アジア司教協議会連盟FABCの創立50年を記念した総会は、10月30日の日曜日、バンコクのカテドラルでの閉会ミサで無事に閉幕しました。この間、特に10月25日には日本の皆様にもFABCのためにお祈りいただいたこと、心から感謝いたします。
皆様のお祈りに支えられて、聖霊がどのようにアジアの司教たちを導いたのかは、今後発表される文書などに示されていくことになると思います。
最終週は、日本からは成井司教様に代わって長崎の中村大司教様が加わり、前田枢機卿、勝谷司教、アベイヤ司教、中村大司教、そして私の5名で参加。
これまでに2週間でそれぞれの国の状況を振り返り、教皇様の諸文書の振り返りに基づいて様々なテーマへの取り組みへの学びを深め、それらに基づいて、これからどうしていくかの検討が三週目です。
最初の二日間は司教たちを4名ずつのグループに分けて、傾聴のワークショップ。これがなかなか大変です。それに基づいて「FABCの優先すべき課題は何か」を絞り込みました。
そして最終週の水曜日は、総会の最終声明の討議、後日発表される最終文書の内容の検討、そして私が担当しているFABCの再構築についての検討が始まりました。
10月25日の朝の祈りは、日本の当番でした。各国が順番に20分程度のビデオを事前に作成するように依頼され、日本のビデオは秋田の聖体奉仕会にお願いしました。以前から海外とのビデオ中継などの経験があるからです。聖体奉仕会の皆さんと、協力してくださった皆さんに感謝です。
木曜日はバンコクの西隣にあるラチャブリ教区へ全員でバス巡礼。歴史ある最初の神学校の跡を訪ねたりしながら、ラチャブリ教区のカテドラルで感謝ミサ。司式はバンコクのフランシスコ・ザビエル枢機卿様です。
ミサの終わりにラチャブリ教区のジョン・ボスコ司教様からFABCに聖母子像を寄贈いただき、会長のボ枢機卿様が不在だったこともあり、事務局長として代理で受け取らせていただきました。バンコクの事務局に安置される予定です。
そして最後の二日間、金曜と土曜は、すべての時間を使って、最終メッセージと最終文書についての討議です。金曜の午後には教皇代理でタグレ枢機卿様が到着され、そのお話もあり、また土曜日の午後には司教たちとの話し合いも行われました。
最終日の10月30日は、バンコク市内、チャオプラヤー河沿いにあるカテドラルで、タグレ枢機卿司式の閉会ミサでした。カテドラルの立派なこと。教皇様が来られた時にも、ここでミサが捧げられました。この辺りはFABC2020のYoutubeチャンネルがありますから、一度ご覧ください。また最終メッセージは原文の英語がこちらに掲載されています。今後翻訳して、中央協議会のホームページにも掲載されることになろうかと思います。
私は、事務局長としてFABCの「再構築の委員会」の責任者でしたので、連日夜は会議でした。メンバーはインドの枢機卿、フィリピンの大司教、神学者の司祭、信徒の女性神学者二名。結局、最終日の昼間に最終的に集まって、提言を作成し、あとは3月に開催される中央委員会に判断を任せるところまでこぎつけました。
50年前にFABCが始まったころは、第二バチカン公会議直後で、まだ発足したばかりの各国の司教協議会は、連盟からの支援を必要としていました。そのために連帯して歩もうと様々な事務局が設けられました。
しかし50年を経て、しっかりと組織を確立した司教協議会も多くある中で、FABCの果たすべき役割も変化していって当然だと考えました。次の50年のために、今後も組織のありようを見直し続けることになります。
それにしてもこの総会は、2014年ころから、当時の会長であったボンベイのグラシアス枢機卿が中心となり、その補佐司教であるアルヴィン司教と一緒に計画を練ってきたものです。企画運営委員会は、この2年ほどは毎週月曜にオンラインで会議を開いてきました。
私も事務局長になって以降、ほとんど毎週月曜の夜7時半から、オンライン会議に参加してきましたが、話が二転三転、あちらこちらに飛びながら、それでも最後には何とかまとまるという、”奇跡的な運営‴を目の当たりにしてきました。
今回の総会中も、その日にならないとプログラムの詳細が分からない日も多く、はらはらさせられましたし、手元に詳細なプログラムが残ってません。なかなかの不思議な体験でもありました。(右の写真は、FABC会長でヤンゴン大司教のボ枢機卿様と)
(菊地功=きくち・いさお・東京教区大司教、日本司教協議会会長、FABC事務局長)