(評論)教皇レオ14世の「ハネムーンの期間」は終わり、「性的虐待と隠蔽」など指導力を試される課題に直面

(2026.10.4   Crux Now  Managing Editor   Christopher R. Altieri)

 

  ある有名な格言はこう始まる—「一度ならまぐれ、二度なら偶然」。だが、三度になれば「それは定まった行動様式」。

 この言葉に一理あるとすれば、ここ1週間ほどの出来事は、レオ14世の教皇在位における「ハネムーンの期間」が終わったのではないかと考え始めるのに必要な、3つの根拠を十分に提供したと言えるだろう。

 この問いを投げかけることは、答えを出すことではない―少なくとも完全には―が、ハネムーン期間が永遠に続くわけではないことは、誰もが知っている。

 9月の後半から10月初旬にかけて、教皇は3つの重要な分野―「聖職者による性的虐待と隠蔽」、「教皇庁改革」、そして「”シノドスの道”」―において、自身の指導力を試される真の課題に直面した。

 

 

*聖ペトロ大聖堂の主任司祭がイタリア中部の大司教に異動、後継者は誰?

 先週、教皇は、物議を醸していた聖ペトロ大聖堂の主任司祭、マウロ・ガンベッティ枢機卿を、イタリア中部のキエティ=ヴァスト大司教区へ異動させた。

 2021年にフランシスコ教皇によって同大聖堂の主任司祭―重要な不動産や資源を管理する権力のあるポスト―に任命されたガンベッティ枢機卿は、バチカンの大聖堂で波乱に満ちた在任期間を過ごした。

 キエティ=ヴァスト大司教区で、ガンベッティは77歳のブルーノ・フォルテ大司教の後任となる。フォルテ大司教はチュービンゲンで神学を修めた人物であり、バチカンウォッチャーにはお馴染みの存在だ。2014年の「家族に関する世界代表司教会議」で頭角を現したが、バチカン内部で影響力を持つ存在にはならなかった。

 フォルテ大司教の旧管区へのガンベッティの任命は、昇進とは見なされていないが、教皇庁の人事管理において重要な動きである。バチカンウォッチャーたちは、教皇が聖ペトロ大聖堂の後継主任司祭に誰を選ぶかに細心の注意を払うことになるだろう。

 

*”シノドスの道”の成果を教会法の改訂にどう生かすか

 また先週、教皇は世界代表司教会議の教会法改革委員会から一連の提案を受け取った。同委員会は、2021年から2024年にかけての”シノドスの道”の成果を適用する任務を負っており、そこから得られた知見をどのように教会法の規範へと転換できるかを模索していた。

 フランシスコ教皇は2023年にこの委員会を設立し、女性や一般信徒を指導的要職に任命する法的理論の立役者と広く見なされているイエズス会のジャンフランコ・ギルランダ枢機卿をはじめ、数名の著名な教会法学者を委員に任命した。

 これは複雑な問題だが、ギルランダによれば、その大まかな要点は、「教会における統治権は、聖職叙階の秘跡から生じるのではなく、教皇によって授けられる『教会法上の使命』から生じる」というものだ。

 フランシスコ教皇は、教皇庁の省を率いるポストに女性を任命したが、同時に各省の統治権限を厳しく制限し、女性長官の発令に副署する「長官代理」として枢機卿を任命することで、事実上、リスクを分散させた。

 長官代理は長官と同等の権限を持つため、一般信徒の長官と長官代理(枢機卿大司教)の両方の署名が入った文書は、たとえギルランダの主張が誤りであり、一般信徒が実際には教皇の名の下であっても統治できないことが判明したとしても、有効となる。

 教皇は、今年6月にアレッサンドラ・スメリッリ修道女を「命・信徒・家族省」の長官に任命した際、フランシスコ教皇の慣例に従い、長官代理トを任命した。

 その一方で、すでに一般信徒が率いていた広報局の長官に一般信徒のモンセ・アルバラドを任命した際には、長官代理を任命しなかった。広報局には聖職叙階を必要とする法定の統治権限がないため、これは、「フランシスコ教皇とレオ教皇の双方がこの理論について確信を持てなかった」という見方を複雑にするというよりは、むしろそれを裏付けるものと言える。

 先週、教皇が教会法改革委員会から受け取った提案の中には、「教会法上の事件において一般信徒が単独の裁判官を務めるのを認めること」がある。
現在、一般信徒が教会法裁判官を務めているが、教会法上の事件を主宰したり、単独で裁判官を務めたりすることはできない。なぜなら、一般信徒は、「聖職叙階を通じてのみ与えられ、司教が完全に有する統治権」を有していないからだ。

 提案されている改正―教会法第1425条第4項への変更―は、ギルランダの主張が紛れもなく正しいことを、暗黙のうちに認めることになる。

 レオ14世は熟練した教会法学者であるため、提案された改正の重要性を彼が見落とすことはまずあり得ない。教皇がこれらの提案に対して、どのような決定を下すか―何か決定を下すとしても―は、現時点では誰にも予測できない。

 いずれにせよ、事態はすでに動き出しているのだから、注意深く見守るべき十分な理由がある。

 

*核心となる問題は「聖職者による性的虐待と隠蔽」だ

 ルルドで、教皇は9月27日、聖職者による性的虐待の被害者7人と1時間半にわたり、個別に、またグループとして非公開で面会した。

 バチカン報道局によると、教皇は面会した被害者全員に「痛ましい証言をしてくれたこと」を感謝し、「彼らが経験した被害が他の人々に繰り返されないよう確保するという自身の決意を改めて表明した」という。

 「(教皇には)誠実なところがあった」と、10代の頃に虐待を受けた43歳のジェローム・ギレマン氏は語った。「一言一言が慎重に選ばれており、すべての言葉に意味があった」と述べた。彼は今もキリスト教徒として信仰生活を送り、心理療法士として活動しながら、虐待被害者の支援や教会の改革を訴えている。

 教皇と面会したもう一人の被害者支援活動家、オリヴィエ・マルディ氏は記者団に対し、教皇は「献身的な人物であり、同時に決断力のある人物」だと感じた、とし、「教皇は、こうした出来事は今後も続くものであり、我々は警戒を怠ってはならないことを理解しておられる」と語った。

 この日の早朝、フランスの司教団と面会した教皇は、「聖職者によって、あるいは教会の文脈において未成年・弱者に対して行われた虐待という痛ましい惨劇」に立ち向かう司教たちの決意を称賛。「皆さんは、傾聴、真実の追求、正義、赦し、そして償いを通じて対応するために勇気ある措置を講じてきた。さらに、こうした犯罪に対する予防と保護の文化への確固たる取り組みを通じて対応してきた」と続けた。

 生存者や司教たちとの面会の場所――ルルド――もまた、重要な意味を持っていた。ピレネー山脈の麓にあるこのフランスの小さな町は、教会で最も有名な癒しの聖地の一つであり、ルルド大聖堂は、教会史上最も悪名高い性的虐待者の一人であるマルコ・ルプニク神父によるモザイクで飾られている。
このスロベニア出身の元イエズス会士は現在、数十年にわたり数十人の被害者に対して行ったとされる一連の性的、心理的、霊的虐待の罪で裁判にかけられている。それまで彼は、芸術家として称賛され、霊的指導者として名声を博していた。

 また、バチカンの調査官自身の説明によれば、「極めて信頼性の高い」複数の証人によって、この司祭は虐待の手口として自身の「創造的プロセス」を利用していたと告発されている。

 被害者やその支援者、そして教会ウォッチャーたちは、この事実が、「聖なる空間を飾るために、ルプニクの作品を今後も使用し続けること」への正当性を複雑にしているとしている。

 また、ルプニクの被害者は成人―その大半は修道女―であったという点も指摘しておかねばならない。この事実は、2024年にバチカンメディアでのルプニクの作品の継続使用を擁護した際、バチカンの広報局長自身が述べている。

 (関連記事:バチカン広報局長、性的虐待容疑者の作品使用を擁護—「我々が論じているのは未成年・弱者への虐待ではない」と、当時の広報局長パオロ・ルッフィーニは、2024年6月にジョージア州アトランタで開催された年次カトリック・メディア会議に集まった約150人のジャーナリストやメディア関係者を前に語った。)

 教皇の選出直後、バチカンはウェブサイトからルプニクの作品を削除したが、被害者や改革を求める活動家たちは、ルプニクに対する司法手続きの遅さと、彼が現在直面している教会法上の手続きの不透明さを、厳しく、かつ執拗に批判している。

 ルプニクのモザイク作品は、教皇の聖地訪問に際して―報道によれば教皇の要請で―覆い隠されたが、被害者やその支援者たちが撤去を求めて粘り強く働きかけ、地元の司教も「撤去すべき」との見解を表明しているにもかかわらず、現在もそのまま残されている。

 2024年、タルブ・ルルド教区のジャン=マルク・ミカス司教は『LA Croix International』に対し、ルプニクのモザイクは「ルルドが、この聖地のメッセージが向けられているすべての人々に届くことを妨げている」と語った。

 ミカス司教はまた、モザイク撤去の提案が「一部から強い反対に直面した」と述べ、これを含む支援者やウオッチャーたちは、反対の”源泉”が誰なのか、そして自らの管区において教区司教の断固たる意志を阻むことができるのは誰なのか、と疑問を抱くようになった。

*性的虐待と隠蔽は、聖職者や階層的な指導体制の文化が改められるまで終わらない

 フランスからローマへの帰路の機内で、教皇に対して、フランスの『I-Media』のシリアック・ツェラーは、「教会における性的虐待を組織的な問題だと考えているかどうか」と尋ねた。「あなたが面会された被害者たちは、あなたが『教会内での性的虐待が組織的なものであること』を認めた、と私たちに話していた。それは事実ですか?この点についてあなたの立場を説明していただけますか? 教会内での性的虐待を組織的なものと見なしておられるのですか?」。

 これに対し、教皇は、被害者数人が「組織的な虐待について語った」ことを認めたうえで、「誰かの意見に反論するつもりはありません。これは非常に重要だと考えています」 とし、「教会内のいくつかの組織が、ある意味では、いわば『システム』として、時に虐待を行ってきたことについては、確かに話されました」と答えた。

 そして「性的虐待は、何よりもまず人間の問題です。それが教会内で起きると、実際には全く別の側面が加わることになる。それは、人々の信仰生活が深く傷つけられ、時には破壊さえされてしまうことです」と指摘され、「教会が、ある意味で責任を問われてきたことについて彼らと話し合いましたが、同時に、教会こそが、彼らが癒やしを見出す手助けをする上で重要な役割を果たしていると思います」と語った。

 Crux Nowは、バチカン内外での教皇の発言への反応を把握するため、現職および元バチカン高官数名に取材したが、反応はまちまちだった。

 取材に応じた人たちは、匿名を条件に語った。そして、ある人は、教皇の答えを「驚くことではないが、失望させられる」と述べ、別の人物は、ルルドでの教皇の発言や、そこで会った被害者たちへの言葉が「制度的な問題に対する教皇の認識を裏付けているようだ」と指摘した。

 また、ある元バチカン高官は、教皇の発言は「法的な現実を受け入れていることを示している。世界中で、様々な官僚による虐待の事例が数多く存在している。国によって法律は異なり、時効の撤廃を含め法律を改正している国もある」と述べた。そして「教皇はこれを理解しておられるが、機内で法的な質問をされた際には慎重にならなければならない」と付け加えた。

 教皇は、慎重を期すことにかけては右に出る者はいない。そして、性的虐待(およびその隠蔽)が、何よりもまず「人間的な問題」だという点で彼が間違っているわけではない。だが、それは教会内の問題であり、つまりは彼自身の問題なのだ。

 他の人々が繰り返し指摘しているように(『Crux Now』の編集長もその一人だ)性的虐待と隠蔽は、聖職者や階層的な指導体制の文化が改められるまで終わらない。そして、その改革には、実質的に透明性の高い迅速な手続きが求められる。それがなければ、聖職者による比較的軽微な性的過ち―間違いなく罪ではあるが、決して犯罪ではないようなもの―でさえ、長年にわたるスキャンダルに疲れ果てた信徒の目には、極めて重大なものとして映ってしまうだろう。

不透明さはまた、ルプニク事件が如実に示すように、一部の極めて悪質な行為者が、時には非常に長い間、極めて悪質な行為を免れ続けることを可能にしてしまう。

 これは特に、「手続きの不透明さが、精神的・心理的・性的な力関係と、いかに複雑に絡み合っているか」を理解できない社会や教会指導層の文化に根付いた態度と相まって生じるのだ。

 

