・新回勅タイトルは「All Brothers」よりも「All Brothers and Sisters」が適切(LaCroix)

(2020.9.11 LaCroix Vatican City Robert Mickens)

 先週の本稿で、あるイタリアの司教がこのほど行った記者会見で、教皇フランシスコが「人類の友愛」に関する回勅を発表する見通しを、うっかり漏らしたことを書いたが、LaCroixに掲載されて何時間も経たないうちに、その情報の正しさが確認された。

 アッシジのフランシスコ修道会が、教皇は新回勅Fratelli tuttiを公布するだけでなく、10月3日に聖フランシスコの地下墓所で個人的なミサを捧げられ、その際に回勅に署名される、と発表したのだ。

 教皇が、聖フランシスコの祝日である10月4日でなく、3日を訪問日として選んだのは、いささか奇妙に思われたし、それは今も変わらない。しかも、滞在時間もとても短い。教皇は3日のおそらく午後3時前にバチカンからヘリコプターでアッシジ入りし、到着後すぐに聖フランシスコ大聖堂のSacro Conventoとして知られる修道院に向かわれ、大聖堂に隣接する地下聖堂でミサを捧げられる予定だ。

*”兄弟”だとすると、人類の”残りの人々”はどうなのか?

 バチカン広報室によると、教皇が署名を予定する回勅は「友愛と社会的友情」に関するもので、教皇は署名を終えられたらすぐにローマに戻られる。

 回勅の文書が、様々な国語に翻訳された形でいつ、公開されるのか、については明らかにされていないが、教皇は、署名日の翌日ー聖フランシスコの祝日ーに、注目度の高いやり方で公開することを希望されていることが、考えられる。だが、文書の翻訳者たちが計画的に速やかに作業を進めない場合、公布はその内容に見合うような形でなされる可能性もある。

 現在のところ、バチカン放送は、回勅のタイトルが「Fratelli tutti」、英語訳が「All Brothers」となる、としているが、当然ながら、これは、性差別用語に敏感な人々の間で反発を起こしている。バチカンがこのタイトルに固執すれば、カトリック教会が女性蔑視と家父長主義の否定を拒む人々によって運営されていることを改めて示すものとして、この言葉の受け入れを拒否する女性たち(そして男性たち)を教会から、さらに遠ざけることになるだけだろう。

 回勅のタイトルを改めるのは、それほど難しいことではない。「Fratelli e sorelle tutti」なら、英語訳も. 「Brothers and sisters all(兄弟姉妹の皆さん)」あるいは「We are all brothers and sisters(私たちは皆、兄弟姉妹)」となり、どちらでも理にかなっている。

 だが、教皇文書の英語版タイトルは、伝統的に、文書の原本のタイトルー通常はラテン語-から採られている、という。例えば、 使徒的勧告「Evangelii gaudium」は英語版で「The Joy of the Gospel”(福音の喜び)」となっている。そして、新回勅のタイトルに予定される「Fratelli tutti」は、聖フランシスコの「兄弟である皆さん、ご自分の羊を救うために受難の十字架を担った、善き牧者を見つめましょう」 (Ammonizioni, 6, 1: FF 155)という言葉から採られているので、変更できない、との見方がある。

 そのような議論をナンセンスだ。もしも、教皇あるいは教皇の顧問たちが、本当に「変更できない」と考えるなら、タイトルの根拠に他の文書を選ぶか、単に他のタイトルを付ければいい。

 

*タイトル変更を恐れないで

 使徒的勧告「Evangelii gaudium」で、教皇フランシスコは、教会が伝えようとしているメッセージの妨げになる場合、長年の慣習を脱するように求めている。

 教皇が強調される識別力を増す中で、教会は福音の核心に直接つながっていない慣習ーそれが歴史的な根拠を持つものであっても、もはや正当には理解されず、評価されないーを見分けることができるようになっている。「それらの慣習は美しいかもしれませんが、今となっては、福音の伝達において同様の役目を果たしていません。恐れずに、このような慣習を見直していきましょう」(Evangelii gaudium43項)。

 いずれにせよ、「fratelli」は「兄弟」を意味する。英語を含む多くの言語にあるように、当初、それは兄弟と姉妹の両方を含むと理解されていたが、今はそうではない。そして、バチカンが1990年代の初めに、男女包括用語の使用を強く非難した時でさえ、教皇は、ずっと以前から、グループに対する呼び掛けとして、慣習的に使われてきた「Cari fratelli(兄弟の皆さん)」をやめ、 「Cari fratelli e sorelle(兄弟、姉妹の皆さん)」という、もっと分別のある言葉を使っていた。

 そのことで、教皇ヨハネ・パウロ2世を信じる(あるいは、咎める)ことができる。

*賢明で敏感であること

 教皇選挙まで、歴代教皇はこれまでのところ、(注:少なくともカトリックの)群衆に「Figli(sons=息子たち)」と呼びかけていた。当時は、明らかに、この言葉には「女性も含まれている」と受け取られていた。だが、時が変わり、そのような言葉に戻ったのだ。

  今を去ること42年、1978年10月16日にヨハネ・パウロ2世は、教皇に選ばれた直後、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーにからのあいさつで、前の広場に集まった人々に「Carissimi fratelli e sorelle(Dearest brothers and sisters=.最愛の兄弟姉妹)」と呼び掛けた。そして、その後の歴代の教皇たちは、この常識的な言葉を使ってきたのだ。確かに、男女包括用語は、ラテン語文化圏よりも英語圏の問題だが、フランスやイタリアでも、そうした用語の使用に対する感受性は強まってきている。

 

*過激な男女同権主義者たちから伝統を守ろうとする見当違いの熱意

 教皇フランシスが2020年の今もなお、男性用語を使うことが不必要で、役に立たないことを、正当に評価していないように見えるのは、残念だ。

 だが、教皇はラテンアメリカ出身の年長の司祭であり、このようなことが全く問題にならなかった教会文化の中で育った世代の人だ。にもかかわらず、自身の使徒的勧告「Evangelii gaudium」で、こう言っている。

 「私は、全てを作り変えるような宣教、という選択肢にあこがれています。それは、自己防衛ではなく、教会の習慣も、様式も、時間も、言語も、そしてあらゆる組織的構造も、現代の世界の福音化にふさわしい手段となるものです」(27項)。

 そして、このようにも書いている。

 「場合によっては、完全に正当な用語を耳にした信者たちが、それを「イエス・キリストの真の福音と一致するものではない」と受け取ることがあります。なぜなら、その用語が、彼らが使い、理解しているものではないからです」(41項)

 自分自身を、文化の戦士たちを、聖職者主義者たちを、そして教会の社会的な保守派たちー男女包括用語を使うことを拒み、正統派的な慣行を守ろうとする見当違いの熱意によってそうする人々ーを、子ども扱いしてはならない。

 彼らは、そうした偏執的な考えの中で、男女包括用語を「教会をひっくり返そうとする過激な男女同権主義者たちと同性愛者に共感する人々による、ある種の陰謀」と見なしているのだが、新回勅のタイトルについて論じられている問題は、まったく、そのようなことではない。13世紀にしていたように話すことは、もはやしない、ということだ。単純なことだ。

 回勅のタイトルが、教皇が伝えようとする核心にあるメッセージから人々の注意をそらす、あるいは、教会についての否定的な態度を強めさせてしまうとしたら、すべきことは、たった一つー問題の用語を変えよ!だ。そうすることは、「この使徒的勧告「Evangelii gaudium」の方針を、惜しみなく、かつ勇気をもって、恐れたり、禁止事項を設けたりせずに適用」(33項)する仕方の、少なくとも一つの見本になるだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2020年9月13日

