・「私たち1人ひとりが教会、社会が安らぐ存在になろう」菊地大司教の第14主日ミサ説教

年間第十四主日@東京カテドラル

 年間第十四主日のミサ、インターネット配信用に、前晩土曜日の18時に、カテドラルで捧げたミサの説教原稿です。

 この数日、東京では100人を超える感染者が相次いで報告されています。公開ミサをこのまま続けるべきか検討しましたが、感染者が重篤化することの少ない若年層に多いことと、この数日間重症者が少なく、亡くなられる方も出ていないことから、現時点での感染症対策(社会的距離、手指消毒、マスク着用、一斉に歌わない、高齢の方にお待ちいただく)を継続することで、お一人お一人の命を守りながら、もっとも大切な秘跡である聖体祭儀を続けることが可能だろうと判断しています。

 ただ、このまま状況を見守りますが、本日の日曜日も東京都の感染者は100名を超えていますし、今後数日間の感染者、重症者、死者、実効再生産数などに注意を払いながら、判断していきたいと思います。また、現在も、主日のミサにあずかる義務は東京教区のすべての方を対象に免除していますので、少しでも不安がある方には、ご自宅でお祈りを続けてくださるようにお願いいたします。

 以下、説教原稿です。

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【年間第14主日A 東京カテドラル聖マリア大聖堂 (公開配信ミサ) 2020年7月5日前晩ミサの説教】

 今年の初め頃から今に至るまで、感染症が拡大し、この数日は東京で感染者が増大傾向にあるものの、この混乱の中で、教会はどのように動いてきたのでしょうか。

 もちろん、当初から感染予防を心掛け、2月末からはミサも非公開となり、緊急事態宣言が出てからは、すべての活動が停止しました。ですから、今回の事態の中で、教会が全く動いていなかったと、表面的には見えてしまいます。

 今回の事態は、多くの人が命の危機に直面する、ということから、大災害の緊急事態に匹敵しています。私自身が担当している教会の援助団体「カリタスジャパン」でも、今の事態は災害の緊急事態と同等、と見なして、緊急募金と支援活動を行っています。

 とは言え、まずもって密接、密集、密閉を避けねばならない状況にあって、従来の大災害への対応のように、ボランティアを集めて一緒に行動することには、制約があります。実際、2011年以来、仙台教区に日本の教会が設置しているいくつかのボランティアベースでは、一時的に人を集めることを中止にせざるを得ませんでした。その意味で、感染症の下では、従来のような活動には限界があります。

 しかし、同時に、社会全体で自粛が続く中で、雇用環境も悪化し、また病院に出かけることもままならない人が出たり、住居を失14pa1ったり、職を失ったりと、助けを必要とする人は増加しました。

 教皇様は、教皇庁にCovid19委員会を設置され、今回の事態に教会がどのように対応できるのか、統合的人間開発の部署や国際カリタスが協力して取り組むように、と定められました。

 その発足を報告する記者会見で、責任者のタークソン枢機卿は「最初は単に健康問題だったが、経済、雇用、生活スタイル、食料安全保障、AIやインターネットのセキュリティ、政治、政府、政策、研究など、新型コロナ感染症が影響を与えなかった人間の生活の側面は何一つない。教皇フランシスコが教えるように『あらゆるものは、つながり合っている』ことを象徴している」と述べています。

 私たちの人生のすべての側面が影響を受け、常日頃から生活に困難を抱えている人たちが、さらに大きな困難に直面し、また、国によっては、感染症のためだけではなく、そのようにして生じた様々な側面の困難によって、命の危機に直面する人も多数おられます。

 そのような中で、活動に困難を抱えながらも、従来のような大きな活動としてではなく、小さな単位で、時には個人的に、時には隣近所で、助けを求めている人に手を差し伸べようとする活動が、水面下で広がっています。カリタスジャパンの緊急支援の対象も、従来のような組織的な活動もありますが、その多くは個人的な支援を中心とした小規模なものが増えています。

 すなわち、私たちは、この困難な状況の中にあって、隣人と互いに助け合うことの大切さを改めて認識しています。

 冒頭に触れたように、教会も、確かにすべての活動が停止していたものの、信徒の皆さんの個人レベルでは、様々な活動に取り組まれる人が多くいる、と聞いています。教区でも、食料支援や学習支援など、地道な支援活動を支えたり、従来から行っているCTICを通じた外国籍の方々への支援を継続しています。

 私たち教会の役割は、人と人との出会いの中にあって、安らぎを与えることです。福音に「重荷を負う者は、誰でも私のもとへ来なさい。休ませてあげよう」という主イエスの言葉が記されています。教会は、重荷を負わせる場ではなく、安らぎを与える場です。そして、それは「教会という建物が安らぎの場」ということにとどまらず、「私たち自身が安らぎを与える存在」という意味でもあります。

 なぜならば、いつも申し上げているように、教会とは、この「建物」のことではなくて、共同体を形作り主イエスの体を形作っている「私たち一人ひとり」のことだからです。私たち一人ひとりが「社会にあって、安らぎを与える存在」でありたい、と思います。

 残念ながら、教会にあっても、安らぎではなくて苦しみを生み出してしまっている事実が存在します。それは否定できない事実であります。教会に集まっているのは天使のような人ばかりではなく、私も含めてすべての人が、罪の重荷を抱え欠点を抱えた不十分な人間です。ですから、集まっているだけで、どうしても、そこには対立や争い、無理解や排除が生じてしまいます。

 しばしば私たちの思い、すなわち人間の知恵や賢さは、自己中心の世界を生み出し、まるで自分の周りに防御壁を築き上げるようにして、そこに近づいてくる人を傷つけている。ですから、私たちは常に、自分たちに与えられている使命を思い起こさなくてはなりません。

 教会は安らぎを与える場であり、重荷を与える場ではない。そして教会とは誰かのことではなく、自分こそがその教会である。

 感謝の祭儀の中でご聖体をいただいて主と一致するとき、私たちの心には神の霊が宿ります。その時、私たちは、どのような生きる道を選ぶのでしょうか。キリストに属する者として、私たちに与えられている務めは「キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛そう。力の限り(典礼聖歌390番)」ではないでしょうか。

 父である神がくださった最高のたまものである命を守ることは、最も大切な愛徳の業であります。残念ながら、この困難な時期にあって、教会の中でも、教会の外でも、その最も大切な愛徳の業を二の次に考えるような言動が見られました。「愛徳の業のうちに互いに支え合うこと」こそが、安らぎを与える教会として、今、必要な態度です。

 教皇フランシスコは、昨年訪日されて東北の被災者と会われた時、次のように話されました。

 「私たちに最も影響する悪の一つは、『無関心の文化』です。家族の一人が苦しめば家族全員がともに苦しむ、という自覚をもてるよう、力を合わせることが急務です。課題と解決策を総合的に引き受けることのできる唯一のものである『絆』という知恵が培われないかぎり、互いの交わりはかないません。私たちは、互いに『互いの一部』なのです」。

 私たちは、たまものである命を守ることを大切にする教会でありたい、と思います。教皇の呼びかけに応え、力をあわせ、互いの交わりの中で支え合い、重荷を負わせることなく、安らぎを提供する教会であることを目指しましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2020年7月5日

・「愛の証しである十字架を、自らの生き方、言葉、行いで証ししよう」菊地大司教13主日ミサ説教

(2020.6.27 菊地大司教の日記)

年間第十三主日ミサ@東京カテドラル

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 年間第十三主日です。前晩の6月27日土曜日夜6時から行われた、配信ミサの説教原稿を掲載します。

 東京では連日五十人ほどの感染者の報告があります。まだまだ感染症の終息からはほど遠いと感じております。ミサの再開と言っておりますが、実際には、まだまだ教会の活動を全面的に再開するには、ほど遠い状況であり、慎重に対応しなければなりません。教会はまだ普通の状態に戻っているわけではありません。

 先週よりミサを再開しましたが、これは「ミサの再開」と言うよりも、「再開に向けた段階的な試み」であるとご理解ください。2月27日以降、ミサはまだ完全には再開されておらず、今は完全な再開を目指して、様々な条件を定めて、教会のメンバーの安全を優先しながら、限定的にミサを行っている段階です。ですから、様々な制約があり、皆さまにはご迷惑をおかけしております。

「ミサが再開されたのに、自分は参加できない」という声があることも承知しております。申し訳ありません。それぞれの小教区で状況が異なりますから、全体の大枠方針に沿って、それぞれの対応をお願いしています、現在の状況や条件が、未来永劫続く制度改革なのではありませんから、状況に応じて制約の条件は変更されますので、今しばらくは、お互いのためにご協力いただきますようにお願いいたします。宣言自体は解除されていますが、現実にはいまだ緊急事態は継続していると考え、緊急避難的な制約にご協力いただけますようにお願いいたします。

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 以下、説教原稿です(写真は先週のミサです)。

東京カテドラル聖マリア大聖堂での公開収録ミサ説教 2020年6月28日の前晩

 教会活動の段階的な再開を始めてから一週間が過ぎました。ご存じのように、未だ感染者は毎日のように報告されており、以前のような完全な状態で安心してミサなどを再開できる状況ではありません。まず第一に、「まだ安全な状況ではないのだ」ということを念頭に置いていただければと思います。

 その状況下でも、なんとか一人でも多くの方に秘跡にあずかっていただきたいと考えて、様々な制約の中で、ミサなどを再開いたしました。とりわけ、感染した場合に重篤化し、命のリスクがある高齢の皆さまには、まだ今しばらく自宅に留まってくださるようにお願いしており、大変申し訳なく思っています。歴史に残る事態の荒波の中を、先へと進んでいる私たちは、互いに命を守るために、耐え忍びながら、支え合っていきたいと思います。

