・「福音を愛の業による証しをもって告げ知らせる」菊地大司教の「主の昇天」説教

2021年5月15日 (土) 週刊大司教第二十六回:主の昇天

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 復活節第七主日は、主の昇天です。(写真は西千葉教会のヨセフ像)

 この一週間は、月曜の東京教区の司祭評議会に始まって、水曜日の司教協議会のHIV/AIDSデスク事務局会議、そして社会司教委員会、木曜日には司教協議会の常任司教委員会と東京カトリック神学院の常任司教委員会などと、すべてオンラインでの会議が続きました。

 どの会議でも、今後の年間予定をどうするのかが重要な議題のひとつとなり、秋以降に予定されているさまざまな行事は、状況が見通せないことや準備の時間も考えて、軒並み、中止やオンライン化が決まっていきました。

 オンラインでの行事は、全国どこにいても参加できるメリットがある反面、やはり実際に出会って交わるという部分に、まだ欠けているように感じます。慣れるのかもしれません。またオンラインの会議は、移動する時間と経費が節約できますが、移動時間がないぶん、立て続けに会議が続くことがあり、モニター画面の前に座りっぱなしになったり、海外との会議ですと時差を考慮に入れて、とんでもない時間に始まったりと、それはそれで大変です。

 中止になった行事といえば、5月21日から26日まで、有楽町で、カトリック美術協会の毎年の美術展が開催される予定でした。これも、昨年同様、中止となってしまいました。私自身はカトリック美術協会の顧問司教を務めていますが、私の父親も絵描きですので出品されることがあります。信徒の美術家の方々の渾身の作品が展示され、広く一般の方にも鑑賞いただく機会でしたので、残念です。来年は、安心して開催されますように。

 ワクチン接種が少しずつ進んでいるようです。司祭や修道者の方でも、高齢者が多いですから、順番に接種の予約が取れた方が出ているようです。私はまだ65歳前ですので、ワクチン接種はかなり先のことになるのではないかと思われます。まだまだ気を抜くことはできません。

 以下、本日土曜日午後6時に配信された、週刊大司教第二十六回、主の昇天の主日のメッセージ原稿です。

 

【復活節第七主日B・主の昇天(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第26回 2021年5月16日】

「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」

 復活された主イエスは、40日にわたって弟子たちと共におられ、神の国について教え、ご自分が新しい命に生きていることを数多くの証拠を持って示されたと、使徒言行録の冒頭に記されています。

 十字架上での死によって主を失った弟子たちには、大きな絶望があったことでしょう。神の国の実現という、将来に向けての具体的な目的が潰えてしまったからです。復活された主に出会った弟子たちの「イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」という問いかけに、弟子たちの心に再び芽生えた希望が表現されています。

 残念ながら、弟子たちの心に再燃したその希望は、主が示す新たな命への道とは異なりました。マルコ福音には、天に上げられ、神の右の座につかれたイエスが、弟子たちに残した言葉が記されています。

 「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」

 これこそが、主イエスが示される新たな命への希望の道であります。

 福音を伝えることによって、多くの人が神の救いにあずかること。多くの人が神の愛に包まれて生きること。そこに本当の命の希望があるのだと、主は進むべき道を示されます。

 私たちには、福音を告げしらせ、命の希望の灯火をともしていく務めがあります。教会に与えられた、福音宣教の命令です。私たちの使命です。

 昨年から一年以上、私たちは困難な状況の中にあります。希望の光であるワクチン接種も徐々に始まってはいますが、緊急事態宣言やそのほかの措置が繰り返され、まだまだ油断することはできません。気を緩めることはまだできませんが、かすかながら光が見えつつあり、希望を感じ取ることができます。

 希望は人を生かします。希望は不安を打ち砕き、行動へと駆り立てる勇気を与えます。希望は、守りに入って自分のことだけを心配する目を、助けを必要とする他者へと開きます。希望は、私たちが一歩前へと足を踏み出す力を生み出します。

 この希望への道を切り開いてくださっている医療関係者の努力に、改めて感謝するとともに、病床にある方々の一日も早い回復を心から祈ります。

 「教会の使命は、キリストの命令に従い、聖霊の恵みと愛に動かされて、すべての人と民族の前に完全に現存するものとなるとき、初めて遂行される」と記している第二バチカン公会議の『教会の宣教活動に関する教令』は、愛の証しによる福音宣教について、次のように記します。

 「キリストが神の国の到来のしるしとして、あらゆる病気や患いを癒やしながら町や村を残らず巡ったように、教会もまた、その子らを通して、どのような状況にあるとしても、人々とくに貧しい人や苦しんでいる人と結ばれ、彼らのために喜んで自分を差し出す」(12)

 イエスは苦しみの意味を問う私たちに、抽象的に意味を説明するのではなく、ただ、「私に従って来なさい」と招き、ご自分の愛の業に参加するように呼ばれるのだ、と記したのは、ヨハネパウロ二世でありました。(「サルヴフィチ・ドローリス」26)

