クメール・ルージュによる破壊前のプノンペンの旧聖ヨセフ大聖堂の内部。(写真:Valleguidonensis / CC BY-SA 4.0)
(2025.3.24 La Croix Sophie Vincelot)
カンボジアの極左過激派、クメール・ルージュが首都プノンペンの大聖堂を破壊して50年、同国のカトリック教徒の希望の光として、同聖堂の象徴的かつ歴史的な復活が形になりつつある。
1975年にクメール・ルージュによって破壊された旧ノートルダム大聖堂に代わる聖ヨセフ大聖堂の建設は2021年に始まり、11月の献堂式に向けて工事が大詰めを迎えている。
約300万ドルとされる建設費は、フランスに本部があり、この国で17世紀から宣教活動をしてきたバリ外国宣教会が中心となり、カンボジアのほか、タイやベトナムの信者たちによって賄われた。完成すれば、新たな聖堂としては、この国で1967年以来のもの。およそ2万人とされる同国のカトリック信者の大きな光となる。
「私たちは、再び教会が建ち上がるのを見ることができることを誇りに思います」と、教区司祭のポール・チャツィレイ神父が、UCAニュースに語り、「今なお圧倒的に上座部仏教が信仰されているこの国で、カトリック教徒の存在を、再確認し、教会の継続性と回復力を示すもの」と、カンボジア史の専門家であるアラン・フォレスト・ディドロ大学名誉教授で氏は語っている。
*カンボジアの信者の苦悩の歴史
カンボジアでのカトリックの歴史は17世紀まで遡る。宣教師たちは概ね歓迎されたが、信者の数は増えず、カトリックのコミュニティが現れ始めたのは18世紀になってからで、信者の大半は母国での迫害から逃れてきたベトナム人だった。
カンボジアの信者数は、1970年までに6万5000人になったが、大多数はベトナム系の人々で占められていたが、1970年3月、ベトナム戦争が激化する中、親米右派のロン‣ノル将軍が反米のシハヌーク政権を倒し、翌月には米軍が、北ベトナムへの支援ルートを断つためカンボジアに侵攻し、戦火が同国に拡大。国内ではロン‣ノル軍、シハヌーク旧政権軍、そして左派のクメール=ルージュの三つ巴の内戦となり、信者も4万人以上が国外に出た。
1975年には、クメール=ルージュが内戦に勝利し手、政権を握り、中国における文化大革命に触発された急進的改革キャンペーンが開始され、「フランス植民地支配の残党」としてベトナム系住民を含むカトリック信者が迫害の標的となった。1975年から1979年にかけて信者の半分が姿を消したり、殺害され、1927年に建てられたノートルダム大聖堂も完全に破壊された。このトラウマは今も同国の信者の心に深く残っている。
*教会再建へ長い道のり
カンボジアのカトリック教会の再建開始には、10年以上の歳月を要した。1990年から、政府はプノンペンにある元神学校の一部を含むいくつかの資産の返還し、残りの資産は、国連平和維持軍の到着と多くの信者の国外からの帰還と時を同じくして、1992年に返還された。そして、「2019年に私たちは新しい大聖堂の建設について考え始めました。建設は2021年に始まりました」と、チャツィレイ神父はUCAニュースに語った。大聖堂が今年11月に献堂されるまで、教区民は仮設の礼拝所に集まり続けるだろう。彼らの新しい大聖堂と信仰の共同体が再び堂々とそびえ立つ時を静かに待ちながら・・・。