本日の、マタイ福音は、「自分の十字架を担って私に従わない者は、私にふさわしくない」という、主イエスの言葉を記しています。

「十字架を担って生きていく」と耳にすると、どのような状況を想像されるでしょう。苦しみを背負って耐え忍びながら、ひっそりと生きていくようなイメージでしょうか。「感染症が終息しない中で、様々な困難に直面し、教会でも様々な制約を課されてしまった。十字架を背負って、耐えて、生きていこう」と呼びかけている言葉でありましょうかーそうではないように、私は思います。

 そもそも、十字架とは、いったい何でしょう。重荷のことでしょうか。苦しみのことでしょうか。十字架が「重荷や苦しみだけ」であるならば、それはどう見てもマイナスのイメージでしかありません。しかし、ここでイエスが語る十字架は、「主にふさわしいものとされるための十字架」であり、すなわち、「神に良いものとして認められるため」の前向きな存在であります。十字架とは、いったい何でしょう。

 コリントの信徒への第一の手紙の1章17節に、パウロの言葉が記されています。

 「なぜなら、キリストが私を遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、「福音を告げ知らせるため」であり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、「言葉の知恵によらないで告げ知らせるため」だからです」

 コリントの教会にあって、誰から洗礼を受けたのかということで派閥争いが起きた時、パウロは、自らに与えられた使命は「洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせる」ことなのだ、と宣言します。

 もちろん、「救いのために洗礼が必要」であることは否定できませんが、洗礼よりも前に、まず大切なことがある。それは「イエス・キリストの福音を告げること」なのだと、パウロは宣言します。

 加えてパウロは、「しかも」と続けます。「しかも、キリストの十字架がむなしいものとなってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです」

 福音を、言葉の知恵に頼って告げていたのでは、「キリストの十字架がむなしいものとなる」というのです。ここで初めて、パウロが語る十字架の意味が明らかになります。すなわち、「言葉の知恵によらずに福音を告げ知らせている」のが、キリストの十字架そのものであります。

 言葉の知恵によらないとは、「具体的に目に見える行動をもっての証しが十字架だ」ということであります。十字架は、自らが創造された人間の救いのために、神ご自身がその愛と慈しみの充満として、積極的に行動した愛の証しであります。神ご自身の行いによる愛の証しそのものが、十字架です。十字架は、重荷や苦しみの象徴ではなく、積極的な愛の行動の象徴です。神の満ちあふれる愛と慈しみが、目に見える形となった時、イエスは十字架に自ら掛かり、その命をいけにえとして御父に捧げられました。これほど前向きで、積極的な、愛の証しはありません。

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 教会は、神がその似姿として創造された人間の命は、その始まりから終わりまで、例外なく尊重され守られなくてはならないと、繰り返し主張してきました。

 今、命を守るために世界が連帯しようとする時、政治体制の違いや経済的利益の追求などの壁を乗り越えて、優先すべき価値を見直す時に来ている、と感じます。

 教皇フランシスコは、人間の命の尊厳を守るために、その命が生きている地球全体を守ることの大切さを強調されています。

 教皇フランシスコは、5月24日のアレルヤの祈りの際に、このように宣言されました。

 「5月24日から来年(すなわち2021年)の5月24日までの一年間は、この回勅(「ラウダート・シ」)について考える特別な年となります。私たちが共に暮らす家である地球と、最も弱い立場にある兄弟姉妹を、大切にするために力を合わせるよう、私はすべての善意の人に呼びかけます」

 教皇はこの回勅「ラウダート・シ」の中で、現代社会についてこう指摘しています。

 「現在の世界情勢は『不安定や危機感を与え、それが集団的利己主義の温床』となります。人は、自己中心的にまた自己完結的になるとき、貪欲さを募らせます。」(204項)

 教皇は、世界に広がりつつある個人主義や利己主義を克服するために、新しいライフスタイルを生み出し、社会を変えていかなくてはならない、と呼びかけています。世界中で自粛生活が続いた今、私たちはライフスタイルを見直すチャンスを与えられているようにも思います。

 「神の作品の保護者たれ、との召命を生きることは、徳のある生活には欠かせないことであり、キリスト者としての経験にとっての任意の、あるいは副次的な要素ではありません」(217項)と教皇は呼びかけます。

 愛の証しである十字架を、私たちは自らの生き方で、言葉で、行いで証ししていきたいと思います。証しして生きることこそ、十字架を担って生きていくことです。そうすることで、神のふさわしいものとされることができます。神にふさわしいものは、当然、神が愛を込めて創造されたこの世界を大切にするものでもあります。

 今、私たちたちにとって必要な生きる道は、どこに向かって開かれているのかを、信仰の目をもって見極めてまいりましょう。

(文中の漢字表記は当用漢字表による表記に統一させていただきました=「カトリック・あい」)

2020年6月27日

・「勇気をもって出かけ、困難に立ち向かおう」菊地大司教の第12主日のミサ説教

(2020.6.20 菊地・東京大司教の日記)

年間第12主日ミサ@東京カテドラル 

 長い自粛期間を経て、公開ミサが再開されます。年間第12主日にあたる6月21日からの再開です。前晩のミサを捧げたところも多くあったと思います。関口教会では、日曜日の午前10時は主任司祭がささげますので、わたしの配信ミサは前晩土曜日の午後6時からといたします。当分は継続いたします。

 早速、先ほど、最初の公開ミサを捧げました。聖歌はいつもの通りイエスのカリタス会のシスター方にお願いしています。カテドラルの大聖堂は、他の教会と比べても空間が広いため、互いの距離を十分にとって、シスター方に歌っていただいています。

 しばらくは状況を見極めますので、ミサの公開に制約があり、申し訳ありません。この状況下では、いのちをリスクにさらさないことが最も重要かと思います。教会にとっても、互いに、感染しない、感染させないためにも、そして神のたまものである命を守ることを最優先にするためにも、慎重な行動をとってくださるようにお願いいたします。

以下、本日のミサの説教の原稿です。

【年間第12主日A 東京カテドラル聖マリア大聖堂 (公開配信ミサ) 2020年6月21日】

 四旬節から復活節に至る長い自粛期間を経て、やっとミサを公開で行うことができる状況になりました。ただ、感染には波があるとも指摘されており、完全に終息したわけではありませんから、しばらくの間、ミサを捧げることにも制約が伴います。その一つが、時間の短縮です。多くの聖堂は、どうしても密接・密集・密閉の状態を生み出しやすいものですから、なるべく集まっている時間を短くしよう、ということで、例えば説教も、通常よりも短くと言うことにしております。

 さて、命を守るためとはいえ、普段の活動が制限され、自粛ばかりを求められていると、どうしても思考が内向きになってしまいます。内向きになった思いは、自分の心の世界を中心に展開しますから、ともすればとても利己的になり、さらには、普段であれば心の奥底に秘めているような思いや、社会常識が盾となって表に出さない感情までも、あらわにしてしまいます。

 自分とは異なる存在との差異を強調して、自らの立場を有利にし、自尊心を保とう、とする行為は、差別を生み出す可能性があります。残念ながら人間の心には、自分と他者との相違をことさらに意識して、差別をする誘惑が存在しています。普段は理性や常識がそれをカバーしているのでしょうが、心が内向きになる時、そういった誘惑が顔を覗かせてしまいます。

 米国では、警察官の暴行が黒人男性の死を招き、人種差別への怒りが爆発してしまいました。日本でも、感染症が拡大してからインターネット上では、いつも以上に攻撃的な会話が展開されたり、具体的な差別的言動も耳にいたします。

 今さらのようですが、第二バチカン公会議の現代世界憲章から、次の言葉を引用します。

 「すべての人は理性的な霊魂を恵まれ、神の像として造られ、同じ本性と同じ根源をもち、さらにキリストによってあがなわれ、神から同じ召命と目的を与えられている。したがって、すべての人が基本的に平等であることは、よりいっそう認められなければならない(29)」

 私たちキリスト者にとっての人間の尊厳の根源は、創世記の記述にありますが、それを明確に記している公会議の言葉です。

 さらに現代世界憲章は、差別について、こう語ります。

 「社会的差別であれ、文化的差別であれ、あるいは性別・人種・皮膚の色・地位・言語・宗教に基づく差別であれ、基本的人権に関するすべての差別は神の意図に反するものであり、克服され、排除されなければならない。・・・人々の間に差異があるのは当然のこととはいえ、人格の尊厳は平等であり、このことから、より人間らしい公正な生活条件に届くことが要求される」(29)

 北半球での感染にようやく出口の希望が見え始めた今、今度は南半球で、特に南米やアフリカでの感染拡大が心配されています。とりわけ、もともと医療資源に乏しく経済的にも厳しい状況のアフリカ諸国では、現地の司教たちが、感染症後の世界のあり方について、国際社会に向かってのアピールを出しています。日本を含めた先進諸国でさえも、経済に大きな打撃を被ることは確かでありますから、アフリカ諸国の状況はさらに厳しくなることが想定され、感染症以上に、経済危機によって、多くの命が危機に直面することが予測されています。

 命の危機という不安の中に長期間を過ごし、活動の自由が制限される中で、殺伐とした雰囲気に包まれている世界は、今、連帯とはほど遠い状況に立ち位置を定めようとしています。

 ですから教会は、この世界に対して、ひるむことなく福音を告げしらせる義務があります。経済を優先して、あらためて以前のような世界に戻ろうとする流れに抗って、一人ひとりのいのちを大切にし、誰ひとりとして排除されない世界を、連帯の中で実現しようと、明るみで、そして屋根の上で、ひるむことなく、大きな声で告げなくてはなりません。

 教皇フランシスコの呼びかけを思い起こします。

 「自分にとって快適な場所から出ていって、福音の光を必要としている隅に追いやられたすべての人に、それを届ける勇気を持つよう招かれている」(福音の喜び20)

 改めて教会に集うことを始めようとしている私たちは、快適な場所を見つけて留まることなく、常に勇気を持って出かけなくてはなりません。それは、流れに逆らうことでもあるので、容易な挑戦ではありません。

