・習近平・主席は、党の「人権」の概念が世界の常識と異なることを改めて主張(BW)

 Xi Jinping discusses the Chinese notion of human rights via video with United Nations High Commissioner for Human Rights Michelle Bachelet during her recent visit to China. From Weibo.

Xi Jinping discusses the Chinese notion of human rights via video with United Nations High Commissioner for Human Rights Michelle Bachelet during her recent visit to China. From Weibo. 

(2022.6.24 Bitter Winter  Massimo Introvigne)

 「人権には普遍的な概念がないーそれぞれの国が、自国に合うように”人権”を定義する権利を持つ」、として「西側諸国が”普遍的”人権、という誤った考えのもとに、自分たちのブルジョア的な概念を他国に押し付けようとしているのだ」という習の主張に、新味は何もない。

 この講演の内容で、あえて目新しいものをあげるとすれば、「人権についての”卓越”した中国的概念の系譜」だろう。習主席は、この概念の系譜に名を連ねる人物として、孔子、孟子、荀子、墨子、マルクス、エンゲルスの6人を挙げている。このうち 4人の中国の哲学者が「人権」という言葉を使ったことはないが、「善き統治は、人民を愛し、人民を優先するものであるべき」という主張から、選ばれているようだ。

 この中国人4人には途切れることのない思想的つながりがあるかのようにされているが、実際は、孟子と荀子(右の絵)は人間性について根本的な意見の相違があり、荀子とその弟子たちは「人権」の概念から遠く離れた独裁形態の政府を支持している。そして、墨子は孔子の弟子というよりは、敵対者だ。だから、それぞれの哲学者の思想に深く踏み込まず、「人民を愛する」ことだけに、とどめて、一緒にしよう、というわけだ。

 習が中国古典の読者であることはよく知られているから、古典の知識が足りないから、異なる思想の哲学者を寄せ集めたのだ、という

Xunzi.

解釈は成り立たない。 これは、「統一された『中国の伝統文化』が存在する」という、習の持論に基づく、イデオロギー的言明だ。つまり、アカデミックな科学ではなく、中国共産党のイデオロギー的要請による「儒教思想の改造」を基にしているのだ。

 習によれば、「人民への愛」の要素は、啓蒙思想家によって作り出され、ブルジョア革命で生まれた政府が宣言した、欧州での初期の人権思想にも含まれていたが、「マルクスとエンゲルスは、ブルジョアの人権理論の歴史的かつ進歩的な重要性を確認し、同時に、人権を否定する社会的、歴史的、階級的性質を徹底的に批判した」のだという。

 だが、マルクスとエンゲルスの思想は、人権についての進歩的な理論を詳細に説明できたが、プロレタリアートたちに真の人権を保障する者とはならなかった。

Engels (left) and Marx, 19th-century print.
Engels (left) and Marx, 19th-century print. Credits.

 習は、中国共産党だけが、儒教の「人民への愛」とマルクス主義理論を統合できたと信じている。習によると、西側諸国の人権の理論と実践は、マルクスとエンゲルスによって明らかにされた偽善と矛盾をそのまま引きづっている。また他の共産主義政権は実際には問題を解決しなかった。「我々は、マルクス主義の人権の概念を、中国の具体的な現実と優れた伝統的な中国文化と組み合わせることができた」と誇らしげに語る。だが、本当にそう言えるのか。

 習は、中国共産党の人権思想は「自給自足の権利と発展の権利を最優先する」とし、西洋の人権の概念は、思想、言論、結社、政治参加、宗教の自由を最上位に置く権利の階層を作ることで、19世紀のブルジョアの矛盾を引きずっている、と言う。人権に関する誤った西洋の概念が、金持ちを保護し、貧しい人々がまず生存し、貧困から逃れる必要がある、という事実を無視している、と主張している。

 そして、貧困撲滅と社会主義社会構築の闘いの障害となるもので、西側が基本的人権と見なしているものがあれば、それを否定する用意がある、とし、「貧困との闘いは、誰もが中国共産党の指導を支持する場合のみ、勝利できる」と言明している。これは、党の指導に背くような”人権”は、“括弧”にくくられたり、停止させられたりする可能性があることを意味している。

 習は、中国の人権についての概念の優れている例として、新型コロナウイルスの世界的大感染との戦いへの対応、を挙げている。最優先された”人権”は人民の生存権、ウイルスから守られる権利、命を落とさない権利だ。人権は、いわゆる”ゼロ・コロナ政策”によってのみ保証され、言論の自由、集会、抗議活動などを優先する場合、”ゼロ・コロナ政策”は完遂不可能だ。

 西側諸国は、中国よりも「人権の概念が劣っていた」ため、中国が制御できた新型コロナウイルスの感染が「制御不能」に陥ったと、習は主張する。逆説的だが、習は、「西側は今も、『普遍的な人権は国家主権より上位にある』と考え、我が国や他国の内政に干渉している」と結論付けている。実際、習は、「人権についての卓越した概念が新型コロナウイルス危機において、その長所を証明した」という考えを受け入れているのだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

*Bitter Winter(https://jp.bitterwinter.org )は、中国における信教の自由 と人権 について報道するオンライン・メディアとして2018年5月に創刊。イタリアのトリノを拠点とする新興宗教研究センター(CESNUR)が、毎日4か国語でニュースを発信中。世界各国の研究者、ジャーナリスト、人権活動家が連携し、中国における、あらゆる宗教に対する迫害に関するニュース、公的文書、証言を公表し、弱者の声を伝えている。中国全土の数百人の記者ネットワークにより生の声を届け, 中国の現状や、宗教の状況を毎日報告しており、多くの場合、他では目にしないような写真や動画も送信している。中国で迫害を受けている宗教的マイノリティや宗教団体から直接報告を受けることもある。編集長のマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)は教皇庁立グレゴリアン大学で学んだ宗教研究で著名な学者。ー「カトリック・あい」はBitterWinterの承認を受けて記事を転載します。

 

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2022年6月28日