・中国共産党幹部の河南省訪問、宗教の”中国化”に呼応した宗教施設破壊・転用激化、陝西省では国家公認の教会破壊(BW)

(2019.7.12 Bitter Winter 

*党上層部に宗教弾圧への熱意を示すため、滎陽市当局はキリスト教および民間信仰の礼拝所を多数閉鎖した。

 4月15日から17日にかけて 中国共産党 中央政治局常務委員会委員、中国人民政治協商会議主席の汪洋(ワン・ヤン)氏が中国中央部、河南  を訪れ、宗教に対する取り組みを視察し、田舎の宗教関連施設を調査した。開封 、周口市、省都の鄭州市などの地域で行われた会議で氏は、対宗教業務において中国共産党の指導力を高め、「積極的に宗教を『中国化』する効率的な施策を探求」する必要性を強調した。

 汪氏の訪問に興奮した地元政府は信仰を持つ人々を抑圧する行動に出た。鄭州市轄の訪問地のひとつ、人口63万人の 県級市、滎陽市の16の 郷級行政区 で少なくとも50の宗教関連施設が厳しい取り締まりを受けた。

*3日間で5つの教会を別用途に転用

 4月27日から30にかけて少なくとも5つの教会堂(政府公認の 三自教会家庭教会 の区別はなし)が別用途に転用され、信者たちは信仰を実践するための場所を失った。4月30日、高山  にある三自教会の3つの尖塔が取り外され、「滎陽市高山鎮石洞溝村活動センター」と書かれた看板が教会堂の外壁に掲げられた。

 2日前には城関  桃李  の真耶蘇教会が文化活動センターに変えられた。役人が、乗っ取りを断れば建物を壊すと言って会衆を脅し、無理やり合意させたのだ。

桃李村の真耶蘇教会は文化活動センターに変わった。桃李村の真耶蘇教会は文化活動センターに変わった。

 滎陽市中心街から14キロ離れた王村鎮后白楊村では、地元の役人が三自教会の会衆に礼拝所の将来について3つの選択肢を提示した。解体、譲渡、売却のいずれかだ。

 信者たちは教会を守ろうと18万人民元(約280万円)を集めて買い取ったが、当局にとってそれは無意味だった。4月27日、教会の尖塔が取り外され、高齢者センターに変わったことを伝える看板が外に掲げられた。

后白楊村の三自教会は高齢者介護サービスセンターに変わった。后白楊村の三自教会は高齢者介護サービスセンターに変わった。

王村鎮の村の三自教会は「オペラファンクラブ」に転用された。王村鎮の村の三自教会は「オペラファンクラブ」に転用された。

 一方、王村鎮のある村の三自教会は同様の建前で「オペラファンクラブ」に変えられた。

 同じく王村鎮轄の許庄村にある家庭教会の集会所は「楊子機械設備倉庫株式会社」に変わった。

*深刻な打撃を受ける民間信仰の寺院

 賈峪鎮では4月27日からわずか1週間のうちに主に民間信仰の24寺院が閉鎖された。信者たちの報告によると、地元政府は「上の方針」に従って閉鎖すると言ったという。また役人は閉鎖した寺院で香を焚く者がいれば逮捕するとして恫喝した。「共産党の政策は 文化大革命 時代の 毛沢東 の指針よりもずっと過酷です。とにかく厳し過ぎるのです。誰も抵抗しようとはしません」。ある寺院の責任者は話した。

 廣武鎮では5月12日から14日にかけて20近い民間信仰寺院が閉鎖になった。寺院の入口は封鎖され、叩き壊された香炉はレンガを詰め込まれたり、隠さ鳳凰頂大廟は5月13日に閉鎖された。れたりした。

 標的になった民間信仰の礼拝所のひとつ、王頂村の鳳凰頂大廟は5月13日に閉鎖され、その大きな香炉がひっくり返された。郷長が取り締まりに加わって写真を撮影した。政府が雇った警備員は参拝者が香を焚かないよう寺院の見張りを続けた。

