中国共産党は、教皇フランシスコが司教を任命する3か月前に、その司教を「選出した」と発表した。そして、司教の叙階式では、「教皇が任命したこと」には言及されなかった。
2018年のバチカンと中国の司教任命に関する暫定合意(2024年にさらに4年間更新)によると、中国共産党とバチカンは、中国国内での司教の任命について合意する必要があることは明示されているが、合意の詳細は7年近く経った今も、秘匿されている。
これまでの司教任命をめぐるいくつかのケースの任命の手順を見ると、合意の細目とは一致していない可能性が高いようである。
つまり、①司教の「選出」は中国共産党が行い、そのニュースを公表する。②その後の数か月の間、バチカンからの”反応”がない。これは、バチカンが誰が「選出」されるのか事前に知らされていなかったことを強く示唆している。⓷共産党が公表してから数か月後、教皇がその司教を承認する。④司教叙階式が、教皇の権限とはまるで無関係であるかのように、教皇による「任命」には、まったく言及されることなく、執り行われ、中国共産党の管理下にある中国愛国天主協会の「司教協議会」から承認の手紙が読み上げられる―だ。
そのもっとも最近の例は、季維中(Ji Weizhong)司教(写真左=Weiboより)に関するものだ。中国共産党は、昨年7月19日に李司教が山西省の呂梁教区の司教に選出された、と発表した。興味深いことに、その日付の段階で「呂梁教区」は存在していなかった。その地域を管轄していたのは汾陽教区であり、呂梁教区は、カトリック教会の教区を国の行政区分に合わせる、という中国共産党の方針の一環として、後に”新設”されたのだ。つまり、昨年7月19日の段階で、呂梁教区長である李司教なるものはいなかったことになる。
以前の上海教区の司教任命の時と同じように、バチカンと中国共産党の間で水面下の交渉があったとみられるが、ともかく、今回の件については、共産党の発表から半年後の今年1月20日、バチカンが、「2024年10月28日」に、教皇が汾陽教区の廃止と呂梁教区の新設、季偉中神父の呂梁教区長の司教として任命した、と発表した。
司教任命の発表時期が中国共産党とバチカンで半年ずれたのに加え、もう一つの興味深い疑問は、昨年10月28日に教皇が中国共産党の司教区改廃と司教任命を「批准」したのであれば、バチカンの新聞発表が3か月も遅れて出されたのか、ということだ。
その答えは、季司教の叙階を「合法化」することが急務であったからであり、まさに1月20日にそれは行われた(写真右=Weiboより)。 例によって、叙階式では教皇の承認や委任は言及されず、中国司教協議会の書簡が読み上げられたが、あたかもバチカンが承認していないこの団体が、教皇ではなく司教の正当性の源であるかのようにであった。
司教任命に関するバチカンと中国の暫定合意は、依然として、かなり”奇妙”な形で機能しているのだ。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)