 現代における宣教について教えるパウロ六世の使徒的勧告「福音宣教」には、次のような興味深い指摘があります。

 「人間は、たとえ私たちが福音をのべなくとも、神の憐れみによって、何らかの方法で救われうるのでしょう。しかし、もし私たちが、怠りや恐れ、または恥、あるいは間違った説などによって、福音をのべることを怠るならば、はたして私たちは救われうるのでしょうか。

 なぜなら、もし宣教しないならば、福音の種が宣教者の声をとおして実を結ぶことを望まれる神の呼びかけに背くことになるからです。種が木となり実を付けるかどうかは、私たち次第なのです』(使徒的勧告「福音宣教」80)

 愛するすべての命が救われるようにと、福音の種が、私たちの「声を通して実を結ぶこと」を神は望まれる。常に困難に向かって立ち向かうようにと、私たちは呼ばれています。

 世の終わりまで私たちと共にいてくださる主に力づけられ、改めて勇気をいただきながら、福音の種を蒔き続ける宣教者として、神が愛されるいのちの尊厳を、言葉と行いで告げ知らせてまいりましょう。

2020年6月21日

・新型コロナウイルス禍で児童性的虐待の危険が増大-バチカンの有力専門家が警告(Crux)

(2020.6.19 Crux  SENIOR CORRESPONDENT  Elise Ann Allen)

Expert warns child protection took ‘severe blow’ during pandemic

Jesuit Father Hans Zollner, a leading Vatican official dealing with clergy sexual abuse in the church, speaks about the crisis to an audience Jan. 29, 2020, at Villanova University in Pennsylvania. (Credit: Sarah Webb, CatholicPhilly.com via CNS.)

 ローマ発 – 「新型コロナウイルス禍におけるオンラインと児童保護」をテーマとするグレゴリアン大学児童保護センター、未成年保護のための教皇委員会、国際修道会総長連盟など共催のウエブ・セミナーが18日、世界の修道会やカトリック組織・団体の代表300人以上が参加して開かれた。

*児童に対する性的虐待・搾取の危険が大幅に高まっている

 講演に立ったカトリックを代表する児童保護専門家、ハンス・ゾルナー=グレゴリアン大学・児童保護センター所長(イエズス会士)は、現在の世界的大感染の中で「児童に対する性的虐待・搾取の危険が大幅に高まっている」と警告。

 「率直に申し上げて、教会と諸州、諸国での未成年者保護は、世間の関心という面でも、保護のための公的資金手当の面でも、大きな打撃を受けています」とし、自然災害、戦争、保健衛生危機、そして経済の動揺が新型コロナウイルスの世界的大感染と結びついて、児童保護への取り組みを、従来よりも二倍、難しくしている、と指摘した。

*未成年保護の優先順位を引き上げよう

 現在の状況の下で「社会と教会にとって、未成年の保護に注力することは、極めて難しいかもしれません。それは、新型ウイルス感染防止という差し迫った課題があり、それに加えて未成年保護にエネルギーを費やすのが人々にとって重荷となっており、まず生き延びることが先決なので考える余裕がないためです」と理解を示したうえで、「それは確かです。生き延びることが第一です。しかし、全ての人、とくに一番弱い人の尊厳を尊重し、保護することもまた、必要なのです」と述べた。

 そして、セミナー参加者たちに、「一緒に、未成年保護の優先順位を引き上げましょう」と訴えた。そして、大感染とそれが終結した後の後遺症だけでなく、「人々が容易に関わりたくない、難しくて厄介な課題」であるために、困難な作業になる、との考えを示し、「それを進めるには、私たちの決意の結集が必要ー抵抗に遭っても努力を続けることです」と強調した。

*”全面封鎖”でインターネットが特に”デジタル世代”にもたらすリスクは

 ゾルナー所長はまた、通常の状況と新型ウイルス感染防止の全面封鎖の下でインターネットがもたらすリスクを強調し、感染予防のための隔離から生じる可能性のある問題への対応について、いくつかのヒントを示した。

 インターネットは無限の可能性を秘めた「大きな機会」であり、現在の危機が前向きな成長と発達の触媒として役立つ可能性を持っている、とする一方、インターネットがもたらす身体的、性的、心理的、教育的、相関的、あるいは精神的な影響に懸念がある、と指摘。

 そうした懸念は、すべての人に当てはまるが、とりわけ若者たち、特に、インターネットやパソコン のある生活環境の中で育ってきた世代、いわゆる「デジタル・ネイティブ」の若者の間で、全面封鎖によって、孤独感や孤立し放棄されたという思いが生じる問題がでてきている、と分析した。

 また、インターネット漬けの若者たちには、何千回、何百万回も共有、閲覧されるビデオや画像を含めて、児童ポルノなどに容易にアクセスできるような危険がある、とし、こうしたことは「インターネットが普及していなかった時代には無かった、新たな形の心的外傷。実際になされる(注:児童性的虐待)とは異なるものです」と述べた。

*児童ポルノ氾濫と児童性的虐待の急増

 児童ポルノは、「デジタルで創作された画像も含めて、容易に手に入れることができ、インターネットではもっと簡単に、卑猥な画像、虐待の画像が手に入る。同じ危険が子どもたちだけでなく、弱い立場にある成人にも存在します」。画像の出し手の側から見れば、フィリピンなどの貧困地域で多く見られるように、親が金稼ぎのために自分の子供を性的なビデオに出演させたり、有料の動画配信で実際に子供たちが性的に虐待される、と残酷な実態を語った。

 インターネットを悪用した児童性的虐待の実態を調べている民間組織Internet Watch Foundationによると、英国の場合、虐待を受けた児童の平均年齢は7歳から13歳、9割が女児で占められている。内容は、わいせつ画像から、大人が児童を性的に暴行する不明瞭な画像まで様々だ。

 そして、このようなインターネットを通じた「児童性的虐待」は、新型コロナウイルス感染防止のため封鎖措置によって、急増している。英国では、4月の1か月だけでも児童ポルノのウェブサイトの閲覧は900万回試みられ、デンマークでは、児童虐待の画像類へのアクセスが、封鎖前の3倍に増えた。スペインでは、オンラインの児童ポルノが3月以降、それまでの月より2割増え、オーストラリアでは、3月21日の封鎖開始から3週間で、児童を含む虐待画像の閲覧が、それ以前に比べ86%増加した。

 米国では、「行方不明や搾取された子供のためのセンター」の調べて、3月の1か月だけで児童性的虐待の疑いの報告件数が前月比で106パーセントの増加を記録している。

*学校閉鎖で子供たちが”パソコン漬け”になる危険

 ゾルナー所長は、「新型ウイルス感染防止のための学校封鎖で、学校に行けない子供たちが、以前よりもずっと多くの時間を独りで過ごし、誰にも見とがめられずに、パソコンの画面の前に座り続けること」も含め、いくつもの要因が、そうした危険につながっている、と説明。「親たちが、育児や、子供たちの自宅学習と仕事のバランスを取ろうとすることが、子供たちの(注:単独の)行動への注意がおろそかにし、外出できないことが、家庭内虐待の可能性を高めている、と指摘した。

 悩みごと相談電話や情報配信のサービスも、新型ウイルスの影響で中断しており、気晴らしの手段が無くなっていることが、性犯罪者が衝動的に振る舞う可能性を高め、通常の状況なら適切に対応できるはずの子供たちが、性的暴力の話によって突然刺激を受け、自分自身の虐待の記憶を蘇らせてしまう可能性にも言及した。

 しかも、  新型ウイルス感染防止のための封鎖措置の下では、「健康や収入への影響を心配が強まり、それは個人だけでなく、あらゆるレベルの人間社会、あらゆる種類の政府機関にも共通する現象であることから、児童保護の優先順位が引き下げられる可能性が高い」と語った。

*インターネット児童虐待や非行を防ぐいくつかの方法

 以上のような問題を示したうえで、ゾルナー所長は、親や保護者、教職員のための児童虐待防止に役立つ方法をいくつか提案した。

 具体的には、子供たちの活動をモニターするソフトウェア用具の活用、電子機器の障壁のない領域の家庭内での設定、全ての電子機器がプライバシー設定になっていることの確認、子供たちが興味を持つ番組やゲームを親がチェックできるようにすること、などだ。また、教師が生徒と連絡を取り合えるようなシステムの構築は、困ったことが起きた時に、子供や家族が信頼して相談できるようにするために重要であり、学校でも、教師が児童・生徒にインターネットの適切な使い方について教える必要性を強調した。

*カトリック教会と修道会、諸団体に何ができるか

 では、「カトリック教会に何ができるでしょう。その広大な世界的ネットワークの潜在性を考えれば、他にはない強みが生かせる可能性があります」としつつ、 「残念ながら、私たちカトリック教会関係者には、十分な連携がなく、自分たちが持っている可能性を信頼していないため、その強みを活用できていない」と現状の問題を指摘。

 また、カトリックの組織・団体、修道会、神学校における注意深い見守りに関して、自身が滞在したアジアのある国の神学校で耳にしたこととして、神学生たちがインターネットでポルノを見ていたので回線を切ったが、彼らは代わりにスマホを使って見てしまい効果がなかった、という例を挙げた

 

*感染終息後に「インターネット虐待」はさらに深刻になる―必要な予防教育の徹底

 今後について、特に新型ウイルスの大感染が終息した後の世界で「インターネット性的虐待」がさらに深刻になる、とゾルナー所長は懸念している。

 「多くの人が、感染防止対策として始まったインターネットを活用した在宅勤務や在宅授業など社会のあらゆる場でのオンライン化が、感染終息後、さらに進む。スクリーンの前で費やされる時間とエネルギーの割合がさらに大きくなるでしょう… それは司祭や修道者にも当てはまる」と警告。

 そして、これからの大きな課題は、「小中高、大学、さらには神学校で、インターネットの適切な利用について、若者たちに教える共通の方法を見つけること」であり、「私たちは、これが自分たちの活動の中で極めて重要なものになっていることを認識する必要がある。誰もそれを気にかけていないかのように、放置しておくわけにはいきません」と強く訴えた。

