・「私は強制収容所の教師だった」ウイグル女性が語る恐怖の体験(BW)

  中国政府・共産党は、自分が受けたり目撃した性的暴行や拷問を勇気をもって証言するウイグル人女性の人格を臆面もなく傷つけている。その一人、現在ではオランダに亡命しているケルビヌール・シディクさんに恐怖の経験について話を聴いた。Qelbinur Sidik, not showing her face for security reasons.(写真は、ケルビヌール・シディク、セキュリティ上の理由から彼女の顔を見せなかった)

 4年前の先週、世界が国際女性デーを祝っている時、中国の新疆ウイグル自治区にいたシディクさんは、当局から、強制収容所で働くように言われた。彼女は小学校で28年間、教師を務めた経験があり、当局の担当者は、彼女に、文盲のウルムチのための中国語のクラスで教えることになるだろう、と言った。

 当局の指示に従って、その施設の前に立った時、まずショックを受けた。建物は鉄条網で覆われた壁に囲まれ、刑務所のようで、完全武装の警備員が入り口と敷地全体に配置されていた。入り口で主旨を告げると、警備員に”学生”が収容されている高い建物に連れて行かれた。彼女が”学生”たちを教える”教室”は小さな椅子が何百もある大きなホールで、窓には鉄筋がはめられていた。教師のためにテーブルが一つ、移動式の黒板、ホールにはいたるところに監視カメラが付けられていた。

 そして、次にショックを受けたのは、”学生”たちの姿だった。顔は青白く、疲れ果てており、髪は伸び放題、沈んだ目をしていた。オレンジ色のベストに灰色の”囚人服”を着た”学生”たちは、ウイグルの伝統的な「こんにちは」「Essalamueleykum」で、彼女を迎えた。

 初めての授業で、忘れることのできない経験をした。黒板に漢字を書き出すと、後ろで”学生”が泣いているのが聞こえた。初の4時間は永遠に続くようだった。ある日のこと、”学生”の一人が、授業を早く終わらせて、解放してくれるように、彼女に頼んだ。そして、その”学生”には、二度と会うことがなかった。

 彼女が収容所の警備員から聞いたところでは、”学生”たちは指定された中国語の授業を修了すれば学生は「卒業」するということだった。だが、”学生”たちは”文盲”とはほど遠く、拘留されていた金持ちのビジネスマンはそもそも職業訓練など必要としなかった。

 その後、ケルビヌールはウルムチの女性強制収容所に異動させられた。そこは、先の男性収容所と同じように、実際は刑務所だった。出勤初日、2人の警備員が死亡した若いウイグル人女性を、担架で建物から運び出すのを目撃した。

 女性収容所は6階建てで、各階には約20の独房があり、それぞれに女性たちが入れられていた。各階に設けられた”教室”は大きくて暗く、窓には鉄筋がはめられ、何百もの小さな椅子と、教師用の金属製の檻のような箱が置かれていた。このため、彼女は、前から三列目の”学生”までしか見ることができなかった。女性たちの頭は剃られていて、慣れるまでは男女の見分けがつかなかった。全員が灰色の”囚人服”にオレンジ色のベストを付けさせられていた。

 彼女たちを教えるのは辛かった。全員が動きのない人形のように、静かで、青白い細い頭の列と列は、見えない縄で繋がれているように、そろって頭を下げるのだ。

 ある日、小さな椅子に、苦痛のあまり座ることができない若い女の子がいるのに気付いた… 収容所の警備員から聞いたことを、実際に目にした…

 中国人の男性警備員と警官は、女性収容所で働くのが”大好き”だ。収容所に入れられている彼女たちは、組織的な拷問と性的暴行、食べ物の不足、睡眠不足、そして、奇妙な注射を体験させられる。何だか分からない薬を投与された後、出血して死亡した人もいた。多くの女性たちが、ケルビヌールが勤務している間に、収容所から姿を消した。

 このような残酷な体験をして、ケルビヌールはショックのあまり、人間を信じることができなくなり、収容所に来る前の人生を忘れました。中国を脱出した今も、犠牲となった人々の顔、生気を失った目が、彼女を苦しめている、という。

 ケルビヌールは、強制収容所に勤め始めた時からずっと、「国際女性デー」を祝っていない。今年の3月8日は、悪夢が始まってから4年後の2021年のウイグル人女性にとってのもう1つの”虐殺”の日だった。中国外務省は、新疆ウイグル自治区の強制収容所での残虐行為を実体験をもとに勇気を奮って告発したこのウイグル人女性を、攻撃したのだ。

 中国政府が、ウイグル人の故郷である東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)に隠すものが本当にないのなら、国際的な女性の権利グループ、ジャー

Zubayra Shamseden

ナリスト、そして自由な国連の調査を喜んで受け入れるだろう。だが、そのようなことは起きていない。

 ウイグル人にとって意味のある「国際女性デー」があるとすれば、それは、国際社会がすべてのウイグル人女性が味わわされている悪夢ー収容所での耐え難い暮らし、残虐な仕打ちに遭い、命を落とし、行方不明になるという現実ーを終わらせる行動を起こす日だ。

 

*筆者のZubayra Shamseden は、米国のワシントンDCを拠点とする人権団体Uyghur Human Rights Project(UHRP)に所属。ウイグル人の人権と政治的自由のために、30年以上にわたって支援活動を続けている。現在、World Uyghur Congressの人権委員会の委員長。UHRPに参加する前は、国際ウイグル人権民主主義財団(IUHRDF)の広報責任者、研究者、翻訳者を務めた。英語、ウイグル語、中国語、ウズベク語、ロシア語に堪能であり、トルコ語の実務知識を持っている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

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2021年3月16日