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*「バチカンの金融財政改革は進展、『核』はカテキズムに書き入れたい」と教皇、機上会見で(CRUX)
(2019.11.27 Crux Inés San Martín)
教皇フランシスコは26日午後、ローマへの帰国途上の機中会見で、記者団の質問に答えた。この中で、バチカンで金融財政をめぐるスキャンダルが発覚したことについては「これは実は”成功物語”です。バチカンの内部調査で実態が明らかにされ、新監視体制が機能していることが立証されたからです」と語り、核兵器の保有と配備はともに「不道徳」であり、「カトリック教会のカテキズムに書き込む必要がある」と言明、「国連安全保障理事会の一握りの国が行使する拒否権が考え直される時が来るだろう」と述べた。
*バチカンの財政金融スキャンダル
現在バチカンで起きている財政金融に関係するスキャンダルは、国務省がロンドンの高級住宅街チェルシー地区にある高級百貨店ハロッズが倉庫として使っていた建物を、教皇の慈善活動室から多額の資金を使って購入しようとしたが、複数の中間業者が価格を釣り上げた、とされる問題。関係したバチカンの職員5人がバチカンの金融監督局から職務停止のうえ、取り調べを受け、治安責任者で教皇の個人警備担当者が調査に関連する文書漏洩で辞任している。
これについて教皇は「これは汚職です」と認め、「汚職の疑いのある5人のバチカン職員は、バチカンの司法担当者によって速やかに取り調べを受けることになるでしょう」と説明。
「彼らはクリーンに見えないことをしました… だが、この問題はバチカン外部から明らかにされず(内部から取り上げられた)、バチカンの経済手法に関する改革は、(前教皇)ベネディクト16世と共に始められ、今も継続しています… この問題を明らかにしたのは(改革で創設された)財務情報監視官でした。彼は経理報告に不審な点があるのに気づき、私に書面による申し立てをし、どう対処すべきかを聞いてきたので、法務官に報告するよう指示しました」と語り、「このことは、バチカンの執行機関には今、内部で起きている悪事に光を当てる手段が備わっていることを示すものであり、喜ばしいことです」とされた。
また、問題の5人は無罪との見方があるが、「いずれにしても資金が適切に管理されていなかった(問題がある)」とする一方、「引き出しにお金を入れる」ことで、賢く処理することではない、と慈善活動室の基金の使用を弁護しつつ、基金が価値を失わないように投資するのは賢明だが、お金は、武器の製造業者ではなく、安全で道徳的な案件に回されねばならない、投資は、新しく寄付金が入る年のうちに仕えるように、短期でなければならない、と指摘。
一般的に、基金を使って不動産を購入し、貸し付け、さらにそれを売却すること自体は合法だが、「その後、何が起こったでしょう。スキャンダルです」と述べ、バチカンで腐敗が起きた事実は「醜いことだが、バチカン内部の機関がそれを見つけたのです… バチカンに腐敗があるという事実ではなく、内部システムが機能していることを神に感謝します」と語った。
教皇の今回のタイ、日本訪問の直前にバチカンの金融情報局長が辞任したことについて、さまざまな見方が出ていたが、これについて教皇は「私は彼から話を聞きました。犯罪行為を抑えられなかったのは金融情報局だったようです」と説明。
バチカンの財政金融改革については進歩があったとし、バチカン銀行が現在は、世界の他の銀行と同じような金融業務ができるようになっていることを例に挙げた。また、エグモント・グループ(各国金融犯罪情報収集・分析機関の協力を目的とした集まり。1995年4月に欧州主要国及び米国の関係機関が中心となって発足)に言及し、グループは来年初めにバチカンに関する報告書を発表する予定で調査・分析をを進めているが、バチカンの捜査当局が押収した関係資料を返還するよう求めているが果たされていない、とした。
