“シノドスの道”に思う⑯その1「シノドス総会第2会期を前に、米国とドイツの教会はどのような歩みをしているのか」

    日本のシノドス担当者は「霊における会話」を重視しているようです。「霊における会話」は、昨年10月の世界代表司教会議(シノドス)第16回総会の第1会期のための『討議要綱」に出てきましたが、討議するには、その中身があるはずです。ですから、『討議要綱』のA2.33の最後に「具体的行動に導く正確でしばしば予期しない方向に一歩前進することがなければ、それは霊における会話ではありません」とあります。具体的な課題や問題を「霊的な会話」を方法として討議するなら何がしかの「具体的行動」が一つの結果として出てくるはずです。そのことが、シノドス担当者、いや日本の司教団はどこまで分かっているのでしょうか。米国とドイツの教会の最近の歩みから考えてみます。

*米国の場合;第1会期後も多くの話し合いが・・

 昨年、第1会期が終わり、その『まとめ報告書』がバチカンから出ました。その後、合衆国では76%の教区・主教区は、さらなる「聴く」機会を設けたのです。今年の5月までの短期間ではありましたが、1千以上の「聴く」集会、3万5千人超が参加しました。第1会期と第2会期の中間段階での取り組みです。

 各教区は2,3回の「聴く」集会をするように、シノドスチームから勧められました。その具体的内容を少し紹介します。いろんなことで決断できないこと、教会が伝統的なことを変えていると思うこと、自分たちの教会の規則に反する現代的なことを教会が認めていることなどで、共同体の中に様々な緊張があることが明るみに出たなど。しかし「難しい主題について話し合わなければ、私たち
は機能不良の家族のようになるといった意見も。「他者の考えを聴くことは、挑戦だ。一致しない点が出ても、さらに大きな討議をする必要を見出す」…つまり具体的な問題を分かち合う中で、現在の緊張・不和は、将来の一段高い調和や真理の発見、そして兄弟関係につながるのだ、というのです。

 また「聖職者主義」がどれだけ悪影響を与えているか、女性の能動的な参加が小教区や司教区その他でどれほど求められているか、典礼の問題、カトリック教会の社会教説を深めねばならないこと、性のアイデンティティの問題、性的虐待の問題、人種差別問題などなど。シノダリティが成長していくためには、教区や小教区レベルその他で、具体的で意味あるコミニケーションがなされ、共同責任がなければならないと参加者は主張しています。

 私たちは具体的な問題で分裂や分極化が生じることを恐れがちですが、そうではなく、将来の一致・統合のための過程だと考えて避けてはならないことを、米国の例から学びます。そしてこの文書の中には一度も「霊的会話」なる言葉は出てきません!

*ドイツの場合;ここでも第1会期後、様々な対話が・・

 同じくドイツの司教協議会も、総会第1会期のまとめ報告書が出た後、各教区に具体的に信徒を巻き込んでシノダル(共働的)な取り組みをするように指示しました。その結果、各教区は具体的に信徒を巻き込んでシノダルな動き、つまり全員参加を求めて対話をし、互いの意見を聞き、シノダルな仕組みや委員会の設置などが進みました。そうした中で「神は教会に何をするように求めているのか」という問いを草の根レベルで意識するようになった、と言っています。

 そこには「霊における会話」も方法として用いたことが2回ほど述べられています。またどうすれば、多くの人々を対話やシノダルな構造に参加させることができるか、彼らを協議と意思決定の過程に誘い、また指導的な奉仕職もシノダルな共同体に統合できるか、など分かち合い、またいくつかの教区では新たにシノダルな団体を作ることもしています。シノダリティ(共働性)を考える上で中心的な課題は「参加」です。

 さらに重要な問題として、女性に種々の奉仕職への参加の機会を与えることは喫緊の課題であると再度議論されています。日本にも当てはまる「虐待を生み出す構造」について、また、それに関連して「透明性と説明責任」なども話し合われました。

 この文書の最後には「具体化」という見出しで13項目が挙げられています。「指導者の権威がシノダルに拘束されて行使される」こと、「教会における権力の分散、奉仕者の選任の際、神の民ももっと参加する」こと、「司祭の独身義務の見直し」、「女性が指導者の地位につけるようにする」ことなど。シノダルな教会になっていくには、このような問題の「具体化」を考え、また試行錯誤しながらも実行していくしかないのだと思います。

*霊的会話でも、内容を具体化することが必要・・

 ドイツでは、7月9日の司教協議会のプレス発表で、ベッティング司教協議会議長がローマでの第2会期の討議要綱について解説しています。10月の総会第2会期では、これまで出てきた具体的な個々の改革すべき事柄を中心の論点にはせず、「どうすれば宣教的なシノダルな教会になるのか」がテーマだが、そのためには第1会期で出てきた問題提起の諸相を第2会期の集会で「構造化し具体化し」なければならないこと、そのために「関係」「方法」「場所」という観点から協議されるだろうことを述べています。

 「関係」とは、教区、小教区、信徒を上下の列で考えるのではなく、関係のネットワークとして考える、「方法」とは、意思決定への全員参加や透明性と説明責任を持たせる、「場所」とは、信者が住んでいる具体的な場、文化や土地柄などの多様性を重視し、画一性を強制しない、などです。