 今、この状況の中で、私たちには、福音を、愛の業による証しを持って告げ知らせる務めがあります。希望の光を届け、主が示される新しい命への真の希望の道を歩みましょう。

2021年5月15日

・「イエスの命を懸けた愛を証しできるように」菊池大司教の復活節第六主日の説教

週刊大司教第二十五回:復活節第六主日

 復活節もすでに第六主日となりました。

 残念なことに、緊急事態宣言は当初の5月11日は解除とならず、東京都に関しては月末まで延長されることが発表されています。千葉県のまん延防止等重点措置も、月末まで継続です。

 従って、東京大司教区では、現時点で行っている感染対策などを、そのまま継続します。現時点での教区の対策は、東京大司教区Okadakishi21cのホームページの一番トップに、常に掲示されていますので、ご参照ください。『現在の東京教区における感染症への対応」と記されたバナーがありますので、クリックされてください。

 5月8日土曜日の午前11時から、ごくOkadakishi21b一部の方々に参加者を限定して、昨年12月に帰天されたペトロ岡田武夫大司教と、昨年9月に帰天されたフランシスコ・ザベリオ岸忠雄神父の納骨式を、府中カトリック墓地で行いました。

 晴天に恵まれ、暑いほどの陽気でしたが、両師のご親族代表ほか10名ほどで、教区司祭団の共同納骨墓にお二人の御遺骨を納めさせていただきました。

 府中墓地の聖堂の目の前にあるのが教区司祭団の共同墓です。府中墓地にお出での節には、是非お祈りをお願いいたします。

 以下、週刊大司教第二十五回目の、メッセージ原稿です。

【復活節第六主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第25回 2021年5月9日】

 「愛する者たち、互いに愛し合いましょう」と呼びかける使徒ヨハネは、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしに」なったことにこそ、神の愛が示されていると強調します。

 すなわち、神から私たちに向けられた愛は、御子が十字架の上でその身をささげられたほどの愛であり、まさしく命がけの愛であります。その愛によって生かされているのだから、私たちも、口先ではなく、「命がけ」で愛に生きるように、という、実のところ極めて激しい呼びかけの言葉であります。

 使徒ヨハネの言葉は、イエスご自身の、さらに激しい呼びかけ、すなわち、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という言葉に根ざしています。

 「隣人を愛する。友を愛する」と口にするのは、たやすいことです。もしかしたら「互いに愛し合いなさい」と言う呼びかけも、簡単なことだ、と思ってしまうこともあるやも知れません。でもそれは思い違いです。それは、単に優しくあることを意味しているからではありません。

 イエスが語る「愛」は、ご自身がそうされたように、命がけの愛であります。神の愛を具体化するために、イエスは受難の道を歩まれ、十字架の苦しみの中に、ご自身を「贖いのいけにえ」としてささげられました。それが神の愛です。

 この言葉を耳にするとき、私はどうしても、ルワンダ難民キャンプでの体験を思い起こしてしまいます。

 25年ほど前、当時の旧ザイールにあったルワンダ難民キャンプで、襲撃事件に遭遇しました。キャンプに二時間にわたって銃弾が撃ち込まれる中で、隣に一緒にいたはずのルワンダ人の神父が、外国人の私たちが襲撃されないように、と、建物の外に立ち、襲撃してきた一団の注意を引こうとしていたのでした。幸い彼が襲撃してきた一団に遭遇することがなかったのですが、その直後、「君たちを守るために、注意を引こうとしていたのだ」という彼の言葉を耳にしたとき、自分がそれまで「友のために命を捨てる」という言葉を、いかに軽々しく口にしてきたことかと思い知りました。

 そしてイエスの言葉がどれほど命がけの行動を促しているのかを、思い知りました。愛は簡単に口にできますが、神の愛に生きることは、命がけであります。

 5月は聖母月ですが、聖母マリアは命がけの愛に生きる模範を示されています。教皇フランシスコはそのことを「福音の喜び」で、「教会の福音宣教の活動には、マリアという生き方があります。というのは、マリアへと目を向けるたびに、優しさと愛情の革命的な力をあらためて信じるようになるからです」(288)と記して、聖母の愛が、単なる優しさにあるのではなく、「革命的な力」という表現で、命を懸けた生き方によって証しされていること示唆します。

 さて教会は、復活節第六主日を「世界広報の日」と定めています。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画、インターネットなどの広報媒体を用いて行う宣教について、教会全体で考え、振り返り、祈り、献金をささげる日です。この日にあたり教皇フランシスコは、『「来て、見なさい」(ヨハネ福音書1章46節)人々と、彼らのいる場で、そのままの彼らと会って、伝えなさい』というメッセージを発表されています。教皇は、「言葉は、それが『見てもらえる』ときにのみ、あなたを経験の中に、対話の中に、巻き込むときにのみ、力を得ます」と記して、イエスと出会った者がその体験を、実際の出会いの中で具体的に言葉と行いを持って証しするように招かれます。

 私たちは主イエスに倣い、命がけの愛に生きている姿を、具体的に証しするように、努めていきたいと思います。

(編集「カトリック・あい」)

2021年5月8日

・「SDGs目標2: 飢餓をゼロに」達成に向けて – 何ができるか?(世界銀行)

The Kitabi Tea Processing Facility in Kitabi, Rwanda. © A'Melody Lee/World Bank
ルワンダ、キタビのキタビ茶加工施設 © A’Melody Lee/世界銀行