そして、汚職事件が起訴された後、裁判は一国の主権でなされる、とし、起訴された5人が無罪になることに期待を表明しつつ、彼らの起訴状を書いた検察官について「蓋を鍋の内側から持ち上げた」と、その勇気を称賛した。そして、エグモント・グループについては、「いい仕事をしているので、作業を妨げることはしたくないが、国家主権は、個人的利益よりも重要」との判断を示した。
*「『核兵器の使用は倫理に反する』と教会の教えに書くべきだ」帰国途上の機内会見で
・米国の司教団が教皇の「核兵器のない世界」に賛同、米政府に指導力発揮求める
(2019.11.26 Vatican News Linda Bordoni)
26日朝まで訪日された教皇フランシスコが長崎、広島訪問で「核兵器のない世界の実現」を強く訴え、「核兵器の配備にとどまらず、保有することも不道徳である」と強調されたが、米国のカトリック司教協議会(USCCB)は26日、米国政府に対し、相互に検証可能な核軍縮に向けて世界的な指導力を発揮するよう求める声明を出した。
♰「『偽りや欺瞞の言葉・行動』の現代に、誠実さにおいて知られる者となれ」-上智大学での集い
(2019.11.26 カトリック・あい 南條俊二)
教皇フランシスコは26日朝、離日前の最後の行事として、上智大学を訪問された。ご自身も所属しておられたイエズス会が経営するこの大学の校内で、教皇はまず、イエズス会上智修道院のクルトゥルハイム聖堂で会員たちとミサを捧げられ、その後、修道院で彼らと朝食とり、集いを持たれた。
*少数派だが存在感のある日本の信徒たち、信徒でない人々との互いの尊敬が深まるように
教皇は、この後、大学のホールで講話をされた。講話では、まず、日本滞在の感想を「滞在は短かったが、大変、密度の濃いものでした… 日本でキリスト信徒は少数派ですが、存在感がある。私自身、カトリック教会に対して一般市民が持つ好意的な評価を目にしました」と語られ、「こうした互いの尊敬が、今後も深まっていくといい。日本は効率性と秩序によって特徴づけられていますが、一方で『よりいっそう、人間らしく、思いやりのある、慈しみに満ちた社会を創り出したい』という熱い望みを感じました」と今後への期待を述べられた。
*教育機関は日本の文化に重要な役割、未来のため自主性と自由を保ち続けて
また日本のこれまでの文化、教育については「日本はアジア全体としての思想とさまざまな宗教を融合し、独自の明確なアイデンティティをもつ文化を創り出すことができました。聖フランシスコ・ザビエルが感銘を受けた足利学校は『さまざまな見聞から得られる知識を吸収し伝播する』という日本文化の力を示す好例です」と評価。
そのうえで、「学問、思索、研究に当たる教育機関は、現代文化においても、重要な役割を果たし続けています。ですから、より良い未来のために、その自主性と自由を保ち続けることが必要。大学が未来の指導者を教育する中心的な場あり続けるとするなら、及ぶ限り広い範囲における知識と文化が、教育機関のあらゆる側面が、一層包括的で、機会と社会進出の可能性を創出するような着想を与える者でなければなりません」と、大学を含む教育機関に注文を付けられた。
*上智は、単なる「知的教育の場」でなく「未来を形成する場」「地球環境への懸念を表現する場」に
さらに、上智大学を特定して、あまりにも競争と技術革新に方向づけられた今の社会で、単に「知的教育の場」であるだけでなく、「より良い社会と希望にあふれた未来を形成していくための場」「自然への愛は、アジアの文化に特徴的なもの。私たちの共通の家である地球の(自然環境)保護に向けられる、知的かつ先験的な懸念を表現する場」となるように求められた。
また教皇は上智大学のこれまでを『ヒューマニズム的』『キリスト教的』『国際的アイデンティティ』によって知られ、創立当初から、さまざまな国の出身の教師の存在によって豊かになってきました… 時には対立関係にある国の出身者さえいましたが、全ての教師たちが『日本の若者たちに最高の教育を与えたい』という願いによって結ばれていた」と振り返った。
そして「まさにこれと同じ精神が、皆さんが国の内外で最も困っている人々を応援する様々な形の中に、息づいている。この大学のアイデンティティの、このような側面が、いっそう強化され、現代のテクノロジーの大幅な進歩がより人間的、かつ公正で、環境に責任のある教育に役立つ」との確信を述べられた。