「私たちは、インターネット上で人々と交流する時、何をすべきか、リスクは何か、そして私や他の人々が虐待に遭わないようにするにはどうすればよいかについて、倫理的対応と理解を深める必要があります」と改めて強調して、講演を締めくくった。

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(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年6月20日

・「ご聖体を受ける喜び、共にあずかれない兄弟姉妹にも思いをはせて」菊地・東京大司教の「キリストの聖体」ミサ説教

キリストの聖体@東京カテドラル 2020・6・14 

 梅雨入りして最初の日曜日がキリストの聖体の主日となりました。元来は木曜日とされていますが、多くの国で現在は、その次の主日に移動して祝われています。

 今日の配信ミサは、公開ミサの自粛を2月27日以降継続してきた中で、今のところは最後の「非公開ミサ」となります。四旬節から復活節と続いた「非公開」ミサにあって、配信ミサの作成のために協力してくださった、師イエズス修道女会、宣教ドミニコ会、女子パウロ会、ノートルダム・ド・ヴィのそれぞれの会員、毎回のミサで聖歌を選び、歌ってくださったイエスのカリタス会の志願者と会員の皆さまに、心から感謝申し上げます。また、映像を作成し配信してくださる田村さんを初め、関口教会の信徒のボランティアの方々に、感謝申し上げます。

 次の日曜日以降は、それぞれの小教区でも、限定的とはいえ、公開ミサを徐々に始めますので、関口教会でも同様に公開ミサが始まります。そのため、日曜日午前10時のミサの映像配信はいたしません。その代わり、当分の間は、前の晩、土曜日の午後6時から、東京カテドラルの主日ミサを配信します。司式は私です。土曜の午後6時からの中継です。その時間から後は、これまで同様、同じ関口教会のチャンネルから、録画映像を見ていただくことができます。(現時点では、7月中は配信ミサを土曜日の夜に続ける予定ですが、8月以降は未定です。)

 公開ミサが再開されるといっても、新型コロナウイルスの感染が終息したわけではなく、新規の感染者の報告は続いています。経済活動を優先させるために、社会の中の様々な制約が緩和され続けていますので、すべて解決したかような気分にされますが、まだまだ慎重であるべきかと思います。

 「緊急事態のただ中に、今もまだいる」と判断していますので、ミサの再開には様々な制約を設けています。命を守るための責任ある選択はどれかを、最優先でお考えいただきますように、改めてお願いいたします。

 もちろん、現在は緊急事態であり、様々な緊急避難的な判断をしていますが、それを固定化することのないように、できる限る早く、感染の状況に応じて、通常に戻す努力をしたいと思います。緊急事態に対応した制限が固定化されることを懸念する声もありますが、そのような不信を払拭できない私の力不足を自覚させられております。

 以下、本日のミサの説教の原稿です。

【キリストの聖体 東京カテドラル聖マリア大聖堂(配信ミサ) 2020年6月14日】

 東京教区では、緊急事態宣言の解除後、状況を見守ってきましたが、次の日曜日から、小教区における活動を段階的に再開することにしました。もちろん感染が終息したわけではありませんから、慎重に行動しなければなりません。当初の間は、感染対策をしたり、距離を保ったり、重篤化のリスクが高い高齢の方にはしばらくは我慢をお願いしたり、いろいろな制約の中での再開となります。

 四旬節第一主日に始まって三か月半に及ぶ長い期間、小教区でのミサや活動を中止してきました。霊的な渇きのうちにあっても、お互いの命を守るために耐え忍び、協力してくださった皆さまには、心から感謝申し上げます。

 今日もまたこのミサの中で、治療のために全力を尽くしておられる医療関係者と、病床にある皆さまのために、心からお祈りいたします。

 この長い自粛の期間を、キリストの聖体の主日で終わりとすることは、意義深いことです。何と言っても、この自粛は、「共に教会に集い、祈りの時を一緒にできなかった」というだけではなく、「聖体祭儀にあってご聖体のうちに現存されている主イエスと一致する」という、信仰にとって一番大切な秘跡から、私たちを遠ざけてしまいました。

 教会憲章において、聖体のいけにえは「キリスト教的生活全体の源泉であり頂点」であって、感謝の祭儀にあずかることで、キリスト者は「神的いけにえを神にささげ、そのいけにえとともに自分自身もささげる」と指摘されています(11)。

 また教皇ヨハネパウロ二世は、「教会に命を与える聖体」において、ご聖体の重要性を、こう述べておられます。

 「教会は過越の神秘から生まれました。まさにそれゆえに、過越の神秘を目に見える形で表す秘跡としての聖体は、教会生活の中心に位置づけられます。(3)」

 実際にミサにあずかることができず、教会共同体にとって一番大切なこの聖体の秘跡に共にあずかることができなかったことは、教会にとって大きな苦しみであり、悲しみでありました。

 お一人おひとりの「霊的な渇きを癒やす」という個人の信仰の充足という側面も、もちろん大事ですが、それ以上に、ご聖体は共同体の秘跡です。そもそもミサそれ自体が、共同体の祭儀です。聖体は一人で受けたとしても、霊的聖体拝領を一人でしたとしても、共同体の交わりのうちに私たちはご聖体をいただきます。

 それは司祭が一人でミサをささげても、個人の信心のためではなく、共同体の交わりのうちにミサをささげるのと同じであります。

 「教会に命を与える聖体」には、次のように記されています。

 「(司祭が祭儀を行うこと)それは司祭の霊的生活のためだけでなく、教会と世界の善のためにもなります。なぜなら『たとえ信者が列席できなくても、感謝の祭儀はキリストの行為であり、教会の行為だからです』」(31)

 パウロはコリントの教会への手紙で、「私たちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」と述べて、聖体祭儀が「共同体の秘跡」であることを強調されます。

 「聖体は交わりを造り出し、交わりを育みます」と指摘する教皇ヨハネパウロ二世は、聖アウグスチヌスの言葉を引いて、「主なるキリストは… ご自分の食卓に私たちの平和と一致の神秘をささげます。一致の絆を保つことなしに、この一致の神秘を受ける者は、神秘を自分の救いのために受けることができません」(40)とまで指摘しています。

 私たちの信仰は、共同体の信仰です。私たちの信仰は、「交わり」のうちにある信仰です。「交わり」とは、「共有する」ことだったり、「分かち合う」ことだったり、「あずかる」ことを意味しています。

 パウロのコリントの教会への手紙に、「私たちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。私たちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか」と記されていました。その「あずかる」が、すなわち「交わり」のことです。私たちの信仰は、キリストの体である共同体を通じて、キリストの体にあずかり、命を分かち合い、愛を共有する交わりの中で、生きている信仰です。

 これから段階的に公開ミサが再開されて、制約があるとはいえ、ご聖体をいただく機会があることでしょう。三か月の間、あずかれない状態が強制されていたのですから、そのときの喜びには大きいものがあることだと思います。でも、その霊的渇きの期間を過ごした私たちは、ご聖体を受ける意味を改めて理解してから、拝領したいと思います。

 自分がキリストと信仰において一致するという個人的な喜びと同時に、拝領は共同体の交わりのうちに、兄弟姉妹と共に一つの体にあずかるのであり、だからこそ、一緒にあずかることのできない方々へ思いを馳せ、様々な思いを心に抱いている兄弟姉妹に思いを馳せ、配慮と心配りの時としていただきたいのです。

 同時に、私たちはご聖体をいただくことで、「世の終わりまで、あなた方と共にいる」と言われた主イエスの約束を思い起こします。共にいてくださる主イエスは、その福音を世の終わりまで、世界の果てまで告げ知らせよと命じられた主です。ですから、ご聖体の秘跡にあずかる私たちは、福音を告げ知らせないわけには行きません。

 「教会に命を与える聖体」で、教皇ヨハネパウロ二世はこう記しておられます。

 「キリストとのこの一致によって、新しい契約の民は、自分たちだけで固まるのではなくて、人類一致のための『秘跡』となります。すなわち、すべての人のあがないのために、キリストによってもたらされる救いのしるしと道具、世の光、地の塩となるのです。教会の使命とキリストの使命は連続しています… 感謝の祭儀はあらゆる福音宣教の源泉であると同時に頂点でもあるのです。」(22)

 申命記に、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」と記されていました。

 ご聖体を受ける私たちは、人となられた神のみ言葉を私たちのうちにいただくのですから、聖書に記された神の言葉に耳を傾け、それを通じて、イエスと日々出会うことも欠かせません。

 公開ミサがなかったことで、ご聖体を実際にいただくことに思いが集中しますが、ミサを形作っている言葉の祭儀において、まず神のみ言葉に耳を傾けることも、忘れてはなりません。

 共同体の交わりと一致のなかで、ご聖体と御言葉のうちに現存される主イエスと出会い、心のうちに一致し、愛の分かち合いから力をいただき、宣教への熱意を受け、聖霊に導かれながら、社会のただ中にあって、福音を証しし、告げてまいりましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2020年6月14日

・「ポスト・コロナの中国-学者たちが指摘する5つの問題」葛・復旦大学教授(東京カレッジ・ニュース)

(2020.6.2 東京大学国際高等研究所・東京カレッジ・ニュースレター)

 

 葛 兆光 GE Zhaoguang 中国・復旦大学教授

 今回の新型コロナウイルス危機は、世界を変えたのと同様に、中国にも深刻な影響を与えた。この4ヵ月、中国の学者の間では、コロナ危機後の中国について、幅広い議論と分析が行なわれた。学者たちの共通の認識をまとめると、次のとおりである。

 中国への影響として、まず指摘されているのは、経済退潮の可能性である。3ヵ月以上も(今もなお本格的に回復されていない)大規模な稼働が中断され、経済活動に深刻な影響をもたらした。もっとも重要なのは、以下の五つの問題である。