(2021.4.30 世界銀行ニュース)

 4月の世界銀行グループ・国際通貨基金(IMF)春季会合で世界銀行が開いた、持続可能な開発目標(SDGs)の目標2「飢餓をゼロに」を達成するための解決策と資金調達方法を話し合う非公開会議には、農業の生産性と強靭性を追求するだけではなく、人々の健康や栄養の改善や、気候にも資する食料システムに転換していくことの重要性が強調されました。本会議には、日本の財務省高官も出席し、この議論に積極的に参加しました。

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 新型コロナウイルス感染症との闘いが始まって一年。感染症危機は経済危機を引き起こし、食料安全保障にも長期的な課題が生じています。 

  世界の最貧困層にとっては基本的な生計の維持すら難しくなっており、また保健・栄養サービスが滞ることによって今後長期にわたる負の影響が危惧されています。新型コロナウイルス感染症危機以前も、世界は持続可能な開発目標(SDGs)の「目標2:飢餓をゼロに」の達成に向けて順調に歩んでいたわけではありません。

 今回の感染症危機により、1億3,500万人の食料安全保障が急速に悪化し、3,400万人が飢饉に直面するというこれまでにない状況が発生するとみられます。 

 現在、世界で1億4,900万人の子どもが発育阻害の問題を抱えていますが、2022年までにさらに急性栄養不良の子どもが930万人、発育阻害の子どもが260万人増えるとする推計があります。そうなれば、これまで何年もかけて達成されてきた栄養改善事業の成果が水の泡になってしまいます。幼少期の発育阻害は学習能力や成人後の労働生産性に影響を与えるため、その負荷は生涯にわたって続きます。

さらに、今回の感染症危機によって改めて目を向ける必要性が高まっているのは、世界の体重過多・肥満人口の70%以上を低・中所得国の人々が占めているという事実です。  肥満によって新型コロナウイルス感染症による死亡リスクが48%、入院リスクが113%、重症化リスクが74%高まることが報告されています。

*環境に配慮した強靭で包摂的な開発に方向転換する機会

 この問題の重要性に鑑み、世界銀行は2021年世界銀行グループ・国際通貨基金(IMF)春季会合において、SDGs目標2の達成のための解決策と資金調達方法を話し合う非公開会議を開催しました。

 マリ・パンゲストゥ世界銀行専務理事とアミーナ・モハメッド国連副事務総長の共同司会の下、ベルギー、カナダ、ドイツ、インドネシア、インド、日本、メキシコ、ノルウェー、パキスタン、フィリピン、ルワンダ、英国、米国の13カ国から財務大臣、開発大臣、政府・関係機関高官が、また世界銀行からは、ユルゲン・フォーグレ持続可能な開発担当副総裁とマムタ・ムルティ人間開発担当副総裁が参加しました。日本の財務省高官も出席し、この議論に積極的に参加しました。

 会議では、この危機を乗り越えるために、新型コロナウイルス感染症の流行によって起きている短期的課題に対応すると同時に、食料安全保障と栄養問題の長期的な改善を促す明確な視点が欠かせないことが合意されました。基礎的な保健・栄養サービスを提供し続けるためには保健システムをさらに強化しなければなりません。また、 経済と地球の健全性や人々の健康を強化するような食料システムを構築することも必要です。 

 我々は何十年もの間、栄養不良や肥満に加え、食生活に起因する慢性疾患を助長するような食料生産と消費パターンを続け、食料生産の持続可能性を損なってきました。今回の新型コロナウイルス感染症危機は、環境に優しく強靭で包摂的な開発へと舵を切るための数十年に一度の機会です。

*セクターや組織を越えた協働アプローチの導入

 我々は、セクターや組織を越えた協働アプローチを推進してきました。農業、食料、保健、栄養、社会的保護などの分野の専門家・実務者が集まり、共に食料・栄養安全保障問題の解決に取り組んでおり、さらにジェンダーの視点を取り入れ、妊産婦や2歳未満の幼児に焦点を当てています。今回の会議では、こういったアプローチから見えてきた希望の持てる学びが共有されました。

 ルワンダの発育阻害削減事業は保健と社会的セーフティネットのプロジェクトを包括するものですが、さらに農業プロジェクトが補完的役割を果たしています。その中でいかに供給側と需要側の課題をすり合わせているかが、ルワンダ財務大臣より報告されました。

 世界銀行シニア・マネジメントは、新型コロナウイルス感染症へのグローバルな社会保障対策を取り上げ、それを土台として今後も社会の強靭性、人的資本、経済的包摂性を強化する対策を続けていく必要性を指摘しました。例えば、サヘル適応型社会的保護事業では、現金給付を他の支援策と組み合わせることで、収入や生計活動、資産保有、貯蓄等の効果が高くなることがわかりました。

 この会議では、現在、我々が直面している課題の大きさにも触れ、農業の生産性と強靭性を追求するだけではなく、人々の健康や栄養を改善し、さらに気候にも資する食料システムに転換していくことの重要性が強調されました。そのためには、農業セクターの補助金や現場支援のための支出の目的を再考しなければならない、という議論も交わされました。

