・共産党結党100周年を機に、キリスト教”中国化”加速ー”習近平による聖書”も(BW)

 中国共産党の結党100周年は、「キリスト教の中国化」を加速する契機になる。上海で7月13日に開かれた、中国政府・共産党の管理・統制下にあるプロテスタント教会の組織「三自愛国教会」と同教会の活動を監督する「中国基督教協会」の”中国化”促進会議は、まさにそれを示している。

(写真は、7月13日に上海で開かれた「三自愛国教会」と「中国基督教協会」の”中国化”促進会議)The July 13 conference in Shanghai.

 会議は、三自愛国教会会長の徐暁宏・牧師が主宰し、講演者には、中国基督教協会会長の無為・牧師と中国共産党中央統一戦線部で宗教活動の管理・統制を担当する第12局の幹部が名を連ねた。

 無為・会長は「(プロテスタント教会の)”中国化”は進展しているが、まだ完了していない。中国共産党はキリスト教徒が、中国化を加速させ、『外国の宗教を完全に取り除く』ことを期待している」と説明した。

 中国共産党が進める”中国化”は何を意味するのか。(中国の文化、社会に適応した、中国人の心にキリストの教えが受け入れられるような、キリスト教にすることか?)いや、共産党が展開する「無神論」のプロパガンダでは、キリスト教そのものが「外国の宗教」と呼ばれることが多い。だから、”中国化”は、キリスト教徒に「キリスト教を排除」させること、との見方もある。

 無為会長や他の講演者から、そこまで踏み込んだ発言はなかったが、「聖書と賛美歌は十分に”中国化”されていない」との指摘があった。

 中国共産党の”専門用語”としての「中国化」は、「中国人に適応した形で福音を伝えること」を意味しない、という点に留意する必要がある。「中国化」とは、共産党用語でキリスト教を語り、聖書が中国共産党の理論を確認するものであることを、信徒たちに教えることを意味するのだ。

 「私たちは教会に『優れた中国の伝統文化』を含めねばならない、と多くのことを言われています」とあるプロテスタント牧師は匿名を条件にBitterWinterに語った。「私は、人間的な価値観を伝える中国の優れた古典を受け入れることには反対しません。しかし、共産党の言う『優れた』は、『党が、そう判断するもの』を意味する。中国の真正な古典ではなく、中国古典の共産党による解釈本から(説教などに)引用するよう求められているのです」。

 上海の会議で講演者たちが繰り返し言及したのは「社会主義の核心価値観」だった。牧師が求められる聖書の”中国化”は、聖書の内容のすべてを信徒たちに教えるのではなく、「社会主義の核心的価値観」に適合する箇所だけを教えねばならない、ということを意味するのだ。

 無為・会長によると、聖書の物語は「中国共産党と社会主義の道の指導と、キリスト教徒の意識の一体化を促進する」ものであるべきだ。中国共産党の指導性について聖書の言葉の中に見つけることは困難だが、「解釈は常に役立つ」のだ、と言う。 そして、党の書籍による、ヨハネ福音書の8章3–11節にある「姦淫の女とイエス」の話についての”解釈”を取り上げて、「イエスは、実際にはその女を殺し、律法は常に尊重されるべきだということを示しているのだ」と述べ、「我々は、さらなる解釈が可能と考えている。それは、聖書の意味に手を加え、差し替えて、『習近平による福音書』を作ることだ」と語った。

 また、会長は、賛美歌についても、言葉や音楽が中国語以外の起源を持つものをすべて排除することで「中国化」する必要があるとした。つまり、伝統的な賛美歌はすべて消え、「社会主義文化を前進させる」歌に置き換えるということだ。

 それでは、中国のキリスト教には何が残されるのだろうか?おそらく、それほど多くはないだろう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

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2021年7月23日