・司教に肩書や”飾り”は必要かーコロナで亡くなったフィリピンの名誉大司教の言葉(LaCroix)

 「洗礼だけが私たちに至高の品格を与える、それは神格そのものだ」

(2020.9.10 LaCroix  David M. Knight)

 フィリピンのオスカーV.クルス名誉大司教が8月26日、新型コロナウイルス感染による多臓器不全で85年の人生を終えた。

 10年前に彼のブログーOVCRUZ、JCDーを見つけた時、私は、”司教たちの尊大な肩書”について彼が当時出版した著書に、どれほどの信頼性があるのか、分からなかった。

 クルス名誉大司教は、かつてフィリピン司教協議会の会長を務め、アジア司教協議会連盟の議長も務めていた。彼の葬儀では、彼のことがこのように語られたー「説教台に立っているだけでなく、戦う活動家だった。違法なギャンブルと売春に反対する我々の運動に加わり、社会正義と女性の権利を守ろうとする、聖人… 世界と教会を愛するがゆえに怒り、物事のあり方に怒り… それは、希望から生まれた怒りだった」と。

 百聞は一見に如かず。大司教の写真を見てもらいたい。2008年2月27日、フィリピンのマニラでの記者会見で、汚職を糾弾している場面だ。(EPA / ROLEX DELA PENA / MaxPPP)

 名誉大司教は自身のブログで、読者たちにこう問いかけたことがあったー「どの司祭も司教になった瞬間に英語表記では名前に『D.D.』が付く。これは『Doctor of Divinity(神学博士)』の略称ですが、この肩書は、本当にその通りの意味なのでしょうか?そもそも博士号というのは何なのでしょうか?」と。

*仮面舞踏会の衣装と同じような…

 彼自身の答えは、「この肩書が単なる名誉称号で、自動的に授与される場合は、それはほとんど神聖を汚すものです。だが、それが本当の意味を持たせる形で、意図されて授与される場合、『D.D.』というイニシャルは嘘になります」だった。そして、次のように書いている。

 一般の人は、その肩書は、司教が大学で博士号を取得し、学位を授与されか、あるいは少なくとも名誉博士号を授与されたことを示している、と考えるだろう。

 だが、本当は、全くそのようなのことではない。大半の司教たちは神学校で一学期も神学(の博士課程)を学ばず、まして大学から神学博士の学位を受けたことはないのだ。

   現在の聖職者の肩書と祭服はすべて、仮面舞踏会の衣装と同じようにまがい物。それにふさわしい名前を付けるべきだ。『聖職者主義』と呼ばれる酷くゆがんだ姿、教皇フランシスコが「聖霊が私たちの人々の心に注ぐ洗礼の恵みを損ない、価値を落とすような振る舞い」と非難されるものだ。

 「すべての権力には腐敗する傾向がある。絶対的な権力は絶対に腐敗する」という有名な格言を残した英国の歴史家、思想家、政治家、ジョン・ダルバーグ・アクトン(1834~1902)は、1887年にマンデル・クライトン司教にあてに同じ手紙に次のように書いている。「権力の所持者を公けに聖別することほど、酷く”異端”的なことはない」と。

 私たちは、この言葉を、「一般信徒が洗礼を受けることで、叙階された聖職者と対等でない、ということほど酷く”異端”的なことはない」、あるいは「叙階された聖職者のReverends, Very Reverends and Most Reverendsというようなランク分けは、『至高の尊厳ー神格そのものーを人に与えるのは、洗礼のみ」という真理と全く矛盾している」と、言い換えることができるだろう。

*司教の肩書についての6つの問い

 私は、世界の司教たちに次のような6つの質問をしたいと思うのだが、現実には無理なので、この記事をお読みになった方々に、ご自分の司教に、答えをお聞きになることをお勧めする。

1.これらの肩書が最初に教会で使われたのはいつか?イエスの使徒たちが生きている間でなかったことは確かだ。

2.なぜ使われるようになったのか?そうする宗教的、あるいは霊的な動機があったのか、今のあるのか?

3.肩書を使うことが、聖職者と一般信徒の両方にある教会のイメージにどのような影響を与えているのか?

4.イエスはこれらの肩書について福音書のどこで語っているのか?

5肩書は、どれほど重要なものなのか?そのわずかな単語に関心を抱きすぎではないのか?実際には何にも影響を与えない「うわべだけ」のものではないのか?

6.今日、教会でこうした肩書を使い続けたい、または止めたいと思っているのは誰で、その理由は何か。私たちが真似たいライフスタイルを持っている人か?

*自分自身はこう答える

 私がが考える答えは次のようなものだ。

 1.肩書がいつ生まれたか?ーローマ皇帝、コンスタンティヌスが教会を統治機構の一部とし、司教に世俗的な地位を与えた後、と見るのか適当だろう。

 2.なぜ使われるようになったのか?ーまず推測されるのは、単に、ローマ帝国の宮廷の儀典を真似た、ということだ。イエスの教えと模範に反するような動機を、誰が創造することができるだろう。もしも、軍隊のように、肩書が教会の権威に対する従順さを高めるとすれば、肩書を用いることが、信仰を基礎に置いた動機を妨げる目的のために、このような世俗的な手段を使うことを意味することはないのか?

 もしも、私たちが「timor reverentialis(畏敬の念)」ー彼らの祭服と肩書が作り出すものーから司教たちに敬意を払い、従うのだとすると、私たちは、どのようにして、その中に神の働きを意識するのだろうか。

 3.肩書が教会のイメージに与える影響は?ー教会に階級意識があることを示しているのか?思い上がり?ある者を他の者よりも”高い水準にある”とすることで、聖職者の間に分裂を引き起こすことはないのか?

 種々の肩書は、聖職者が平等の兄弟ではないことを明確にするものだ。(英語表記の場合)聖職者の肩書には、 “Most Reverends,”  “Very Reverends”そして、単なる “Reverends”があるが、そうした区別は、司祭からも、助祭や一般信徒からも明確に認識されている。これはイエスが望まれた結果なのか、果たして、司教たちが望んでいることなのか?

 

*イエスは肩書について、どう語っているか?

 4.イエスは肩書きについてどこで、どのように語っているのか?マタイ福音書23章2節以降でイエスは弟子たちにこう語っている。

 「律法学者たちやファリサイ派の人々は… 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む」「だが、あなた方は『先生』と呼ばれてはならない。あなた方の師は一人だけで、後は皆、兄弟なのだ。また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなた方の父は天の父お1人だけだ」「『教師』と呼ばれてもいけない。あなた方の教師はキリスト1人だけである。あなた方のうちで一番偉い人は、仕える者になりなさい。誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」

 今の教会では、英語などの表記で、司教に対して「Excellency」や「Most Reverend」、枢機卿に対して「Eminence」などの”尊称”が使われているが、これがイエスの言葉に反している、と正直に言える人はいるだろうか?

 カトリックの信徒たち、とくに高位聖職者たちが、「このような慣行は、あなた方が承知の上で、故意に、そしてはっきりと、このイエスの言葉とその教えの真髄に反したものだ」と批判された時に、慣行を弁護することが、私たちにできるだろうか?

