*カテキスタの養成
新指導書は第1部「教会の福音宣教の使命におけるカテケーシス」で、カテキスタの育成について述べている。
具体的には、まず、カテキスタは、信頼される証人となる為に「カテキスタである前に、教理教育がなされねばならない」とし、「不毛な司牧的疲労」の回復薬である宣教の霊性に従って、無償、献身、誠実を旨として、緊張感を持って働き、それによって「無条件の保護が、すべての人々、とくに未成年者や脆弱な人に対して保証される」ようにすることを求めている。
*カテケーシスの課程
第2部「カテケーシスの課程」では、「深く効果のあるコミュニケーションモデル」の重要性が強調され、神とつながる手段として美の観想を通しての美術の活用、人々の心に神への強い望みを吹き込む手段としての聖なる音楽の活用を提案している。
家庭の役割も前面に置かれ、福音を授かる人々が、率直で自発的な仕方で信仰を生きることができるようにする場、謙虚で思いやりのある方法でキリスト教教育を受けることができる場、として示されている。
現代社会において、新たな家庭のシナリオに直面して、キリスト教徒は,すべての人に希望と信頼を回復させるために、親密になって、相手の話を聞き、理解することで人々に寄り添うことが求められている。
*身体障害者、移民を受け入れ、認める
新指導書はまた、身体障害者を「受け入れ、認める」ことの重要性を強調している。それは彼らが人間生活に欠かすことのできない諸々の真実の証人であり、素晴らしい贈り物として歓迎されるべき人々である、と強調している。彼らの家族もまた、「尊敬と賞賛」に値する。
同様に、新指導書は、故郷から遠く離れた場所で信仰の危機を経験する可能性のある移民の受け入れ、信頼、連帯に焦点を当てる必要も指摘している。移民は、偏見や人身売買などの危険との戦いで、支援を受ける必要がある。
*貧困層への優先的な選択肢、受刑者へのカテケーシス
新指導書は、刑務所を「真正な宣教地」し、注意を払うように求めている。受刑者にとって、カテケーシスはキリストにおける救いの宣言であるべきであり、教会の母としての思いやりをもって彼らに耳を傾ける必要がある、としている。
また、貧困層に対しては、カテキスタは福音的貧しさについて教える必要を指摘。友愛文化を進め、貧しい人々が経験している悲惨と不正の状況に憤りを育てる必要がある、としている。
*小教区、学校、教会関係組織において
第3部「個々の教会におけるカテケーシス」では、小教区、教会活動、そしてその他の教会団体におけるカテケーシスのあり方を扱っている。
小教区は、人々の生きた経験に対応した創造的なカテケージスを提供する「コミュニティ使徒職の模範となるもの」として強調されており、他の教会関係組織も「教会の豊かさ」を増す「素晴らしい福音宣教能力」をもつ、としている。
カトリック学校に関しては、福音の価値に基づいた教育プロジェクトによって、「学校教育の施設」から、信仰の「学校教育の共同体」に変わっていくように提案。宗教教育はカテケージスと異なるが、補完するもの、としている。
「宗教的な要素は、見過ごすべきでない存在に関わる側面を持つ」とし、宗教についての教育を考慮した全人教育を受けるのは「親たち、学生たちの権利」と強調している。
*文化的、宗教的多元性に対して
新指導書は、キリスト教諸宗派の一致とユダヤ教やイスラム教との宗教間対話も、カテケーシスの特別な領域、とし、カテケーシスは、福音宣教の真の道具となるために「一致への熱意を励まさねばならない」と強調。反ユダヤ主義と戦い、ユダヤ主義との平和と正義を促進する対話を求め、また、イスラム教徒との対話を育てるために皮相的な一般化を避けるように要請している。
また、現代の宗教的な多元性の中で、カテケーシスが「信者のアイデンティティを深め、強める」ことを可能にし、「友好的で誠実な」対話とともに証しを通じて宣教に推進力ともたらすことを期待している。
*テクノロジーとデジタル文化に対して
新指導書は「科学と技術が人に役立つものであり、人類の生活条件の改善に向けられるべきものである」ことを確認し、カテケージスは、良い要素と悪い要素をもつデジタル文化を適切な形で使うように人々を教育し、若者たちが「束の間の文化」の中にあって、真偽と質の良し悪しを見分けるのを助けることに注力する必要がある、と強調。
この他、新指導書が重視しているテーマは「徹底した環境保護への転換」への呼び掛け。神が創造されたものを守り、消費主義を避けることに注意を払うことを通して、そのような転換を図ることが、カテケージスの役割としている。
また、カテケーシスは、「カトリック教会の社会教説」をもとに、最も弱い立場にある人々の権利を守ることに特別な注意を払いつつ、労働を力づける必要があるとしている。
*現地に合った教材開発を
加えて、世界代表司教会議と各国の司教協議会に対して、現地教会と組織のためのカテケージス用教材の開発を奨励している。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
