・ベネディクト16世が帰天”主のブドウ園の謙虚な労働者”ー葬儀は5日に

Portrait of the late Pope Emeritus Benedict XVIPortrait of the late Pope Emeritus Benedict XVI  (Vatican Media)

 名誉教皇ベネディクト 16 世が31日午前 9 時 34 分(日本時間同日午後5時34分)、バチカンのマーテル・ エクレシア修道院の住居で亡くなられた。95歳だった。

 バチカン広報省は31日朝、名誉教皇が住まいとされていた同修道院で亡くなられた旨、以下のように発表した。

 「悲しみとともに、名誉教皇ベネディクト16世が本日午前9時34分、バチカンのマーテル・エクレシア修道院で亡くなったことをお知らせします。 さらなる情報はできるだけ早く提供いたします。 2023 年 1 月 2 日、月曜日の朝、名誉教皇の遺体は聖ペトロ大聖堂に安置され、信者たちは別れを告げることができます」。

 名誉教皇は、すでに数日前から、加齢により健康状態を悪化させていた。教皇フランシスコは 28 日の今年最後の一般謁見で、名誉教皇の健康状態の悪化について確認され、「非常に重い病状にある」名誉教皇のために祈りを捧げてくれるよう、世界の信者たちに呼びかけられていた。それは、主が彼を慰め、「教会への愛の証人として、最後まで支えてくださる」ようにするためであり、世界の多くの人々、指導者たちが祈りに参加していた。

 広報省が31日正午に発表したところによると、名誉教皇のご遺体は、別れを告げる信者たちのために、2023年1月2日朝から、バチカンの聖ペトロ大聖堂に安置され、葬儀は5日午前9時30分から、バチカンの聖ペトロ広場で、教皇フランシスコによって行われる。名誉教皇はご自身が生前からそうであったように、葬儀も簡素であることを望まれていた、という。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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*自らの意思で退任した史上二番目、719年ぶりの”学者”教皇

(カトリック・あい)

 ベネディクト16世、ヨーゼフ・ラッツィンガーは1927年、ドイツ南部バイエルン州で生まれた。1951年6月に司祭に叙階され、その後、『聖アウグスティヌスの教会論における神の民と神の家』の論文で神学博士号を取得。1957年にドイツのフライジング哲学神学大学、さらにボン大学、ミュンヘン大学、チュービンゲン大学で教鞭をとり、レーゲンスブルク大学で副学長を務め、1960年代の第2バチカン公会議ではケルン大司教ヨーゼフ・フリングス枢機卿の神学顧問となった。

 1977年にミュンヘン大司教、さらに1981年に時の教皇、聖ヨハネ・パウロ2世によってバチカン教理省長官に指名された。同ポストを24年間と異例の長期にわたって務めた後、聖ヨハネ・パウロ2世教皇の帰天を受けて行われた教皇選挙で教皇に選ばれ、2005年4月に78歳で第265代教皇に就任。カトリック教会の中でも避妊や人工妊娠中絶などに強く反対する保守派としての立場を明確にする一方、など「開かれたバチカン」をツイッターなどでアピールした。

 在任中にはバチカン内部の機密漏洩などのスキャンダルも相次ぎ、聖職者による性的虐待の問題やローマ教皇庁の不透明な財務状況の問題などで対応に追われ、イスラム教などに誤解を生む発言で反発を買われることもあった。

 そして就任から約8年後の2013年2月に高齢による体力の低下を理由に退位することを突然表明。死去によらず、自らの意思による教皇退位は1294年のケレティヌス世の辞任以来719年ぶり、史上2人目であり、カトリック教会のみならず、世界中の人々に驚きをもって受け止められた。

 退位後は、「名誉教皇」となり、バチカンのマーテル・ エクレシア修道院を住まいとしながら、行事などに姿を見せていた。

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2022年12月31日