 教会のこのような位階は、マルコ福音書9章33節で、イエスが弟子たちに「道で何を論じ合っていたのか」とお尋ねになった時のことを思い起こさせる。マルコは「彼らは黙っていた。道々、誰が一番偉いか、と言い合っていたからである」と書いている。そして、イエスは座って、十二人を呼び寄せ、「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と忠告されている。

 もしイエスが、肩書を好む人たちが考えているような考えであったら、こう言われるだろう。

 「論じ合うことはない。あなた方は皆、誰が偉いか、偉くないかをはっきり分かっている。私の普通の信徒たちよりも偉いことを示すために、全員が”Reverend”という肩書を付ける」

 「だが、あなた方の中に、他の者よりも高い職務にあることを示すために、”Very Reverend”と呼ばれるだろう。そして、司教として地方教会を担当する者は、他の皆よりも偉いから、”Most Reverend”と呼ばれるだろう」

 「あなた方の間に分裂が起きないように。あなた方の一致は、あなた方の教会を『位階的な教会』とする明確な不平等の受容を基礎に置くことになるだろう」 

 「偉くなりたい人は、もっと重要な職務に就くように努めることができる。そして、それを手に入れた時、あなたの肩書は、立っている場所を正確に教えてくれるだろう」と。

*その言葉をよく注意せよ!

 このような言葉を、イエスが語ったように述べるのは、ショッキングで、冒涜的でさえあるかも知れない。だが、教会の約束事が私たちに告げているのは、まさにこういうこと。否定することはできない。そしてそれは、人々の心に教会のイメージを植え付けるために、イエスのすべての言葉と神学者の教えを合わせたものよりも、多くのことをしている。

 だが、そうした肩書がどれほど重要なのか?何の重要な影響力もない、単なる「うわべだけ」のものではないのか?

 女性解放運動は、私たちに何も教えなかったのか? 私たちが女性を認識する仕方に影響を与えてきた「見境なく女性を男性と区別する”男っぽい”言葉を使う」という何世紀にもわたる慣習のように、「性差別語」の廃止が日常化するまで、女性たちは、抗議の声を上げ続けた。英語の言葉にいつくかの小さな変更をもたらすために、バリケードを張るのは価値があると考えた。

 ずいぶん昔のこととして私の記憶にあるのは、黒人を表現する”N”で始まる言葉や何度も口に出せない言葉を、礼儀正しい社会でさえ、受け入れていたことだ。現在では、そうした言葉を恐怖を感ぜずに使うことはできないし、公務員がそうした言葉を使ったら、解雇されるだろう。

 教会では言葉は重要ではない、と私たちはまだ言い続るのだろうか?

*肩書を持ちたい人とそうでない人

 今日の教会の誰が、本当にこれらの肩書を持ち続けたいのか、誰がそれを変えたいのか?

 教皇フランシスコは、”肩書維持派”に反対のようだ。彼はご自分の回勅に「Franciscus」とだけ署名している。ローマの司祭たちへの手紙の最後に「Fraternally, Francis」とだけ書いている。

 今から半世紀余り前、カナダ・モントリオール大司教だったポール=エミールレジェ枢機卿は、第2バチカン公会議で次のことを検討するよう提案した。

 「私たち司教ががしばしば自分の意に反して使用し、司牧に有害な記章や装身具、肩書に関する一連の規制の導入… 古代からの豪華な飾り物の継続的な使用は、福音の精神の障害になる(と考えられるからだ)」

 豪華な飾り物は、恐らく、司教たちが世俗的な権利を持っている時にも必要と考えられていたのだろう。だが、私たちの現代では… そのような飾り物は社会生活の通常のあり方に、合わなくなっており、時代の精神と一致しない(「第二バチカン公会議における演説集」(114~115ページ)1964年 Paulist Press刊)。

 公会議が閉幕する数日前、40人の司教たちが、ローマの聖ドミティラのカタコンベ(地下墓地)でミサを捧げた後、「カタコンベの誓約」に署名し、「兄弟司教」を名乗り、「貧困の生活」を送ること、権力を象徴するものとその特権を放棄することを誓い合った。

 13の具体的な誓いのうちの2つは次のようなものだった。

 「私たちは、偉大さや権力を表わそうとする名称や肩書 (Your Eminence, Your Excellency, Monsignor …)で、 演説や書き物で自分が呼ばれるのではなく、福音書にある「父」と呼ばれたい(マタイ福音書20章25~28節、23章6~11節、ヨハネ福音書13章12~15節参照)」

 「私たちが自分の教区に戻って、この誓約を教区司祭たちに示し、理解と協力、祈りを願う。神は私たちが忠実であるように助けてくださる」

 イエスは、十字架につけられる前に、「すべての人を一つにしてください」と父に祈られた。父と子と聖霊が一つだからだ(ヨハネ福音書17章21節)。父と子と聖霊が一つであるように、私たちが一つになるためには、すべてのキリスト教徒が尊厳に置いて平等であり、他者よりも優れたものに取り巻かれないに注意する必要がある。

 先に渡した提起した6つの質問に対する答えは1つしかない、と私は思っている。

 福音書でパウロは、「互いにこのことを心掛けなさい。それはキリスト・イエスにも見られるものです。キリストは神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の形を取り、人間と同じものになられました」(フィリピの信徒への手紙2章5~7節)と語っている。

 

David M. Knight=米国のカトリック、メンフィス教区の主任司祭。洗礼の5つの神秘に基礎を置く霊的成長を確信する運動「Immersed in Christ」の指導者でもある。元イエズス会士で、神学博士号、19か国で50年にわたる宣教活動を経験し、40冊の著作がある。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

2020年9月12日

・バチカンが前向きな中国との暫定合意は「何も成果を生んでいない」と専門家が批判(CRUX)

(2020.9.7 Crux SENIOR CORRESPONDENT Elise Ann Allen

 ROME –今月下旬に期限を迎える中国との司教任命に関する暫定合意ーバチカンは延長する姿勢を見せているが、カトリックの中国問題の有力専門家は、「バチカンの中国との対話に前向きな姿勢は理解できるが、暫定合意からこれまで2年間に何も目に見える成果は出ていない」と無条件の延長に否定的な考えを示している。

 カトリックのアジアでの有力ニュース・メディア Asia News の代表で、中国本土での宣教活動の経験を持つベルナルド・セルベッラ神父は、4日開かれたカトリック系の自主組織 Acton Institute主催のオンライン会議で語ったもの。

*バチカンは暫定合意を”賛美”しているが、中国側は”沈黙”を続けている

 神父は、新型コロナウイルスの世界的大感染と香港への中国国家安全維持法導入という事態の中に中国を位置付けたうえで、「バチカンの関係幹部の多くは暫定合意を肯定的にとらえ、成果を生んでいる、としていますが、一方の中国はこの暫定合意について何も発言していません」と指摘。その証拠として、中国共産党機関紙の人民日報の系列英語新聞であるGlobal Timesに掲載された記事が「バチカンは暫定合意を称賛している、と書く一方で、中国政府の幹部への言及や、その発言は載せていない」ことを挙げた。

 このように、中国が暫定合意について沈黙を続けているということから、二つのことが考えられるー中国共産党が「暫定合意を自分たちにとって有益なもの」と考えている、あるいは、「かけ金の高さに見合う形で、すべてを期待する」というサインをバチカンに送っているか。この場合の「すべて」とは、「バチカンが、中国がやることに全て同意し、台湾との対話を止めねばならない」ということを意味すると考えられる、と述べた。