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(2020.6.26 バチカン放送)
教皇庁新福音化推進評議会は25日、新しい「カテケーシス指針」を発表した。第二バチカン公会議後に発表されたカテケーシスの指針としては、1971年の「カテケーシス一般指針」(聖職者省)、1997年の「カテケーシスのための一般指針」(聖職者省)に次いで三つ目。
同評議会議長のフィジケッラ大司教は発表会見で、同文書が信仰の伝達の第一の責任者である司教と共に、司教協議会およびその中のカテキズム担当委員会に向けられ、その使用においては、教会共同体で日常的に奉仕する、司祭・助祭・奉献生活者・カテキスタらに具体的に関わってくるもの、と説明した。
今回の新文書は、新福音化推進評議会の起草によるもので、2020年3月23日、福音宣教とカテキズムの推進に貢献した16世紀の聖人、トリビオ・デ・モグロべーホの記念日に、教皇フランシスコによって認可された。新福音化推進評議会議長、サルバトーレ・フィジケッラ大司教によれば、「カテケーシス指針」は、全教会を対象としたもので、世界の諸地域の助言を広く得ながら、長い時間をかけて完成した。発表されたのは、イタリア語による公式版だが、すでにスペイン語、ポルトガル語、英語、フランス語、ポーランド語の訳が整っている。
新しい「カテケーシス指針」は、300ページを超える豊かな内容で、三部に分かれ、全12章からなり、次のような構成になっている。
第一部 教会の宣教的使命におけるカテケーシス=第1章 啓示とその伝達 第2章 カテケーシスのアイデンティティー 第3章 カテキスタ 第4章 カテキスタの育成
第二部 カテケーシスのプロセス=第5章 信仰の教育学 第6章 カトリック教会のカテキズム 第7章 カテケーシスの方法論 第8章 人々の生活の中のカテケーシス
第三部 地方教会におけるカテケーシス=第9章 カテケーシスの主体、キリスト教共同体 第10章 現代文化を背景としたカテケーシス 第11章 信仰のインカルチュレーションに奉仕するカテケーシス 第12章 カテケーシスに奉仕する組織
同文書は、すべての信者の弟子=宣教者としての本質、信仰を伝える新しい表現・方法を見つけるための取り組みと責任の必要を思い出させている。全体を通し、「証し」「慈しみ」「対話」が、行動上の三つの基本的な柱となっている。「証し」は、「教会は、改宗の強制によって成長するのではなく、魅力のために成長する」からであり、「慈しみ」は、伝えられた信仰を信じうるものとする真のカテケーシスであるため、自由で無償の「対話」は、何も押し付けないが、愛から出発することで平和に貢献するからである。
第一部「教会の宣教的使命におけるカテケーシス」では、特にカテキスタの育成に注目、カテキスタたち自身が信仰の信じうる証し人として、宣教精神に基づき、無償性、献身、言動一致をもって奉仕することが重要であるとしている。また、他者の自由を尊重すると同時に、未成年者をはじめ、すべての人があらゆる形の虐待から完全に守られているように留意する必要にも触れている。さらに、人々と交わりを育てるための取り組みと、方法や表現においてクリエイティブであることをカテキスタたちに願っている。
第二部「カテケーシスのプロセス」では、家庭の重要さが浮かび上がる。家庭は活発な福音宣教の主役であり、単純で自然な形で信仰を生きるための本来の場所である。家庭でのキリスト教教育は、謙遜で憐み深い態度を通して、「教えより、証し」をもって伝えられる。一方で、今日の社会の、複雑で新しい家庭環境に対し、教会は信仰と、寄り添い、傾聴、理解をもって共に歩み、すべての人に信頼と希望を取り戻させるようにと招いている。また、「受容」「受け入れ」「連帯」「兄弟愛」などのキーワードと共に、移民や、受刑者、貧しい人々への配慮を説いている。
第三部「地方教会におけるカテケーシス」では、「共同体的な使徒職の模範」であり、クリエイティブなカテケーシスの場としての、小教区の役割がクローズアップされる。また、カトリック系の学校が、単なる教育機関から、福音の価値観を基礎にした教育計画と共に「信仰の共同体」となることを期待している。このセクションでは、カテケーシスにおけるエキュメニズム、諸宗教対話への取り組みも記される。さらに、今日のデジタル文化の良い面と悪い面を見極めながら、若者たちの成長と信仰の歩みを助けるよう促しているほか、科学と技術、生命倫理、性、エコロジー、労働などのテーマにも言及している。
(編集「カトリック・あい」=この本のタイトルはイタリア語から英語への翻訳で「Directory for Catechesis」。「directory」は通常、「指導書、規則書、訓令書、指令書」と日本語で訳されている。バチカン放送日本語課では、この本を「指針」と訳しているが、300ページの分量と中身から、「指針」というよりも「指導書」とするのが適当と判断し、VaticanNewsからの翻訳では「指導書」と訳した)