*レオ14世は「慎重で思慮深い意思決定者」「制度主義者」「才能ある管理者」であり、「真に思いやりのある牧者」だが

 教皇レオ14世は「慎重かつ思慮深い意思決定者」であり、性格や気質からして「制度主義者」であり、「才能ある管理者」であり、「真に思いやりのある牧者」だ。

 また、彼は思想的リーダーでもある。現在進行中で、いっそう激動を極めるAI革命における、彼の世界的な道徳的リーダーシップが引き続き示している通り、人間性を鋭く観察する人物でもある。

  しかし、ここ数週間、彼の机の上に山積みになったり、注目を集めたりしている問題があり、それらは消えることなく、対処が迫られている。

 「興味深い時代に、生きることができますように」というのは、誰もその出所を特定できていない古代中国の伝承に由来するとされる言葉。確かに、今は、興味深い時代だ

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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2026年10月6日

☩教皇フランス訪問終え機上会見:「戦争は無意味だ。ロシアとウクライナは話し合いの席につかねばならない」

(2026.9.29 Vatican News)

    フランス訪問を終えられた教皇レオ14世は28日夜、メッスからローマへ戻られる機内で記者団と会見され、紛争と、それを支える経済的利害について言及、「教会は、福音を宣べ伝えるために声を上げ続けています… 軍需産業によって富を築いている者も少数いるが、その数十億ドルという資金は、世界の飢餓といった問題を解決するために使われるべきです」と訴えらえた。

 教皇はまず、フランス訪問の概要を説明し、記者たちから寄せられたいくつかの質問に答えられた。

 以下は、記者団との一問一答の内容。

・・・・・・・・・・・・

教皇: まずは英語で話すことにします。翻訳が必要な場合は、こちらで手配します。第一に、皆さんのこれまでの働きに改めて感謝します。過去4日間、皆さんはかなり忙しかったと思うし、ある意味では非常に密度の濃い日程でした。

 この4日間は、文字通り多くの祝福に満ちていた。ほとんど奇跡と言ってもいいでしょう。特にルルドでの時間は、病気や苦しみにある多くの人々と共に歩き、同行し、神の臨在の恵みがいかに多様な形で現れ、人々の心に触れ、彼らの人生を変え、そして私がそこで述べた表現を用いるなら、病者や高齢者、社会の特定の場所で見捨てられている人々に尊厳を取り戻させていくのを目の当たりにしました。

 このように、4日間を通じて多くのしるし、多くの表現、多くの象徴があった。そして個人的には、フランスを訪れ、明らかに何かを探し求めている若者たちを特に励ますという特権を得られたことに、私自身も大きな恵みを感じました。

 スタジアムでの夕べは、フランス各地から集まった8万人の若者たちの熱意と喜び、そして彼らが示した希望の感覚がはっきりと見て取れました。しかし何よりも、彼らがそれを受け取り、他の人々と分かち合えるようになると思います。

 したがって、この4日間で私たちが祝い、体験した多くの出来事の中でも、これらは特に際立った出来事だったと言える。他の出来事を除外するわけではないが、それらは非常に意義深いものでした。この旅に皆さんが同行してくださったことを大変嬉しく思います。質問があればどうぞ。

 

*教会には性的虐待被害者と共に歩み、癒しを手助けする特別な責任がある

 

問:(シリアック・ゼラー=I-Media)昨日の記者会見で、教皇が面会された性的虐待被害者の方々が、「教皇は教会における性的虐待の組織的な性質を認めた」と語っていました。それは事実ですか。この点について教皇の立場を説明していただけますか。あなたは、教会における性的虐待を「組織的」なものだと考えているのでしょうか。

教皇:これは非常に重要だと考えているので、まず最初に申し上げたいのは、7人の被害者の方々と面会した際、私は彼らに対し、「他の被害者の方々に対しても、私個人および教会として、虐待という状況によって彼らの人生に与えられた痛みを認め、彼らが癒やしを求める過程で耳を傾け、共に歩んでいくという意思を、あなたがたを通じて伝えてほしい」とお願いした、ということです。

 そのうちの何人かは「組織的な虐待」について語った。個人的には、別の表現を好むが、教会内のいくつかの組織が、いわば「システム」として、時に虐待的であったことについては確かに言及した。

 しかし、この区別を明確にすることが重要だと考えます。性的虐待は、何よりもまず人間的な問題です。それが教会内で起こる場合、人々の信仰生活が深く傷つけられ、時には破壊さえされるため、実際にはまったく別の次元が加わることになるのです。

 教会には、彼らと共に歩み、癒やしを求める手助けをする、という特別な責任がある。その観点から、私は彼らに対し、教会が特定の点で責任があると見なされてきたこと、しかし同時に、教会こそが彼らが癒やしを見出すための重要な役割を担っている、と語ったのです。

*「生命の擁護」について語るとき、私は政治に介入しない、福音を適用している

問:[グザヴィエ・ル・ノルマン、『ル・ペレリン』誌:] まず初めに、フランスへの使徒的訪問に感謝申し上げたい。4日間、わが国は貴殿の訪問によって巻き起こされた広範な熱狂に包まれた―フランスにおいて、これは並大抵のことではない。ありがとうございます。

 今回の使徒的訪問のモットーは「世界が命を持つため」であった。貴殿の演説では、終末期ケアというテーマが繰り返し取り上げられた。実際、フランスでの演説の半分以上でこの話題に触れておられたと思う。特に思い浮かぶのは、エリゼ宮での演説と、昨日のルルドでの演説です。そこでは、「合法であるものが必ずしも道徳的であるとは限らない」とおっしゃったが、これはフランスで最近安楽死が合法化されたことへの明確な言及でした。

 フランスには「ラシテ(laicité)」という、宗教と政治の分離を意味する原則もある。重要な問題であり、重大な利害が絡む場合、良心の優位性を理由に、この境界線、この一線を越えるべきだとお考えか。もしそうだとすれば、あなたはその一線を越えたのでしょうか。

教皇: 教会が持つ、教会と政治、あるいは教会と国家の分離に関する理解について言えば、私はその一線を越えてはいない。そして、回勅『Magnifica Humanitas』を読むこと、あるいは再読することをお勧めしたい。その第一部、最初の数章で、私は教会の社会教義について述べています。そこでは、教会が生命の擁護について語るとき、あるいは社会教説の問題について語るとき、私たちは政治に介入しているのではなく、人々の生活に福音を適用しているのだ、と述べています。

 そして、左派であれ右派であれ、政治家と呼ばれる人々が、「いや、宗教は私的な領域にのみ留まるべきだ」と主張する状況もあるでしょう。人々は自分たちで好きなようにすればよいが、国家としては宗教と分離していなければならない、という立場です。私がフランスを訪れたのは、第一に福音を宣べ伝え、良き知らせを伝え、イエス・キリストご自身が「私は道であり、真理であり、命である」と語られたことを再確認するため、つまりイエスが私たちに与えてくださる真理を語るためです。

 命の擁護は、皆さんもご存知の通り、教会が教え、深く信じていることです。一方で、フランスでは最近法律が可決されたことは承知しているし、欧州の他の国々や世界の他の地域でも、終末期の問題について多くの議論が交わされているます。

 しかし、特にルルドのような場所にいると、人々は、もっと深い何かを求めており、病気や障害、あるいは様々な種類の痛みに直面している最中であっても、「自分たちの人生には意味がある」ということを理解しているのが分かります。教会は、イエスご自身ゆえに、そうした人々に寄り添い、生命そのものが私たちすべてにとって持つ価値を肯定したい、と考えています。

 ですから、もしそれが政治的な行為だとされるなら、私はそうします。しかし、それはフランスの政治に介入するためではない。「教会が真に信じていることを教えるためだった」のです。

*深刻な住宅問題は教会単独では解決できない、政治指導者や行政に対策を求める必要

問:イニゴ・ドミンゲス、『エル・パイス』紙: 教皇様は、今回の旅の間を含め、何度も、私たちを取り巻く「使い捨て文化」や、高齢者や障害者をはじめ、生産的とは見なされない人々の疎外について語られてきました。

 最近スペインでは、こうした状況を象徴し、全国で大きな憤りを呼んでいる事例があります。マドリードに住む87歳の障がい者、マリ・カルメンさんが、家賃を払えなくなったため、住んでいた家から立ち退きを迫られた事件です。家賃は一気に5倍に引き上げられたのです。

 このマリ・カルメンの事例をご存じかどうか分かりませんが、いずれにせよ、不動産投機によって住民が都市から追い出され、若者が住宅を購入できなくなっている、欧州全土や世界中に存在する住宅問題について、どう思われますか。この問題全体について、どうお考えですか。

教皇: これは、教会という共同体学校、あるいは私たち人間という共同体として、信仰を持たない人々も含めて、このような事例が起こらないよう、より公正な解決策を模索しなければならないことを示す良い例だと思う。

 あなたが言及した事例については詳しく知らない。しかし、これは近隣住民や地域社会、教区、教区、あるいは国家が介入し、「どうしてこのようなことが起き得るのか? 障害やその他の困難を抱える高齢の女性が、いわば自宅から追い出されてしまうような事態を許してしまうこの制度のどこが間違っているのか?」と問うべきケースのように思える。

 教会は「使い捨て文化」について多くを語り、また正義についても語っている。教会は、すべての人々の内に、より深い人間性をもって応答し、他者の痛みや苦しみに真に寄り添う能力を、いわば目覚めさせるよう招き、励まし、求めているのだ。

 今日、多くの国で存在する住宅問題は、一つの教区や一つの司教区、あるいは教会単独では解決できない問題だ。しかし、ここには大きな課題があり、おそらく我々は政治指導者や当局に対しても解決策を模索するよう求めなければならないと私は考えている。

 なぜなら、状況は明らかに悪化しており、我々は緊急事態になって初めて反応することが多いからだ。しかし、この問題の構造的な原因と、どうすれば支援できるかを真剣に検討する必要があります。

 

*教会は、「今ここにある危険」を助長させないよう、努力を続けている

問:マヌエラ・トゥッリ、ANSA:今日、そして実際この旅の全行程を通じて、法王様は対話の必要性を強調されてきた。欧州について言及された際、再軍備の幻想についても触れられたが、同時に、平和というより大きな善のために、譲歩と犠牲を払う勇気を持つべきだとおっしゃった。欧州における紛争とは、ロシアとウクライナの間のものです。

 これらの「犠牲」についておっしゃった際、どのような意味を込めていたのか。また、教皇陛下は交渉を信じている。使節―最初にギャラガー大司教が派遣され、現在はズッピ枢機卿が現地にいる―を派遣しているが、ウクライナだけでなく他のヨーロッパ諸国に対しても攻撃や爆撃、脅迫を行っている国家と、どのように対話できるというのか。

教皇:まず第一に、教会の社会教義の原則を強調しておきたい。それを通じて私たちは、暴力や憎しみ、武器、そして今日の世界に存在する危険―とりわけ、再び核兵器や、とりわけ人命の観点からますます破壊的になりつつある戦争について語り始めている一部の国家指導者たちがもたらす危険―を助長しないよう努めているのだ。

 この絶え間ない軍備増強と、巨大な軍事産業への支出が続いている。軍事支出はここ数十年にわたり、昨年も、5年前も、増え続けてきた。戦争を助長する産業によって、ごく少数の者が莫大な富を築いている。しかし、これら数十億、数百億ユーロやドルは、世界の飢餓、住宅問題、失業といった問題を解決するために使われるべきものだ。

 誰もが、別の道を示してくれる声を求めている。「 武器にもっと予算を投じよう」というような主張は、緊張を高め、さらなる戦争や紛争の勃発につながるだけだ。そして私たちは、暴力や、当然存在する違いについて交渉する代わりに、常に武力によって自らの意志を押し付けようとするこうした勢力がいかにして、私たちを戦争、あるいは複数の戦争、今日の世界で見られるような紛争へとますます近づけているかを目の当たりにしている。

 他の人々がどう思うかは分からないし、これは政治的か非政治的かという問題ではない。しかし、人間の尊厳という価値観や生命の重要性を促進し、おそらくは武器への支出を減らし、その分を保健や教育に充てる可能性を模索する声こそが必要。教会には、そうした価値観を推進し、ロシアやウクライナ、その他の国の指導者たちに、来て、席に着き、対話を交わし、もはや意味をなさないこれらの戦争を継続することなく問題を解決する道を探るよう、絶えず呼びかける責任があると思う。

 したがって、この意味で、教会は引き続き声を上げ続けている。誰かを強制することはできない。時には無駄に思えることもあるだろうが、私たちは語り続け、招き続け、福音を宣べ伝え続けます。

 

*「AIが深刻な被害をもたらすようなことはない」と言って目を背けるのは、責任ある対応ではない

問:ジャスティン・マクレラン、『ナショナル・カトリック・レポーター』誌:パリでは、人工知能(AI)の開発をめぐる倫理的判断の緊急性についてお話しになった。また、暴走したAIエージェントによる度重なるサイバー攻撃を受けて、複数のハイテク業界のリーダーたちが、この技術が世界を破壊しかねないと警告している。

