・教皇が自発教令に込めた“教会の地方分権化”への強い思い(Crux)

(2022.2.16  Crux Editor  John L. Allen Jr.)

 ROME –教皇フランシスコが15日の自発教令で、教会法にいくつかの小さいながらも意味のある修正を加え、特定の権限をバチカンから、各国・地域の司教協議会や司教に移譲した。権限移譲の対象には、神学校の開設、司祭養成の計画、地域共同体からの修道会メンバーの解任、地域版カテキズムの発行、そして遺産や寄付に付随する義務的なミサの削減が含まれる。

 権限移譲の内容そのものはそれほど大きくないように見えるが、2017年に論争を起こした典礼翻訳の権限の司教協議会への再移譲を含め、教皇が進めてきたカトリック教会の漸進的な”地方分権化”をさらに一歩進める重要な意味を持つ。

 教皇が、バチカンに集中している教会活動に関する権限の「健全な地方分権化」を言明したのは2015年だった。本質的な部分での権限移譲ではないにしても、教皇権の行使方法の変更や、各国・地域の司教の決定権の対象拡大を対象とする地方分権化を始めていた。15日の自発教令はその延長上にある。

 しかし、このような”地方分権化”プログラムの展開の仕方は、フランシスコの教皇職についての一つの壮大な皮肉と、カトリック教会についての基本的な真実の両方を明らかにするものでもある。言ってみれば、教皇の”地方分権化”のプログラムは、超中央集権化のスタイルが最も可能な仕方によって成立する、ということだ。

 教皇が15日に教会法の変更を指示した手段は、他の当事者からの求めに応じることなしでとられた法的​​措置ー「教皇自身の判断による」という意味の自発教令ーだった。「誰も求めることのない、私がやりたいこと」だ。

 ある意味で、それは教皇職の権限の、可能な限り最も純粋な行使であり、教皇が教会に対して「完全で、最高の、即時のそして普遍的な管轄権」を享受する教会法上の補足を利用している。ウィル・ロジャース(米国のユーモア作家、社会評論家でコメディアン、俳優)風に表現すれば、「教皇は、自分が好まない自発教令を見たことが無い」ということになる。

 フランシスコは、これまで9年の教皇在任期間中に、自発教令を47も出している。ヨハネ・パウロ二世が27年の在任中に出した自発教令が30だったのとは対照的だ。特に 2016年には1年間で9つも出している。夏季休暇を除けば1か月に1つのペースだったが、昨年も年間8つの自発教令を出し、テンポは衰えていない。今年も、15日の前日、14日に教理省を「教理」と「規範」に二部門制にする自発教令を出している。

 要するに、教皇フランシスコは”自発教令のハンク・アーロン(米国の野球選手。通算755本の本塁打記録は2007年バリー・ボンズまで33年間破られなかった)”になるのを運命づけられている。つまり、自発教令の発出件数で歴代教皇トップであり、これを破るのは、彼の後継者たちにとって至難の業だ。

 また、フランシスコは他のやり方で権威を活用するのに恥じるところもない。少し前、バチカンが所有するロンドンの不動産取引を巡る金融犯罪に関する大型裁判で、バチカンの通常の刑事手続きからの逸脱を認める4つの勅書を出している。彼はほとんどのバチカンの官僚機構の伝統的権威を打ち負かし、それらを回避することを好み、バチカンのいくつかの官庁の中間管理職に直接連絡を取り、雇用と解雇を行い、これまでの教皇たちが作るのに1世紀かかっていたバチカンにおける新たな仕組みと地位を10年で築き上げている。

 教皇の起こした変化が、実際に従来よりも分権化したカトリック教会を生み出せるかどうか、まだ分からない。だが、確かなことは、仮に私たちが分権化の進んだ教会を手に入れるとすれば、それはむしろ、教皇の権力そのものの行使によるものだということだ。

 ”分権化”の取り組みが、実は”教皇の権力”の行使だという”皮肉”は、カトリック教会についての未来永劫の真実を示している。つまり、教会の改革が、時には”ボトムアップ”で行われ、草の根の変化が最終的にローマの中心部にやってくるように強制する形で行われることもあるが、多くの場合、改革は”トップダウン”で行われるのだ。それは計画を頭に描く教皇によって進められ、改革の対象となった人々によって、時としてやみくもに、そして中途半端に受け取られてきたことを意味する。

 教皇フランシスコの”健全な地方分権化”について言えば、それは、第二バチカン公会議(1962-65)の精神を復活させようとして、彼が採っている方法の1つだ。教会はそれ自体を刷新する道を歩んでおり、残されてきたのは、カトリック左派と右派の不和の種だ。

 もっとも、第二バチカン公会議は民主的なプロセスの結果生まれたのではなかった。教皇ヨハネ23世が、最側近の何人かの希望に反する形で、自身の判断として公会議の召集を決定したのだ。この決定は、当初、バチカンの多くの有力者の間で明らかに冷淡な反応を受けたが、”善き教皇ヨハネ”は前に進んだ。そしてカトリック教会のその後の歴史は、それによって、明らかに従来とは異なるものとなったのだ。

 ”子育て”に村が必要だとすれば、”教皇の帝国”を解体するのに”皇帝的な教皇”が求められているのかも知れない。少なくとも、「完全で、至高で、素早く、そして普遍的な管轄権」を授けられた次期の教皇が、”ハンプティダンプティ”(イギリス伝承童謡マザー・グース)の一つであり、また、その童謡に登場するキャラクター、「危うい状況」などを表す言葉としても使われる)を また取り戻そうと決断するまでは。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年2月19日