*中国の狙いはバチカンと外交関係を樹立し、台湾と断交させること

 そして、「中国の外相がバチカンとの関係樹立に強い関心をもっていることが、中国側の根本的な動機であるのは、確かなこと… なぜなら、(注:台湾との断交を意味する)バチカンと中国の外交関係樹立が、欧州で唯一の大使館をバチカンに置いている(注:外交関係を維持している)台湾を、欧州から完全に追い出すことになるからです」と中国の狙いを説明した。

 現在、台湾と外交関係を結んでいるのは、世界でわずかに15か国。欧州ではバチカンただ一国だ。毛沢東によって1949年、中国に共産党政権が樹立されて以来、聖ヨハネ・パウロ2世やベネディクト16世を含む歴代の教皇による試みにもかかわらず、中国との外交関係の扉は閉じられている。

 セルベッラ神父は「バチカンが中国と対話に魅力を感じている理由は、理解できます… 中国がバチカンとの外交関係を望んだことはなく、常に窓を閉めていた。対話を希望しなかった。だから、極めて細い対話の糸を手にしたバチカンが、それを大事にしようとするのは分かります」としながら、「暫定合意後これまで2年の間に、少しの成果も出ていません」と否定的な見方をした。

*中国側が認めた司教は、合意前に決まっていた

 「暫定合意は、新司教を任命するためのものであるはずですが、合意後に新たに司教とされた者は事実上、一人もいません。この2年間で、2人が司教に任命され、3人が中国政府に司教として認められましたが、いずれも、実際は、2018年秋の暫定合意以前に司教に選ばれていた人たちばかりです… 今後の結果には期待したいが、これまでのことは暫定合意による成果とはいえません」と言明。

 また神父は、新型コロナウイルスの大感染の視点から、アジア地域において近年、自分が注目する要素が三つあり、そのいくらかは、新型コロナと香港での抗議活動の中で一段と明確になっている、とし、「中国を含むアジアの経済が新型コロナによって屈服させられただけでなく、リーダーたちが傲慢さを増しています」と指摘した。

*中国、パキスタン、タイ…新型コロナ禍で加速する独裁の動き

 そして、「それは彼らにとって、『公明正大な人物だ』というポーズを続ける必要が、もはやなくなった、ということを意味するように思われます… 彼らは皆、今後何十年も続くであろう独裁の信奉者に変容しつつある」と述べ、こうした新しい流れの犠牲者として、中国、パキスタン、タイを挙げ、その結果、「リーダーたちは、いとも簡単に、国際社会の批判を受けることなく、人権を、とくに小数派の人々の権利を抑圧することになり得るのです」と警告した。

 こうした傾向をとともに、最近目立ってきているのは、「自分の人生や仕事に意味を見出したい」と希望する若い人々の間に、伝統的、固定的な見方をしない者が増えていること、であり、「アジアの文化は伝統時に共同体社会の中心に位置付けられてきたが、若い人々の間には、『自分たちを取り巻く状況が自分個人にとってどういうことを意味するのか』に関心が絞られる傾向が高まっている… この非常に新しい傾向が、アジアの多くの地域で動揺を生み出している」と述べた。

*香港の若者たちは自由のために活動を続けている

 そして、その顕著な例は、「13,4歳の若年層も含む若者たちが中心になって大規模な抗議行動を展開して来た香港に表れている。香港では、昨年6月以来の抗議活動で、中国本土への犯人引き渡しを認める法案を撤回させることに成功したものの、それを受けた中国政府が、国家安全維持法の香港への導入という”直接介入”に踏み切り、同法を根拠に、抗議活動を「テロ」「政府転覆」「外国勢力による内政干渉」などの罪で抑え込みに出ている。

 「香港の若者たちは、中国政府、香港行政府による人権抑圧に抗議することで、自分たちを様々な危険に晒すことを余儀なくされている。職を奪われ、高校や大学から追い出される危険もある。それでも、活動を続けるのは、何のためでしょうか。自由のためなのです… 彼らは、宗教的原理主義、イデオロギーに打ち勝ちたい、と考えています」と説明。

 さらに、「中国では、誰も共産主義を信じていない。誰も、です。多くの人は、共産主義を信じているのではなく、社会的な便益を得るために、”共産主義の木”の下に身を置いているのです」としたうえで、「中国では、あなたのような人は常に有罪とされ、無実を証明しなければなりません。(注:民主主義国のように)有罪が証明されるまで、罪に問われない、のではない。その逆です… すべては党に奉仕するのです」と述べ、そのような中国の”支配下”に置かれつつある香港の人々に懸念を示した。

*急拡大するアジアの教会、だが6割の国で信教の自由が侵されている

 また神父は、急速な拡大が目立つアジア地域のカトリック教会の現状に触れ、世界人口の半分以上、約30億人ないし40億人がいるアジアに、約1億2000万人から1億3000万人のカトリック教徒がいるが、「アジア諸国の少なくとも6割は信教の自由に問題を抱えています。迫害され、宗教の自由を制限される教会は、毎年5%づつ増加えている」と問題を指摘する一方、欧州の教会については、「キリスト教徒の移民・難民が流入しているおかげで、欧州全体としての信徒数は、横ばいを維持していますが、アジアやアフリカなど他の地域と比べ、福音宣教の勢いはほとんどありません」と指摘した。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。

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2020年9月8日

・”ほほえみの教皇”ヨハネ・パウロ1世教皇選出から42年、列聖の準備進む

*公会議に”普遍教会”の息吹を感じた

 第二バチカン公会議の分科会で、未来の教皇は”普遍教会”を強く体験した。1963年に自分の教区の信徒たちにあてた手紙にこう書いていた。「公会議の議場で、私の目の前の階段に目を上げるだけで十分です… そこには、現地で宣教する司教たちのひげ、アフリカ人の黒い顔、突き出たアジア人の頬骨… そして、彼らといくつかの言葉を交わすことで十分。将来への展望と今求められていることが、明らかになります… 私たちはそれについて名案がないことも」。

 言い換えれば、彼は、公会議に”キリスト教的楽観主義”の息吹を感じ、それが、相対主義的な文化についての”広範な悲観主義”に対して、公会議の果実となることを約束するものだったのだ。

*列聖調査の最終段階、奇跡の有無の判断

 ヨハネ・パウロ1世を列聖する動きは2003年に始まっている。ベニス大司教区での3年間の調査を経て、報告書が2006年にバチカンに提出され、担当の列聖省による関係者の証言と関係書類の綿密な調査・検討で、2017年11月に結論が出された。現在は、聖人と認めるのに必要な「奇跡」についての調査が行われている。具体的には、アルゼンチンのブエノスアイレス大司教区で起きた「ヨハネ・パウロ1世の執り成しによる特別の癒し」についてだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2020年8月27日

・アジア司教協議会連盟(FABC)は”会議のための集まり”から”実行力”のある連合体”に変わる必要(LaCroix)

'Querida Amazonia' asks Asian bishops to change path

 2015年1月にフィリピン・セブ市で開かれた第51回国際聖体大会の開催ミサ・前列左にアジア司教協議会連盟のボー会長(ミャンマー枢機卿=Photo by EPA/JAY ROMMEL LABRA/MaxPPP)

 

