(2026.7.23 カトリック・あい)
夏季休暇中の教皇レオ14世は20日、第二次世界大戦の激戦の地となったモンテカッシーノ修道院を私的に訪問され、改めて世界平和を祈願され、次いで22日にイタリア中部、ヴァッレピエトラの巡礼聖堂、またカステル・ガンドルフォへの帰途に、ローマ郊外、スビアーコの聖ベネディクト修道院と聖スコラスティカ修道院を訪問された。
(2026.7.20 Vatican News)
教皇レオ14世は20日午前、モンテカッシーノ修道院とベネディクト会の共同体を非公式訪問され、聖ベネディクトの墓前で祈りを捧げ、流血と紛争に苦しむ世界の地域における平和への願いを、聖人に託された。
バチカン報道局の発表によると、教皇は聖ベネディクトの墓前で祈りを捧げられた後、ベネディクト会の共同体メンバーと昼食をされ、27日まで夏季休暇を過されているカステル・ガンドルフォに戻られた。
モンテカッシーノ修道院は、ローマから車で約2時間の場所にあり、529年に聖ベネディクト自身によって設立されたベネディクト会初の修道院。
第二次大戦中の1944年2月15日、米軍を中心とする連合軍が、山の上に立つ同修道院が独軍の防衛拠点や監視所として利用されているという疑いから、イタリア戦線の膠着状態を打開するため、約200機以上の爆撃機により1000トン以上の爆弾を投下し、完全に破壊した。爆撃後、修道院内に独軍がいなかったことが判明したが、瓦礫となった修道院が独軍に占拠され、強固な防衛陣地として利用される結果となた。
大戦後、修道院はイタリア政府の資金援助を受けて再建され、1964年に教皇パウロ6世によって再奉献された。現在、修道院には小規模なベネディクト会共同体が残っており、世界中から訪れる巡礼者や観光客を迎えている。
近くにはカッシーノ戦没者墓地があり、カッシーノ記念碑の立つ墓所には、いまだに行方不明の4000人以上の英連邦軍将兵が追悼されているほか、ここに埋葬されているうち289人の身元は依然として特定されていない。修道院の近くにはポーランド戦没者墓地もあり、1944年5月のモンテ・カッシーノ攻略戦で戦死した1072人のポーランド兵の最後の安息の地となっている。墓石に刻まれたキリスト教の十字架やダビデの星は、この戦役で命を捧げた人々の宗教的多様性を反映している。
教皇が訪問された日の10日前、第二次世界大戦の惨禍を今に伝える象徴となっているこの地で、2026年度パキス・ヌンティウス賞が、エルサレム・ラテン総大司教のピエルバッティスタ・ピッツァバラ枢機卿に授与された。
*イタリア中部・ヴァッレピエトラの至聖三位一体巡礼聖堂を訪問
(2026.7.22 Vatican News)
22日朝、教皇レオ14世は非公式”聖地歴訪”のため、夏季休暇中の教皇別邸カステル・ガンドルフォから車でイタリア中部・ヴァッレピエトラの聖三位一体聖堂へ向かわれ、その後、スビアコの聖ベネディクト修道院と聖スコラスティカ修道院を訪問された。
聖三位一体聖堂は、モンティ・シンブルイーニ山脈の標高1800メートル以上に位置し、巡礼地として知られており、聖霊降臨祭や7月26日の聖アンナの祝日には、何千人もの信者が、旗を掲げて山道を徒歩で登って来る。
洞窟の奥には、聖三位一体を、3体の同一のキリスト像として描いたビザンチン様式の聖画を含む、古代のフレスコ画が保存されています。聖堂から外へ続く階段のふもとには、岩を削って造られた聖アンナ礼拝堂がある。
バチカン報道局の発表によると、教皇は聖堂内の「聖三位一体」のフレスコ画の前で祈りの時を過ごされた後、信者や修道共同体のメンバーに挨拶を交わされた。
*スビアコの聖ベネディクト修道院と「聖なる洞窟」、アッシジの聖フランシスコの13世紀のフレスコ画の前で祈る

ヴァッレピエトラ訪問からの帰途、教皇はローマ郊外のスビアコの聖ベネディクト修道院を訪問された。
この修道院とその「聖なる洞窟」の聖堂は、6世紀初頭、ノルチャの聖ベネディクトが「砂漠の教父たち」の模範に倣い、隠遁生活を送った場所。ここでの孤独な期間を通じて、聖ベネディクトは、最初の修道共同体を設立し、西洋修道生活の礎を築くこととなるカリスマと霊性を成熟させた。以来、ベネディクト会にとって霊性の最も重要な場所の一つとされている。
修道院複合施設を視察中、教皇は13世紀に描かれたアッシジの聖フランシスコのフレスコ画の前で静かに瞑想され、聖ベネディクトが隠修生活を送られた聖なる洞窟では、伝統に従って聖人の像の膝に口づけをなさった。その後、同席者たちと共に「主の祈り」を唱えられた。
その後、教皇は聖スコラスティカ修道院を訪れ、ベネディクト会修道者たちと昼食を共にした後、回廊や修道院内を見学。カステル・ガンドルフォへ戻られた。