 AIが人類に壊滅的なリスクをもたらす、あるいは人類を完全に滅ぼしてしまう可能性について、どの程度懸念されているのか。また、各国、特に米国と中国は、自国の技術が人類にとって安全であることを保証するために何をすべきか。

教皇:もし誰かに「パニック状態か」と尋ねられたら、いいえ、そうではない。私は夜もぐっすり眠れている。ただ、多くの専門家やAIの専門家たちが提起している懸念は、真剣に受け止めるべきだと考えている。

 一部の人々が言うように、金銭的あるいはその他の利益を得ようとして流されている「フェイクニュース」だとは思いません。興味深いことに、ちょうど今日、NVIDIAのトップが、AIにいわゆる「ガードレール」、つまり制限を組み込む方法を見つけたと主張しているという記事を読みました。これにより、「AIが特定の枠組みから逸脱して、人々が懸念するような被害を引き起こすことを防げる」というのです。

 しかし、その人物こそが、制限を設けるべきではないとか、政府による規制などは必要ないなどと言っている人物でもある。これは、私たちが腰を据えて話し合う必要がある問題だと思う。政治指導者やAIのリーダー、社会団体、協会などを引き続き招き、すでに何が起きているのか、そして将来何が起こり得るのかを検討していく必要がある。

 単に「そんなことは起こらない」と言って、目を背けるのは、おそらく最も責任ある対応とは言えないだろう。バチカンでは、人工知能に関する独自の委員会を設置した。これは一方で、いわば、聖座内での我々の取り組みやAIの活用方法、そのリスクと便益を調整する手段として始まったものだ。

 しかし、回勅『Magnifica Humanitas』を発表して以来、私たちは様々な分野や領域の人々から多くの連絡を受けている。そこで、私たちは対話や研究、調査を推進し続け、AIが人類を破壊したり、人類を議論の場から排除したりするような事態に至らないよう、その方法を見出そうとしているのだ。

 それが実現できると、私は比較的楽観的に見ている。この問題に真剣に関心を持ち、権力の問題や「誰が先に到達するか」、あるいはAIがいわゆる「汎用人工知能」になった際に何が起こるかといった問題の枠を超えて物事を見ようとする人々は十分に存在する、と考えています。

 しかし、私たちは努力を続けなければならない。何事も起こらないかのように、ただ手をこまねいていてはならないのです。

 

*ドイツの教会が「甚大な打撃」を受けた原因も理解しているが、私は楽観的に見ている

問:ルートヴィヒ・リング=アイフェル、KNA:] 今日はドイツ国境に極めて近いメッスにおられたが、あなたはまだドイツにはおいでになっていない。質問は、いつ頃、国境の向こう側にお越しいただけるのか、ということです。また、おそらくあなたにとっても懸念材料となっている二つの動向、すなわちドイツにおけるカトリック教会の着実な衰退と、今日メッツでお話しになったように、欧州の合意を崩壊させかねないドイツの極右政党の驚くべき台頭という背景—を踏まえて、どうお考えか。

教皇:謙虚に申し上げれば、私が教皇になってからまだ約15か月しか経っていない。まだ訪れたことのない場所はたくさんある。招待は受けている。また行きたいと思っている。以前には行ったことがあるが、教皇としてはまだだ。多くの場所を訪れたいと願っているのと同様に、ドイツにもぜひ訪れたいと思っている。しかし、まだスケジュールは決まっていません。

 来年の予定についてはまだ調整中であり、現時点で確実に決まっているのは韓国での世界青年デーへの参加だけだ。そう、徐々に進んでいるところだ。しかし、辛抱強く待ってくれたこと、そして質問をしてくれたことに感謝します。

 「ドイツでは教会が衰退している」とか「信徒数が減少している」というあなたの言葉についてですが、かつてフランスについても同じことが言われていた。しかし、この4日間で何が起きたかは皆が目の当たりにしている。真の宣教の精神と、それを実践する正しい方法を見出せれば、ドイツには依然として、キリスト教やカトリックの信仰を生き、祝いたいと願う人々が大勢いると信じています。

 ですから、私はその点について楽観的だ。もちろん問題があることは認識しているし、教会に甚大な打撃を与えた様々な原因も理解している。しかし、それは―言い換えれば―福音派やプロテスタント教会にも同様に甚大な打撃を与えており、社会に対してもほぼ同様の影響を与えているのです。

 しかし、私は手を差し伸べたいと願っている。ドイツの教会指導者たちと引き続き協力し、それに対応する方法を見つけたいと願っている。例えば、極右グループの台頭と、現在、極右さえも分裂しつつある状況―ある特定のグループが、他のいわゆる極右グループに比べてさらに過激化しているのを見ればわかるように―との間に、何か関係があるかどうか、またあるとすればどのような関係なのかを研究し、分析するのは興味深いでしょう。

 同時に、こうした極右的な見解と特定の宗教的要素が組み合わさった表現も見られますが、これは私個人の見解にとどまらず、ドイツのカトリック教会やプロテスタント教会の指導者たちも、「それがキリスト教の真の姿ではない」と声を上げている。

 そして再び、私たちは福音の価値観に立ち返る。それは憎しみや分断ではなく、理解と思いやり、そして寄り添うことにあるのだ。私は深く願っているます。そして教会もその一翼を担えることを期待している善意を持つ大多数の人々に手を差し伸べる方法を見出せることを。

 そうした人々は、政治プロセスへの参加という形であっても、自らの関与がいかに重要かを理解し、共通の善のために明確な選択を行い、現時点で私たちが認識している以上に甚大な被害をもたらすかもしれない過激な思想には加担しないでしょう。

 ですから、その意味において、私たちは皆、励まし合えるだろう。繰り返しになりますが、破壊や分裂、憎しみではなく、私たちが生命を与える価値だと信じるものについて語り、教え、説くこと―それこそが、教会として、また教会の社会教義としての私たちの役割です。

 そしてこの機会を借りて、教皇が通り過ぎる際に受けるような拍手は浴びないものの、この訪問の実現に欠かせない存在である、裏方で尽力してくださった多くの方々に感謝を述べたい。聖座の方々、フランスの人々、フランスの司教たち、そして様々な活動の企画・運営に携わった数多くの信徒たちです。

 彼ら全員と、そして皆さん一人ひとりに、特別な感謝の言葉を述べたい。本当にありがとう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月29日

☩教皇フランス訪問4日目:「欧州の未来は画一性にあるのではなく、多様性の調和にある」ーメッスの聖ステファン大聖堂でミサ

(2026.9.28 Vatican News  Kielce Gussie)

    フランス訪問最終日の28日夕、教皇レオ14世は同国北東部、メッツの聖ステファン大聖堂で、訪問を締めくくるミサを捧げられ、ミサ中の説教で「『復讐や暴力』よりも『赦しと慈悲』を選ぶことは、弱さの道ではなく、むしろ強さの道」と強調された。The Cathedral's stained-glass windows cover 6,500 square metres and make up the largest collection of Gothic stained-glass in Europe

 ローマへ戻るため空港へ向かう前の、教皇の最後の公的行事は、メッツの聖ステファノ大聖堂(Cathédrale Saint-Étienne)でのミサだった。

 ミサ中の説教で、教皇はメッツの教区共同体と全世界の両方を主に委ねる、とされ、メッツが位置するモーゼル地方はルクセンブルクやドイツと国境を接しており、「この地域は常に様々な民族の交差点であり、ヨーロッパの辺境に位置することから苦難を強いられてきました…しかし、神の約束は、今日でもこの地でなお有効です」と語られた。

*「家」は単なる建物以上のもの

  ミサの第一朗読について考察する中で、教皇は預言者イザヤが神の国を「義」「正義」「平和」の観点から捉えるために用いた三つのイメージ―砂漠、庭園、家―に言及。

 まず、「砂漠―節制と沈黙の場―において、正義が確立される」について、「このイメージは、簡素さがいかに重要であるかを思い出させ、人生において真に不可欠なものは何かを見つめるよう私たちを招いています。それは、物事に適切な価値を見極める助けとなり、犠牲と放棄を私たちに教えてくれるのです」と説かれた。

 二つ目のイメージは、「正義が支配する庭」。「砂漠とは対照的に、庭は水、種、芽、花といった美しさを現している。これは義にかなった生活の成果であり、それによって人は主の計画に自由に従うことで、完全に花開くことができます」と語られた。

 そして、第三に、平和の場である「家」というイメージ。「砂漠や庭園では神の御業が支配しており、それが花や成長をもたらす。それに対し、家を建てるには、人間による、より直接的かつ重要な貢献が求められます。それは共同の努力による、真の建設プロジェクトです」と指摘。

 「同様に、神からの賜物である平和もまた、人間からの応答を必要とします。なぜなら、家は単なる石造りの建造物以上のものであるからです。そこには人間の存在と愛が満ち溢れている。限界に満ちたこの世界において、調和は、愛を通じてのみ築かれる。それは、喜びも悲しみも分かち合い、励まし、許すことを知り、家族のように計算や制限なしに行われる愛なのです」と強調された。

 

 

*砂漠をオアシスへ

 続けて教皇は「今日の世界は、様々なレベルで暴力、操作、傲慢によって傷つけられている。しかし、そうした状況の中で、イエスは私たちに、砂漠をオアシスに変え、庭を植え、家を建てる方法を示してくださる。その道は、赦し、憐れみ、そして寛大さによって彩られています」とされ、教皇はすべての人に、「復讐、報復、拒絶は、世界においても、私たち一人ひとりの中においても、何をもたらすのか。もしこれらの態度が私たちの言葉や行動の基盤となったら、未来はどうなるのでしょうか」と問いかけられた。

 そして、「過去に兄弟殺しの紛争によって引き裂かれたこの土地の子らであるあなた方は、復讐を求める者が赦す者よりも強いというのは真実ではないことを、よく知っているはずです」と語られた。

 「メッツとモーゼル地方は、誰かが恨みの連鎖を断ち切ってこそ和解が可能になるという好例を示している。不正に直面したとき、救いへと向かう唯一の道は、他者を思いやり、いかなる状況においても信頼を差し伸べようとする愛を通じたものです… 法、正義、平和は、個人的な旅路として始まり、次第に共同体のものとなり、人間とその創造主を尊重する文明へと至る回心の道のステップなのです」と強調。

 続けて、「聖アウグスティヌスは、真の平和を、『人々が神の中に、そして神を通じて互いに喜びを見出す交わり』と定義しました。それは他者の唯一無二で神聖な尊厳と役割を認識し、尊重することも必要とます」とされ、「これらはまさに、何世紀にもわたって欧州が築き上げてきた価値観そのものです。キリスト教の修道生活もまた、人間第一主義、個人の自由の保護、見知らぬ人を迎え入れることなど、世界を統べる道徳的原則を伝承するのに貢献しました」と述べられた。一役買った。

*差異の調和の中で

 そして、教皇は「聖ステファノ大聖堂は、これらの原則に対する不屈の精神と忠実さの好例です。この大聖堂は、神の光が私たちの独自のアイデンティティを消し去るのではなく、むしろ異なる歴史や文化を一つに結びつけ、平和という一つの素晴らしいモザイクを織り成すことを教えてくれます。新たな分断や紛争に引き裂かれている現代において、これほど必要とされているものはありません」とされ、さらに、「このステンドグラスは、欧州の未来が画一性の中にあるのではなく、『差異の調和』の中にこそあることを私たちに教えます。そこでは、過去の傷が、光が差し込む開口部となるのです」と強調された。

(大聖堂のステンドグラスは6,500平方メートルに及び、ヨーロッパ最大のゴシック様式ステンドグラスコレクションを構成している)

 さらに「これは教会のアイデンティティの象徴。建造物は、私たちが世界に福音の光を届ける手助けとなります。ステンドグラスは、私たちを一つに結びつけ、英雄主義、善、慈悲、愛、そして道徳的な美しさに満ちた素晴らしい物語を思い起こさせる『書物』であり、私たちもまた、それらに対して寛大かつ勇敢な証人とならなければならない」と説かれた。

 説教の最後に教皇は「今日、かつてないほど、この国、欧州、そして世界にとって希望の灯台となるよう求められているメッツの共同体が、聖母マリアとフランスの守護聖人たちの取り次ぎに委ねられますように」と願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月29日

☩教皇フランス訪問4日目:教皇、諸宗教指導者たちと「持続的な対話と世界平和に向けた取り組みを求める宣言」を発表

French religious leaders sign the Metz Appeal in the presence of Pope Leo XIVFrench religious leaders sign the Metz Appeal in the presence of Pope Leo XIV  (@Vatican Media)

(2026.9.28  Vatican News)