(1)コロナ危機は直接的に経済の退潮(ある分析によると、当初国内総生産(GDP)の成長率目標を6%に設定していたが、6%から引き下げるか、3%まで引き下げる可能性もあり得る)をもたらすだけではなく、高い失業率も招く(具体的な数値を予想するのは難しいが、広東沿岸デルタ地域の出稼ぎ労働者の仕事がなくなっていることからみて、厳しい状況に陥っていることは確かである)。

(2)コロナ後、中国政府は、経済の救済措置として「六保(6つの確保)」(「市場主体を保つ」、「雇用を保つ」、「国民生活を保つ」、「社会末端組織の運営を保つ」、「食料・エネルギーの安全を保つ」、「産業サプライチェーンの安定を保つ」)を打ち出したが、依然として「新しいインフラ整備」投資に期待している。投資によって経済を牽引する措置は、短期的に景気に刺激を与え、就業率を高め、出稼ぎ労働者や都市部住民の基本生活を安定させるのに有効である。しかし、これは「強心剤」にすぎない。「飲鴆止」(いんちんしかつ。喉の渇きを癒やすため、猛毒の酒を飲むこと)であると指摘する経済学者もいる。これによって、経済発展を牽引してきた「トロイカ」、すなわち投資・貿易・消費の間の不均衡さをさらに加速させるのである。

(3)経済の活性化のために政府が投入する資金の多くは、国営企業や中央企業に集中する。そのため、民営企業、特に中小企業は融資や現状維持が極めて難しくなり、すでに相当深刻な状況にある「国進民退」(国有経済の増強と民有経済の縮小という現象)の現象がさらに拡大し、ひいては民間企業の資金の海外流出に拍車がかかることが懸念されると多くの学者が指摘している。

(4)産業サプライチェーンの断裂と、中国における労働コストの上昇を懸念して、米国、日本などの国が自国企業を国内に撤退させるか東南アジアなどに移転させる政策をとったことが、中国、特に沿海経済の発展に影響を及ぼしている。

(5)今回のコロナ危機により、各国の政治・経済の状況が一層複雑となり、多くの国が債務を履行できず、中国政府が期待する「一帯一路」構想の実現は、さらに難しくなりそうである。

 コロナ危機が中国に与える二つ目の影響は、国際環境がさらに厳しくなることである。それはまず、世界の世論がコロナウイルス発生源の調査を求めていることと、それに伴ういろいろな「責任追及」のことである。 実際に中国政府に責任を負わせることができるはずはないが、コロナ危機に便乗したこのような世論は、もともとあったイデオロギーと政治制度の間の軋轢をさらにエスカレートさせ、衝突へと向かわせている。

 もう一つは、近年における中国の政治イデオロギーが強調する「強固さ」のことである。毛沢東が「侵略される」問題を解決し、鄧小平が「飢える」問題を解決した後、習近平によって「非難される」問題が解決されることが期待されているのだ。

 そのため、中国で新型コロナウイルスが最も早く流行し、かつ最も早く終息したということを背景に、外交と学術分野の一部の人たちが「戦狼式」(中国の人気映画『戦狼』をもじった表現)対外宣伝戦略を取り、国内の世論をコントロールし、国内の感情をなだめようとした。これが国際関係の悪化にさらに火に油を注いだ。

 米中間は、必ずしもいわゆる「トゥキディデスの罠」に陥るとは限らないが、ある程度の「脱線」は必ず生じる。多くの学者は、コロナ後の世界が、ある程度「脱中国化」の方向に発展するだろうと推測している。つまり、経済に「二つの市場」(それぞれアメリカと中国を中心とする)が現われ、政治に「新しい冷戦へ戻る」のである(政治制度の違いによって新しい連合体が形成される)。

 中国に与える三つ目の影響は、中国国内の政治状況が後退することである。ここ数年、中国国内の政治環境の変化は、改革開放以来、特に1992年に鄧小平が「南巡講話」以来のゆったりとした大趨勢とは逆に、法整備、政治の民主と言論の自由等の方面において、問題が現れている。

 コロナ後の時代においては、上に述べたような(1)ますます厳しい国際環境の圧力と、(2)国内経済の下降による民衆の不安(特に失業の出稼ぎ労働者)と世論の批判(特に自由派)、そして(3)新疆、チベット、台湾、香港などの厄介な問題を抱える当局は、直面している安全と安定の問題を考えれば、「管控(管理と制圧)」と「維穏(安定を維持する)」を強化するだろう。

 また、国際と国内の状況が急激に変化したことによって、中国国内の過激な思潮、民族感情、国家主義が刺激された。中国国内の改革開放の見通しについて、多くの学者は悲観的な見方を示している。

*復旦大学(ふくたんだいがく: Fudan University)は、上海市にキャンパスを持つ中国を代表する総合大学。1905年に創立され、115年の歴史がある。国家重点大学に指定され、学生数はs修士、博士課程も含め、約5万人。

 

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 *東京カレッジー次の2つの大きな目標を実現するために、2019年に設立された新しい組織。

1.東京大学が地球と人類社会の未来に貢献する『知の協創の世界拠点』となること
2.東京大学、さらには日本が、学術の分野において国際求心力を高めること

 これらの目標を達成するために、具体的には以下のような活動を行います。

1.国内外の卓越した研究者、将来有望な若手研究者、発言力のある知識人を受け入れ、本学の教員との共同研究事業を展開します。
2.カレッジに所属する研究者の間で分野を越えた研究会を定期的に開催し、先端的な研究成果を生み出します。
3.招聘研究者や知識人、所属研究者による講演会やシンポジウムなどの開催を通じて、先端的な知を学生や一般市民にいち早く伝えるとともに、学問の魅力や、未来社会の創造に果たす大学の役割の重要性を広く社会に伝えます。そして、研究者と学生や一般市民との間での対話を試みます。

 東京カレッジの中心理念は、「発見の喜び、知の力(Joy of Discovery and Power of Knowledge)の共有」です。この理念の下、「2050年の地球と人類社会」(The Earth and Human Society in 2050)というテーマに中長期的に取り組みます。そして、以下の重点テーマに基づいて理系・文系を超えた分野融合の研究を企画し、実行していきます。

1.デジタル革命と人類の未来(Digital Revolution and Future of Humanity)
2.学際的アプローチによる地球の限界への挑戦(Tackling the Planetary Boundaries through Interdisciplinary Approaches)
3.内から見た日本、外から見た日本(Japan Viewed from Inside and Outside)
4.2050年の人文学~世界哲学、世界史、世界文学~(Humanities in 2050 – World Philosophy, World History and World Literature -)

 

【東京カレッジ・国際ラウンドテーブル「パンデミックを生きる―あらためてコロナ危機を世界で考える」開催】 

 2020年6月2日、東京カレッジと関係の深い世界各地の研究者をオンラインで結び、コロナ危機に対する各国の対応や今後の世界のあり方について語り合う国際ラウンドテーブル「パンデミックを生きる-あらためてコロナ危機を世界で考える」が開催されました。 羽田正教授(カレッジ長)が司会を務め、ドイツからViktoria Eschbach-Szabo教授(テュービンゲン大学)、スウェーデンからSvante Lindqvist氏(スウェーデン王立科学アカデミー元会長)、アイルランドからBill Emmott氏(ロンドン日本協会会長)、アメリカからJeremy Adelman教授(プリンストン大学)、韓国からPark Cheol Hee教授(ソウル国立大学)、日本から星岳雄教授(東京大学)が登壇しました。ラウンドテーブル開催にあたり、登壇者は東京カレッジから送られた次の4つの質問に回答する動画を収録し、東京カレッジに送付しました。

 1. How is the coronavirus epidemic in your country at this moment? 2. What is the current political, economic and social situation in your country in connection with the corona crisis? 3. What is the particularity, according to you, of your country’s reaction vis-a-vis the corona crisis? 4. How do you envision the post-corona world? 

 登壇者は東京カレッジYouTubeチャンネルで公開されている互いの動画を視聴し、ラウンドテーブルに臨みました。当日は、各国の状況を踏まえ、一国では解決の難しいコロナ危機をどのように乗り越えるのか、グローバルな視野と協力の重要性が議論されました。また、大学という研究・教育の場が今後どのような役割を果たしていくべきなのかという課題も提起されました。日本時間夜の9時から11時までというタイムリミットや、途中回線の問題などもありましたが、今月後半から始まる連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」に先立ち、貴重な第1回オンラインイベントとなりました。 動画は録画公開されています。当日ライブ配信をご覧になれなかった方も是非ご視聴下さい

【これから開催予定のイベント】

*Zoom Webinar 講演会/Event 2020.6.16

東京カレッジ・ワークショップ「コロナ危機を文化で考える―アイデンティティ、言語、歴史―」*YouTubeライブ配信 シンポジウム/Symposium 2020.6.17

連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」①医学・疫学

*YouTubeライブ配信 シンポジウム/Symposium 2020.6.23

連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」②暮らしと社会

*YouTubeライブ配信 シンポジウム/Symposium 2020.6.25

連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」③価値

*YouTubeライブ配信 シンポジウム/Symposium 2020.6.26

連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」④経済

*YouTubeライブ配信 シンポジウム/Symposium 2020.6.30

連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」⑤SDGs

*YouTubeライブ配信 シンポジウム/Symposium 2020.7.3

連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」⑥情報活用と管理

*YouTubeライブ配信 シンポジウム/Symposium 2020.7.8

連続シンポジウム「コロナ危機を越えて」⑦総括シンポジウム

 

 

 

2020年6月13日

・「新たなスタートの準備を始めよう!」菊地・東京大司教の三位一体の主日の説教

(2020.6.7  菊地東京大司教の日記)

