もう15年以上になりますが、毎年4、5回のペースでカンボジアのスタディツアーを企画しています。学生から年配の方まで現地にご案内し、カンボジアの歴史・文化・暮らしを学んだり、JLMMの支援活動にボランティア参加していただいています。
カンボジアにおける約30年間にわたる内戦について学ぶことは、現在のカンボジアの復興と発展、そして人びとの心を知るために不可欠な要素なので、プノンペンでのキリングフィールド、政治犯収容所跡地、シェムリアップの戦争博物館の3か所に毎回訪れています。
内戦やポルポト時代の歴史に少しでも触れる中で、戦争の恐ろしさ、愚かさと戦争が人間の人生や社会にどれだけ深いダメージを与えるかを感じる時間です。
ところがここ数年、大学生や高校生を戦争博物館にご案内すると、展示されている戦闘機、戦車、武器などにとても詳しい学生がいることに驚かされます。そして実際に内戦で使用された武器を手に取り、撃つまねごとをしたり、嬉々として写真撮影している姿には、とてつもない違和感を覚えてしまいました。
先日のツアーで一人の学生が興奮した様子で「僕、戦争大好きなんですよ!」と私に言いに来た時、私はついに自分の感情を抑えることができなくなりました。実際に人を何人も殺したはずの武器たちを目の前にして、平気でいられるどころか楽しんでいるその感覚とは何なのか。私はそこにいた学生全員に自分のいらだった気持ちややるせないような感情を分かち合いました。
話をよく聞いてみると、日常的にやっているオンラインゲームなどの「戦争ゲーム」の影響だとのこと。何種類もの武器がどのくらいの殺傷能力を持つかをゲームの機能としてよく覚えているというのです。ツアーの中で学生一人ひとりと話してみると、武器というものの見方が変わり、「武器をおもしろがり、かっこいいと思っていた今までの自分を恥ずかしいと思いました」と語ってくれる学生もいました。確かにゲーム上では、殺されたキャラクターの人生や残された家族のストーリーや感情などは全く無関係なのですから、そのような姿勢で戦争をとらえてしまうのも当然です。私は、そのような戦争ゲーム世代の学生たちを責めることもできないなと感じました。
バーチャルな世界から抜け出て、リアルな世界に触れることが必要で、戦争のリアリティについてもその時代を生きた人々の実際の体験に耳を傾け、自分なりに感じることが大切なのだとあらためて思いました。実際に人と出会い語りあうことを通して、現実をとらえることができるのだと思います。そして、もし自分だったどうなのだろうという、「共感するチカラ、能力」が問われているのだと思います。
だからこそいま、戦争を「仕方がない」とする層が多い日本社会の現状の中で、戦後72年を迎え、第二次世界大戦の体験者の方々が最後に語り残そうとされていることを心に刻み、2度と同じような過ちを繰り返さない選択をしていくことがとても重要なのだと思います。
(JLMM事務局長・漆原比呂志)
*JLMM は日本カトリック司教協議会公認団体、国際協力NGOセンター(J
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