 フランス訪問最終日の28日午前、教皇レオ14世はメッスのロベール・シューマン会議センターでフランスの宗教指導者たちと会談され、諸宗教の代表者たちとともに、「持続的な対話と世界平和に向けた取り組みを求める宣言」を発表された。

 宣言「メッツの訴え」は、40年前のアッシジの訴えを振り返り、「戦争、不平等、生態系の不安定化、技術的変革の中で、人類が新たな転換点に直面している」と警告。こうした激動が「宗教共同体に対し、人間の尊厳を守り、他者を思いやることで共に行動するよう求めている」と言明した。

*平和は内から始まる

 また宣言は「平和とは、単に戦争がない状態以上のもの。そこには正義、人間の尊厳への尊重、民族や世代間の連帯、そして『私たちの共通の家』への共有された配慮が必要だ」と訴えた。

 さらに、「差別やヘイトスピーチ」を非難し、フランスで、出身や信仰を理由とした人々や礼拝所に対する攻撃が再燃していることに対し、特に強い憤りを表明している。

 メッスのあるロレーヌ地方に与えた苦難を想起しつつ、「全体主義という毒」を拒絶。「私たちは共に、神の名も、いかなる宗教的真理や精神的伝統も、暴力や憎悪を正当化するために決して引き合いに出されてはならないと断言する」と述べ、「対話、祈り、瞑想、そして霊的実践が、平和への道を開くことができる… 平和への取り組みは、『他者への恐怖や拒絶を煽るものを認識し、その力を無力化すること』から、一人ひとりの内面から始まる」と指摘。

*教育と和解

 宣言は、「暴力と誤解によって残された傷」を認めつつ、「復讐や屈辱を拒絶し、和解の担い手となること」を誓い、「宗教を、教皇レオ14世が提唱した『非武装かつ武装解除をもたらす平和』への特権的な道だ」と言明。

 さらに、「平和の文化を築くには、個人の勇気と集団的な取り組みの両方が必要であり、そこには家族、学校、スポーツやレジャーの団体、そして宗教共同体が関与せねばならない」と強調し、「持続的かつ厳格な対話を追求すること」「若い世代に互いの伝統について教えること」「逆境にあっても共に立ち上がり、正義と平和を推進すること」の三つの誓約をもって締めくくった。

 「平和は、尊重と友情を通じて日々築かれていくものだ」と諸宗教の指導者たちは述べ、今回の集いが人々の良心を呼び覚まし、永続的な実を結ぶことを期待。また、この宣言がが「希望の羅針盤」となることを求め、「他者なしに、あるいは他者に敵対して、永続的な平和を築くことはできない」ということをすべての人に思い出させるものだ、と訴えている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月28日

☩教皇フランス訪問4日目:「神は人間の尊厳を損なうようなことを決して示唆されない」教皇、メッスで諸宗教代表者たちに

(2026.9.28  Vatican News    Devin Watkins)

   フランス訪問中の教皇レオ14世は28日午前、フランス北東部の古都メッスのロベール・シューマン会議センターで、さまざまな宗教の代表者らとの会合を持たれ、あいさつで参加者たちの宗教間対話に取り組む努力を称賛するとともに、「暴力や抑圧を正当化するために神の名を援用してはなりません」と語られた。

あいさつで教皇はまず、欧州連合(EU)の創設者の一人、尊者シューマンが残した”遺産”に言及され、「彼は、信仰と信念の人。多様性の中の統一の使者となり、分断を『希望の架け橋』へと変えることができました。彼の模範に倣い、信仰を持つ者としての私たちの共通の責任は、あらゆる国境を越えて、互いに出会い、友情を築き、平和を追求することが常に可能であることを証しすることです」と言明された。

教皇はまた、故フランシスコ教皇の回勅『Fratelli Tutti(兄弟の皆さん)』を取り上げ、友情と平和を築くための宗教間対話への呼びかけを思い起こされ、「対話は、私たちのアイデンティティを損なうものではない。他者の多様性を受け入れることによって、それを簡潔かつ真実に表現するもの… 対話は『出会いの芸術』であり、攻撃や暴力とは正反対のもの。現代の世界が切実に求めているものなのです」と説かれた。

続けて教皇は、「暴力や抑圧を正当化するために神の名を唱えることは、神の名を冒涜することです… 人間の尊厳を損なうものは、いかなるものであれ、『神に触発された』とは主張できません」とされ、「心と言葉の武装解除」を求める宗教的対話に取り組むことについて、すべての信者個人の責任に訴えられた。

そして、「宗教は生命の神聖な価値を肯定するものであり、生命の守護者です。信者たちが最も脆弱で弱い立場にある人々の側に立つとき、宗教は目に見える実を結びます」と指摘。

「文明の偉大さは、その物質的な成果によって測られるのではなく、人間をどのように慈しみ、守り、擁護するかによって測られます… 『命に奉仕する』とは、特に試練の時に、その自然な最期を迎えるまで『配慮、寄り添い、そして優しさ』で包み込み、すべての人間の尊厳を尊重する交わりを築くことなのです」と訴えられた。

あいさつの終わりに教皇は、宗教代表者たちに対し、「カトリック教会は、真実、善、美を誠実に求めるすべての人々を、旅の仲間と見なしていること」を確約。「神の無限の善と知恵が、私たちに寄り添い、私たちが神の子として、また互いに兄弟姉妹として、ますます充実した生き方を学べるよう導いてくださいますように」と主への祈りで締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年9月28日

☩教皇フランス訪問3日目:「この光が私たちを永遠の命の約束へと導いてくれますように!」ルルドの聖母聖堂で聖ロザリオの祈り、そして松明行列

Pope Leo carries his candle together with a group of pilgrimsPope Leo carries his candle together with a group of pilgrims  (@Vatican Media)

 フランス訪問の3日目、27日夜、教皇レオ14世は、聖母聖堂の聖ロザリオの祈りの後、数万人の信者と共に、聖地の中央をろうそく行列をなさった。

 そして、ルルド訪問を締めくくりにあたって、「無原罪の御宿りに触発されて、旅路を歩み続けるように」と信者たちに呼びかけられた。

 

 満月の下で「アヴェ・マリア」の歌声が響き渡る中、暗闇の中で何千本ものろうそくの灯が揺らめいた。聖母マリアへの祈りを捧げるために教皇の周りに集まった数万人の巡礼者の光景は、教皇レオのルルド訪問における決定的な瞬間として記憶に残るだろう。

 前任者のヨハネ・パウロ2世やベネディクト16世とは異なり、レオ教皇はロザリオ大聖堂のエスプラナードを見下ろすテラスから行列を主宰するのではなく、他の皆と同じように巡礼者として行列に加わった。 式典はマサビエル洞窟のふもとで始まった。そこは、まさに前日に教皇がルルドへの巡礼を始めた場所だ。

 その後、行列は、冠を戴いた聖母の像がライトアップされた後ろを、エスプラナードを横切って進んだ。式典では「喜びの神秘」が黙想され、「アヴェ・マリア」はフランス語のほか、イタリア語、英語、スペイン語でも唱えられた。

 教皇はロザリオ大聖堂の前庭へとゆっくりと向かわれ、そこで説教され、マリアがベルナデットに「行列を組んでここに来なさい」と求めたことを振り返られ、次のように語られた。

  「世代から世代へと、信徒たちが聖母マリアの優しい招きに愛と信頼をもって応えている姿を見るのは、なんと感動的なことでしょう… キリスト教徒たちが熱意と信仰に満ちた賛美歌を歌い、手に灯りを掲げて、天の母、イエスが十字架上で私たちに与えてくださった母のもとへと歩むのを聞くのは、なんと慰めになることでしょう」。

 そうして教皇は、今回のフランス訪問のルルドにおいて「巡礼者の中の巡礼者」であることに感謝され、ろうそく行列の光について「これは、試練に満ちたこの人生の旅路においても、決して私たちを見捨てない希望の光。私たちは、イエスに愛され、救われた神の子であることを知る喜びに、すでに満ちています」とされた。

 この日の朝の説教や午後に病める人々やその介護者たちと交わした対話を振り返って、「病める人々は、信仰と、神および隣人への愛を通じた存在の変容の、特権的な証人です」と語られ、「人生の試練にもかかわらず、神は私たちに希望と、私たちの間にいる復活したキリストの臨在を感知する恵みを与えてくださいます」とされ、信者たち、とりわけ病める人々に、「聖パウロの言葉―『今の苦しみは、やがて私たちに現される栄光に比べれば、何でもないのだ』を心に留めるよう促された。

 「私たちは、この世でマリアが先立って歩んでくださる限り、繰り返し、繰り返し、歩みを続けるよう召されている… ベルナデットに無原罪の御宿りとして現れたマリアは、ここで、最も深い謙遜をもって自らを明らかにし、同時に、私たちにとって救いの夜明けを意味する、彼女に与えられたこの比類なき特権に対して神に感謝を捧げたのです」と強調。

 「あらゆる罪から清められ、すべてが新たに始まる源である聖母は、確かな助けの源。だからこそ、イエスの血によって得られた贖いの恵みを受け入れ、悪と闘おうとするキリスト教徒にとって、彼女の支えと執り成しは、決して些細なことではありません」と説かれた教皇は、巡礼者や信者たちに「神に身を委ねるように」と呼びかけ、次のように、説教を締めくくられた。

 「親愛なる兄弟姉妹、巡礼者、病める人たち。フランスや世界中からこの熱烈かつ穏やかな光の行列に参加するために集まった皆、私たちが最も大切に思い、最も切実な願いを胸に抱き、聖母マリアに捧げましょう… 今夜私たちが掲げるこの光が、私たちの生涯において決して消えることなく、未来を照らし、今日、この日から私たちを永遠の命の約束へと導いてくれますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二 )

2026年9月28日

☩教皇フランス訪問3日目:「あなたがたが経験した悪事が二度と繰り返されないようにする」ー聖職者による性的虐待被害者に約束

Members of the faithful pray at the Pope's Mass in LourdesMembers of the faithful pray at the Pope’s Mass in Lourdes  (AFP or licensors)

(2026.9.27 Vatican News   Salvatore Cernuzio – Lourdes)

 フランス訪問中の教皇レオ14世は27日夕、ルルドで、聖職者に性的虐待を受けた男性4人、女性3人と面会され、の被害者7人と面会し、「虐待という傷」に苦しむ人々への共感を示された。

 7人の被害者は、教区、寄宿学校、修道会、あるいは教会運動の場で聖職者による虐待を受けていた。9月14日に初めて皆で会い、互いを知り合い、教皇に伝える経験や期待、要望について話し合っていた。

 面会は、ルルドの聖母マリア聖堂から徒歩圏内にある司教公邸で行われ、午後5時30分から7時30分までの2時間にわたって続いた。フランス司教協議会の小児性愛防止・対策評議会の会長、ジェラール・ル・スタン司教も同席した。

*教皇、7人の参加者一人ひとりから痛み、苦しみを聞く

 面会後のバチカン報道局の声明によると、「教皇は参加者一人ひとりと個別に、非公開で面会し、彼らの体験談、彼らが耐えてきた痛みや苦しみ―悲しいことに、時には彼らを助けられたはずの人々の加担や沈黙のもとで―、そしてこのようなことが二度と起こらないようにするための提案に耳を傾けられた。また、何人かとはしばらくの間、共に祈りを捧げられた」という。

 さらに、「教皇は司教公邸の部屋で全員と集まり、数言を述べた。痛ましい証言に対して感謝を伝え、彼らが経験したような悪事が他者に起こらないよう確保するという自身の決意を改めて表明した」としている。

 その後、教皇は被害者たちへの寄り添いを表明し、彼らを通じて「過去に受けた虐待の傷によって苦しみ、今も苦しんでいる人々」への思いも伝えた。面会の最後に、「信徒の共同体が、あらゆる年齢の男女が慰めと癒やしを見出せる場所としてますます発展するよう、皆で協力していけることを願います」と述べられ、出席者たちに自身のための祈りを求め、彼らに祝福を与えられた。

*教皇と面会した性的虐待被害者の被害の状況は

 面会に出席した7人の被害者のうち5人の身元が判明している。

 ノートルダム・ド・ベタラム寄宿学校で起きた重大な虐待事件の主要な証人の一人で現在80歳のジャン=マリー・デルボス氏; ジェローム・ギレマン。10代の頃、所属していた教区の司祭から性的暴行を受け、現在は『教育関係の質(Qualité de la relation éducative)』ミッションのコーディネーターを務めている。

 そして、『信仰と回復力(Foi & Résilience)』集団に所属するヴェロニク・ガルニエ。彼女は、長きにわたる沈黙と内面の再建を経て、ナンシーの所属教区の主任司祭から受けた深刻かつ繰り返された性的虐待の体験を綴った2冊の著書の著者である。