*アマゾン地域シノドス受けた使徒的勧告で教皇の姿勢は明白に

 昨年10月のアマゾン地域シノドス(代表司教会議)を受けて今年3月に発表された教皇フランシスの使徒的勧告は、スペイン語版で「Querida Amazonia(愛するアマゾン)」と題されていが、英語版は「The Amazon: New Paths for the Church and for an Integral Ecology(アマゾン:教会と統合生態学のための新しい道)」とされていた

 この文書の発表後、一部の評論家は「教会の重心が欧州から”辺境の地”に移った」と指摘した。 先住民族の教会や教会の女性など、これまで無視されてきたいくつかの分野に焦点を当てていたからだ。

 教皇フランシスコが就任から7年目に入った今、教会の内部にいくつかの変化が起きている。教皇は、司祭や司教だけでなく、貧しい人々、女性、そして社会から取り残された人々の話を聞くことに、より大きなウエイトを置いており、教会が協働制を実践するよう、強く働きかけている。

 

*アジアの教会の協働制

 アジアの司教たちが一堂に会したのは、1970年、マニラで当時の教皇、聖パウロ6世臨席の会議だ。この会議で、アジアの司教たちで恒久的な組織を作ろう、ということになり、翌1971年3月に香港で準備会議が開かれた。

 だが、バチカンの教皇庁はこの考えに反対し、在香港のバチカン代表を通じて、司教たちに、そのまま帰国するよう求めた。バチカンがそのような行動に出たのは、当時、ラテンアメリカ司教会議(CELAM)がバチカンとの間で論争を起こしており、アジアに地域の司教協議会ができることで、アジアでも同じことが起きるのを懸念したため、と見られた。

 第二バチカン公会議の7年前に発足したCELAMは、後に「解放の神学」と言われるようになった、貧しい人々の側に立つ神学的考えをもとに進歩的な活動を始め、ラテンアメリカ各国に広がった富裕層を背景にした軍事独裁政権と対峙するようになった。 これに対し、当時の教皇パウロ6世は、こうした解放神学を基にした動きを抑えようと動いたことが背景にある。

 だが、その後、パウロ6世は、アジアの指導的な司教たちーマニラ、ジャカルタ、ムンバイ、コロンボの枢機卿ーから、直接、話を聞き、アジアに司教たちの組織を作る必要を理解。「アジアの文化とアジアの人々の信仰心を生かす形で、教会の福音宣教に役立てる」ことを目的としたアジア司教協議会連盟(FABC)が1972年に発足した。

 それ以来、約半世紀の間に、アジアの司教や神学者たちは、いくつかの文書の取りまとめやセミナーの開催などを通じて教会に貢献した功績が認められる。だが、残念なことに、FABCは各国の司教協議会による、決定を実行する権限のない”任意団体”として作られ、実行はそれぞれの司教協議会に任され、最終的には司教それぞれの判断に委ねられている。つまり、FABCがアジアの教会をその決定に従わせるような仕組みは、存在しないのだ。

 連合体としてのFABCを活性化し、教会の協働制を前に進めるために、アジアの司教たちはアマゾン地域シノドスの準備に使われた手法に倣う必要がある。アマゾン地域シノドスでは、現地の指導者たちが模範的なやり方で意見を求められた。

 だが、FABCではこのようなことは起こらない。現地の教会の指導者たちは、FABCの活動についてほどんど何も知らされず、単に相談を受けたり、話を聞かれるだけだ。そうしたプログラムの後で、最終文書を出すが、司祭や信徒たちからほとんど無視されている。

*アジアの夢

 アマゾン地域シノドスを受けて教皇が出された使徒的勧告では、この地域の「社会」「文化」「生態系」「教会」の4つの夢について、はっきりと語られている。

 「社会」の夢は、貧しい人々の声が聴かれ、彼らの生活が力のあるものとなる世界だ。「文化」の夢は、現地の文化を異なる共同体によって認められ、受け入れられ、「植民地化」が終わることを目指す。「生態系」の夢は、環境に配慮し、森林破壊を阻止するために働くこと。そして、「教会」の夢は、皆が秘跡に与ることができ、典礼が現地の文化を受け入れ、宣教師と、男女の信徒たちが貧しい人々を守るという司牧の義務を果たせるようにすることだ。

 この4つの夢すべては、アジアの教会の活動に当てはめることができ、FABCの第5回総会で議論された「教会であるための新しい道」に向けて歩む助けとなる。

 FABCを、教会の活動と使命をより良いものとするための決定を実行する権限を持つ組織とするために、現在のような”任意団体”であることをやめねばならない。そして、各司教協議会の間での決定の実施について評価する方法を工夫する必要がある。

 森林破壊、耕地の砂漠化、資源の不法な採掘、その他、現地の自然を利用して暮らしている村の人々の土地や資源が破壊されることで、何百万人ものアジアの貧困層が苦難に追いやられている。多国籍企業の利益だけを目的とする偏った開発政策で、何百万もの人々が暮らしの糧を奪われ、国内難民となるのを余儀なくされている。

 タール砂漠(インド北西部とパキスタン南東部のインダス川東方の砂漠)は拡大を続け、ヒマラヤを水源とするアジアの多くの河川の流域の草原や山林の生態系が脅威にさらされている。森林破壊と都市化はアジアの熱帯雨林を脅かし、豊かな生物多様性の存続を危うくしている。

 環境破壊は人間の存在そのものにとっても脅威を増している。生存に不可欠な飲料水が、少なくともアジアの一部の地域では不足しており、気温の上昇、河川の環境悪化、洪水、台風、地震などの自然災害が頻繁に起きることで、さらに不足する。

 アジアの教会は、このような問題に対処するための政策形成に加わり、環境保全に関する諸律法を策定し、施行し、運用し、順守するための積極的な主体となる道を見つけねばならない。FABCは、アジアに住む人々に正義が行われるよう努める教会の主体となるために、その地位を、「会議を開く集まり」よりも高くすることが、求められているのだ。

 各国の司教協議会は、大規模な開発計画を評価し、声を上げることのできない貧しい人々、少数民族、土着の共同体社会のために、そうした計画に影響を与えるような「環境正義委員会」を設けることが可能だ。国によって、司教たちは自分の国の不正な開発計画を批判することを、たじろぐかも知れない。だが、FABCは多国籍の主体として、そのような”搾取”的な開発計画を止めるために国際的な関心を惹きつけ、行動することができる。教皇フランシスコは、環境はキリスト教の神学の一部だ、と強調されている。

 司祭や修道者の育成もまた、教皇が「Querida Amazonia」で言われる「新しい聖職」を取り入れるために、変わらなければならない。今や、アジアの神学校は、この使徒的勧告の視点から、アジアの司牧活動の要請に応えるよう、カリキュラムを改める時を迎えているのだ。 FABC以外に、誰がその仕事を引き受けるだろうか?

