・「パトモスの風」①田園調布教会・聖クララ聖堂の「サン・ダミアーノの十字架」

   夏になったある日、東京の田園調布教会の聖クララ聖堂のミサに参加しました。そのとき、ふと、目の前の十字架が目に入りました。これがアッシジの聖フランシスコを回心に導いた「サン・ダミアーノの十字架」*であることは知っていましたが、興味をもって見るのはこれが初めてでした。ご聖体を拝領した後、この十字架像を見上げた私は、描かれている場面がヨハネ福音書19章の十字架の場面であることに気付きました(ヨハネ福音書19章25節~27節参照)。

 編注*「サン・ダミアーノの聖十字架」の現物は、アッシジの聖キアラ聖堂にある。12世紀にイタリアのウンブリア地方の無名の芸術家によって製作された。サイズは高さ210cm、幅130cmで、胡桃の木の板の上に亜麻布を貼り付け、その上に十字架像が描かれている

 ミサ後、祭壇の片づけをされているご婦人に声をかけると、彼女は、「そうですよ。ご興味がおありでしたら、良い本がありますよ」と言って、「聖フランシスコに語りかけた十字架」(マイケル・グーナン著、小平正寿訳)という本を、親切に紹介してくださいました。

 早速、その本を取り寄せて開いてみると、驚いたことに、十字架像の上部に一人の男性がボタンの付いた筒のようなものを持って、下から手を差し伸べているイエス・キリストに渡そうとしている様子が描かれています(図の①)。

 ボタンの付いた筒のようなものは、まさしく黙示録の「七つの封印がしてあった」(黙示録5章1節)巻物に違いありません。そこに気付くと、サン・ダミアーノの十字架像に、なぜ黙示録とヨハネ福音書が一緒に描かれているのか、それはフランシスコを回心させるどのような真実を伝えているのか、この十字架像から、フランシスコはどのような真実を受け取ったのかなどなど、私は夢中になって考えていました。

 やがて次の機会に、あのご婦人がまた別の本を紹介してくださり、それを読むと、私はもっと黙示録の働きについて確信をもつようになりました。
しかし、下から手を差し伸べているイエスはどうしてこの男性の右手から巻物を受け取っているのでしょうか。ヨハネの黙示録には、「小羊は進み出て、玉座におられる方の右の手から巻物を受け取った」(5章7節)と書いてあります。

 問題は、彼らの頭上に描かれた右手の二本の指がこの男性を指し示していることです。指は、この男性に注目するよう促しているかのようです。この指が「玉座におられる方」のものであれば、この男性は、黙示録の筆者ヨハネだと考えられます。黙示録には、「この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者が誰一人見つからなかったので、私は激しく泣き出した」(5章4節)と筆者の気持ちが書かれています。サン・ダミアーノの十字架の作者は、ヨハネの思いを察して描いたのでしょうか。

 ちょっと細かい観察になりますが、この十字架像を拡大して見ると、共通の髪型をした3人の男性が見つかります。イエスに巻物を渡している黙示録の筆者ヨハネ(図の①)、それから十字架の右側にイエスの母と共にいる使徒ヨハネ(図の②)、そして、十字架の左端に百人隊長と書かれたローマ人の肩越しに小さく描かれた男性です(図の③)。

 皆、いわゆる”富士額”で、そのうち2人はともに「ヨハネ」です。アッシジの聖フランシスコが実際に富士額であったかどうかは分かりませんが、ローマ人の肩越しに描かれた男性が3人目のヨハネ、すなわちフランシスコである可能性があります。フランシスコの本名はジョヴァンニ(ヨハネ)・ディ・ピエトロ・ディ・ベルナルドーネでした。彼の名もまたヨハネだったのです。この人物の後に、彼に従う弟子たちの頭のようなものも見えています。

 また、ここに描かれた人々は皆、和気あいあいとした様子で、十字架上のイエスも穏やかな表情を見せています。しかし、このローマ人と彼の肩越しに描かれた男性は、真剣なまなざしで中央のイエスを見
上げています。イエスの左肘から流れ落ちる御血はまさにその肩越しに描かれた男性の上に滴り落ちようとしているのです。

 フランシスコは、「サン・ダミアーノの十字架」に預言された人物だったのではないでしょうか。サン・ダミアーノの十字架像が伝えたい真実を、フランシスコは受け取ったに違いありません。私たちもそれを受け取ることができますようにと祈りました。

(横浜教区信徒 Maria K. M.)

 

 

 

 

 

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2025年7月5日