 また、活動家であり「ヴォワ・リベレ・ド・トゥーレーヌ」の共同設立者であるオリヴィエ・マルディも出席した。彼は弟のフレデリックと共に、「プティ・シャンテュール・ド・トゥーレーヌ」合唱団に参加していた際、ベルナール・タルトゥ神父から虐待を受けた。

 さらに、心臓専門医であり、現在は解散したリヨンの団体「ラ・パロール・リベレ」の創設者であるベルトラン・ヴィリューも出席した。少年時代、彼はベルナール・プレナ神父から虐待を受けた。同神父は2024年に死去した元司祭であり、1971年から1991年にかけて少年スカウトへの虐待で有罪判決を受けていた。

 他の2人の参加者は匿名を希望しており、その中にはフランス教会における著名な人物であるアベ・ピエールから虐待を受けた人物も含まれている。

*教皇との面会者が少なかったことに、一部から抗議の声も

 教会における虐待という惨劇の深刻さを教皇に伝えた7名は、約40の団体や個人と接触した末、フランス司教協議会およびフランス修道会協議会によって「選出」された。

 全員が会合に向けた意見や提案を提出しており、主催者側は可能な限り公平な代表性を確保するよう努めた。

 参加者の数が少なかったことに対し一部の団体からは抗議の声が上がっている。教皇レオ14世自身が求めたように、実質的な意見交換を可能にするための意図的な選択だった、と主催者側は説明しているが、抗議しているグループは、一部の団体や個人からの手紙を教皇に手渡した。

 

 

*教皇、司教たちに性的虐待防止に「最大限の決意」を求める

 

 日曜日の早朝、ルルドでのミサに先立ち司教団と面会した際、教皇レオ14世は司教たちへの演説の中で、「聖職者や教会内部によって行われる未成年者への虐待という痛ましい惨劇」に言及した。

 教皇は司教たちに「最大限の警戒」を尽くすよう呼びかけるとともに、フランス司教協議会が「(被害者たち、編注)に対応するため、耳を傾け、真実、正義、赦し、賠償を求め、こうした犯罪に対する予防と保護の文化への確固たる取り組みを通じて、勇気ある措置を採択した」際の「最大限の決意」を想起させた。

 これは、フランスの司教団が主導し、主に2021年のCIASE報告書の調査結果に基づいて進められた、透明性の確保、改革、および補償のプロセスを指すものである。

 同報告書は、2018年に司教協議会自らが設置した独立委員会によるもので、1950年から2020年の間に21万人以上の未成年者が、約3,000人の司祭や修道者による虐待の被害に遭っていたと報告している。

 司教たちは最近のすべての総会において虐待の問題を取り上げ、これまで教会の無関心を告発してきた被害者の声に耳を傾けるよう努めてきた。

 「あなたがた司教団にとって、非常に困難な時期もあったことは承知している」と教皇は日曜日の朝の講話で述べ、「すでに歩み始めた道を、最大限の警戒を怠ることなく歩み続ける」必要性を改めて強調されている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月28日

☩教皇フランス訪問3日目:ルルドの巡礼者たちへ「『ルルドの慰め』を、家や共同体へ持ち帰るように」

Pope Leo XIV celebrates Holy Mass in LourdesPope Leo XIV celebrates Holy Mass in Lourdes

(2026.9.27  Vatican News)

   フランス訪問3日目となる27日、教皇レオ14世は、ルルドの聖母聖堂の草原でミサを捧げられ、フランスおよび世界中から集まった巡礼者たちの姿が「教会の普遍的な姿」を現している、とされ、彼らに対し「ルルドの慰め」をそれぞれの家や共同体へ持ち帰るよう励まされた。

 教皇はミサ中の説教の核心を「回心」に置かれ、先に読まれた福音と聖母マリアが聖ベルナデットに託したメッセージについて考察された。

*回心への呼びかけ

 説教で、教皇はまず、「明日ではなく、今日こそ、悔い改めねばなりません… 神は人々が目を開き、神のもとへ立ち返ることを望んでおられます」とされ、「その回心とは、道に迷った道を後にして『いのちの道」を選ぶこと」と説かれた。

 そして、聖ベルナデットへの聖母マリアの言葉―「私は、この世であなたを幸せにするとは約束しない。来世でこそ約束するのです」を引用され、「進歩と物質的な幸福に重点を置く社会で、このルルドはすべての人間の生命の尊厳と永遠の命への希望を思い起こさせます… 病気や苦しみ、老いにおける人間の命の価値を再定義しようとする現在の傾向に面と向かい、マッサビエルの洞窟はキリスト教の『希望の場』として立ち続けています… ルルドは、松葉杖や車椅子、そして「隠された涙」は障害とされない、人々が神の愛と出会える場所なのです」と語られた。

 

 

*「悔い改めなさい! 悔い改めなさい! 悔い改めなさい!」

 教皇はまた、ルルドで聖母マリアが繰り返し呼びかけた「悔い改めなさい!悔い改めなさい!悔い改めなさい!」という言葉に注意を向け、聖母がベルナデットに、自分自身のためだけでなく「罪人のため」にも悔い改めを行うよう求めたことに言及。この言葉を、今日の世界に存在する紛争や苦しみと結びつけ、「広がり続け、これほど多くの罪のない命を奪っている紛争に、私たちの心が動かされないことがあるでしょうか」と問いかけられた。

 そして、「悪の根源は人の心にある。だから、変わらねばならないのは人の心であり、まず、私たち自身の心から始めなければなりません… 悔い改めは、人類の家族との連帯の中で行われる愛の行為なのです」と強調された。

 

 

*教会に対し、「自らの過ちを認めるように」と呼びかけ

 その回心への呼びかけは、教会そのものにも当てはまる。教皇は、「教会は、自らから始める勇気を持たなければなりません。『教会の深い傷、不忠、そして痛ましい過ち』に直面して、謙虚さが必要です。過ちを認めることは、霊的な成長に欠かすことができません」と指摘。聖アウグスティヌスの言葉、「まだなっていない者になりたいのなら、今の自分に満足してはならない」を引用する形で念を押された。

 

 

*「病者の苦しみ」は教会の中心にある

 続いて教皇は病者に目を向け、「彼らの苦しみは、キリストの贖いの業に参与することになり得る」とされ、「病気の親愛なる友人たちよ、ここルルドにいる皆さんの多くは、苦しみを身をもって知っています… 試練や痛みは、奉献の精神をもって生きるなら、『世界がこれほどまでに必要としている贖いの業』に貢献することができる…そうすることで、あなたがたは真に教会の中心にあり、その役割はかけがえのないものとなるのです」と励まされた。

 説教の最後に教皇は、巡礼者たちに対し、「皆さんは、マリアとの出会い、そして互いとの出会いによって変容し、ルルドを去ることになるでしょう… 来た時と同じ姿でルルドを去ることはない。希望の宣教師として去ることになる」と強調。「『ルルドの奇跡』は、苦しみや困難の真っ只中であっても、希望の喜びを呼び覚ますことにあるのです」と付け加えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月27日

☩教皇フランス訪問3日目:フランスの司教団との会見で「『未成年者に対する虐待』という痛ましい惨劇に”勇気ある措置”を講じたことを評価」

 

Meeting with the Bishops of France in Lourdes, Pope Leo XIV upholds the Church’s voice in French society and encourages them to support the spiritual life of families.

(2026.9.27 Vaticann News   Devin Watkins)

 フランス訪問中のレオ14世は3日目、27日の日曜の朝、ルルドの聖母聖堂、聖ベルナデット講堂で、フランスの司教団と会見され、「フランス社会における教会の声を擁護し、家族の霊的生活を支えるように」と呼びかけられた。

 教皇は冒頭のあいさつで司教たちに対して、「司牧活動を聖母マリアの保護下に置いている」に感謝し、「マリアを通してこそ、イエスに近づく最善の道がある」と指摘。フランスにおける聖母への深い歴史的敬虔さを振り返り、「フランス国民は生きた信仰を保っている。あなたがたは、その信仰を育み、深める手助けをしなければなりません」と注文を付けられた。

 また、「今日の課題や人間の過ちにもかかわらず、勇気と宣教的な創造性を示すように。常に、真理への愛と、善き羊飼いの愛をもって傷を癒やす決意を持って、過ちを認める勇気を持つように」と司教たちを促された。

 続けて教皇は、「教会は、フランス社会の構築に大きく貢献してきました。その教会の声には、公共の場で聞かれるべきあらゆる権利があります… また、その性質上、教会は預言的な権威を備えている。たとえそれが常に理解されるわけではないとしても、その声はそれでもなお必要とされているのです」と強調。

 そして、フランス教会は、「特定の形態の世俗主義(laïcité)の下で活動している。これまで激動の歴史を経てきたが、現在では、より平和で、苦労の末に勝ち取った均衡を保っています。しかし、その均衡は、徐々に疑問視されつつある」と警告された。

 そのうえで、「教会が福音を宣べ伝え、真の自由について教育し、公に礼拝を行う自由と権利を守るために、警戒を怠らないように。そうしてこそ、イエス・キリストの名において、愛が目に見える形で実践されるのです」と語られた。

 教皇はまた、故フランシスコ教皇に倣い、フランスのカトリック信者に対し、「信仰の遺産を取り戻すように」と促され、「その遺産は、人間の不可侵の価値への自覚や芸術の隆盛という形で表現されるもの」と指摘。

 フランスと世界が二極化、同胞愛の衰退、暴力の増加に直面する中で「教会は、社会が福音の希望に満ちたメッセージを聞き取れるよう、刷新の預言的なしるしであり続けなければなりません」と述べられ。司教たちに対し、「教義の明確さをもって、若者たちに福音の『確かな道』を示し、素晴らしいもの、真実なもの、善きものすべてのために、彼らと共に働くように」と励まされた。

 そして、「希望を新たにし、私が切に願うフランスにおける教会の使命に新たな勢いを与えるためには、ただ一つの『道筋』があります。それは常に変わることのない、『イエス・キリストを、真摯に、情熱を込めて、繰り返し知らしめ、愛されるようにする』ことです」と語られた。

 この後、教皇は、フランス教会が直面するいくつかの主要な課題に言及。課題にはカトリック教育も含まれており、「カトリック教育は、常にすべての人を受け入れつつ、キリストと出会う機会を提供せねばなりません」と促された。

 また、教会の構成員や教会という文脈でなされた「未成年者に対する虐待」という痛ましい惨劇にも注意を向けられ、”勇気ある措置”を講じた司教たちに感謝の意を表するとともに、「あなたがたは、最大限の警戒を怠ることなく、歩み始めた道を続けていかねばなりません。それと同時に、聖職者たちは支援され、励まされる必要がある」とされ、「司祭たちは、熱心に求められ、歓迎され、愛される存在でなければならない。キリストに倣う者としての人格が信者たちに理解されるべきです」と述べられた。

 そうした一方で、「修道への召命、特に黙想的生活への召命が減少していること」にも言及。「フランスに深い影響を与えてきた、古くからの名高い修道共同体」が閉鎖されたことを嘆かれた。

 続けて教皇は、司教たちに対し、「フランスのカトリック信者の家族が、キリストへの信仰を十分に生き、若者たちが、キリストに人生を捧げられるよう、全面的な支援を行うこと」を求められ、「厳しい道を歩み、イエスに従うために自らの命を捧げるには、恵みの働きに加え、特別な寛大さ、深く根付いた信仰、持続的な内面的生活、そしてイエスとの特別な親密さが必要です」と強調された。

 挨拶の最後に教皇は、司教たちに対し、「愛のうちに一致を保ち、イデオロギー的な分裂に陥らないよう」と忠告。「そのような分裂は、あなたがたの証しを無意味なものにしてしまいますから」と念を押された。

 そして、「このような一致は、画一的な均一性をもたらさない。正当な牧者たち、とりわけペトロの後継者への従順を通じて、真にカトリック的なあらゆる感性が、共通の信仰告白へと自然に収束することを可能にします…それは、信仰に根ざし、相互の対話を通じて豊かになり、近年私たちが深めようとしてきた『シノダル(共働的な)スタイル』に表れている一致です」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年9月27日

☩教皇フランス訪問二日目:「犠牲を払う覚悟をもち、課題に対応でき、賢明で寛大な指導者を授けてくれるように」-教皇、ルルドで祈る

(2026.9.26  Vatican News   Olivier Bonnel – Lourdes)

    フランス訪問中の教皇レオ14世は26日夜、パリからマリアの巡礼地ルルドに移動され、数千人の信者に囲まれながらマサビエル洞窟で聖母マリアに祈りを捧げられた。

*「兄弟愛の調和という賜物」

 

 ルルドの司教に付き添われながら、教皇は、1858年にベルナデット・スビルーが初めて「白い衣の女性」を目撃した洞窟の壁に手を触れ、泉から水を飲まれた。これは、聖母がベルナデットに与えた「泉に行って水を飲み、そこで身を清めなさい」という指示に倣うもの。

