☩教皇カナダ訪問:「教会が同化政策に加担し、多くの人に消し難い苦しみを味わわせたことに、怒りと恥を感じる」先住民の教会で

(2022.7.26 バチカン放送)

 カナダを訪問中の教皇フランシスコは2日目の25日午後、アルバータ州の州都エドモントンの教会で先住民や小教区の信者らとの集いを持たれた。

 会場となった「ファーストピープルズの聖心教会」は、1913年に建設された、エドモントン市内で最も古い教会の一つ。この小教区は、1991年、カナダのファースト・ネイション、メティス、イヌイットのための教会となった。

 教皇は、先住民の人々の太鼓の音と歌に迎えられ、人々のへの挨拶で、この教会にファースト・ネイション、メティス、イヌイットの人々と共に、先住民ではない地域の人々や、出身も様々な移民たちが共に集う様子を喜ばれ、「開かれた受容性ある皆の家、これこそ神の家族、教会のあるべき姿です」と話された。

 この集まりに先立つエドモントン郊外、マスクワシスでの先住民の人々との出会いを思い起こされた教皇は、「カトリックの人々が先住民に対する同化政策に加担し、劣等感を与え、共同体と人々から文化的・精神的アイデンティティーを奪ったことを深い悲しみとします」と謝罪。

 そうした過去を持つ地域の消極の信徒たちが「日々の出会いを通し、癒しと和解の基礎を築いていること」を神に感謝されるとともに、「キリストによる和解とは、表面的な和平でも、双方の満足を図る妥協でもありません」とされ、「使徒聖パウロは、『イエスは二つのものを一つのもの、一つの民に造り上げる』(エフェソの信徒への手紙2章14節)と語っているが、それは、十字架を通して、です。イエスは私たちを、十字架上でー命の木の上で、和解させるのです」と説かれた。

 さらに、「聖パウロは『イエスは十字架を通して、私たちを一つの体として和解させる』と述べていますが、その『体』とは『教会』です」とされ、「教会は『和解のための生きた体』であるべきにもかかわらず、まさにその教会が関係した場所で、多くの人に消し去りがたい苦しみを味わわせたことに、怒りと恥辱を覚えます。… 人が神に近づけるようにすることよりも、人に神を押し付ける方が簡単なように思われますが、それは決してうまくいきません… なぜなら、神は強制や抑圧はなさらず、常に人を愛し、解放し、自由にされるからです」と反省を込めて話された。

 最後に教皇は、「神ご自身が望まれるようにイエスが自由と慈愛のうちに告げられ、私たちが出会う苦しむ人々を、解決すべき対象としてではなく、愛するべき兄弟姉妹として認めることができますように、キリストの体である教会が、和解のための生きた体となりますように」と祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

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2022年7月26日