 三位一体の主日@東京カテドラル

 6月に入っても、東京教区ではミサの非公開を続けております。東京都ではこの数日、毎日のように二桁の感染者が報告されていますので、慎重に判断したいと思います。

 さて本日は、三位一体の主日でした。昨日の土曜日には午後2時から、これも関係者だけで集まって二人の助祭叙階式がありましたが、これはまた別に投稿します。

 聖歌の選択は、イエスのカリタス会のシスター方にお任せなのですが、今日のミサ曲は、たぶん今日、初めて聞きました。今朝は高い方の音が出ず、ミサ前のシスター方の歌の練習にご一緒して、栄光の賛歌の歌い出しを何度か練習しましたが、いつもは軽く出る高い方の「レ」が出ない。ミサ曲のキーが「D」なので、当然、高いほうの「レ」が続出する歌です。朝の声出しが足りなかったかも知れません。

 シスター方のおかげで、新しい聖歌を、今年はいくつも知ることになりました。一番驚いたのは、5月17日、世界広報の日の閉祭の歌。自分が昔、神学生の頃に作曲したマリア様の聖歌が突然歌われて、びっくりでした。

 以下、本日の説教の原稿です。

【三位一体の主日 東京カテドラル聖マリア大聖堂(配信ミサ) 2020年6月7日】

 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にありますように」(コリントの信徒への手紙2・13章13節)。

 パウロはコリントの教会に宛てた書簡を、この言葉で締めくくっています。コリントの教会共同体への様々な忠告や、教えに満ちあふれた書簡は、いつの時代にも立ち返るべき教会共同体のあり方を教える、パウロの心のこもった書簡です。愛情に満ちあふれた教えや、時に厳しい訓告をさまざまにしたためた言葉を、パウロはこの祝福の言葉で締めくくります。

 そして今を生きる私たち教会は、感謝の祭儀を始めるために、この言葉を司祭のあいさつの一つとしています。パウロが自らの教えの締めくくりとした言葉によって、私たちは感謝の祭儀を始めます。すなわち現代を生きる教会は、感謝の祭儀のために共同体として集まるごとに、パウロが締めくくった地点から、そのたびごとに新しいスタートを切っています。

 教会は、主イエスの恵みにあずかり、神の愛に満たされ、聖霊に導かれて、聖徒の交わりのうちに、日々新たに生かされていきます。主イエスの恵みにしても、神の愛にしても、人間の常識を越えたあふれるばかりの恵みであり愛であることを、ヨハネ福音は示唆しています。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ福音書3章16節)。

 自ら創造した人間を、独りたりとも滅びの道に捨て置くことはない。愛に根ざした神の決意が伝わってくる福音の言葉です。三位一体の神とは、私たちに、これでもか、これでもかと、ありとあらゆる手を尽くして迫ってくる、神の愛の迫力を感じさせる神秘であります。

 「兄弟たち、喜びなさい」(コリントの信徒への手紙2・13章11節)

 パウロは、コリントの教会に向かって、呼びかけます。様々な試練があり、教会共同体には諸々の課題や難題があったとしても、その人間の限界を凌駕するほどの三位一体の神の愛に包まれていることを実感するなら、悲しんでいたり、怒っていたりする暇はない。その神の愛の迫力で、喜び以外には考えられないだろう、というパウロの呼びかけです。

 「完全な者となりなさい」(同)

 完全な者は神ご自身以外には考えられず、私たちは自分の力で完全になることはあり得ません。それなら、この言葉の意味は何でしょう。「初心に返りなさい」と訳している聖書(注:聖書協会・共同訳)もあるのですが、信仰の原点、すなわち、主イエスを初めて信じた時のように、自分の思いではなくて、神の心にすべてを委ね、任せよ、という呼びかけです。私たちは自分の弱さを自覚した時に初めて、自我の殻を捨て去り、神の力が存分に働く者となります。

 「励まし合いなさい」(同)

 私たちは、「励まし合う共同体」でしょうか。」「互いに牽制し合う共同体」になっていないでしょうか。一つの体の部分としての役割を果たすならば、裁きあったり、とがめ合ったりするのではなく、互いに励まし合うことで、自分の足りないところが支えられます。

 「思いを一つにしなさい」(同)

 私たちが語るキリストの体における一致は、「同じことを同じように考え」、「同じように行動する」ことではありません。一致は「一緒」ではありません。聖霊は私たち一人ひとりに異なる賜物を与えられた。その聖霊の賜物を忠実に生かし、聖霊の交わりの中に生きる時、私たちは異なる場で異なることをしていても、同じ聖霊に満たされ導かれることで、一致しています。

 「平和を保ちなさい」(同)

 平和は、しばしば指摘されるように、単に「争わないこと」ではありません。平和は、神の秩序の実現です。神が最初に世界を創造された時の、秩序の実現です。

 パウロは、私たちが共同体にあって、喜び、完全な者を目指し、励まし合い、思いを一つにし、平和を保つときに、愛と平和の神が共にいてくださると指摘します。

 ですから、私たちの共同体に、もし、仮に、愛と平和の充満が感じられないのであれば、「喜び」「完全な者を目指す」「励まし合う」「思いを一つにする」「平和を保つ」のどれか一つが、欠けているのかも知れません。

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 新型コロナウイルス感染症の蔓延で、私たちは、四旬節も復活節も、教会に集うことができませんでした。復活節が終わった今、少しばかりですが、希望が見えてきました。緊急事態宣言が解除され、しばらく様子を見極めていましたが、そろそろ教会に集まる準備を始めても良い時期になってきたと思います。

 もちろん感染症が終息したわけではなく、未知の危険が潜んでいますから、慎重に行動しましょう。教会に集まったり、ミサに出たりすることにも、しばらくはいろいろな制約を設けなくてはなりません。

 不満に感じること、面倒に感じることも多々あるでしょう。大変申し訳ないと思います。しかしそれは、自分の健康を守るためだけではなく、他の人たちの命を守るための積極的な行動です。それが、ひいては、「社会の一員としての教会の責任を果たすこと」にもつながります。

 長い自粛期間を経て、再び教会に集おうとしている私たちは、これからどのような共同体として存在しようとしているのでしょう。

 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」とコリントの信徒への手紙を締めくくったパウロの言葉を受けて、そこから新しいスタートを切ろうとするのです。灰の水曜日以前の教会に、そのまま戻ることを考えないでください。私たちを交わりに導く聖霊は、教会に常に新しい息吹を吹き込んでいます。私たちは、過去に戻りません。

 教皇フランシスコは、使徒的勧告「福音の喜び」に、こう書いておられます。

 「宣教を中心にした司牧では、『いつもこうしてきた』という安易な司牧基準を捨てなければなりません。皆さんぜひ、『自分の共同体の目標や、構造、宣教の様式や方法を見直す』というこの課題に対して、大胆かつ創造的であってください。」(33)

 教会に出かけることもできずに自粛生活を続けてきた結果として、何か新しい発見はあったでしょうか。大切にしなくてはならないものに、何か新しい気づきはあったでしょうか。

 これまで教会は、日曜日に集まってくることで、「共同体であるつもり」でいました。でも三か月以上も、実際に教会に集まれなくなっています。私たちは、共同体でしょうか。共同体であるならば、何が私たちをつないでいるのでしょう。私たちをつないでいるのは、オンラインのミサではありません。

 私たちは、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」によって、つながれています。私たちに迫ってくる、迫力に満ちあふれた、神の愛で、つながっています。私たちは、24時間、その愛に包まれているのですから、どこにいても、常に、教会です。教会に行くから、教会になるのではなく、私たちそのものが教会なのです。

 私たちは今、教会共同体として新たなスタートを切るための準備を始めなくてはなりません。「三か月前の続き」を再開するのではなく、困難を乗り越えてきた今、新たなスタートを切ることを目指したいと思います。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」に包まれて、心と思いを一つにした教会共同体で、信仰を深め、信仰に生き、信仰を伝えてまいりましょう。

(編集「カトリック・あい」=漢字表記は当用漢字表を原則としました)

 

 

2020年6月7日

・「バチカンの沈黙は、信仰軽視の”政治的迎合”」-陳枢機卿、香港国家安全維持法導入に(CRUX)

‘We need a miracle,’ retired Hong Kong cardinal says on security law

Retired archbishop of Hong Kong Cardinal Joseph Zen is pictured in Hong Kong, Feb. 9, 2018. (Credit: Vincent Yu/AP.)

  ROMEー香港の陳日君・枢機卿は、中国が導入しようとしている香港国家安全維持法が「香港人の自治を危険にさらしている」とし、この問題をバチカンが批判せず、黙っているのは、「キリストへの信仰を軽視した政治的迎合」と強く批判した。

*「天からの奇跡が必要」

    枢機卿は「私たちは心配しています。とても心配しています」と中国の国家安全法の香港への導入に強い懸念を示し、 「私たちには奇跡が必要。天からの奇跡が必要なのです」と訴えた。

    陳枢機卿は現在、88歳。2002年から2009年まで香港司教を務めた。中国本土での布教活動の経験を持ち、中国政府・共産党によるキリスト教など宗教弾圧、人権抑圧に対する最も率直な批評家の1人として世界的に知られている。

    香港はこの1年、民主化を求める大規模デモの現場であり続けてきた。中国政府とその指示を受けた香港政庁の”香港引き渡し”の法案が香港議会に上程されて激しさを増し、法案が最終的に撤回された後も、再上程などを警戒する抗議活動は続けられたが、今年の初めからの新型コロナウイルスの世界的大感染で一時、休止していた。

   だが、先月末に、中国の全国人民代表大会(全人代)が、香港を対象とする「国家安全法」の導入を決定。香港市民がかろうじて守ってきた自治や自由は決定的に侵害され、香港の英国から中国への返還の条件だった、言論と信教の自由などを保証する「一国二制度」は実質的な終焉を迎えかねない状況になっている。抗議行動は再開され、北京で民主化デモが弾圧され、大量の若者が殺害、逮捕された天安門事件から31年目となる4日には、香港のビクトリア公園で警察の禁止を振り切って数千人が集まる追悼集会が開かれた。

