(Pope Pius XII. (Credit: Vatican News.)
(2023.9.18 Crux staff)
ローマ – 教皇ピオ12世に関する2つの新たな発見により、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)における教皇の役割を巡る議論が再燃している。
バチカン当局の了解を得てイタリアの新聞、Corriere della Seraが17日発行の日曜版で報じたところによると、バチカン文書館の職員でもある研究者が、教皇がホロコーストについてこれまで考えられていたよりも早くから知っていたことを示唆する手紙や、回心したナチス親衛隊将校が教皇に贈った短剣などを、文書館の未整理資料の中から発見した。
この手紙は、バチカン文書館が公開する予定のピオ12世関係の一連の資料の一部。 この問題は、ローマのイエズス会運営のグレゴリアン大学で10月9日から11日に開く「The new documents from the pontificate of Pius XII and their significance for Jewish-Christian relations(ピオ12世の教皇職時代の新たに得られた文書と、ユダヤ人とキリスト教の関係における重要性」題された国際会議でも取り上げられる可能性が高い。
掲載された写真の手紙は、反ナチのドイツ人イエズス会士、ローター・ケーニッヒ神父が、教皇ピオ12世の個人秘書で、ドイツ人のロバート・ライバー神父に宛てられたもので、日付けは1942年12月14日となっている。
手紙は、教皇フランシスコが2000年3月に、「1939年から1958年まで続いたピオ12世の教皇在任中の資料の全面公開」を決定した後、研究者が利用できるようになった数多くの未整理資料の一部。「大戦中、教皇ピオ12世は、ナチスの大量虐殺の範囲について散在的で矛盾した報告しか受けていなかったため、ホロコーストを明確かつ公けに非難しなかった」という、教皇を擁護する人々のこれまでの主張を支持するのをより難しくするものだ。
この資料を発見したバチカン文書館の研究者、ジョバンニ・ココ氏は、Corriere della Sera紙とのインタビューで、その重要性を強調し、「私たちは、半世紀にわたって、間接的な情報の形で文書や情報源について議論してきましたが、今、直接の情報源を持つことになった。今後、恐らくほかの情報源も出てくるでしょう。 私たちは、ピオ12世が教皇として教会を導いた悲惨な時期を理解できるように、できるだけ誰でもが情報にアクセスできるように努めています。恐れや偏見なしに、すべてを明らかにせねばなりません」と語った。
またココ氏は、このインタビューで、問題の手紙の他に、後任のヨハネ23世教皇が、ピオ12世の死後にその私宅で発見した「ナチのシンボルである鉤十字のついた短剣」が見つかったことも明らかにした。
ココ氏によると、ヨハネ23世は、国務省の代理で事実上の教皇首席補佐官だったアンジェロ・デラクア大司教に、この短剣についての説明を求め、大司教は、1917年から1958年に亡くなるまでピオ12世の家政婦兼相談役を務めた聖十字架姉妹会のドイツ人シスター、パスカリナ・レーナート氏に話を聞いた。
シスター・レーナは大戦中、ピオ12世に代わって、ユダヤ人を教会施設に保護する取り組みの調整役を務めていたが、彼女の話によると、「その短剣は、ナチの親衛隊将校が教皇に謁見した際、謁見の場に持ち込み、それを使って教皇を襲う計画を立てていたが、将校はその場で心変わりし、悔い改めのしるしとして、短剣を教皇に差し出した」ということだった。 短剣の写真は、Corriere della Sera紙の日曜版に載せられた。
ピオ12世を批判する人々、長年にわたって、ホロコーストに対する彼の「沈黙」を批判してきたが、ピオ12世擁護派は、教皇がユダヤ人や他のナチスの犠牲者を救うために舞台裏で動かれた、と主張している。
ココ氏は、ピオ12世が当時、公式声明を出すにあたっては、「いくつかの懸念が影響を与えた」とし、「ポーランド領内でのナチスの絶滅収容所運営を、教皇が直接非難した場合、ポーランドのカトリック教徒に危害が及ぶ可能性があった。非難声明を出せば、当時、ナチスの支配下にあった国や地域の司教たちとの関係を断つことを意味したでしょう」と説明した。
その一方で、「反ユダヤ主義が関係している可能性があった」とも指摘。 「当時の世界のカトリック教会の大部分に、ユダヤ人に対する偏見が存在しており、ユダヤ教という宗教のレベルだけでなく、時にはユダヤ人そのものを憎む心理があったのは否定できない」と語った。