*教員と学生が共に施策と識別の力を深める環境を
教員と学生に対する注文として「共に等しく思索と識別の力を深めていく環境を作り出すよう、(イエズス会の創立者で)上智大学が礎を置く聖イグナチオ・ロヨラの伝統を基に推進していくこと」を挙げた。
*学生は、何が最善かを理解し、責任をもって自由に選ぶ術を習得せずに卒業するな
学生に対しては「『何が最善なのか』を意識的に理解したうえで『責任をもって自由に選択する術』を習得せずに卒業してはなりません」と注意され、「どんなに複雑な状況にあっても、己の行動においては、公正で人間的であり、手本となるような、責任のあることに関心を持つ者」「弱者を決然と擁護する者」「『言葉と行動が偽りや欺瞞』であることが少なくないこの時代にあって、誠実さにおいて知られる者」となることになることを希望された。
*若者たちが教育の単なる受け手でなく、未来の展望や希望を分かち合うモデルを示して
また大学の経営体であるイエズス会への注文として、「イエズス会が計画した『使徒の世界的優先課題』は、『若者と共に歩むことが、世界中で重要な現実である』ことを明確にし、イエズス会のすべての教育機関が、それを促進すべきだ、としています」としたうえで、「昨年秋の若者をテーマにしたシノドス(世界代表司教会議)と関連文書が示しているように、教会全体が希望と関心をもって、世界中の若者たちに注目しています。この大学全体で、若者たちが、単に準備された教育の受け手となるのはなく、若者たち自身も、教育の一翼を担い、自分たちのアイデアを提供し、未来のための展望や希望を分かち合うのです」と述べ、「皆さんの大学が、このような相互のやり取りのモデルを示し、そこから生み出される豊かさと活力で知られる存在となるように」と願われた。
*良い大学での勉学は少数者の特権ではない、貧しい人、疎外された人と共に歩め
さらに、「上智大学のキリスト教とヒューマニズムの伝統は、現代世界において『貧しい人や隅に追いやられた人とともに歩む』という優先事項と完全に一致します-すなわち、現代世界において貧しい人や片隅に追いやられた人と共に歩むことです… 自らの使命に基軸を置く上智大学は、社会的にも文化的にも異なる、と考えられているものを繋ぎ合わせる場となることに常に開かれているべきです。格差や隔たりを減らすことに寄与する教育スタイルを推進する状況を可能にしつつ、疎外された人々が大学のカリキュラムに創造的に関わり、組み入れられていくことです」と、いっそうの力を求められた。
そして、「良質な大学での勉学は、それを『ごく少数の人の特権』とみなさず、『公正と共通善に奉仕する者』であるという自覚を伴うべきです。それは、各自に与えられた分野での奉仕なのです… 貧しい人たちのことを、忘れてはなりません」と注意を与えられた。
*社会に喜びを希望をもたらす使命に加わるように期待
最後に、「上智大学の若者、教員、そして職員の皆さん。以上お話しした私の考えと、この集いが皆さんの人生と今後のこの学び舎での生活において、実を結びますように。主なる神と教会は、皆さんが神の叡智を求め、見い出し、広め、今日の社会に喜びと希望をもたらす、その使命に加わるよう期待しています」と希望を述べられ、ご自身の訪問中の心のこもった温かい歓迎にについて、全ての日本の人々への感謝を表され、講話を締めくくられた。
教皇はこれを最後に、22日夜からの日本訪問の公式行事を終えれ、26日午前羽田発の専用機でローマにもどられた。
♰「原爆の悲劇阻止へ必要なあらゆる仲介を推進して」安倍首相や各界要人、各国大使の集いで
♰「高度に発展した日本では多くの人が疎外され、平和と安定を失っている」東京ドームミサで
♰「孤独の奴隷-霊的貧困との闘いは、皆に課せられた挑戦 」青年たちとの集いで
・教皇、天皇陛下と皇居で会見
・「日本人の魂をもってすれば完全な復興は必ず果たせる」教皇、東日本大震災被災者との集いで
(2019.11.25 バチカン放送)
25日、訪日三日目を迎えた教皇フランシスコは、同日朝、都内のベルサール半蔵門で東日本大震災被災者との集いを持たれた。
