・教皇が大司教辞表を受理しない旨のマルクス枢機卿あて書簡公表ーメッセージを日本の司教たちも真剣に受け止める必要

(2021.6.11 カトリック・あい)

 ドイツの最有力聖職者、マルクス枢機卿が自教区内の聖職者による性的虐待への責任を取って、大司教辞任を教皇フランシスコに申し出ていたが、教皇は辞表を受理しないことを決め、10日、枢機卿にその旨を伝え、書簡を公開した。

 書簡に込められた教皇のメッセージは以下のように、極めて厳しいものだ。自己の教区の司祭の性的虐待が信徒の心を傷つけ、その後の対応が損害賠償訴訟にまで発展している長崎教区を始め、聖職者による性的虐待の調査後もはかばかしい”成果”を出していない日本の司教たちにも、”他人事”とせず、自らへの教訓として受け止め、今後の判断に生かしてもらいたい。

*「引責辞任」の勇気ある申し出を評価

 教皇は書簡で、まず、マルクス枢機卿が自己の責任を明確にするため大司教を辞任する旨の申し出をした勇気を「主があなたにお与えになった恵み」と評価したうえで、ドイツの教会について、聖職者による性的虐待が幅広く明らかにされたことで「教会全体が危機に瀕している。この危機を認識し、対応しない限り、前進はありません」と厳しい見方を改めて示し、ドイツの教会の性的虐待の悲しい過去と、最近までとってきた教会の責任者たちの対応への枢機卿の深い反省に同意するとともに、これが「私たちがとらねばならない最初のステップ」と指摘。

*各司教は”大惨事”を直視し、何をすべきか自問すべきだ

 さらに、「誰もがこの現実を受け入れようとしているとは限らない」が、「それぞれの司教は、この“大惨事”に直面して、何をすべきかを自問しなければなりません」と強調。「私たちは、これまで、非常に多くの歴史的な過ちに直面して、何度も「meaculpa」と過ちを認め、痛悔してきました。これと同じことが、今、私たちに求められているのです」と訴えた。

 そして、現在の危機を克服するために必要なのは、「改革」に取り組む勇気であり、「主は、ご自分の生涯で、十字架の上で、改革を成し遂げられました。これは、親愛なる兄弟であるあなた(マルクス枢機卿)自身が辞任を表明する際に目指す道」とする一方、「あなたは、(大司教辞任を申し出た)私あての書簡で『過去を”埋め”ても、何も起こらない』と言われました。危機を前に沈黙し、対応せず、教会の”威信”に過度の重きを置くことは、歴史的な失敗につながり、 『戸棚に骸骨をしまっておく』ことの重みに、私たちを導くだけ」と警告。

*改革の出発点は、自分が罪人と認めること

 「性的虐待の現実に教会がどのように対応して来たかを白日の下に晒し、聖霊が、私たちを荒涼とした砂漠から十字架、そして復活に導いてくださるようにすることが急務。それは私たちが従わなければならない聖霊の道であり、出発点は謙虚な告白ー『私たちは間違い、罪を犯しました』ーです」とされた。

 さらに「” 世論”と制度の力は私たちを救わない。罪を隠蔽しがちな”教会の威信”は私たちを救いません。お金の力もメディアの声も私たちを救うことはできません。救うことのできるのは、私たちの率直な告白です。『私は罪を犯しました』『私たちは罪を犯しました』『私は罪人です』」と語り、「教会として、私たちは『恥の恵み』を求めなければなりません。そうすれば、主が私たちをエゼキエル書(16章)の『恥知らずな女(不実なエルサレム)』に堕落することから救ってくださいます」と強調した。

*謙虚に、羊飼いとなれ

 そのうえで、教皇は、枢機卿に「ミュンヘン・フライジング大司教としての職を続けてください。そしてあなたに課せられた使命を確認し、辞表を受理しないローマ司教が『自分を理解してくれていない』と思うなら、ペトロが主の前で感じたことを思い起こしてくださいー『私から離れてください、私は罪人です」と言うペトロに、主は答えました。『私の羊を世話する羊飼いになりなさい』と」と述べ、留任を求めた。

 

 

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2021年6月11日