 FABCは厳密には司教たちの集まりだが、「人々中心」にならねばならない。現在のFABCはほとんどの場合、司教たちと神学の専門家たちの排他的な会合の場所になっている。その閉鎖的な会合の前後に、アジアの、社会から疎外された人々、貧しい人々、女性たち、少数民族、先住民の集団の声を聴く必要がある。彼らの声を熱心に聴くことは、「Querida Amazonia」が提示する教科の一つだ。”閉鎖的な神学化”の時代は終わったのだ。

 2022年に、FABCは創立50周年を迎える。その時、創立した世代の人々はすでにこの世にいない。新世代の人々は、現在のFABCの果たすべき役割と使命をどう考えるかで迷うべきではない。アジアで果たすべき使命を活性化させるために、このユニークなアジアのカトリックの組織のもつ強さ、弱さ、機会、そして恐れを、まず、評価する必要がある。

・・・ Reid Shelton Fernando神父は、スリランカの著名な人権擁護家。大学講師を務め、 the Young Christian Workers Movementの指導司祭をしていた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2020年8月26日

(解説)「連帯し祈るように」と呼びかける教皇、何もしない日本・”信仰ゆえの迫害犠牲者”の国際デーに

(2020.8.24 カトリック・あい)

*教皇は就任時からずっと宗教迫害の悲惨さを取り上げ、祈りと連帯を呼び掛けられている

 教皇フランシスコは、2013年の就任以来、教会のリーダーとしての立場から、宗教、信条を守ろうとして犠牲になる人々の問題を繰り返し取り上げられてきた。就任直後の4月には、キリスト教徒として最初の殉教者である聖ステファノについて言及したうえで、「殉教者の時代はまだ終わっていません。今日でも、実際には教会には最初の1世紀よりも多くの殉教者がいると言えます。多くの男女が、イエスに対する憎しみ、信仰に対する憎しみの犠牲になっている。多くの国で、迫害されています」と訴えられた。

 翌年3月にも、「私たちは、かつて多くのキリスト教徒が、ナチスの収容所、共産主義者の収容所で苦しめられたことを忘れがちです。そして、今も、キリスト教徒であろうとするために…。聖書を持っていることで非難され、十字架を身に着けることができない…  迫害されているため、皆で一緒に祈ることができす、福音を聞くことも、聖書は持つこともできない」と迫害を受ける人々に思いをはせられた。

 さらに、今年4月29日の一般謁見での「山上の説教」をテーマにしたカテケーシスでは、「精神の貧しい人々、嘆き悲しむ人々、柔和な人々、神聖さ、慈悲を渇望する人々、心の清い人々、平和主義者たちは、キリストのために迫害に遭うかも知れません… 今この瞬間、世界中の多くのキリスト教徒が迫害に苦しんでいるのを思い浮かべるのは辛いことです。彼らへの迫害がすぐにも終わるよう望み、祈らなければなりません。私たちキリスト教徒は一つの体。迫害に遭っている人々は、血を流しているキリストの手と足です」と祈りと連帯を呼び掛けられている。

2020年8月24日

・新型コロナ後の教会-”説教調””命令調”から”相互調””対話調”に変わる必要(LaCroix)

(2020.8.19 LaCroix  Michael Kelly SJ

 新型コロナウイルスの世界的大感染が終息したとして、その後に「絶対に同じことが起きない」というのは自明の理だろうか、それとも、起きるだろうか?

 私の友人で、第一線を退いた司祭が最近、新型ウイルス感染防止のための”全面封鎖”にどう対処しているのか、話してくれたー何年か前に30日間の大黙想している間に学んだ”習慣”を実践しているのだ、と。

 「3月下旬、新型ウイルスで”全面封鎖”に入った時、黙想の初めに学んだことをすぐに実行に移した。それは、毎日、決まった時間割を組むことだ」「毎日、同じ時間に起き、ヒゲを剃り、清潔な服を着て、聖堂で時を過ごし、朝食をとる、という具合だ。昼食を終えるとすぐに50分以上歩く… それがきちんとできるのが、とてもうれしいよ」。

 習慣を守り、続けるのは、”完全封鎖”に対処する一つのやり方だ。

 共有された習慣は、当然ながら、人々が共有できる文化を形成する。郊外や村に住む隣人、同じコーヒーショップや運動施設に通う友人たち、同じ教会に出かけ、同じ時間にミサに与る人たちと、共有できる。

 あるいは、そうではないか。

 ある友人とメールのやりとりをしている。彼はオーストラリアを代表するオンライン旅行会社を作り、交通機関や宿泊施設のオンラインによる予約システムをj開発した人物だが、意見が一致したのは、我々の大部分にとって、どのようなことがこれから起きるとしても、それを神はご存じで、我々がやるのはそれを見つけることだ、ということだ。

 それは、これまでそうだったように、我々は自分の人生と行動を取り仕切ることができず、”ニューノーマル(新しい日常、生活様式)”がどうなるにしても、それがはっきりするまで何年もかかるだろうからだ。ものごとをしてきたやり方は、復活させるやり方ではない。もう一度、始めねばならないのだ。

 習慣を共有することが、意識しなくても、知らず知らずになされる可能性がある。そして、カトリックの小教区の日常活動の多くは、非常に長い間、そのようなものだった。だが、ここ4,50年の習慣的にミサに与る信徒の減少が証明するように、習慣を壊すと文化が消える。

 これは、いつかは明らかになるであろう新型コロナウイルス後の世界で、カトリック教会よりもはるかに多く直面する現実だ。

 小売業、旅行業、接客業、あるいは関連産業や雇用創出業に従事している人に聞いてみて欲しい。彼らの未来は不透明であり、行動と相互作用の習慣の破綻に脆弱だ。生真面目な人にとって、日々の枠組みと過程を設定することは、将来の計画を立てる一つのやり方だ。それが、私の年長の友人が自分自身のためにしたことだが、そのやり方は、個人としてのものであり、取り組みは個人主義的だ。

 教会は共同体の建物であり、秘跡は共同体のイベントだ。教会を「メンバーが演習の手順に従い、ドラムに合わせて行進する軍事教練隊」とすることができないなら、個々人の行動様式で共同体の復興の要件を満たすことはないだろう。

 信仰と同様に民族的なアイデンティティーで結ばれた”部族化”された共同体の性格がもっと強ければ、カトリック教会は、共同体的な活動へ機械的に近づくことで、もっと容易に効果を上げただろう。

 教会が、国籍によるつながりを弱め、グローバル化される現在、カトリック教会は”すべての国に福音を伝える”使命を遂行するうえで、新たな領域に範囲を広げている。そして、教会が持ち運ぶいくつかの”お荷物”を考慮せねばならないだろう-それは地球上のいくつかの地域で、打ち壊そうとする力が働いているにもかかわらず、依然として保ち続けられている指導部があるとすれば、あまりにも明白なことだ。

 陸軍の小隊を預かる上級曹長にとって最も適切な”指揮統制”のやり方は、長い間、教会の指導部に期待されてきたものだったー命令を出せば、従順な部隊は指示通りに動く。それは、「聖職者優位の位階制社会」、あるいは、民主的な文化が「”専門家”、”権威者”、そして諸制度と社会全体における役人から出される指示よりも、広告業者がもたらす社会的影響によって形成」される以前に存在した「権威主義的な文化」の中では、機能したかもしれない。

 そうした”お荷物”を処分するために、カトリック教会は「ごく稀に、その行動の中に明白となる何か」を学ぶことが必要となるだろう。教会がメッセージを伝え、使命を果たすためには、メッセージと使命が実際に恩恵をもたらすのだということに、人々を惹きつけ、説得する必要がある。

 度が過ぎた教会の公共的な存在と長広舌は、”監禁”状態の聴衆ーその意見表明の”卓越した論理”と”完璧な権威”に服従する用意のある人々ーを前提とするが、もはやそのような前提は崩れている。だから、”コロナ後”の教会活動は、”説教調”や”命令調”でなく、”相互作用調”、”対話調”なものとして、再開される必要がある。

 優れた教育は常に2つのことに依拠している。それは、教える者が相手の意見を注意深く聴くこと、そして、互いの意思疎通は、現実の、成長を続ける関係に基礎を置くことで、すべてうまくいく、と認識すること、だ。

 生きている共同体での私のすべての経験は、価値が共有され、人生と信仰の旅における栄養の必要が満たされる、生き生きとした相互作用の土台を基にして生まれてきた。そのための媒体は、親密な関係を招き、献身に報いる、相互的、会話的な行動様式だ。再開が真近下に迫っているそれを、我々はどうするか。新型コロナウイルスで,これまでの習慣がシュレッダーにかけられていしまった状態の中での再開… 我々がどこに連れて行かれるかは、神のみぞ知る。だが、そのことは我々をわくわくさせるー我々はそれを見つけることができるのだ。

(Father Michael Kelly SJ is the CEO of UCAN Services.)