*資金調達の難しさを乗り越える

 SDG2を達成するには、資金へのアクセスが必要になります。  政府開発援助(ODA)と国内資金が共に限られる中、従来とは異なる資金源からも資金を呼び込む革新的資金調達方式が必要となります。

 世界銀行はいくつかの国において「栄養の潜在力(The Power of Nutrition)」という革新的な資金調達イニシアティブと協力関係にあります。独自の革新的資金調達に取り組んでいる国もあります。例えばメキシコは、SDG債の販売を通じ年間最大約150億米ドルの資金調達を図っていますし、健康によくない食品に対する課税を試行している国もあります。

 世界銀行グループ は、IDA対象国における食料安全保障のために53億ドルを提供しています。また、SDG2達成のための資金調達における「状況を一変させる」ソリューションを確保するため、パートナー国・機関と協力して積極的に取り組んでいます。今回の会議でも紹介された通り、9月の国連食料システム・サミットと、2021年12月に日本政府がホスト国を務め世界中のさまざまな組織の栄養改善支援が表明される予定の東京栄養サミット(Nutrition for Growth Summit: N4G)が大きな節目となるでしょう。

*政府全体・世界銀行グループ全体のアプローチ

 世界は現在、万人のための食料・栄養の安全保障の確保、生計の保護、天然資源の持続可能な活用と温室効果ガス排出量削減の両立という3つの課題に直面しています。  これらに対応するには、以下の3点を念頭に置いた資金調達が必要です。

 第1に、農業生産性の強靱で持続可能な向上を実現し、安価で健康によい食料を地方市場で入手できるようにする必要があります。

 第2に、栄養と保健サービスに常にアクセスを確保することで子どもたちが経済的潜在性を最大限に発揮できるようにする必要があります。

 第3に、食料・栄養の安全保障と連動した、リスク対応・適応型の社会的セーフティネットを整備することで人々をショックから守る必要があります。

 2030年までにSDG2を達成することはまだ可能です。  ただし、IDA第20次増資(IDA20)の下で人的資本の強化を図りつつ、環境に配慮した強靭で包括的な回復に向けた歩みに弾みをつけるには、国内資金、政府開発援助、革新的資金調達といった財源から持続可能な資金を大幅に拡充することが必要になります。

 我々には意欲と手段があります。是非やり遂げようではありませんか!

(Meera Shekar=Global Lead, Nutrition、Kyoko Shibata Okamura=Nutrition Specialist, World Bank、Madhur Gautam=Lead Economist, Agriculture Global Practice, World Bank、Luc Christiaensen=Lead Agriculture Economist, World Bank、Ugo Gentilini=Global Lead for Social Assistance, World Bank)

 

2021年5月2日

・「コロナ禍の今、聖母の取り次ぎを求めて祈ろう」菊地大司教の復活節第5主日説教

2021年5月 1日 (土) 週刊大司教第二十四回:復活節第五主日

 復活節も第五主日となりました。東京教区でも東京都は緊急事態宣言の対象となっておりますし、都県境をまたいで千葉県などで隣接する教会も多いことから、それぞれの小教区の事情に応じて、ミサの公開を一時中止としているところもあること、報告をいただいています。

 4月29日には、小田神父様、古市神父様の司祭叙階式を、参加者を限定して執り行うことができました。それ以外は、多くの予定されていた行事が中止や延期となっています。この主日、5月2日は五井教会で堅信式の予定でしたが中止。5月5日は豊四季教会の五十周年ミサを司式する予定でしたが、これもプライベートなミサに変更。昨年から一年延期となり、連休中に予定されていた全国のカトリック青年の集まりも再度の延期。などなど、それ以外にも、特にこの連休中に予定されていた諸行事が、延期や中止となっているものと思います。

 一日も早くこの困難な状況が終息し、再び笑顔で教会に集える日が戻るように、病床にある方々に回復を、医療関係者の健康が守られるように、五月中は特に聖母の取り次ぎを願って、祈り続けましょう。祈りの力で、霊的に結ばれていることを、再確認いたしましょう。

 教皇様の、五月中にロザリオ・マラソンを行うという呼びかけに応え、急遽、東京教区でもロザリオのビデオを作成しています。5月3日から5月31日の、五月中の毎週月曜日昼に、東京教区のyoutubeアカウントから、週刊大司教と同じように配信します。準備するにはとても短い時間ですが、担当者がオーバータイムで必死に作成してくれていますので、これが皆様のお祈りの一助となれば、幸いです。

 配信内容としては、ロザリオの前に私のメッセージがあり、そのあと、月曜ですが復活節でもあるので「栄えの神秘」を、毎回一連ずつ唱えましょう。(毎月曜に一連で、今年の5月は5回月曜があるので、一か月でちょうど一環となります)最後に、昨年の信徒への手紙に記されていた、教皇フランシスコの祈りを唱えて終わります。もちろんその後で、それぞれの場で、一環、またはそれ以上、祈り続けてくださって構いません。

 いわゆる入管法(出入国管理及び難民認定法)などの一部を改正する案が国会で審議され、先般の名古屋入管におけるウィシュマ・サンダマリさんの死亡の事案などもあり、改正に反対する声が上がっています。こういったことに関する教会の態度は明確です。