 何百万人もの巡礼者たちと同様に、教皇もルルドに到着したその瞬間から、「巡礼者の中の巡礼者」となった。その後、教皇は聖母への祈りを、一語一語を慎重に選びながら読み上げた。

 「ルルドの聖母、無原罪の御宿りよ。この祝福された地において、あなたはフランス国民の謙虚な娘である聖ベルナデットに、これほど優しく、慈愛に満ちた言葉で語りかけ、祈り、回心、そして希望という輝かしいメッセージを世界に伝えられました」と語られ、「フランスのために」聖母に次のように祈りを捧げられた。

 「フランスの国民に兄弟愛の調和という賜物を授けてください。そうして、あらゆる暴力と憎しみを排除し、誰もが働き、家庭を築き、平和と安らぎの中で人生を存分に生きられる調和のとれた社会を築けるように。最も恵まれない人々や最も貧しい人々が、常に支えられますように。フランスに、犠牲を払う覚悟をもち、課題に対応でき、公共の利益に奉仕することを熱望する、賢明で寛大な指導者たちを授けてください」

 普遍的な祈りに似たこの嘆願の中で、教皇は聖母マリアに対し、受け入れ国の国民を守り、その指導者たちを啓発するよう求め、「犠牲を払う覚悟をもち、課題に対応でき、公益に奉仕することに熱意を持つ、賢明で寛大な指導者」を授けてくれるようマリアに願った。これらの言葉は、彼がパリで行った演説と一貫している。

*戦争の論理を拒絶する

 教皇はまた、聖母が、フランスの当局者や指導者たちを啓発し、彼らが「国際社会の中でフランスの平和を守り、基本的人権の擁護と世界平和の促進においてその声を響かせ、戦争の考え方を断固として拒絶する」ことができるように願われ、洞窟から捧げられる祈りが「キリスト教徒の家族の信仰と熱意」を新たにするように求められた。

 祈りの中で、教皇はルルドにひざまずいて祈りを捧げる世界中の人々、とりわけ「病や苦しみにある人々、そして彼らに寄り添うすべての人々―力と癒やしを求めて集まった人々」の祈りの声にも耳を傾けられた。

 ルルド聖地でのこの最初の厳粛な瞬間は、伝統的に教皇にのみ許された敬虔な儀式、すなわち聖母マリアへの贈り物としての黄金の薔薇の献呈をもって締めくくられた。

 27日の日曜、教皇はルルド聖地での巡礼を続け、ミサを捧げ、キャンドル行進に参加する予定だ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月27日

☩教皇フランス訪問2日目:パリ・コンコルド広場で70万人ミサー「キリストこそ、私たちの渇きを癒す生ける水の源」

(2026.9.26 Vatican News   Christopher Wells)

 フランス訪問2日目の26日午後、教皇レオ14世は、パリのコンコルド広場でミサを捧げられ、説教で約70万人の参加者に向けて、「神への渇望は、私たちの心の奥深くに宿っている… そして、受肉を通じて、イエス・キリストこそが、一人ひとりの人生の物語の真っ只中に歩み寄り、私たちの渇きを癒やす『生ける水』の真の源として、ご自身を現してくださるのです」と強調された。

*イエスは私たちの安らぎのない心に平安を与える

 教皇は、「救いの泉」である聖母マリアの奉納ミサの朗読箇所をもとに説教をなさった。

 その箇所では、「生ける水」のイメージが繰り返し言及されている。「預言者エゼキエルの幻視に登場する神殿から流れ出る水は、ヨハネの福音書において、『キリストの刺し貫かれた脇腹から流れ出る水』として描かれており、それによって私たちは神の子として新たに生まれ変わるのです」と語られた。

 そして、「聖アウグスティヌスに倣い、私たちの安らぎのない心に幸福と平安をもたらし、神がすべての人間一人ひとりに対して抱く無条件の愛を明らかにするのは、イエス・キリストです」と言明され、「ここに集まった皆さん―フランスの長く美しい信仰の歴史を受け継ぐ方々―を見て、私はこう言いたい。『イエスの刺し貫かれた心、という泉から飲みなさい』と。神、命、真理、一致、平和、交わり、そして幸福への私たちの渇きを癒やせるのは、イエスだけだからです」と言明された。

*出会う全ての人々と信仰を分かち合う

 

 また教皇は、フランスの全てのカトリック信者に向けて、「イエスへの信仰を、自分たちだけで留めておくのではなく、出会う全ての人々と分かち合い、彼らもまた癒やされ、満たされるように」と促され、イレーネウス、マルティン、フランシスコ・デ・サールといった聖人たちをはじめ、信仰の証人として長い歴史を築いてきたフランス人たちの系譜を振り返り、さらに「今日も… 命、家族、真理、平和、兄弟愛、正義の大義に献身し続けている多くの人々にも言及された。

 そして、「私は、ここパリから、聖霊の生ける水がフランス全土に流れ出るよう、熱心に祈っています」と述べるとともに、「ますます世俗化が進む社会において信仰の証しを立てている家族、若者、求道者、そして新たにキリスト者となった人々」に対し、特別な感謝を示された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月27日

☩教皇フランス訪問二日目:「フランスにおける信仰に立ち戻る人、信仰を求める人の多さに感銘している」求道者、新受洗者たちとの集いで

Pope Leo XIV meets members of the Provincial Synodal Assembly in ParisPope Leo XIV meets members of the Provincial Synodal Assembly in Paris

(2026.9.26   Vatican News)

  フランス訪問中の教皇レオ14世は2日目の26日午前、パリ・カトリック大学でフランス教会会議の参加者、求道者、そして新受洗者たちとお会いになった。

 講話の中で教皇は、フランスにおいてカトリックの信仰を求める、あるいは信仰に立ち返ろうとする成人が増え続けている状況を踏まえ、彼らを受け入れ、寄り添い、教会に迎え入れることができる「入門の段階にある教会」となるよう呼びかけられた。

 

 

*深刻な世俗化が進む社会における『神の働きのしるし」

 

教皇は講話でまず、「深刻な世俗化が進む社会」における「神の働きのしるし」について考察。「信仰の入り口に戻ってくる人々の数、そしてキリスト教の入門の秘跡を求める多くの成人に、私は深く感銘を受けています」とされ、「福音を再発見し、信仰を受け入れる人の数が増えていることは、現代のフランスにおいては逆説的に見えるかもしれませんが、むしろ、統計的・社会学的分析を超えた『神の恵みの働きの具体的なしるし』として認識されるべきでしょう」と語られた。

そして、「敗北主義」と「自己満足」の双方に警告を発し、フランシスコ教皇が「不毛な悲観主義」と呼んだものに対する批判を指摘。教会自身が「聖霊が夜の闇の中で灯した小さな炎」や「いばらの間でも成長しようと奮闘する小さな種」と表現したものを認識し、保護するよう促された。

「これには、具体的な司牧活動と、聖霊が教会をどこへ導いているのかを問う意欲が必要です… 聖霊の導きは、求道者や新たに洗礼を受けたカトリック信者、そして、新たな一歩を踏み出す人々への伴走において求められるものです」と説かれた。

 

*共に歩む教会

 フランスの司教たちが以前用いた表現を引用し、教皇は信徒に対し、「入門の過程にある」教会を構想し、体現するよう促された。「そのような教会は、信仰に入ろうとする人々に、時間をかけて、確固たる、揺るぎない導きを提供せねばなりません」と強調。「第二次世界大戦後の展開や、第二バチカン公会議に伴う求道者制度の刷新を含め、キリスト教の入門に関するフランスの長年にわたる司牧的経験」に注意を向けられた。

 そして、「キリスト教の入門は、洗礼の秘跡の授与をもって終わるものではありません。また、信仰に新たに近づく人々は、それぞれの個人的な経歴や霊的経験を尊重して迎え入れられるべきであり、キリスト教共同体には、洗礼後も彼らに寄り添い続ける責任があります」と強調。

 特に、教皇ご自身が聞かれた証言の一つで強調されていた「洗礼後の空虚感」という危険性に言及され、新受洗者たちに、「教区共同体や祈りの集いに完全に加わり、聖書、神学、教義、そしてキリスト教の道徳生活について包括的な指導を受けるように」求められた。

*入門の核心にある典礼

 教皇はまた、キリスト教入門の過程における典礼の重要性を強調され、「典礼は、教理教育の後に行われるものであり、単に既に学んだことを適用するもの、と見なされるべきではありません… 典礼は、キリストの過越の神秘を現し、それ自体が福音の意味と神の命を明らかにするもの。そのリズム、言葉、儀式は、回心の旅路および秘跡への準備の一部なのです」と説かれた。

 

 

*他者を支える人々の育成

 続いて、「生涯を通じてすべてのカトリック信徒を支えること」の重要性を指摘された教皇は、「代父・代母は適切な準備と養成を受ける必要があり、司牧者は聖書、神学、典礼、霊性に関する訓練だけでなく、孤独や苦しみ、その他の深刻な困難を抱える人々と伴走するために必要な人間的資質も備えていなければなりません」と強調。

 さらに、「そのような伴走には、親密さ、思いやり、優しさと、一人ひとりのペースを尊重することが求められます。これは『共に歩む』という姿勢を採ることを意味する」とされ、「司祭や信徒、代父母や求道者、司牧指導者、そして新受洗者たちは、キリスト教の旅路において互いに何かを分かち合うことができるのす」と改めて強調された。

*福音の宣教者となれ

 また教皇は、「信仰におけるささやかな始まりが、時を経て、いかに成長することができるか」示す例として、聖アウグスティヌスを挙げ、アウグスティヌスが聖アンブロシウスによって信仰に導かれたことを振り返り、「洗礼を受けた当時、彼の信仰はまだ『小さな種』に過ぎなかった。だが、その種は木へと成長し、その枝は今もなお人々に安らぎを与え続けているのです」と語られた。

 そして、集まった受洗指導者や新受洗者を見つめながら、教皇は、「あなたがたの中に、聖霊の働きとフランス教会にとっての実り豊かな未来への約束の両方を見出します。今度は、あなたがたが、この社会において福音の宣教者となりなさい」と励まされた。

*日常生活における宣教

 講話の最後に教皇は、幼きイエスの聖テレジアやトゥールの聖マルティヌスをはじめとするフランスの聖人たちの証しを取り上げ、「聖テレジアは、その『小さな道』を通じて、信頼こそが恵みの扉を開くことを教えており、聖マルティヌスは、分かち合いと兄弟愛の慈善を体現しています。フランスの他の多くの聖人たちと共に、彼らはキリスト教徒に対し、今日の宣教は、何よりもまず、『日常生活における主の臨在に忠実であり続けることによって築かれること』を思い起させます」と語られた。

 そして、集いの参加者に対して、「互いを受け入れ、共に『信仰を伝える、フランスにおける教会の生ける民』となるように」と促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月26日

☩教皇フランス訪問二日目:「互いを思いやる姿勢を、引き続き証ししてほしい」—移民・難民など支援の「メゾン・バキータ」で

Pope Leo XIV visits the Maison Bakhita social integration centre in ParisPope Leo XIV visits the Maison Bakhita social integration centre in Paris

(2026.9.26 Vatican News   Devin Watkins)

 フランス訪問二日目の26日朝、教皇レオ14世は、移民や難民に支援と社会統合サービスを提供するパリの「メゾン・バキータ」センターを訪問され、「神から授かった霊的・物質的な賜物を分かち合うことで、誰もが豊かな人生を送れるように」と呼びかけられた。

 教皇は挨拶でまず、施設を運営するパリ大司教区、そして「歓迎、傾聴、教育、友情」を提供する多くのボランティアやスタッフに対し、感謝された。

 そして、同センターの守護の聖人である聖ジョゼフィーヌ・バキータ―奴隷であったが、イタリアで修道女となった人物―に目を向け、「共同体を引き裂き、都市を孤独で病ませる文化に代わるものとして、『愛の文明』を築く上で女性が果たす根本的な役割を認識するための示唆を与えた方」と讃えられた。

 「よく見れば、教会と人類の歴史は、自己を押し付け『場を支配する』ことで勝利したかのような印象を与える者たちによって書かれたのではなく、『場所を空ける』者たち、平和のプロセスを始め、信頼を築き、命を励ます者たちによって書かれているのです」と指摘。

 聖バキータは「人々を奴隷化しかねない現代経済の先を見通し、目に見えない人々の存在に気づき、すべての兄弟姉妹の計り知れない尊厳を重んじる方法を私たちに示している」と語られた。

 そして「貧しい人々は、キリスト教徒にとって単なる社会学的カテゴリーではなく、『キリストそのものの肉体』であり、キリストは、私たちに慈善を実践し、彼らを愛するよう招いておられます」とされ、「神から授かった霊的な賜物と物質的な賜物の両方を互いに分かち合うように」と、すべての人に呼びかけられた。