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2020年8月21日

・中国政府・共産党の工作員がオーストラリアの大学構内で学生暴行の証拠映像(Bitter Winter)

 オーストラリアの有力大学の一つ、クィーンズランド大学のキャンパスで昨年7月24日、香港、チベット、新疆ウイグル自治区の人々への中国政府・共産党の重大、かつ大規模な人権侵害を批判する小規模な集会をしていた学生たちが、中国政府・共産党の指示を受けて、”潜入”した国家安全部の工作員とみられる3人に襲われ、被害者の学生は大学当局によって守られるどころか、退学処分を受けた問題は、米国のワシントンポストやニューヨークタイムス、フォーリンポリシーなど有力紙、有力外交誌に報じられ、現在、現地オーストラリアで裁判になっている。

 この問題で、被害者たちのリーダー格、ドルー・パブロウ君の代理弁護人が16日、彼らが大学キャンパスの集会で襲われ、暴力を振るわれた場面を撮影した動画と静止画を公開した。代理弁護人の説明によると、動画などには、パブロウ君ら3人が車座になって、キャンパスの学生たちに中国政府・共産党の人権蹂躙に抗議をメガホンで呼び掛けていると、中国国家安全部の工作員3人が密かに近づき、一人がパブロウ君に襲い掛かった。彼が身をかわそうとすると工作員のリーダーと思われる男が彼の頭と胸を殴りつけ、メガホンを奪い、その場から連れ出した、その一部始終が撮影されている。

 

 証拠写真=白いスウェットシャツに白のパーカーを着た中国国家安全部の工作員チームのリーダーが携帯マイクで指示を与えている。

 

The attack team leader.

 

Sitting cross-legged, Drew Pavlou holding a megaphone in one hand and in the other a placard “Close the Confucius Institute,” chants “Hey hey ho ho Xi Jinping has got to go.”

Students were chanting peacefully when they were attacked.

The MSS operative grabs the megaphone with both hands and hurls it over Drew Pavlou’s head towards Merlo Coffee.

One of the operatives attacks Pavlou.

The three CCP operatives, wearing trademark sunglasses.
 この事件のあった翌日、昨年7月25日、中国の在ブリスベン総領事、徐傑氏は、この”行動”をクイーンズランド大学における「反中国の分離主義活動」に対する行為として賞賛。中国共産党の機関紙の英語版、Global Timesは、パブロウ君らを「分離主義者」と決めつけ、中国共産党の”戦狼外交”の継続的な標的とすることを示唆した。
中国は6月30日に香港国家安全維持法を施行し、香港以外の国・地域で「分離主義」活動をする者を中国人、外国人の区別なく有罪とする条文を盛り込んでおり、パブロウ君らもその危険に晒されている。

 オーストラリア政府は最近、政治、社会、経済、大学など他分野での中国の影響力増大や香港や新疆ウイグル自治区での住民弾圧に批判的な姿勢を強め、排除に動き始めているが、昨年7月の事件の際には、マリセ・ペイン外相が、徐総領事の発言を「破壊的、潜在的な暴力的行為を奨励するもの」と批判。駐オーストラリア米国大使もオーストラリアの大学キャンパスでの言論の自由の権利を強調し、外相の発言を支持する考えを強調している。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)

 

2020年8月17日

・信徒の権利を軽視し聖職者を中心に置く教会を”埋葬”する時だ(LaCroix)

*ヨハネ・パウロ二世は教会改革の流れを逆行させ、改革派は脇に追いやられた

    今日のカトリック教会にとって最大の脅威は何だろう?分裂?それとも、原理主義の聖職者勢力の増大?

 今年90歳になるスペイン人司祭、ホセ・マリア・カスティージョ師は、後者だと確信している。彼は、第二バチカン公会議(1962~65年)に続く数十年の間、中南米などで最も影響力のある神学者の1人。その著書は公会議直後は、スペイン語を話す多くの神学校や大学で必読の書だった。だが、公会議からしばらく経つを、そうではなくなった。

 公会議が閉幕して十年余りたった1978年に教皇に就任したヨハネ・パウロ二世は、カスティージョ師のような神学者が主張していた教会改革にブレーキをかけ、公会議で出された諸文書の解釈と適用を入念に狭める”復古”プロジェクトを始めた。その一つは、”従順”で教義的に保守の立場をとる者を司教に任命することだった。彼らは司教に任命されると、バチカンの教理省の助けを得て、カルティージョ師のような神学者を黙らせ、脇に追いやるようになった。

 

*教皇フランシスコの下で”公会議派”の神学者が復活

 だが、2013年にイエズス会のホルヘ・マリオ・ベルゴリオが教皇に選出されると、そうした神学者たちは活気を取り戻した。教皇フランシスコは、公式の”復職”命令書なしに、彼が再びもたらしたカトリック教会改革への議論、討論そして識別の過程に、彼らが加わることを認めからだ。

 教皇就任からわずか7年で、教会の雰囲気が様変わりしたのは驚くべきことだ。公会議が示した典礼改革に最も精通した古株のバチカン幹部、ピエロ・マリーニ大司教はフランシスコの教皇選出直後、「私たちはこれまで、”沼地の空気”を吸ってきた」と語り、教会改革再始動へ 期待を示していた。

 とは言え、世界を代表する地球環境の擁護者として世界的に名をはせる教皇も、自らのカトリック教会の古く、息苦しい環境を完全に浄化するに至っていない。バチカンだけでなく世界中に、教会政治に影響力のある司祭、司教、枢機卿がおり、83歳の教皇が聖職者の特権を脅かす可能性のある変更を加えるのを妨げるために、出来る限りのことをしているのだ。

 

*だが保守派の根強い反抗は続いている

 教皇の取り組みを抑えるために彼らが使う悪意のあるやり方は、教会の分裂の恐怖を絶えず煽ることだ。一部のバチカン専門家は、昨年のアマゾン地域シノドスで、教皇が前向きだった既婚司祭と女性の助祭叙階の条件付き容認が最終文書に盛り込まれなかった背景にある、と見ている。

 「バチカンでは、保守的な聖職者を代表する枢機卿、司教など高位聖職者モンシニョールの考えと関心が、アマゾン地域に住む何十万人もの信徒が求めている事よりも、優先されるのです」とカスティージョ師は落胆を隠さない。彼は、ウエブサイトReligiónDigitalの2月17日付けの記事で、「そのような継続的で偏った対応が、教会にもたらす脅威は、考えられるあらゆる分裂よりも、はるかに深刻です」と警告した。こうした保守的な聖職者は、12憶人と言われる世界のカトリックのごく一部でしかないにもかかわらず、その信徒たちの権利を大きく侵害しているのだ。