 教会は、その旅路がどのような理由で始められようとも、そのどこにあっても、どのような状況にあっても、神の似姿である人間のいのちの尊厳は、常に守られなくてはならないと主張します。

 申命記10章19節には、「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」と記されていました。困難に直面する人々に、救いの手を差し伸べることは、そもそもの神の民の務めです。

 私たちが最優先するべきなのは、移住者の現在の法律的な立場ではなく、人間としての尊厳であると、教会は長年にわたり主張してきました。例えば1996年世界移住の日のメッセージで、教皇ヨハネパウロ二世はこう指摘しています。

「違法な状態にあるからといって、移住者の尊厳をおろそかにすることは許されません。・・・違法状態にある移住者が滞在許可を得ることができるように、手続きに必要な書類をそろえるために協力することはとても大切なことです… 特に、長年その国に滞在し地域社会に深く根をおろして、出身国への帰還が逆の意味で移住の形になるような人々のために、この種の努力をしなければなりません」

 教皇フランシスコは、難民や移住者への配慮を、命の尊厳に基づいて強調されています。それぞれの国家の法律の枠内では保護の対象とならなかったり、時には犯罪者のように扱われたり、さらには社会にあって異質な存在として必ずしも歓迎されないどころか、しばしば排除されている人たちが世界に多く存在する。教皇フランシスコは、危機に直面するそのような命の現実を前にして、法律的議論はさておいて、人間の命をいかにして護るのかを最優先にするよう呼びかけています。従って、現在の法律の改正論議にあっても、人間のいのちの尊厳が守られることをまず優先してくださることを希望してやみません。

 以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第二十四回目のメッセージ原稿です。

【復活節第五主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第24回 2021年5月2日】

 使徒言行録は、回心したパウロが、当初は彼を迫害の手先として恐れていた弟子たちから受け入れられ、その出来事を通じて教会が、「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えて」言った様を記しています。

 神の救いの計画は、人知をはるかに超えた方法をとりながら、成就する道をたどることを、改めて私たちに認識させます。同時に私たちは、その人知をはるかに超える道は聖霊によって導かれていることも、知っています。

 教会は、聖霊によって導かれています。第二バチカン公会議の教会憲章は、五旬祭の日に遣わされた聖霊が教会を導き続けていることを明確に指摘し、「聖霊は福音の力を持って教会を若返らせ、絶えず新たにし、その花婿との完全な一致へと導く」と記しています。(4)

 ヨハネも手紙の中で、「神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります」と記すことで、教会に働き、教会を導き続ける聖霊の働きを明確にします。

 ヨハネ福音は、主ご自身がぶどうの木であり、私たちは枝として連なっているのだ、という話を記します。主イエスは、「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない」と指摘されます。

 枝は、ぶどうの木である主イエスにつながっている限り、「豊かに実を結ぶ」ものの、どのような実を結ぶのかは、枝の自由にはなりません。すなわち、わたしたちが幹である主に枝としてつながると言うことは、自分が生み出したい実りを生み出すためではなく、主が望まれる実りを、主に与えられるがままに実らせることであります。

 私たちはこのことを理解しているでしょうか。信仰を深めたとき、「自分自身がよしとする理想」を「真の実り」と取り違えてしまうことはないでしょうか。豊かな実りは、主の実りであって、私たちの実りではありません。しかもその実りは、教会を導く聖霊による実りでもあります。聖霊は人知をはるかに超える方法で、教会に実りをもたらします。仮に、自分の理想を実りだと思い違いをするならば、それは教会に働く聖霊の導きを否定することにもなりかねません。

 聖霊の導きに全幅の信頼を寄せ、自らの理想に固執することなく、神の御手にすべてを委ねたのは、聖母マリアでありました。

 教会は5月を聖母の月として、ロザリオの祈りを捧げるよう勧めています。パウロ6世は第二バチカン公会議後の典礼改革の中にあって、聖母への信心の重要性を説いた「マリアーリス・クルトゥス」に、「ロザリオは天使による喜ばしいあいさつと、おとめの敬虔に満ちた承諾から始まって、福音からインスピレーションを受けて、信者がそれを唱えるべき態度を示唆しています」と記し、聖母が「お言葉通りにこの身になりますように」と神の御手にご自身をすべて委ねた態度に倣うように勧めています。

 また教会は伝統的に、人類が危機に直面するとき、聖母の取り次ぎを求めて、祈りをささげてきました。コロナ禍の今、私たちはこれまで以上に祈らなくてはなりません。

 私たちは、聖母に倣い、聖霊の導きに勇気を持って身を任せましょう。自分の実りではなく、主の実りを生み出す枝でありましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2021年5月1日

・「歴史と記憶にしっかりと刻まれた」菊地大司教の司祭叙階式報告

(2021.4.29 菊地大司教の日記)

2021年4月29日 (木) 東京大司教区司祭叙階式@東京カテドラル

Odafuruichi2102 東京大司教区の司祭叙階式が、本日4月29日午後二時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われ、二人の教区司祭が誕生しました。