*香港返還の際に約束された自主権は完全破壊へ

  中国政府、香港政庁は2003年に今回の法律に類する立法を試み、市民の強い反対に遭って断念しているが、今回の法律は、「それよりもはるかに酷いものになる」と枢機卿は懸念する。「詳細な内容は、例えば、法律の執行主体はどこなのか、違法行為者とされた人は香港で裁かれるのか、それとも中国本土に連れて行かれるのか、など定かでないが、いずれにしても、中国政府が英国と香港返還の際に約束した自主権が完全に破壊されるのは、避けられそうにない」とし、「こうしたことすべてが、私たちを不安にさせています」。

 その一方で、枢機卿は、香港が重要な国際金融の結節点であり、内外の投資家たちが新法の影響を心配していることから、中国共産党内部にも同法について異論が出ている可能性がある、と指摘。党内の穏健派が「国際社会からの批判に注意を払い、国家安全法に内容に修正を加える」よう党指導部に進言するすることを期待したいが、その実現性は低いとし、「私たちは北京の判断にあまり影響を与えていない。彼らは私たちの言うことに耳を傾けず、私たちを敵だと考えています。それが問題なのです… ですから、実際には、とても酷いことになるでしょう」と述べた。

 

*バチカンの長い沈黙

 枢機卿は、かねてからバチカンの対中国政策について、とくにその主導権を握るピエトロ・パロリン国務長官の対応に異議を唱え、一昨年秋に中国政府の国内の司教任命について暫定合意しながら、いまだに詳細が公表されないことを批判してきたが、今回の国家安全法の導入にカトリック信徒も含め香港市民が抗議の声を上げていることに対して、バチカンが彼らを支えるどころか、沈黙を続けていることに、強い怒りを感じている。

 「残念ですが、バチカンに期待することは何もありません。過去数年間、彼らは中国に対し、迫害をいさめるようなことを何も言いませんでした… 教会を中国の支配者に”降伏”させてしまったのです」とし、「香港では今、多くの若者が警察当局の残虐行為に苦しめられているのです。それなのに、バチカンは中国政府を喜ばせようとしている」と訴え、「バチカンの中国への対応は愚かです。なぜなら共産主義者は、バチカンに何も与えるつもりはない。ただ教会を支配下に置きたいだけなのです」と批判した。

 そして、「香港は結局、中国本土の他の都市と同じようになり、特別な地位を失うでしょう。宗教的迫害と言論や集会の自由などの基本的権利のはく奪がすぐにされるはないとしても、徐々に、確実に、私たちの自由は侵食されていることになる」と、教会や世界の民主主義国に警告した。

*香港司教が空席一年半-政治的配慮を優先のバチカン

 バチカンは沈黙し、何もしないことで、すでに中国、香港における信教の自由や人権侵害に手を染めている、と批判する枢機卿は、実例として、昨年1月に楊鳴章・司教が急死したあと、バチカンが1年半にわたって香港の教会リーダーである香港司教を空席のままにしていることを指摘。「バチカンが後任として誰かを見つけるのは容易なはず」とし、すでに公認候補が決まっていたにもかかわらず、昨年の香港市民による抗議活動を巡って香港政庁に批判的立場をとり、市民の権利を支持することを明言、香港政庁に穏健な態度を取るよう求めていたことを理由に、バチカンが、この候補を司教に任命しようとしない可能性を示唆した。

 枢機卿はまた、中国政府・共産党にとって好ましい司教候補が現在、検討されているが、まだ任命に至っていないが、それは、北京が同意する司教の任命は「現時点で、カトリック教会に好ましくない」ということに、バチカンがある程度、気付いていることを示している、とも指摘。「司教の選択が政治的理由によってなされるべきではない。だから、私たちは心配しているのです… 恐らく、聖座は信仰を基準にせず、政治的配慮によって判断しようとしています。それは私たち香港教区にとって極めて危険なことなのです」とバチカン”首脳部”の姿勢を強く批判した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。

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2020年6月5日

・「現実の中で福音を証しする使命を自覚する時は、今だ」菊地東京大司教の聖霊降臨の祝日ミサ

(2020.5.31 菊地大司教の日記)

聖霊降臨の主日@東京カテドラル

 復活節の締めくくりでもある聖霊降臨の主日となりました。結局、2020年は、四旬節も復活節も、教会のミサを公開で行うことができませんでした。受洗を予定されていた多くの方や、また今日の聖霊降臨にカテドラルで合同堅信式を予定されていた多くの方。大変申し訳ない。大きな喜びの時を、大きな試練の時としてしまい、大変残念です。

 今後、ミサが公開となっていった段階で、小教区教会共同体全体とは行かないかも知れませんが、共同体の中で、洗礼や堅信を受けるようにしてください。個人的に個別に行うと言うアイディアもありましたが、やはり洗礼も堅信も、緊急の場合を除いて、共同体のお祝いであり、共同体の一員として秘跡にあずかっていただくのが本来の姿です。今後、主任司祭が様々な工夫をして洗礼や堅信を行っていくことになりますので、よくご相談ください。

 なお、現時点では、東京教区の小教区公開ミサを再開することはできません。もうしばらくお待ちください。緊急事態解除後に、感染者がゼロになったわけでもなく、亡くなられるかたもおられます。状況を見極め、また特に東京都のロードマップを参考にしながら、時期を定めてまいります。互いのいのちを守るために、慎重に行動したいと思います。

 具体的な指針についての問い合わせが、いくつか教区本部にありました。お知らせしたように、4月末に、具体的な対応のガイドラインを小教区の司祭に配布しました。それぞれに必要な対応を準備していただくためです。公開していない理由は、東京教区の中でも地域によって状況が異なりますので、すべての小教区で統一した全く同じ対応をすることは難しいと思われるからです。ガイドラインの一人歩きは避けた方が賢明だと思います。

 各小教区では、教区のガイドラインに沿って、地域の状況に合わせたアレンジをしていただかなくてはなりません。その作業を、主任司祭と、この数週間は教会の役員の方々などと一緒に、進めていただいております。

 ミサを公開する日時を定めましたら、その10日くらい前にはお知らせします。その際には、教区がすでに定めた具体的なガイドラインも公開します。それに基づいたそれぞれの小教区の対応も、お知らせすることになると思いますので、主任司祭の指示に従ってくださるように、お願いいたします。

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 以下、本日の説教の原稿です。

聖霊降臨の主日 東京カテドラル聖マリア大聖堂(配信ミサ) 2020年5月31日

 緊急事態宣言が解除され、私たちは、閉じこもっていた部屋から解放されたように感じています。あの日の、恐れのなかにあった弟子たちのように、部屋の鍵をかけて隠れているような心持ちで、私たちも毎日を過ごしてまいりました。

 感染にはこれからも繰り返し波があると指摘されていますから、緊急事態宣言の解除が安全宣言ではないことを心にとめて、慎重な行動をとらなければなりません。教会も、社会の中における責任を自覚し、また大切な命を守ることを優先して行動していきたいと思います。

 改めて、今回の事態にあたり、日夜努力を続けておられる医療関係者の方々に感謝し、また病床にある方々へ慈しみ深い御父の癒やしの手が差し伸べられるように祈ります。

 恐れは私たちの心を束縛します。弟子たちは恐れに束縛されて、部屋に閉じこもりました。イエスはその部屋に入り、聖霊を与え、弟子たちを恐れの束縛から解放します。

 「あなた方に平和があるように」-「死」という最大の束縛から解放された復活の主は、弟子たちに言葉をかけます。それは、いつものあいさつの言葉に留まらす、恐れに束縛される心には、神の平和が欠如しているという事実を指摘しています。

 神の平和とは、すなわち、神の秩序の実現です。神の平和の欠如とは、すなわち、神が求めておられる世界のあり方とは、正反対にある状態です。恐れる心は自分を守ろうとする思いに満たされ、他者への配慮に欠ける心となりかねません。互いに助ける者として共に生きるように、と命を与えられた私たちが、他者への心配りを忘れては、神の秩序の実現はあり得ません。

 「聖霊を受けなさい」と恐れる弟子たちに、イエスは語りかけます。聖霊は、「命の霊、すなわち永遠の命の水が湧き出る泉」であります(教会憲章4)。聖霊は、心の恐れを打ち砕く、命の源です。聖霊に生かされたとき、初めて、神の平和が実現します。

 使徒言行録は、聖霊によって生かされた弟子たちが、様々な言葉で福音を語る姿を記しています。もちろん聖霊をいただくことによって、様々な言葉が話せるようになれば、それはそれで素晴らしいことですが、この出来事が記されている本質はそこにはありません。大切なのは、言葉や文化の壁を乗り越えて福音が理解されたときに、初めて神の平和が実現する一歩が踏み出されると言うことです。

 「父が私をお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」とイエスは、弟子たちに勇気を持って一歩前に踏み出すように促します。聖霊を受けた教会は、言葉や文化の壁を乗り越えて福音が理解され、神の平和が実現するようにと、遣わされています。神の望まれる世界の実現のために、遣わされています。

 改めて言うまでもなく、私たち一人ひとりはキリストの体の一部として、「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらった」のですから、主によって派遣されている教会の一部として、同じように、一人ひとりがイエスによって派遣されています。

 私たちの派遣の使命は、聖霊の導きに従いながら、復活された主イエスの福音をありとあらゆる方法で、なおかつ理解される方法で多くの人に伝え、神の平和を実現することにあります。

 1998年に開催されたアジアシノドスを受けて発表された教皇ヨハネパウロ二世の使徒的勧告「アジアにおける教会」に、教会の派遣の使命について、次のような指摘があります。

 「教会は、聖霊の促しに従うときだけ自らの使命を果たすことができることをよく知っています。教会は、アジアの複雑な現実において、聖霊の働きの純粋なしるしと道具となって、アジアのあらゆる異なった環境の中で、新しく効果的な方法を用いて救い主イエスをあかしするよう招く聖霊の促しを識別しなければなりません(18)」