集いには、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波、その影響で起きた福島第一原子力発電所事故による被害者たちが参加し、教皇は被災者の代表一人ひとりの手を取り、耳を傾け、励まされた。この後、3人の被災者が、それぞれの体験を通して、災害がもたらしたもの、自分や家族や共同体に与えた影響、困難の中を歩みながら得た思い、未来を見つめる視点を語った。
3人の話を聞いた後、教皇は講話の初めに、地震、津波、原発事故の三つの災害によって言い表せない辛い思いを体験した、すべての人を代表し、大勢の人が被った悲しみと痛み、よりよい未来に広がる希望を伝えてくれた被災者代表たちに感謝を述べられた。そして、1万8千人に上る犠牲者、そして遺族、行方不明者のために、参加者と共に沈黙の祈りを捧げられた。
災害地域の復興に取り組み、現在も仮設住宅に避難し自宅に帰ることができない多くの人々の境遇改善に努める、地方自治体や諸団体、人々の尽力に感謝され、災害直後に迅速に動き、被災者を支えた、日本や世界中の多くの人に感謝された。そして、この集いが「被災者の方々が引き続き多くの必要な助けを得るための、心あるすべての人に訴える呼びかけとなる」ように希望された。
教皇は「一人で『復興』できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません」と語り、「市や町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる人々との出会いが欠かせません」と話された。そして「三つの大災害から8年。日本の方々は、連帯し、根気強く、不屈さをもって、一致団結できる人々であることを示してきました」と述べ、「完全な復興までの先は長くとも、助け合い、頼り合うために一致できる日本の人々の魂をもってすれば、必ず果たすことができます」と激励された。
また教皇は「私たちは、この地球の一部、環境の一部です」として、「天然資源の使用、特に将来のエネルギー源に関して、勇気ある決断をすること、無関心と闘う力のある文化を作るため、働き、歩むことを、最初の一歩とするように」と促された。
そして、福島第一原子力発電所の事故とその余波を思い起こされた教皇は、「科学的・医学的な懸念はもとより、社会構造の回復という大きな課題」を指摘。「地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されません」と述べられた。
関連して教皇は、日本の司教たちが原子力の継続的な使用に対する懸念を指摘し、原子力発電所の廃止を求めたことに言及され、「技術の進歩を人間の進歩の尺度にしたい」という今日の誘惑を前に「ここで立ち止まり、振り返ることの大切さ」を示された。
さらに、「私たちは何者なのか、できれば批判的な目をもって、どのような者になりたいのか、どのような世界を残したいのかを省みることが必要です」と話され、「私たちには未来の世代に対して大きな責任がある、ということに気づかねばなりません」として、「控えめで慎ましい生き方、向き合うべき緊急事態に気づく生き方」を選択するよう促された。
そして、「未来のための新たな道は、一人ひとりと自然界とを大切にする心に基づく道… この道において、私たちは皆、神の道具として、被造界を世話するために、それぞれの文化や経験、自発性や才能に応じた協力ができるのです」と強調された。
最後に、教皇は「三大災害後の復興と再建の継続には、多くの手と多くの心を、一致させねばなりません」と話され、飾らない姿勢で被災者の重荷をやわらげるために献身したすべての人々に、教皇は賛美と感謝を示しながら、こうした思いやりが、すべての人が未来に希望と安定と安心を得るための、歩むべき道のりとなっていくことを祈られた。
(編集「カトリック・あい」)
♰「核兵器の使用と保有は倫理に反する」広島で平和のための集い
(中見出しは「カトリック・あい」が付けました)
・教皇 「焼き場に立つ少年」の写真家の家族にあいさつ(NHK)
「焼き場に立つ少年」の写真