 ヨハネ・マリア・ミカエル 古市匡史(ふるいち ただし)神父様、フランシスコ・アシジ 小田武直(おだ たけなお)神父様、司祭叙階おめでとうございます。

Odafuruichi2101 先般三度目となる緊急事態宣言が出されたこともあり、当初予定されていたような、たくさんの方に参加して頂く叙階式を行うことは不可能となりました。

 感染対策を徹底し、参加者を限定して、可能な限り(と言っても限度がありますが)式も簡素化して行いました。

 本来であれば、新しい仲間が誕生するのですから、東京で働く司祭には教区と修道会を問わず、できる限り全員に参加して頂き、新司祭を司祭団に迎えて頂きたいのですが、そういうわけにもいきません。

 本来であれば200名を優に超える司祭があつまるところ、今日は、養成担当者や司牧実習先教会、出身教会などに限定して、20名ほどの司祭に全体を代表して頂きました。また一般の参加者も、出身教会や司牧実習先の代表の信徒の方に限定し、二人の新司祭のご家族など、700名は十分に入る大聖堂に、これもまた20名ほど。多くの方に、インターネットを通じて参加していただくことになってしまいました。

Odafuruichi2103 通常、司祭叙階式は、教会にとって大きな喜びですので、盛大なお祝いになりますが、この歴史に残る困難な状況の中でミサ後の祝賀会もなく、二人の新司祭には簡素な式で我慢をしていただくことになりましたが、歴史と記憶にしっかりと刻まれる叙階式であったと思います。

 左飛際の様々な場からお祈りくださった皆様に感謝します。これからも、司祭のため、召命のために、さらなるお祈りをお願いいたします。

Odafuruichi2105

 二人の新司祭には、早速働いて頂くことになります。叙階式ミサの最後に発表しましたが、古市神父様を八王子教会の助任司祭、小田神父様を町田教会の助任司祭に任命いたしました。よろしくお願いいたします。

 あらためて、おめでとうございます。

 付記:日曜日午後のリハーサルでは、確か簡素化するために、叙唱や聖変化などの奉献文は歌わないことにしていたはずでしたが、わたしがボッとしていたためか叙唱前句を歌ってしまったので、そのまま歌いました。でも目の前には、音程の記号がついてない叙唱のプリントしかなく、今日の叙唱のメロディーは即興です。メロディーを失って、ふらついて気が遠くなりかけている様を、ビデオでご覧ください。

 

2021年4月29日

・「真の羊飼いの存在を高らかに告げ知らせよう」菊地大司教の復活節第4主日説教

2021年4月24日 (土)週刊大司教第二十三回:復活節第四主日

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 三度目となりますが、政府から緊急事態宣言が出されました。期間は4月25日から5月11日までとされ、東京教区では東京都がその対象となっています。千葉県は、先に発令されているまん延防止等重点措置が、5月11日まで続くものと思われます。

 さまざまな対策が行政側から発表されていますが、東京大司教区としては、これまで行ってきた感染対策を徹底して、互いのいのちをしっかりと守る行動を続けたいと思います。祈りの時を共有し、御聖体の秘跡にあずかる機会を失わないように、基本的にはミサの公開を継続しますが、小教区の状況によっては、主任司祭の判断で非公開とされる可能性もあります。教区からの公示は、こちらのリンク先をご覧ください

 また、4月29日に予定されている、小田助祭と古市助祭の司祭叙階式は予定通り執り行いますが、感染対策のため、参加者の限定と式の簡素化をさせていただきます。詳細はこちらのリンク先をお読みください。困難な時期に叙階される二人の新司祭のために、お祈りくださいますと幸いです。

 困難な状況が継続していますが、互いに集まりともに祈り合えないときであるからこそ、それぞれの場でのお祈りを深めてください。特に、この困難な状況から一日も早く抜け出すことが出来るように、闇に光がさすように、命が守られるように、医療関係者の健康が守られるように、病床にある方々の回復のために、祈りをささげましょう。これまでも、お祈りくださっていることに感謝するとともに、感染対策を改めて引き締めるのと同様、祈りを続け深めることも、心を引き締めて継続いたしましょう。

 教皇様は昨年も5月に、ロザリオの祈りを通して、新型コロナウイルスの大感染という試練を乗り越えることができるよう、聖母の取り次ぎを祈るように呼びかけられました。その時の教皇の呼びかけの言葉です。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私たちの母マリアの心でキリストのみ顔をともに観想することは、霊的な家族としての私たちの結びつきをさらに強め、この試練の時を乗り越える助けとなるでしょう。私は皆さんのため、とくにもっとも苦しんでいる方々のために祈ります。皆さんも私のために祈ってください」

 今年は、教皇様の呼びかけに応え、新福音化推進評議会が、5月の間、世界中の30の聖母巡礼所と共に、「ロザリオ・マラソン」を提案しています。間もなく始まる5月は聖母月です。私たちも教皇様の呼びかけに応えて、この5月に、コロナ大感染の収束を願って、ロザリオの祈りを捧げましょう。この提案のテーマは、使徒言行録12章5節の「牢に捕らわれたペトロのために教会共同体が祈った」という記述からインスピレーションを得て、「教会では熱心な祈りが神にささげられていた」とされています。