鳳凰頂大廟は5月13日に閉鎖された。

160万人民元(約2,500万円)以上をかけて建てられたこの寺院の敷地はおよそ1,800平方メートルに及ぶ。以前は太陰月の1日と15日ごとに信者が寺院に長い列をなして香を焚いていた。

 地元の信者は政府の動きに怒り戸惑い、毛沢東時代の状況を思い起こしている。寺院閉鎖後、村民らは「政府は香を焚くのを禁じ、無理やり全員を党に服従させようとしています」と嘆いた。

 4月30日、喬楼鎮陳溝村で280平方メートル以上の敷地に広がる民間信仰の寺院がはるかに厳しい命運に直面した。建物を解体されたのだ。

喬楼鎮陳溝村の寺院は完全に粉々になった。喬楼鎮陳溝村の寺院は完全に粉々になった。

100人を超える信者が教会堂取り壊しに同意を強いられる

 養護施設として利用予定だった4階建ての教会別館が、建設中にもかかわらず最初に壊された。目撃者によると、取り壊し当日は警察官が教会を取り囲み、ブルドーザー3台が建物を破壊したという。2日後、教会本堂の屋根についていた十字架と三角形の骨組みが取り外された。

 この時点では、信者たちはまだ教会堂の存続に希望を持っていた。しかし2週間後、ブルドーザーの轟音が信者の最後の望みを完全に閉ざした。教会堂はがれきの山に変わってしまった。

勝利路に建つ教会堂の十字架は取り外された。勝利路に建つ教会堂の十字架は取り外された。

 情報提供者の話では、取り壊しの過程は、3階層の政府によって厳しく管理、監視されていたという。省、市、そして区の機関の役人が現場に立った。教会堂の周辺地域は「工事中」との口実で封鎖され、赤い腕章をつけた職員が地域内の各交差点を警備した。

 解体作業関係者以外は現場への入場を一切禁じられ、車両はすべて迂回を強いられた。職員は交代しながら24時間体制で地域全体を見張った。

 情報が広まるのを防ぐため、当局は厳しく現場を管理した。人々は足止めされ、取り壊しを撮影した写真がないかどうか携帯電話の内容を調べられた。

勝利路の教会堂は粉々に砕かれた。勝利路の教会堂は粉々に砕かれた。

 信者がBitter Winterに話したところによると、嫌がらせは教会の牧師の1人が自宅軟禁下に置かれた3月半ばには始まっていた。毎日午前8時から午前2時まで、警察と宗教局の役人が代わるがわる訪れては、教会堂の取り壊しに同意するよう圧力をかけてきた。絶え間ない迫害に疲れた牧師は病に倒れ、治療のため病院に運ばれた。

 当局がそこで手を引くことはなかった。彼らは教会職員のリストを入手し、100人を超える主要スタッフ、役員レベルの助祭、聖歌隊員を召喚し、威嚇や恫喝を繰り返して教会堂の取り壊しに同意する文書に署名させた。

 この教会堂の末路についてある住民は、中国の教会には大勢の信者がいるため、習近平 国家主席は自分自身の信者が足りなくなると考えているのではないか、それが理由で政府は教会を排除しているのではないか、と語った。

*Bitter Winter(https://jp.bitterwinter.org )は、中国における信教の自由人権 について報道するオンライン・メディアとして2018年5月に創刊。イタリアのトリノを拠点とする新興宗教研究センター(CESNUR)が、毎日8言語でニュースを発信中。世界各国の研究者、ジャーナリスト、人権活動家が連携し、中国における、あらゆる宗教に対する迫害に関するニュース、公的文書、証言を公表し、弱者の声を伝えている。中国全土の数百人の記者ネットワークにより生の声を届け, 中国の現状や、宗教の状況を毎日報告しており、多くの場合、他では目にしないような写真や動画も送信している。中国で迫害を受けている宗教的マイノリティや宗教団体から直接報告を受けることもある。編集長のマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)は教皇庁立グレゴリアン大学で学んだ宗教研究で著名な学者。ー「カトリック・あい」はBitterWinterの承認を受けて記事を転載します。
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2019年7月12日