♰「真に人間的なコミュニケーションは、心の交流を作る」教皇が新規出版

The cover of the new volume of Pope Francis' writingsThe cover of the new volume of Pope Francis’ writings 

*キリストの眼差しで

 この本の特徴の一つは、「キリストの眼差しで」という、これまでに書かれたことのないタイトルを付けた章が設けられている点だ。

 この中で教皇は、マルコ福音書に書かれた「永遠の命を得る方法をイエスに尋ねた金持ちの若い男性との出会い」(10章17-22節参照)を取り上げ、その箇所の「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(21節)に注目されている。

 ここに、イエスのなさり方が明らかにされているーそれは、「主が、彼の言葉ではなく、彼自身を注視しておられる」ことだ。これは、真に人間的な意思を伝え合うために、「世界や他の人々と触れ合い、関係を構築する」ことが、どれほと重要であるか、と示している、と強調している。

*他者を理解しようと努める

 教皇はまた、このような愛の視点を欠くと、人間のコミュニケーションは容易に弁証法的な争いになってしまう… そうならないように、「他者」に自分の心を開くことで、私たち自身と対話の相手の存在の意味についての問題に取り組むことができる、と指摘し、「コミュニケーションは単に情報交換の手段になるだけでなく、交わりを築く手段にもなります」と説かれている。

*”開放”が陥りやすい傾向

 だが、他者に心を開くコミュニケーションには、一定のリスクが伴う。それが、自分自身の固有の人格についての認識から始まるが、相手の立場に耳を傾けることにオープンでなければならない。効果的な対話は、自分自身の固有の人格を保ちつつ、相手の固有の人格を認め、相手の自由を認めることで成り立つーとされた。

 教皇は、これに関連して、19世紀の英国の神学者、聖ジョン・ヘンリー・ニューマンの見方に注目。ニューマンは、人の会話は、問題の要点の真理(それが必要で重要であるにもかかわらず)ではなく、”開放”が陥りやすい傾向に依存することが、しばしばある、と指摘しているが、教皇は、「話し相手の気質にとても大きく依存することから、コミュニケーションは、そうした気質を壊し、変容することのできる出会いでなければなりません… 言い換えれば、回心に開かれていなければならない-そのためには、勇気が必要です」と強調した。

*自由の重要性

 また、教皇は、マルコ福音書のこの箇所で、金持ちの男は、たくさんの財産を持っていたので、(注:イエスの『(永遠の命を得たいなら)持っている物を売り払いなさい』という言葉に)「顔を曇らせ、悩みつつ、立ち去った」とされているが、それは、彼が真に自由ではなく、自分の財産にとらわれていたから、と指摘。

 「地球上にいる人々を人間的にし、コミュニケーションに関する全ての活動を人間的なものにするために、真の自由は、欠かすことのできない”薬味”なのです」と強調。「自由がなければ、真実はありません。すべての関係は、虚構、偽善、表面的なもの、さらには道具になってしまいます」と訴えられた。

 だが、イエスの次の言葉は、金持ちの若い男が永遠の命を得ないままにならない可能性を示唆しているー弟子たちが「それでは、誰が救われることができるのだろうか」と言い合う(10章26節)のを聞いて、イエスは「人にはできないが、神にはできる」と言われいる(同27節)からだ。

 教皇は、これは、神を私たちの会話に入るようにお誘いする、祈りへ心を開くことを意味する、とされ、イエスはまた、「話しておられる相手を見つめておられる」とも指摘された。

 そして、この章を、次の祈りで締めくくっておられるー「神の眼差しが、いつも私たちの人生に注がれますように。他の人たちと関係を持ち、言葉を交わす時、ご自分のすべてをお与えになるほどに無償で寛大な愛の目で、私たちを見つめてくださった”イエスの眼差し”を持つことができますように」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2020年5月25日