともつながっているために、その人全体を潤すことができます。
そこで、「そこから分かれて四つの川となった」とある「四つの川」は、「我々のかたち」に創造された人の身体の全領域を巡っている4つの機能を指しているのではないか、と考えました。すると、第一の川、ピションは、「金を産出する」とある表現から、富である子孫をもうける生殖機能を象徴しているようです。それは自分自身の心身をコントロールするホルモンにも深く関わっています。
神が、「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう」(創世記1章26節)と言われ、その身体とともに霊と真実を持って生きるようになる人を、子孫として産みだすための人の生殖機能は、「金を産出する」と言われるに相応しいものです。
「その地の金は良質で」(2章12節)とあるように、そこには、すべての生き物にもある命の尊厳だけでなく、神の似姿として創造された人の、人としての尊厳を保証する恩恵が具体的に据えられていたのです。それが、「そこではまた、ブドラク香やカーネリアンも産出された」(同)とある言葉に暗示されていました。
ブドラク香は、黄金に匹敵する貴重な交易品だったそうです。それは権力を表しています。また、「出エジプト記」で、祭司アロンが身につける胸当てやエフォドを飾る宝石の一つとして登場し、「ヨハネの黙示録」でもエルサレムの城壁の土台石の一つとして描かれているカーネリアンは、権威を表していると考えることができます。
人の生殖機能に置かれたこれらの恩恵は、信者である誰もが、日常を聖霊と協働して生きることができる、という自分の信仰の力(権力)を養成しつつ、聖霊と協働する人が、輝き(権威)を持って生きることができるようになるためのものです。
それは、すべての人が生まれながらに授かっている恩恵として現れるべきものでした。しかし、いつしかそれは、帰属欲求、承認欲求、自己実現欲求のような、高度な欲求を満足させるために、隣人を支配し、コントロールする欲望として表出し、実際に行為に至る者も出るようになっていった…。
確かに、生き物たちは、種を存続させることによって、全能の神の永遠性を映しています。ですから、遺伝を実現する生殖機能は、自身の肉体を維持する機能と相まって、それと同等以上の重みがあると分かります。
しかし、それだけではなく、ホルモンの分泌が深く関与するこの機能にこそ、人が自分自身を神に向けて準備する恩恵が授けられていたのです。権力と権威は、隣人を支配し、コントロールするためではなく、自分自身を聖霊の隣人として相応しく支配し、コントロールするための恩恵だったのです。
私は、人間の生殖機能と行動について、もっと興味を持ち、より良く学ぶ努力をしていきたいと思います。そこに世界中で日常的に現れる「加害者と被害者」の秘密が、少しは明らかになるという気がするのです。
(横浜教区信徒 Maria K. M.)