 教皇はまた、「与えるものが何もないほど貧しい人はいない。受け取るものが何もないほど豊かな人もいない。一人ひとりの限界が、他者の神秘的な存在への入り口となる場所には、豊かな命がある。その他者の中に、『par excellence』なる他者―命の神―が近づいてくるのです」とされ、「互いに分かち合うことで、私たちは罪が歴史にもたらした苦難を乗り越え、贖いがすべての人に開かれた継続的な過程であることを学ぶのです」と強調。

 「キリスト教の体の各部分は、他のすべての部分を必要としています」と教皇は、聖パウロのコリントの信徒への手紙(1・12章21-22節)を引用され、聖パウロは、古代ローマ世界でも最も豊かで文化的に多様な都市の一つに住むキリスト教徒たちに語りかける中で、神が「体の内に不和が生じることなく、各部分が互いに同じように気遣い合うように」と、より大きな栄誉が「劣った部分」に与えられるよう定められた、と指摘された。

 挨拶の結びに、教皇は『メゾン・バキータ』およびフランス全土で同様の慈善活動を行うすべてのキリスト教徒に感謝され、「互いを思いやるその姿勢を、引き続き証しし続けてください… 兄弟愛に基づく受け入れ、養成プログラム、そして都市との対話を通じて、それは精神を高め、世界をより人間的なものにするのです」と激励された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年9月26日

☩教皇フランス訪問初日:「私たちの戦いの唯一の武器は、自己を捧げる愛だ」-8万人の若者参加の祈りの集いで

(2026.9.25 Vatican News   Jean-Charles Putzolu – Paris)

   教皇レオ14世のフランス訪問初日は25日夜の、約8万人の若者が参加した祈りの集いで幕を閉じた。教皇は若者たちの質問に答え、「恐れずにキリストに従うように」と励まされた。

 フランス最大のスタジアムであるパリの「スタッド・ド・フランス」が1998年の開場以来これほどの大規模な集まりを迎えたのは、初めてのことだった。

 収容人数8万人のスタジアムは、25日の金曜の夜、パリはじめフランス全土から集まった若者たちと教皇の祈りの集いにより、満員になった。彼らは、地方や都市、労働者、学生、若手社会人と肉体労働者など、実に多様な背景を持つ者たちだったが、信仰と教皇の言葉を聞きたいという願いによって一つに結ばれていた。

 夕べは、証言や歌、芸術的なパフォーマンスからなる祝祭的なプログラムで幕を開けた。若者たちは祝賀の雰囲気から一転し、モンローと2500人の合唱団員が歌うカッチーニの『アヴェ・マリア』に耳を傾けた。

 スタジアムに到着した教皇を歓迎する挨拶で、エティエンヌ・ギエ司教は、この場所を「全フランスのスタジアム」と表現し、自身の教区およびそこに集まった8万人の若者たちの、国際的で多民族・多文化的な特徴を強調した。

 ”祝祭”は、スタジアムの屋根での花火と、「レオ、レオ」と唱和する若者たちの喜びの爆発で幕を閉じた。教皇は笑顔で手を振って応えた。

*「他の宗教の人たちと、どのように信仰を分かち合ったらいいか」

 その後、教皇と若者代表との対話があり、2人が発言した。恵まれない地域での活動に携わる薬学部の学生、クロエは、「他の宗教を信じる人たちと、どのように信仰を分かち合えばいいのでしょう」と教皇に質問した。

 教皇は「私たちは皆、この霊的な動きの一部なのです。とても多くの人々が『神』という問いに無関心であることは、確かに問題ですが、多くの人々が『人間性』という問いに無関心であることも、同じように問題なのです」とされ、多くの人々が周囲の人々に無関心で、貧しい人々を軽蔑し、弱者や病人を拒絶していることを嘆かれた。「一人ひとりの価値は、その人が生み出すものだけにある、と考えているからです」とも語られた。

 そして、「恵まれない地域での活動を続けるように。そこ、つまり日々の生活の現実の中で、時には困難の真っ只中でこそ、あなたの信仰は希望の生き生きとした証しとなるのです」とされ、キリスト教の信仰を共有しない人たちと兄弟愛の精神をもって接することを勧められた。

 また、近年組織されている地中海諸国の若者たちとの交流を例に挙げ、「このような動きは、兄弟愛の励みとなる兆しです」と述べられた。

*「自分の人生の方向性をいかに見極め、献身すればいいのか」

 もう一人の若者、農村出身のフランソワは、農学を専攻し、スカウトのリーダーを務めている。献身したいと強く願う彼は、「自分の人生の方向性をどのように見極め、それに忠実に身を捧げればいいのでしょうか」と教皇に尋ねた。

 教皇は、「私たちを成長させてくれる平和の奉仕に身を捧げなさい… 献身は、恐れを希望へ、不満を責任ある関与へと変え、そこに私たちの傷は慰めと贖いを見出すのです」と勧められ、「不安や不確実性は、熱意の妨げと感じられることもありますが、それらは、将来への計画の不安定さ、感情的な関係の暫定的な性質、人間関係の脆さ、スクリーン疲れ(スマホやパソコンの画面を長時間見続けることで、目や体に慢性的な負担がかかる症状)、そして気候変動や経済・国際情勢への懸念を浮き彫りにするもの」と指摘。

 「私たちは、こうした感情をもつ人たちに注意深く耳を傾けなければなりません。仲間たちの苦しみに心を開いておく必要があります」と語られた。

 最後に、教皇は、司祭職や奉献生活を通じて「イエスに従う召命を聞いている」と信じる人々に向かって語りかけられた。「フランスの教会は、あなた方を、とても必要としています。その召命を恐れてはなりません!」と強く念を押された。

 

 

*アルジャントイユの聖衣と十字架は、希望のしるし

 この後、集まった若者たちは沈黙し、彼らのために特別に会場に運ばれてきた「アルジャントイユの聖衣」*を崇敬する時を、祈りの中で過ごした。

 教皇は、「私たちの目の前にある二つの聖遺物、すなわち聖衣と十字架を見つめましょう。受難のこの二つのしるし、そして 死の道具である十字架は、希望のしるしとなります」とされ、「チュニックと十字架は、私たち、すなわち世界に与えられた神の命から生まれた教会を象徴しています」と語られた。

 *注*アルジャントゥイユの聖衣は、キリスト教においてイエス・キリストが受難(十字架刑)の際に身に着けていたとされる、縫い目のない下着(チュニック)の聖遺物。パリ近郊にあるアルジャントゥイユのサン=ドニ聖堂に1200年以上前から保管されている。

*若者たちへの三つの戒めは「避ける、手を伸べる、戦う」

 教皇は、若者たちへの呼びかけを「避ける、手を伸べる、戦う」の三つの戒めに基づいてなさり、次のように述べられた。

 「第一に、高慢、虚栄、暴力、貪欲を避けること。私たちを捉え、支配する感情だからです」。

 「第二に、正義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和に手を伸べること。より良いものへと向かい、徳を求め、私たちを善き真実にする力を求め、聖性へと歩んでいくためです」。

 「第三の戒めは、以上の二つから導かれるもの。『避けること』と『向かうこと』こそが、信仰の戦いであり、イエスの弟子として福音に従って生きるという決意なのです」。

 そして「これは決して、他者に対する戦いではありません。この戦いには、暴力や軽蔑、抑圧という武器は使わない。唯一の武器は、自己を捧げる愛です。そして、神との関係を阻む力や、人々や民族を分断しようとする権力に直面しても、聖霊の光は私たちを照らし、慰めてくれます」と説かれた。

 最後に教皇は、集まった8万人の若者たちに対し、「主に従うために、私たちが育むべき美徳を共に選ぼう!」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年9月26日

教皇フランス訪問初日:「司牧的回心を果たし、典礼を重んじ、祈りの中で主と結ばれ続けるように」ー司教、司祭、修道者たちとの晩課で

(2026.9.25  Vatican News   Christopher Wells)

   フランス訪問初日の25日夕、教皇レオ14世は、パリのノートルダム大聖堂で、フランス全国から集まった司教、司祭、助祭、神学生、そして奉献生活を送る男女と共に晩課をされ、説教の中で、「司牧的回心を果たし、典礼に対する真の愛を育み、祈りの中で主と密接に結ばれ続けるように」と促され、フランシスコ教皇の使徒的勧告『福音の喜び』(の27項)で示された「司牧的回心」というビジョンにインスピレーションを得るよう、強く求められた。

*再建された大聖堂は出会いの機会をもたらす

 説教で教皇は、「新しく再建された教会の素晴らしさ」が、「私たちの安らぎのない心に語りかけ、平和へと招く」とされ、「私たちの前に切り開かれるべき文化的、実存的、そして霊的な旅路を再び呼び覚ますための、公的、私的、そして教会的な貢献」を強調された。

 さらに大聖堂の再建は、「すべての人々、とりわけ周辺部に置かれた人々との出会いの機会となるものであり、彼らは時に、遠く離れているように見えても、ある意味で既にキリストや教会に近い存在なのです」と指摘するとともに、「このパリだけでなく、フランスのすべての都市や地域にとっても… 簡素で親しみやすい宣教の在り方による変容がもたらされ、文化的差異を調和させ、分裂し傷ついた社会に癒やしをもたらすことができるのです」と説かれた。

*典礼がなければ、教会は「魂」を失う

 教皇はまた、「ノートルダム大聖堂は、他のすべての教会と同様、何よりもまず、特にミサ聖祭において、神への祈りと礼拝の場であること」を改めて強調され、「典礼がなければ、教会は魂を失ってしまいます」と警告。

 「活気あふれる共同体においてこそ、教会はその本来の姿—生きた有機体として、また、文化や伝統から受け継いだすべてのものをその賛美の中に集約する信仰共同体となる。教会は、その典礼を通じて、一人ひとりに自らの存在理由を語りかける体となるのです」と述べられた。

 そして、典礼を「希望と平和の場」と表現され、「典礼暦に従ってキリストの生涯の出来事を祝うことは、私たちを『キリストの仲間』とすると同時に、私たち自身の時代の『しるし』を認識する助けとなります」と語られ、典礼の責任を負う人々に対して、「たとえ、そこが小規模な共同体であっても、尊厳と敬意をもって典礼を行うように。そして、何世紀にもわたって、典礼の深遠な意味と美しさを私たちに伝え、祝われる神秘の前で常に偉大な謙遜の模範を示してきた教父や聖人たちの自覚ある継承者となるように」と促された。

 第二バチカン公会議による典礼改革を強調された教皇は、聖職者や修道者に対し、「典礼に対する真の愛を育むこと、神の民全体の預言的、司祭的、王的な召命の証人であり、その奉仕者となること」を勧められた。

 さらに、「神の民の団結を育むために、個人的な好みよりも、ペトロの後継者、教会との交わりを優先させるように」と参加者たちに求められた。

*「聖性と日々の使命への新たな推進力」

 最後に教皇は、神の呼びかけに応え、主への忠実さを示したすべての参加者に感謝し、「祈りの中で、神に寄り添い続けるように」と励まされた。

 そして、「開かれた大聖堂」というビジョンを思い起こしつつ、「あなたがたもまた、聖性と日々の使命に向けた新たな推進力をもって、この大聖堂と共に生まれ変わるために、この大聖堂は再生されたのです」とされ、「あなたがたの民のただ中で、神の愛を証しすることで、人類の家族を回復し、癒やす教会の神聖な母性を、はっきりと表してください」と注文を付けられた。

 教皇は、マリアが彼らを信仰に堅く保ち、「フランスにおける教会の宣教を導く星となる」よう祈りを捧げ、説教を締めくくられた。

 

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*以下、説教の全文

 教皇レオ14世の説教 ノートルダム大聖堂 2026 年 9 月 25 日金曜日

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 私たちは今、パリの人々が何世紀にもわたり天を見上げるよう促してきたこの場所で、夕べの祈りのために集まっています。全世界が息を呑んで見守る中、大聖堂が恐ろしい火災に包まれてから7年が経ちました。当時、私たちもまた、予期せぬ出来事の前に人間がいかに無力であるかを痛感しながら、不安な気持ちで見守っていました。

 その痛みはカトリック教徒だけでなく、信者だけが感じたものではありません。実際、あの悲劇的な瞬間に、私たちはノートルダム大聖堂が単なる記念碑以上の存在であることを悟りました。再建に向けた人々の努力と、その結果として生まれた壮麗さは、ここに人々の心が脈打っていること、そして私たちが過去と未来が交わり、天と地が出会う、文明の生きた中心に立っていることを示しています。

