今年2025年は世界のカトリック教会にとって25年おきに行われる「聖年」です。また、日本にとっては第二次大戦終結から80周年、東京にとっては、一日で10万人と広島、長崎に匹敵する死者を出した米軍による東京大空数から80周年を迎える年でもあります。
カトリック小金井教会では、有志の実行委員十数名が主催する巡礼が20年以上前から行われており、コロナの大感染で中断を余儀なくされていましたが、このような歴史的な節目を迎える今年、五年ぶりの再開となり、私も参加させていただきました。
「2025聖年—戦後80年を振り返り、平和を祈る』をテーマにした今回の都内巡礼には、40人余りが参加し。午前八時、小金井教会で加藤主任司祭による出発の祈りを共に捧げた後、マイクロバス2台に分乗して午前8時に出発。 
まず今年の巡礼指定教会である東京カテドラル聖マリア大聖堂に向かい、巡礼に同行してくださる竹内修一神父様(上智大学教授)と合流。教皇選挙でローマ出張中の菊地大司教・枢機卿に代わってアンドレア・レンボ補佐司教から「私たちもキリストと共に歩みを続けることで、少しづつ、キリストの似姿に近づくことができます」という励ましの言葉と祝福をいただきました。
続いて向かった千鳥ヶ淵の戦没者墓苑では、大戦で亡くなった方々の碑の前で祈り、献花をしました。中央の六角堂には、国内や海外で亡くなり、引き取り手のないご遺骨が納められています。
両国で昼食の後、終戦直前の1944年秋から1945年8月までに行われた米軍による2000回に上る日本本土空襲の中でも、広島、長崎と並ぶ最も大きな被害を受けた1945年3月10日の東京東部大空襲の中心被災地にある「東京大空襲・戦災資料センター」(江東区北砂)を見学。
大画面のビデオを使った大空襲の模様の説明を聞き、実際に米軍の爆撃機が投下し、木造家屋が密集する下町市街地を火の海にした油脂焼夷弾の実物などの展示を見て回り、女性や子供たちを含む市民の大殺戮を平然として行わせた戦争の恐ろしさ、醜さを痛切に感じました。
センターからほど近い、カトリック本所教会は、まさにその大空襲で焼き払われた恐怖の経験を持つ教会です。ここではまず、大空襲当時、教会の信徒で中学生だった猪野さまから、体験談をうかがいました。
主任司祭の宇賀山神父様からいつも、「空襲警報が鳴ったら、ミサ中でも安全な場所に避難しなさい。私はここにいます」と言っておられたこと、空襲があった夜は期末試験のための勉強をしていたが、空襲警報で外に出ると、すでに、川向こうの浅草方面は真っ赤に燃えていたこと、皆で逃げ、都電の線路に身を伏せて危うく命が助かったこと、教会も自宅も皆、燃えてしまい、教会の焼け跡などを皆で探したが、神父様を見つけることができなかったことなど、辛い思い出を語られました。
そして、最後に猪野さまは、「当時、私たちカトリック信者は、『敵の宗教を信じている』と陰口を言われました。その時、大空襲の惨事に遭った時、十字架につけられたキリストが『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです』(ルカ福音書23章34節)と主に願われた気持ちが分かるような気がしたのです」と回想されました。

そうした大空襲の苦しみ、戦争のもたらす惨禍を胸に、竹内神父様の司式で、世界の平和を願うミサを捧げました。ミサ中の説教で「キリストは平和の君として、この世においでになったのです」と強調されました。このミサを今回の巡礼の締めくくりとして、平和のありがたさ、重要性、そして、世界中で戦火に苦しむ人たちを思い、すみやかに平和が訪れるよう祈りつつ、帰途に就きました。
雨天の中の巡礼で、高齢者も多くおられましたが、実行委員の方々の事前の周到な準備、そして当日も数人ずつのチームを作るなど、安全確保にも気を配っていただき、素晴らしい巡礼となったこことを心から感謝いたします。
(文・カトリック小金井教会信徒・雨森政惠、写真・東山美代子、編集「カトリック・あい」)