 東京教区でも、通常土曜日夕方に配信している「週刊大司教」に加えて、私と一緒にロザリオを唱えていただけるようなビデオを五月中、定期的にyoutubeで配信する予定で準備しています。一緒に祈りをささげてくだされば幸いです。

 「祈りには力がある」と私たちは信じています。ヤコブの手紙5章16節に「だから、主に癒やしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」と記されている通りです。

 なお上の写真は、4月28日までの予定で、カテドラルのケルンホールで開催中の『ミャンマーの平和願う写真展」アウンサンスーチーと家族の写真を中心に』を昨日訪れたときのものです。4月28日まで、「ビルマ応援の会」が主催して毎日午前11時から午後4時まで開かれています。

以下、復活節第四主日の週刊大司教メッセージ原稿です。なおメッセージでも触れているように、この主日は、世界召命祈願日でもあり、司祭・修道者の召命のために、特にお祈りと献金をお願いする日でもあります。

【復活節第四主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第23回 2021年4月25日】

 「私は良い羊飼いである」とイエスはヨハネ福音で宣言されます。「良い羊飼い」がいるのであれば、「悪い羊飼い」もいるのでしょうが、それをイエスは「自分の羊を持たない雇い人」と述べ、羊のことを自らの一部として心にかけることのない者だ、と指摘します。すなわち、神は、ご自分が賜物として命を与えられた私たちを、ご自分の羊、ご自分の一部として心にかけ、「その羊のためならば命を懸ける」とまで宣言されます。その上で、イエスは、ご自分の羊となっていない羊の存在をも心にかけ、「一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」ことが、最終的な目的であることを明示します。

 使徒言行録は、ペトロとヨハネが共に、足の不自由な人を癒やしたことで捕らえられ、「お前たちは何の権威によって、誰の名によって、ああいうことをしたのか」と、議員、長老、律法学者たちから尋問を受けた時の、ペトロの答えを記しています。

 自らが権威をもって人々を教え導いていた議員、長老、律法学者にしてみれば、自分たちこそが民の指導者、すなわち羊飼いであるとの自負があったことでしょう。それを打ち砕くように、どこの誰とも分からないペトロたちが人々からの賞賛を浴びていたのですから、困惑や妬みから、二人を赦すことができなかったのかもしれません。

 それに対してペトロは、イエスこそが救いをもたらす真の羊飼いであることを、高らかに宣言します。しかもその羊飼いは、すべての人の救いのために、既に自らの命を捨ててその愛を証ししているのです。人々から見捨てられた主は、今や復活されて、「動くことのない隅の親石として世界を支配しているのだ」と明確に宣言します。

イエスご自身が明示されたように、「ひとりの羊飼いに導かれ、一つの群れになる」ことが最終的な目的であるならば、ペトロがそうしたように、私たちも、真の羊飼いの存在を高らかに告げ知らせなければなりません。使徒ヨハネも手紙に、「世が私たちを知らないのは、御父を知らなかったからです」と記していますが、そうであればこそ、私たちは、御父の存在を告げ知らせなくてはなりません。

 教会は復活節第四主日を、世界召命祈願日と定めており、司祭や修道者への召命のために特に祈りを捧げる日となっています。例年、教区の一粒会が主催して、この日の午後に東京のカテドラルでは、神学生や志願者を招いて召命祈願ミサが捧げられてきました。残念ながら、昨年に続いて今年も、このミサは中止となりましたが、改めて皆さまには、司祭・修道者への召命のために、またその道を歩んでいる多くの方のためにお祈りくださるよう、お願いいたします。

 もちろん召命を語ることは、司祭・修道者の召命を語ることにとどまらず、すべてのキリスト者に対する召命を語ることでもあります。司祭・修道者の召命があるように、信徒の召命もあることは、幾たびも繰り返されてきたところです。私たち皆が、ペトロに倣って、真の羊飼いの存在を高らかに告げ知らせる「言葉と行いによる証しの業」に取り組まなくてはなりません。

 同時に教会共同体には、真の牧者に倣ってそれぞれの群れを導く牧者も必要です。生活のすべてを賭けて福音を証しする修道者も必要です。世界召命祈願日にあたり、信徒一人ひとりが固有の召命に目覚め、また司祭修道者の召命に目覚める人が一人でも多くあるように祈りましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2021年4月24日

・故ペトロ岡田武夫大司教追悼ミサ、東京カテドラルで

故ペトロ岡田武夫大司教追悼ミサ@東京カテドラル

 昨年12月18日に帰天された東京大司教区の名誉大司教ペトロ岡田武夫大司教の追悼ミサが、

 19日月曜日の午後1時から、東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられました。

 帰天の直後の葬儀ミサは、感染症の状況もあり、ごく一部の関係者のみで捧げたこともあり、多くの方にお別れの祈りをささげていただくために、本来は1月19日に追悼ミサを予定しておりました。残念ながら、緊急事態宣言の再発出などもあったため、延期となっていたものです。

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 また昨日のミサも、現在の感染状況にかんがみ、また他の地方で、キリスト教関係の教会からクラスターが出たという報道もあったっことを念頭に、ミサの参加は、一部関係者に限定させていただきました。