 フランスにおける教会の象徴的な場所であるこの地で、皆様にお会いできることを願っていました。世界各地から毎日何千人もの兄弟姉妹が訪れるように、私も少し前にこの場所の敷居をまたぐことができ、喜びを感じています。この場所に足を踏み入れるだけで、私たちの落ち着かない心に語りかけ、平和へと誘う美しさと向き合うことができます。全人類のためのこの聖なる空間が修復されたことで、訪れる一人ひとりが、目にするもの、耳にするもの、体験するものによって、いかに心が新たにされるかが、当然のことながら認識されています。

 ノートルダム大聖堂の修復に携わった公的機関、民間機関、そして教会は、それぞれ独自の方法で、この大聖堂が私たちに開く文化的、実存的、そして精神的な旅路を再び呼び覚ますことに貢献してきました。このような文脈において、教会は、信仰を持ち、希望に導かれる人々の大胆さをもって伝統を守り続けることで、保存だけでなく創造性という観点からも自らの使命を理解してきたのです。大司教様、その同僚の方々、そしてパリ教区の皆様に感謝申し上げます。皆様は、すべての人に開かれた、最初の布教とキリスト教入門のための司牧的な道筋を築いてくださいました。洗礼盤は、祝福と招きとして入り口に設置されており、その象徴です。

 大聖堂の再建は、教会の所属という枠を超えて、歓迎と参加の地平を広げる出会いの機会となりました。フランスの司教、司祭、助祭、修道士、神学生の皆さん、ここで起こった出来事からインスピレーションを受けてください!教皇フランシスコが最初の使徒的勧告で述べた宣教的回心、すなわち『福音の喜び』のビジョンを 最優先事項 としてください。

 ガラテヤの信徒への手紙の中で、私たちが恐れる必要がない理由が語られています。「神は御子を遣わされた」(4章4節)。神は御子を私たちの間に、この世界に遣わされたのです。聖パウロの言葉によれば、この動詞は、理想的な状況ではなく、現実の歴史的な出来事を表しています。

 キリスト教徒は複雑さから逃げるのではなく、神ご自身が、すでに人が住み、すでに動き、すでに人間の苦しみと善意が刻まれたこの世界で、御子に従うよう召されたのです。十字架の道は確かにこの世界に蔓延る闇を明らかにしますが、それ以上に深く、死に打ち勝つ神の愛を明らかにします。

 石と光が融合する大聖堂の十字形の配置は、大地と天の出会いを想起させる。それは、人間の喜びと苦しみが織り込まれた歴史上の出来事を集め、秩序立てる。そして、これらの多様な表現を象徴的なダイナミズムで結びつけ、生きた言語へと昇華させ、全体を一つにまとめ上げる。

 親愛なる友人の皆さん、教会のアイデンティティは受肉、すなわち「神が御子を遣わされた」ことに由来します。なぜなら、教会は常に「出て行く」教会となるよう召されているからです。キリストの弟子である皆さんは、キリスト教共同体が、この時代から身を守るために引きこもる避難所ではないことをよくご存知でしょう。

 それどころか、古の教会堂のように、教会はすべての人にとって歓迎され、尊重され、啓示され、意義を与えられる場所です。生きた教会の力は、すでに教会の心の中に居場所を持っている周縁にいる人々、遠く離れていても実際にはすでに近くにいる人々、そしてキリストがすでに扉を叩いている見知らぬ人々を歓迎することにあります。

 ノートルダム大聖堂がパリの中心におけるこの出会いの象徴であるならば、フランスの他の都市や地域、たとえ最も辺鄙な田舎であっても、簡素で温かい宣教活動によって、より一層変容を遂げることができるでしょう。そのような活動は、文化的な違いを調和させ、社会に存在する傷を癒す助けとなります。北部の海岸から地中海沿岸まで、内陸部から海外県まで、生き生きとした、多様性に富み、親密な教会でありましょう。物質的な資源の不足は宣教を妨げるものではありません。

 なぜなら、内なる自由と簡素な生活を生み出すのは神の恵みであり、それによって私たちは福音的な生き方を体現することができるからです。こうしたすべてのことにおいて、日常生活の交差点で教会の生きた最前線に立つ信徒たちの宣教活動を、自信を持って大切にしましょう。

 同時に、兄弟姉妹の皆さん、この大聖堂も他のすべての教会と同様に、祈りと神への礼拝のために建てられたことを忘れてはなりません。ここはキリスト教共同体が最高の祈りと礼拝を捧げ、聖体祭儀においてキリストの贖いのいけにえを新たにする場所です。この大聖堂は、ただただ賞賛されるべき石造りの建造物ではありません。むしろ、その中で祝われる聖なる神秘によって生きているのです。典礼がなければ、その魂は失われてしまうでしょう。

 ここノートルダム大聖堂では、祭壇が中央に配置されていることで、この真理が明らかになっています。主を賛美するために集まった共同体は、建物の中心に立ち、訪問者は祝祭の最中でもその周りを歩き回り、観察します。ここで教会は、その本来の姿、すなわち生きた有機体、文化と伝統が教会に受け継いできたすべてを賛美の中に集める信仰共同体として現れます。教会は、その祝祭を通して、一人ひとりに教会の存在理由を伝える体なのです。

 今日、かつてないほど、私たちは充実感、深み、そして希望に欠ける時代に生きています。歌、言葉、そして典礼の身振りの崇高な簡素さは、多くの人々にとって希望の光となり、過剰に繋がり、騒がしい社会における平和のオアシスとなり、最大の愛の創造主の存在を体験することができます。「時が満ちたとき、神は御子を遣わされた」(ガラテヤ4:4)。典礼暦年、日曜日、そして祝祭日を祝うことは、私たちをキリストの仲間とし、世のためにすべてを父なる神に捧げたキリストの生涯の様々な瞬間に心を向けさせます。

 こうして私たちは、時代の徴に敏感になり、より心を開くようになります。実際、共に祈り、聖書に耳を傾けることで、私たちは歴史上の出来事を神の光の中で見ることができ、自らの責任をより深く認識し、不正な権力関係を暴き、正義と平和の種を蒔くことができるのです。したがって、私たちを突き動かすのは希望であり、諦めではありません。そして、そこからより大きな友愛の絆と連帯のネットワークが生まれ、キリストの唯一の犠牲における交わりの実りとなる。

 日々聖体祭儀を執り行う皆様に、たとえ小規模な共同体が集まる場であっても、典礼の祭儀が常に尊厳と敬虔さをもって行われるようお願い申し上げます。何世紀にもわたり、典礼の奥深い意味と美しさを私たちに伝え、祝われる秘跡の前で常に謙遜の模範を示してきた教父や聖人たちの意識的な継承者となってください。

 フランスに多大な恩恵を受けた第二バチカン公会議は、この遺産を卓越した形で集約し、深化させ、教会生活における典礼の中心的な役割を認めました(『典礼憲章』 10参照)。ですから、司教、司祭、助祭、奉献生活を送る皆様すべてに、典礼への真の愛を育み、神の民全体の預言者的、司祭的、王的召命の証人、そして奉仕者となるよう強く勧めます。

 この点において、典礼は依然として生活の反映です。聖体拝領の喜びは、調和が回復されるところ、尊厳が新たにされるところ、権威が奉仕となるところ、そして自由が再び花開くところ、どこにでも根付き、広がります。これこそ、私たちが分かち合うことのできる最大の贈り物です。ですから、神の民の一致を育むために、ペトロの後継者と教会との交わりを、個人的な好みよりも優先してください。こうして、私たちは共に、和解した世界の可能性を預言的に証しするのです。

 親愛なる司教、司祭、神学生、そして奉献生活を送る皆様、キリストに従うよう召された皆様の応答と主への忠実さに感謝いたします。主が望まれるこの友情を決して軽んじてはなりません。それは個人的な祈りの中で培われるべきものであり、あらゆる召命の基盤となるものです。

 マドレーヌ・デルブレルが述べたように、「祈りがなければ、私たちは愛の神を愛することはできないでしょう。私たちは神のしもべ、戦士、あるいは弟子にはなれるかもしれませんが、父なる神の愛する子にも、イエス・キリストの友にもなれないでしょう」(『私たちの生き方』全集第15巻、ヌーヴェル・シテ、2017年、41頁)。

 ですから、あなた方の先人である多くの聖人たちの模範に倣い、静かな祈りの中で常に神の無限の愛の源泉から汲み取りながら、主との内なる生活を育んでください。あなた方の使命は、何よりもまず、そこであなた方を待っておられる主との親密な関係から生まれるのです。

 街の中心にある開かれた大聖堂は、主を賛美し、もてなしを単なる一時的な行為としてではなく、その存在そのものの形として生きる共同体の象徴です。こうして、誰もが故郷にいるように感じ、変化する世界の中で支配されたり疎外されたりすることがなくなるのです。「神は御子を遣わし、女からお生まれにならせました。それは、私たちが子として迎えられるためです」(ガラテヤ4:4-5)。そして、「もしあなたがたが子であるなら、あなたがたもまた相続人です」(同4:7)。

 恵みによって相続人となった兄弟姉妹の皆さん、ここに集まった皆さん一人ひとりが、祈り、生きるこの集まりの中で、この約束の肉となり声となるべき時が来ました。フランスの聖職者と奉献生活を送る皆さん、あなた方はこの開かれた家の最初の守護者、未来を恐れず希望に満ちた教会の生きた石となるよう召されています。この大聖堂は、あなた方も聖性と日々の使命への新たな推進力をもって、共に生まれ変わることができるように、新たに生まれ変わりました。あなた方の民の中で、神の愛を証しすることによって人類家族を回復し癒す、教会の神聖な母性を明確に示しなさい。

 火災の被害を免れ、今再び私たちの目の前で輝いている14世紀の聖母子像に目を向けましょう。御言葉を胎内に宿された聖母マリアが、あなた方の信仰を守り、フランスにおける教会の使命を導く星となってくださいますように。聖母マリア、パリの聖母、教会の母よ、フランスの人々のために祈り、彼らの司牧者たちを支え、常に私たちの傍らにいてください。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

Speaking at the Cathedral Basilica of Notre Dame de Paris seven years after a devastating fire destroyed much of the church, Pope Leo XIV encouraged the clergy and religious of France to be inspired by the vision of missionary conversion set out by Pope Francis in his encyclical Evangelii gaudii.

Rebuilt church an opportunity for encounter

The Holy Father said the beauty of the newly rebuilt church “speaks to our restless hearts and calls them to peace,” and highlighted the public, private, and ecclesial contributions to “rewaking the cultural, existential, and spiritual journeys the Cathedral opens up before us.”

That rebuilding, he said, is an opportunity for encounter with all, especially those on the peripheries, who may at times seem far away, but are in some ways already near to Christ and the Church.

The renewal of the Cathedral of Paris can serve as an inspiration not only for the city, but also for all cities and regions of France, which can be transformed by “a simple and welcoming missionary presence,” that can harmonize cultural differences and bring healing to our divided and wounded societies.

Read the full text of the Pope’s homily

Without liturgy, a church ‘loses its soul’

At the same time, Pope Leo reminded those present that Notre Dame, like all churches, is intended primarily to be a place of prayer and worship of God, especially in the celebration of the Eucharist. “Without the liturgy,” he said, the church would “lose its soul.”

Instead, it is here in a thriving community, “the Church appears for what she is, namely a living organism, a believing community that gathers into its praise everything that culture and tradition have handed down to her. She is a body that, through her celebration, tells each person the reason for her existence.”

Reflecting on the liturgy, Pope Leo described it as a place of hope and peace, while the observance of the liturgical year makes us “companions of Christ” as it celebrates the events of His life—and at the same time, helps us to recognize the “signs” of our own times.

The Supreme Pontiff called for those charged with care of the liturgy to offer the celebrations with dignity and reverence, “even when smaller communities gather.” He invited them to be “conscious heirs of the Church Fathers and saints who, over the centuries, have handed down to us the profound meaning and beauty of the liturgy, always giving an example of great humility before the Mystery that is celebrated.”

He also emphasized the liturgical reform of the Second Vatican Council, and exhorted clergy and religious “to cultivate an authentic love for the liturgy” and to be “witnesses and servants of the prophetic, priestly, and royal vocation of the entire People of God.”

And he called them to “place communion with the Successor of Peter and with the Church before your personal preferences, so as to foster the unity of God’s people.”

‘A new impetus to holiness and daily mission’

Finally, Pope Leo thanked all those present for their response to God’s call, and their fidelity to the Lord, and encouraged them to remain close to God in prayer.

Recalling the vision of an “open” Cathedral, he said the Basilica of Notre Dame “has been reborn so that you too may be reborn with it in a new impetus towards holiness and daily mission.”

“In the midst of your people,” he said, “be a clear expression of the divine motherhood of the Church, who, by bearing witness to God’s love, restores and heals the human family.”

He concluded his message with a prayer that Mary might keep them faithful, and “be the star that guides the mission of the Church in France.”

2026年9月26日