 そのあとにベッティング議長が2点述べています。一つは虐待や性的暴力行為は組織的な原因が考えられるのだから、その組織的原因を除去しなければならない(討議要綱の第75項参照)。次に、教皇は10個の作業部会を作って個々の問題を扱うことを決めたが、部会の具体的な説明はされていないし、どういうプロセスで、また人選はどういうふうに決めたのか、これは透明性と説明責任に欠
けることであり、こういった外部委託は「参加」の精神を損なうものであるので「変革」が必要であると。「具体的な変革なしでシノダルな教会のビジョンは信用できないし、シ
ノドスの道から力と希望を汲もうとする神の民のメンバーを遠ざけるものである、と(討議要綱の第71項)。

 以上から、シノダリティを考えるには、まず具体的な問題や課題を考え、「具体的な変革」を考えることから出発するしかないのではないでしょうか。具体的な問題を主題化することなしに霊的会話も成立しないと考えます。

 日本でも信徒と共に「分かち合い」などの「聴く」機会、「発言する」場をもっと提供していくべきでしょう。

*シノドス総会第2会期の討議要綱についての評価

ドイツの信者団体「我が教会」が総会第二会期の討議要綱をどう評価しているか、彼らのウェブサイトの7月9日の投稿を見てみると…。

 「2021年10月に世界規模で始まった”シノドスの道”は、小教区から教区、国、大陸のレベルに、そしてローマへ、また地方に戻るといった循環的な、学習しながらの作業であり、まだその途中ではあるが、一定の評価はできる。しかしながら、第一バチカン公会議以降、君主制的、中央集権的でやってきたローマ・カトリック教会が抱えている組織的(制度的)な困難さは、今でもなお明白である。従って、今日の世界でそれぞれの『異なった文脈』に応じて、諸課題を正当に公平に扱うことのできる神の民の共同体になることは困難だ」としています。
います。

・討議要綱71項と72項の重要な部分は・・

 71項には「(地域や文化といった)文脈の特殊性に適したシノダルな意思決定のプロセスに命を与えるためにあらゆる可能なことを実行することは地方教会の責任です。このことは極めて重要かつ急を要する仕事です。なぜなら今回の世界シノドスが成功裡に実践されるかどうかは、そこに掛かっているからです。目に見える変化がなければ、シノダルな教会の見通しが信用されることはないでしょう」。補完性(相補性)の原理によって、普遍的な事柄以外はもっと地方教会の自治に任せるべきでしょう。補完性の原理については、このコラム「シノドスの道に思う③」でも述べました。

 72項は「“最後に、協議(諮問)、共同の識別、シノダルな意思決定という一連のプロセスが可能であるためには、それに参加する人々が、関連するあらゆる情報にもれなくアクセスできなければなりません。そうすることでその人々は自分自身の合理的な意見を構築することができるのです。・・健全な意思決定のプロセスには、そのための適切なレベルの透明性が必要です」とあります。

・「透明性と説明責任」を求めている点は評価できるが・・

 討議要綱の文中に17回も出てくる「透明性と説明責任」に関する具体的な記載は、シノダルな教会の文化と実践には重要なことだと考えられ、また聖職者主義がはっきりと批判されている点も評価できる、と「我が教会」は言います。そして、「財政的なスキャンダルや性的虐待やパワハラなどによって教会の信用が落ちてしまったのだから、透明性と説明責任は、今こそ必要」とし、「透明性と説明責任」を明らかにするための効果的な形や手続きを展開していく責任は、「現地教会の組織や団体、特に司教協議会にある」と言っています。

 同時に、「そこまで現地教会に責任を持たせるのなら、バチカンはドイツの”シノドスの道”の歩みを阻むことを、もう止めるべきではないか」とも批判しています。

・教会での女性の働きと地位については待ったなし

 また「我が教会」は、「いわゆる女性の問題」について、討議要綱の姿勢を明確に批判しています。特別の研究グループという、いわば外部に任せるのではなく、第1会期と同様に第2会期でもシノドスの集会で取り上げるべきであると。なぜなら2021年に教皇が”シノドスの道”を始められる前から世界の各地の教会では女性の地位と奉仕職の問題が大きくなっていて、「教会は女性の大きな力、活躍を失うなら、教会自体が立ち行かなくなる」という危機感を持っているからです。

 「バチカンが自分たちと専門家だけで重要な問題を審議&意思決定するのではなく、皆でシノダルに協議すべきだ」と、信徒たちは考えているからです。また女性たち、そしてノンバイナリー(男か女かという二分法に当てはめて性を考えない立場)に同等の権利を認めることは「教会の将来の存続問題」であると言っています。

 日本もシノダルな教会になるために、米国やドイツの歩みを参考に、今からでも、少しずつ、しかし着実に司祭や信徒の間で対話や分かち合いを重ねていく努力が必要でしょう。

*諸文書はドイツ司教協議会www.dbk.de ドイツカトリック者中央委員会www.zdk.de 米国カトリック司教協議会www.usccb.orgから。

(西方の一司祭)

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2024年9月28日