 その上で教皇ヨハネパウロ二世は、アジアにおける福音宣教の道を次のように示唆します。

 「アジアにおいては非常に異なった状況が複雑に絡み合っていることを深く意識し、『愛に根ざして真理を語り』つつ、教会は、聞き手への尊敬と敬愛を持って福音を告げしらせます。(20)」

 同じアジアにおける教会の一員であるわたしたちは、日本社会の現実の中へと派遣されて、「愛に根ざして真理を語」らなくてはなりません。私たちは、「尊敬と敬愛を持って」対話のうちに福音を告げなくてはなりません。聖霊の促しを受けて、その働きの純粋なしるしと道具となって、神の平和が実現するようにと、福音を告げなくてはなりません。

 教皇フランシスコは、「福音の喜び」の終わりに、「聖霊と共にある福音宣教者」というひと項目を設けています。そこに「聖霊は、福音を宣教する教会の魂」だと言う言葉があります。

 そして教皇は、こう呼びかけます。

 「宣教活動の中心にイエスの現存を見いだすことがなければ、すぐに熱意を喪失して、伝えていることに確信が持てず、力と情熱を失うことでしょう。信念も、熱意も、自信も、愛情もない者は、誰も納得させえません。イエスと結ばれ、イエスが求めるものを求め、イエスが愛するものを愛してください(266)」

 私たち自身が、イエスの現存を肌で、心で感じていなければ、何も伝えることはできない。私たちがそれを生きていなければ、何も伝えることはできない。

 恐れは不信を生み、不信は利己主義へとつながり、連帯のきずなは崩壊します。恐れの内に閉じこもろうとする社会に、私たちは命の泉である聖霊の息吹を吹き込みたい。

 だからこそ、聖霊に導かれる教会は、常に新たにされ、恐れて閉じこもることなく、勇気を持って福音を告げる努力を続けなくてはなりません。教会は常に、聖霊の呼びかけに応えているかを見つめ直さなくてはなりません。

 感染症の拡大という困難は、3か月にわたって、これまでの教会活動を止めてしまいました。しかしそのことが同時に、この現実の中で教会のあるべき姿をあらためて探求しようとする、いわば黙想の時間を、私たちに与えてくれました。教会は、困難な状況をくぐり抜けた後で、新たに立ち上がることを求められています。一人ひとりがキリストの体の一部として、現実の中で福音を証しするよう派遣されている使命を、改めて自覚する時は、今です。

 社会に定着しようとする新しい生活様式とは、単にマスクをいつも着けることだとか、充分な社会的距離を保つといった、外面的な規則を守ることに留まるのではありません。それは生き方の転換や価値観の転換を促す、社会構造の変革の機会でもあります。

 発表されてちょうど5年となる回勅「ラウダート・シ」において、総合的エコロジーの視点を強調される教皇フランシスコは、「後続する世代の人々に、今成長しつつある子どもたちに、どのような世界を残そうとするのでしょうか」と問いかけ、さらに「この世界でわたしたちは何のために生きるのか。私たちはなぜ、ここにいるのか」と言う根本的な問いに対して、真摯に向き合うようにと呼びかけます(160)。

 聖霊に導かれて、恐れに打ち勝ち、日々新たにされながら、神の望まれる世界、すなわち神の正義が具体化する新たな世界の実現を目指して、一歩前に踏み出しましょう。

(漢字表記は当用漢字表にならっています)

2020年5月31日

・「香港で起きている真実はー基本的人権の破壊だ」ーカトリック人権活動家が訴え

 ロジャース氏は、香港の人権問題の専門家、英国保守党の人権委員会の共同創設者、副会長。「Christian Solidarity Worldwide」東アジアチームのリーダー、「Hong Kong Watch」の創設者、会長でもあり、現在の香港危機について多くの情報発信を続けている。

 

問: 香港は中国の国家安全法導入で、どのように変わるでしょうか?

答:新しい国家安全法は、香港市民の基本的な自由を事実上破壊するでしょう。 いわゆる”転覆” “離脱” として”外国の政治勢力との共謀”を犯罪として取り締まる… 香港の人々が外国の議員や人権団体、メディアに話をすることは犯罪、ということになり、抗議する権利を否定し、報道の自由と宗教の自由を脅かし、香港の「独立」についての平和的に議論することも犯罪にされてしまう。

 どの国と地域には国民の安全を守る権利がありますが、国家安全法は、香港の基本法が市民に約束する普通選挙権の行使なしに香港に適用される、非常に危険なものであり、市民的及び政治的権利に関する国際規約の署名者としての香港の義務と、香港返還に関する中英共同宣言で定めた中国の義務に対する重大な違反です。

 

問:中国の外相は、米英の香港での「干渉」を止めるために国家安全法が必要だ、と説明しています。「干渉」は本当に存在するのでしょうか?この法律の真の狙いは何ですか?

答:ロジャース:外相が言うような「干渉」はありません。これは、中国共産党(CCP)が使う典型的で、都合のいい宣伝文句です。英国は、中英共同宣言、国連に提出し国際条約、および国際社会で表明した香港の自治と自由を監視および擁護する、正当な、道徳的、法的義務を負っています。香港市民が明確に表明している基本的自由の堅持と普通選挙権は約束されたものであり、守られるべきものなのです。この法律の真の狙いは、反対する意見を抑え込み、中国共産党の香港支配を強化し、香港を中国の”もう一つの都市”にすることです。

問:香港の学生や民権派の人々は抗議行動を続けられるでしょうか? 彼らは希望を無くしてしまうのでしょうか?

答:新しい法律の発表後、先週の日曜日に、何千人もの人々が抗議しました。抗議が止まる可能性は非常に低いと思います。 香港人たちは自分たちの自由を守る決心をしており、抗議活動は増えると思います。希望を失った人もいますが、多くの人は本当に私たちが考えられないほどの強い決意をしているのです。

 

問:一部の評論家などは、香港の特別な経済的地位を、米国が取り消したら、習近平の思うつぼに嵌まってしまうだろう、彼の狙いは、香港を貧しくし、香港にある主要な金融機関を中国ほんとに移すことにある、と見ていますが?

答:習近平がそうすることにはリスクがあり、香港から特別な地位を奪うことは最後の手段と言えるでしょうが、彼のテーブルに載せているのは間違いありません。香港が自治権を失い、「一国二制度」が終焉し、中国の”もう一つ都市”になった場合、高度な自治権のもとに確立された香港の特別な経済的地位の正当性はどうなるのか。ここで考えるべきは、「HongKong Watchi]がレポート「Why Hong Kong Matters」で主張しているように、世界の主要金融センターとしての香港が、中国経済と国際社会にとって非常に重要であるということです。

 

問:香港のこのような状況に、米国と他の民主主義国は何ができるでしょうか?

答:まず、香港返還の共同宣言に署名し、自国の香港支配の歴史に起因する明確な道義的責任を負う英国が、米国およびその他の国々、機関とともに、グローバルな対応の先頭に立つことが重要です。香港の自由を擁護するために、世界の指導者が明確に、一貫して、繰り返し、しっかりと発言することが不可欠です。英国の最後の香港総督だったクリス・パッテン氏が、5月25日付けの英経済紙Financial Timesで主張したように、英国は先進7か国(G7)やその他の国際的な場で、この問題を積極的に取り上げるべきです。

 第二に、英国は、志を同じくする国々がグローバルな対応を調整するための場を形成する必要があります-英国、欧州諸国、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そして、日本、韓国、インドネシアなどのアジア太平洋地域の民主主義の国々とです。

 第三に、各国は中国政府と香港政府、および人権侵害に責任を負う警察当局の個々の人物に対してマグニツキー方式の制裁を課すことを検討する必要があります。

 (注:米国は2012年12月、、ロシアの人権弁護士セルゲイ・マグニツキー(Sergei Magnitsky)氏獄死事件などの人権侵害に対して、関与したと判断する人々を個別に制裁する「セルゲイ・マグニツキー法(Sergei Magnitsky Act)」を施行、同氏の死に関与したとされるロシアの検察官、捜査官、税務官、判事らの実名を公表するとともに、米国への渡航禁止、米国内資産を財務省の制裁措置下に置いた。)

 第四に、英国は他の国々とともに、香港返還の中英共同宣言の明確な違反に対処するために、法的または外交的手段による必要な措置を検討する必要があります。

 第五に、英国と他国政府は協力して、香港の活動家が危険にさらされた場合に避難できる場を提供する必要があります。先週末に、世界の200名以上の国会議員、25か国の地位の高い政治家および政府職員が出した声明を、国際社会は重視する必要があります。

 

問:香港市民を支援するNGOの役割は何ですか?

答:私たちの役割は、世界各国の政策立案者、国会議員、メディア、学者、一般大衆に対して、基本的な人権と自由のための闘いにおいて香港市民を支援するよう提唱し、声を挙げ、情報提供し、人々を動かすことです。私たちは、ここ数週間に、支援活動を強化しており、www.hongkongwatch.orgで多くの情報を発信しています。そして、国際社会が行動を起こすように働きかけを続けます。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

*Bitter Winter(https://jp.bitterwinter.org )は、中国における信教の自由 と人権 について報道するオンライン・メディアとして2018年5月に創刊。イタリアのトリノを拠点とする新興宗教研究センター(CESNUR)が、毎日5言語でニュースを発信中。世界各国の研究者、ジャーナリスト、人権活動家が連携し、中国における、あらゆる宗教に対する迫害に関するニュース、公的文書、証言を公表し、弱者の声を伝えている。中国全土の数百人の記者ネットワークにより生の声を届け, 中国の現状や、宗教の状況を毎日報告しており、多くの場合、他では目にしないような写真や動画も送信している。中国で迫害を受けている宗教的マイノリティや宗教団体から直接報告を受けることもある。編集長のマッシモ・イントロヴィーニャ(Massimo Introvigne)は教皇庁立グレゴリアン大学で学んだ宗教研究で著名な学者。ー「カトリック・あい」はBitterWinterの承認を受けて記事を転載します。

 

2020年5月29日