今回お勧めしたい本は、 小崎登明(おざき·とうめい)著「十七歳の夏」(聖母文庫、1996年5月31日初版、聖母の騎士社)だ。
著者の本名は田川幸一、カトリック聖母の騎士の修道士で、2021年93歳で死去された。昭和20年(1945年)8月、17歳の小崎氏は、三菱長崎兵器製作所の住吉トンネル工場で魚雷部品の製造中に被爆。爆心地から500メートルの自宅にいた母を亡くして「原爆孤児」となり、戦後、聖母の騎士修道院に入り、修道士となった。
長年、月刊『聖母の騎士』の編集にたずさわり、聖母の騎士小学校·椿原中学校校長を経て、長崎·聖コルベ記念館に勤めておられた頃、筆者の家族総勢5人が記念館を訪問した時に本人にお会いし、本書の購入を勧められて買い求めた。
本書によると、空襲を避けてトンネルの中に魚雷製造工場があり、原爆投下直後、小崎氏は昼夜二交代制で、たまたま昼間働いていて、無傷で助かった。「もし夜勤だったら、爆心地の自宅にいて、母と同じく原爆の猛烈な熱と爆風で跡形もなく、死んでいた」という。兵器工場では、一人の女子学生が足をはさまれ、もがいていた。仲間と共に助けようとしたが、飛行機の爆音がなり、女子学生を置き去りにして、逃げてしまった。10年後に、この女子学生に会った。あの後、お年寄りの男性が線路まで運んでくれて、行き来していた列車で病院に運ばれ助かった、とのこと。もし、あのまま置き去りにされたままだったら死んでいただろうという。長く彼の心の傷となっていた事の一つだ。
もう一つの傷は、当時、工員の一人からいじめられ、原爆被災前日、仲間と共に決闘するまでになっていた。原爆直後、彼は腹部に重傷を負って横たわっていた。そばを通りかかった時、彼と分かり、既にキリスト教徒になっていたにもかかわらず、「ざまアみろ、くたばったのか」と叫び、軽蔑の目で彼を見下した。これが長く心の傷として残った。小崎氏はその後、原爆語り部の一人となって、本書に記された赤裸々な原爆孤児の様子を語り続けた。
本書では、この他、永井隆博士と、人の身代わりになって飢餓刑を受けて亡くなり、聖人の位にあげられた聖コルベ神父との会話が心に残った。是非一読を勧めたい。 Amazonでも購入できる。
(横浜教区信徒・森川海守=もりかわうみまもる)*誘惑の多い、また詐欺が蔓延するX(旧ツイッター)を止めて、noteに記事を書いています。ご覧頂ければ幸いです。https://note.com/mamoru_umi)