・ヨハネ・パウロ1世教皇の列福に必要な奇跡認定

ヨハネ・パウロ1世ヨハネ・パウロ1世 

(2021.10.13 バチカン放送)

 教皇フランシスコは13日、ヨハネ・パウロ1世教皇(在位 1978年8月26日-1978年9月28日)の列福に必要とされる奇跡を認める教令の発布を承認された。これにより、同教皇の列福は、教皇フランシスコによる列福式の日付の決定を待つまでとなった。

 奇跡として認定されたのは、瀕死の状態にあった少女が同教皇の取り次ぎで回復した、というもの。2011年に、アルゼンチン・ブエノスアイレスに住んでいた11歳の少女が、重い病気にかかり、死が迫っていると診断された。ところが、地元の小教区の主任司祭が、少女の母親や集中治療室担当の医療スタッフと共にヨハネ・パウロ1世に取り次ぎを祈ったところ、少女は回復した。

 ヨハネ・パウロ1世(アルビーノ・ルチアーニ)は1912年10月17日、イタリア北部フォルノ・ディ・カナーレ(現在のカナーレ・ダゴルド)に生まれた。1935年司祭叙階。1958年、ヴィットリオ・ヴェネト司教。1962年から1965年の全会期を通し、第二バチカン公会議に参加。1969年、ベネチア総大司教。1973年、枢機卿に任命された。パウロ6世逝去後のコンクラーベで、1978年8月26日、第263代ローマ教皇に選出された。

 (注:「カトリック・あい」=同教皇は、第二バチカン公会議の精神を受け継ぎ、教会改革に積極的で、また温和な性格から「微笑みの教皇」と多くの信徒から慕われ、活躍が期待されたが、実力を発揮する間もなく、教皇就任後わずか44日で突然、亡くなられた。その死因や死に至った経過、バチカンの対応について、現在に至るまで納得のいく説明がなされていない。)

 同日、ヨハネ・パウロ1世の列福の件のほかに、尊者・神のしもめマリア・ベレニス・ドゥケ・ヘンカー修道女(1898-1993コロンビア)の列福に必要な奇跡、および神のしもべピエトロ・オルティス・デ・サラテ神父(1622-1683アルゼンチン)の殉教が認められた。また、ディエゴ・ヘルナンデス・ゴンサレス神父(1915-1976スペイン)、ジュゼッペ・スポレティーニ神父(1870-1951イタリア)、イエスのマドレーヌ修道女(フランス1989-イタリア1989)、エリザベッタ・マルティネス修道女(1905-1991イタリア)の、4人の神のしもべ・しもめの英雄的徳が認められた。イエスのマドレーヌ修道女(イエスの小さい姉妹マドレーヌ)は、「イエスの小さい姉妹の友愛会」の創立者。同会は日本でも活動している。

(編集「カトリック・あい」)

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2021年10月14日