フランシスコ教皇は24日、長崎市の爆心地公園でスピーチを行ったあと、原爆が落とされたあとの長崎で「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した米軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏の息子と会話を交わしました。
焼き場に立つ少年とは
「焼き場に立つ少年」は、アメリカ軍の従軍カメラマンだった、ジョー・オダネル氏が、原爆投下後の長崎で撮影したとしている写真です。この写真には、目を閉じた幼い子を背負いながら、唇をかみしめて直立不動で立ち、まっすぐ前を見つめる10歳ぐらいの少年の姿が写されています。
オダネル氏は、すでに亡くなった弟を背負った少年を写したものだとし、このあと少年が見つめる中で弟は屋外で火葬されたと伝えています。オダネル氏が長崎や広島など日本各地を回り、私用のカメラで撮影したフィルムは、アメリカに帰国したあとも悲惨な記憶とともにトランクの中にしまわれていました。
しかし、オダネル氏は過去と向き合うことを決意し、帰国から40年余りが経過した1989年にトランクを開き、翌1990年には地元・テネシー州で原爆の悲惨さを訴える写真展を開催。アメリカ国内では反発を招いたものの、その後、日本各地でも写真展が開催され、平成19年、2007年には長崎市にある長崎県美術館で「焼き場に立つ少年」が特別公開されました。
長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」は、いまも長崎市の原爆資料館に展示され、戦争の悲惨さを訴え続けています。そして、おととし、平成29年の年末、フランシスコ教皇がこの写真に、みずからの署名と「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、教会関係者に配布するよう指示したことから再び注目を集めました。カードの裏には、教皇のメッセージとともに「この少年は血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」という説明も添えられました。
一方、オダネル氏みずからも来日し、長崎市で少年の行方を探したほか、長崎平和推進協会の写真資料調査部会なども調査を続けていますが、この少年は誰なのか、また撮影された場所はどこなのか、特定には至っていません。
撮影者の息子「誇りに思います」
「焼き場に立つ少年」の写真を撮影した、ジョー・オダネル氏の息子のタイグ・オダネル氏(50)は「フランシスコ教皇に父親が使っていたメダルを見せると、スペイン語で『ありがとう。あなたと父親に祝福を』とおっしゃった。父親が撮影した『焼き場に立つ少年』の写真がきょう、爆心地に掲げられていたことを誇りに思います。世界中の人がこの写真を見て、『長崎の悲惨な経験を繰り返してはならない』と思いを寄せた瞬間になったのではないかと思う」と話していました。
♰「 長崎が原爆で負った傷、現在の多くの罪なき戦争の犠牲者のために、声を上げ、祈ろう」-長崎でのミサ
(2019.11.23 Vatican News Robin Gomes)
教皇フランシスコは王であるキリストの祭日にあたる23日の午後、長崎県営球場に約3万人の信徒を集め、日本で最初のミサを捧げられた。
ミサ中の説教で、教皇はこの日朗読されたルカ福音書(23章35⁻43節)に登場する、イエスと共に十字架にかけられた2人の犯罪人の1人を取り上げ、彼のイエスに対する姿勢と信仰の告白は、(十字架が立てられた)カルワリオの丘が象徴する恐怖と不正を全人類に対する希望のメッセージにする、と説かれた。
その泥棒は「あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」とイエスに願い、イエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と彼に保証された(42節-43節)。教皇は、「この瞬間に、イエスはご自身の人生の全ての意味を確証したのです-いつでも、どこにおいても、救いを与えるためだ、と」と語られた。
♰「核兵器から解放された世界の実現へ、核保有国、非保有国の全ての人の参加が必要だ」-長崎爆心地で訴え