(2022.6.24 Bitter Winter Massimo Introvigne)
中国の習近平・国家主席が2月25日に第19回中央委員会政治局の第37回集団勉強会で行った「人権」に関する講演の内容が、6月15日発行の中国共産党の理論誌「求是(Qiushi )に掲載された。講演から4か月近くもかかったのは、習自身が丹念に手を入れたため、と思われる。
「人権には普遍的な概念がないーそれぞれの国が、自国に合うように”人権”を定義する権利を持つ」、として「西側諸国が”普遍的”人権、という誤った考えのもとに、自分たちのブルジョア的な概念を他国に押し付けようとしているのだ」という習の主張に、新味は何もない。
この講演の内容で、あえて目新しいものをあげるとすれば、「人権についての”卓越”した中国的概念の系譜」だろう。習主席は、この概念の系譜に名を連ねる人物として、孔子、孟子、荀子、墨子、マルクス、エンゲルスの6人を挙げている。このうち 4人の中国の哲学者が「人権」という言葉を使ったことはないが、「善き統治は、人民を愛し、人民を優先するものであるべき」という主張から、選ばれているようだ。
この中国人4人には途切れることのない思想的つながりがあるかのようにされているが、実際は、孟子と荀子(右の絵)は人間性について根本的な意見の相違があり、荀子とその弟子たちは「人権」の概念から遠く離れた独裁形態の政府を支持している。そして、墨子は孔子の弟子というよりは、敵対者だ。だから、それぞれの哲学者の思想に深く踏み込まず、「人民を愛する」ことだけに、とどめて、一緒にしよう、というわけだ。
習が中国古典の読者であることはよく知られているから、古典の知識が足りないから、異なる思想の哲学者を寄せ集めたのだ、という
解釈は成り立たない。 これは、「統一された『中国の伝統文化』が存在する」という、習の持論に基づく、イデオロギー的言明だ。つまり、アカデミックな科学ではなく、中国共産党のイデオロギー的要請による「儒教思想の改造」を基にしているのだ。
習によれば、「人民への愛」の要素は、啓蒙思想家によって作り出され、ブルジョア革命で生まれた政府が宣言した、欧州での初期の人権思想にも含まれていたが、「マルクスとエンゲルスは、ブルジョアの人権理論の歴史的かつ進歩的な重要性を確認し、同時に、人権を否定する社会的、歴史的、階級的性質を徹底的に批判した」のだという。
だが、マルクスとエンゲルスの思想は、人権についての進歩的な理論を詳細に説明できたが、プロレタリアートたちに真の人権を保障する者とはならなかった。