 カスティージョ師は、第二バチカン公会議が発出した主要文書のひとつ、教会憲章の37項「信徒と聖職位階との関係」を引用してこう語った。「一般信徒は、すべてのキリスト信者と同様、聖職にある牧者から、教会の種々の霊的善、とくに神の言葉を秘跡の助けを豊かに受ける権利を有しているのです」。

*神の民を養う義務が最優先のはずが…

 すべての権利には義務がある。カトリック教会の場合、信徒に秘跡を授けることが、教会の霊的牧者(まず第一に司教)の義務であり責任だ。だが、アマゾン地域シノドスで、司教たちはそれを果たさなかった。聖体祭儀を執り行うことのできる司祭が不足している、アマゾン以外の多くの地域でも、それを果たしていない。

 「信徒たちの秘跡を受ける権利に適切に対応することは、教会当局にとって差し迫った義務なのです」とカスティージョ師は訴えた。「原理主義者と保守的な聖職者の主張を退けても、教皇が対応する必要のある義務です… 初期教会には、どの教会共同体にも、司牧者を選ぶ権利が認められ、司牧者の振る舞いが自分たちの任務と合わない場合は、退任させる権利もありました」。

 

*優先順位が完全に逆転し、聖職者優先に

 だが、「今、そうした優先順位が完全に逆転してしまっている… 何十万人ものカトリック信徒が福音の恵みを諦めることに繋がる場合でも、聖職者の利益と利便性が優先されている」とカスティージョ師は語り、そうした現状を改めるには、「二つの決定をこれまで以上に強く推進する必要があり、それは①既婚者の司祭叙階②教会の置ける権利の男女平等の確立です」と言明。

 さらに「司教たちは、教皇がそうするのを待つべきでも、そうするこを期待するべきでもない… 今、司教たちは自らの責任を果たす行動をとることができる。その最初のステップは、既婚男性を司祭に叙階することの許可を教皇に正式に求めることです」と提案した。

 

*教会法に可能性が…

 そして実際に、アマゾン地域シノドスで司教たちはそれを”提案”したが、彼らは、シノドス事務局長のロレンツォ・バルディッセーリ枢機卿のように些細なことにこだわる人々に対して、教会法用語を使ってしまった。実際には、司教あるいは司教協議会(あるいはシノドス)が既婚男性の司祭叙階の要請に応じることは可能だ。

 教会法は実際に、その可能性を予見している。「妻帯している男性」は司祭叙階を妨げられる(1042条1項)としたうえで、聖座は特別にこの障害を免除できる(1047条2項3節参照)と述べているからだ。しばしば言えるのは、うまく願えば、望むものを手に入れやすくなる、ということだ。カトリック教会では、教皇フランシスコの治世においても、”教会法”的に願えば、さらに良い結果が得られる。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2020年8月15日

・カトリック信徒の香港メディア王逮捕、教皇は、教会は、どう対応(Crux)

(2020.8.13 Crux  SENIOR CORRESPONDENT Elise Ann Allen

ROME –今週初め、著名なカトリックの億万長者で香港メディア界の大物、黎智英(ジミー・ライ)氏が、香港国家安全維持法が禁止する外国勢力との共謀、陰謀を企てたとして、彼の子弟2人、同氏が運営するインターネットメディアの幹部2人とともに、香港警察に逮捕された。

 黎氏らは11日深夜に保釈され、社主を務める「蘋果日報」本社に戻ると社員や応援者たちから一斉に歓声が起こった。だが、今後起訴され、有罪判決を受けた場合、最高10年の懲役刑に処され、さらに「重大な性質」の罪を犯したと判断されれば、最悪の場合、死刑となる恐れさえある。

 72歳のカトリック信徒である黎氏は、中国批判で最も”悪名”高い香港の有力日刊紙「蘋果日報」を創立する前、ファッション・チェーンGiordanoの企業に成功し、財を成した。また、6月30日に発効した香港国家安全維持法や、それ以前からの中国政府・共産党の香港人に対する人権侵害、信教の自由の侵犯を厳しく批判することで多くの人から支持され、香港のカトリックのリーダーの支持者としても知られた存在だ。

 黎氏が支持する著名な人物の1人は、香港の名誉司教である陳日君・枢機卿だ。枢機卿は、中国本土でのカトリック信徒に対する迫害を公然と批判し、バチカンが中国政府と結んだ中国国内における司教任命に関する暫定合意に対しても、そうした迫害行為の容認につながるとして強く批判してきた。また、香港の民主化運動を資金面から助けてきた、と言われている。

 香港の教会のリーダーの一人である陳枢機卿は2005年に、黎氏から300万香港ドル(約38万7000米ドル)の寄付を受けたことについて話していた。日刊紙South China Morning Postによると、これを含めてこれまでの寄付の総額は約2000万ドルにのぼるが、その用途について、枢機卿は、「教皇に忠誠を誓い、中国政府・共産党の管理・統制を受けることを拒否する中国本土の”地下教会”」に対する支援、司祭たちを勉学のためにローマに送ったり、枢機卿自身が教皇に会いに行くための旅費などに当てられている、と説明したという。

 最近のいくつもの新聞などとのインタビューで、陳枢機卿は、香港の民主活動家など人権を守ろうとする人々には「奇跡」が必要なこと、自分自身は香港国家安全維持法で逮捕される用意ができていること、そして、この法律は「香港における民主主義と自由の終焉を意味する」と語っている。

 枢機卿はCruxとの先月のインタビューでも、新法は「すべての終わり」であり、香港は今、「中国の他のところと同じになった。一国二制度を定めた香港基本法は終わりました」と述べていた。今回の黎氏の逮捕については、コメントを拒否した。

 香港のカトリック教会のもう一人のリーダーである香港教区の使徒的管理者、湯漢・枢機卿は、教区の週報で「香港国家安全維持法が信教の自由への脅威になるとは考えていない」と短く述べる以外に、同法の施行とその後の中国政府や香港当局の動きについて、公の声明などを出していない。また、湯枢機卿の先の短い発言の後、陳枢機卿は、「湯枢機卿が中国当局をなだめるためにそうした発言をしたが、それは彼自身の本当の立場を反映したものではない」との見方を示した。

 これまでのところ、カトリック教会の香港のリーダーで、国家安全維持法と香港にとって意味について、新しい安全保障法とその香港への影響について語るカトリック指導者は、湯枢機卿と陳枢機卿の2人だけだ。そして、陳枢機卿は、国家安全維持法の危険性を訴え、あるいは昨年来の香港住民への締め付けなどについて批判し続ける一方で、教皇フランシスコが香港問題に沈黙を続けていることについても批判してきた。

*香港国家安全維持法を強く批判する国連人権高等弁務官との会見で、教皇は何を語ったのか?

 その教皇フランシスコは12日、ミチェル・バチェレ国連人権高等弁務官と会見した。バチェレ高等弁務官は香港国家安全維持法が施行される直前の6月に、「香港に対するいかなる新規の安全維持の法律も「国際的な諸協定に基づく人権を守る義務を、完全に遵守するものでなければならない」とする声明を発表したが、これに中国が強く反発、ジュネーブの中国・国連代表部は声明で「高等弁務官の言明は中国の主権と内政問題への干渉であり、国連憲章の目的と原則に違反する」と反論していた。

 こうした経過から、教皇と高等弁務官の間でどのような意見が交換されたか注目されたが、この会見は非公開で行われ、その内容も公表されていない。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年8月13日