 同時にできる限り多くの方にお祈りいただくために、ミサ終了後から午後4時まで、大聖堂でご自由に献花をしていただけるようにも致しました。献花の間、わたしも大聖堂におりましたが、多くの方に、密にならずに、献花とお祈りのために訪れていただきました。感謝いたします。

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 こういった事態ですので、司教様方をお招きするのは控えましたが、説教は、補佐司教であった幸田司教様が、岡田大司教様との結びつきについて体験を交えながらお話しいただきました。なお、幸田司教様の説教メモは、東京教区のホームページにも掲載してあります。ご一読ください。

 またミサには、教皇庁臨時代理大使であるモンセニョール・トゥミルにも共同司式していただきました。

 岡田大司教様の納骨は、府中墓地にて5月8日に行う予定です。府中墓地の一番手前の、教区司祭の墓所に納骨されます。当日は、岸神父様の納骨も行います。府中墓地を訪問の際は、どうぞ立ち寄ってお祈りください。

 皆様のお祈りに、感謝します。

  (菊地功・東京大司教)

2021年4月23日

・「慈しみをもって互いに支え合う愛の証人に」菊地大司教の復活節第三主日説教

週刊大司教第二十二回:復活節第三主日

21otsugef04 復活節も第三主日となりました。(写真は、先週、4月11日に行われた、お告げのフランシスコ姉妹会での、シスター堀内桐子の終生誓願式の様子です。シスター堀内、おめでとうございます)

 東京教区内でも、東京都の一部の地域はこの月曜日からすでにまん延防止等重点措置の対象となっていますが、今度は千葉県の一部も、4月20日から5月11日まで、同措置の対象となることが発表されています。対象となる地域は、船橋市と市川市、松戸市、柏市、浦安市と報道されています。

 先般、東京が対象となった際の公示にも記しましたが、新たに対象となった地域の教会にあっては、感染対策を今一度徹底してくださるようにお願いします。現時点での東京教区の感染対策については、このリンクの東京教区ホームページをご覧ください。

 昨年12月18日に帰天されたた東京教区名誉大司教ペトロ岡田武夫大司教の追悼ミサは、1月に予定されていましたが、感染対策のため延期となっていました。このたび、4月19日の月曜日に、追悼ミサを、東京カテドラル聖マリア大聖堂で執り行うことといたしました。

 残念ながら、感染対策のため、皆さんに自由に参列していただけません。申し訳ありませんが、ミサへの参加は、小教区などの代表者の方に限定とさせていただきます。

 しかしながら、ミサ後、午後2時半頃から4時までの間は、どなたでも自由に大聖堂にお入りいただき、献花や追悼のお祈りをしていただくことができます。大聖堂内の「密」の状況によっては、入場制限を行うことになるかも知れませんが、この時間に、岡田大司教様の永遠の安息のためのお祈りをささげていただけますと幸いです。

 なお、5月8日には、府中墓地に納骨いたします。5月8日以降、府中墓地を訪れる際には、教区司祭の墓所でも、お祈りいただければと思います。

 以下、本日土曜日午後6時公開の、週刊大司教のメッセージ原稿です。

復活節第三主日B(ビデオ配信メッセージ)2021年4月18日

 ルカ福音は、エマオへの道で復活された主と歩みを共にし、食卓を囲み、パンを割いた時に「イエスだ」と気付いた二人の弟子について触れています。

 イエスが復活された主だ、と悟った二人の弟子は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださった時、私たちの心は燃えていたではないか」と語り合い、その心の高ぶりを分かち合うためにエルサレムへと、とって返します。

 本日のルカ福音はその二人がエルサレムに戻った様から、話を始めています。二人は、復活された主との出会いという自らの体験と心の思いを分かち合う、復活の主の証し人、証人となりました。

 そこに現れた主ご自身は、さまざまな手段を講じてご自分を示され、弟子たちの理解を促します。それによってイエスは、復活が単なるこの世の命への復帰の奇跡ではなく、体の復活でありながらも、同時に超越した命、すなわち「死の状態から時空を超えた別の命に」移ったことを明示します。(「カトリック教会のカテキズム」646項)

 弟子たちに復活の命を解き明かしたイエスは、今日の福音の終わりに、「あなた方は、これらのことの証人となる」と告げられます。

 使徒言行録は、復活の出来事を体験したペトロが、力強くイエスについて証しする姿を記しています。ペトロは変身したのでしょうか。もちろん復活の主との出会いが彼の心に勇気を与え、揺るぎない信仰を持って語る使徒に変えたのは、間違いがないでしょう。

 しかし、全く異なる人に変身してしまった訳ではありません。ペトロは、復活の主との出会いの体験を通じて、「何を語るべきなのか」を悟ったのです。それが、ペトロがここで強調する「私たちは、このことの証人です」という言葉に込められています。

 使徒ヨハネは手紙で、「神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています」と記します。

 すなわち、恐れていたペトロは、自分の心の内を語る自分の証人でした。ですから恐れを証ししていたのです。しかし復活された主との出会いによって、神の言葉を心に植え付けられ、心は燃え立たせられ、その言葉を守ることで、心の内に神の愛が実現しました。そして使徒は「自らが何を語るべきなのか」を悟ったのです。神が求める証人は自分の心のうちを語るのではなく、復活された主との出会いで与えられた神の言葉を語るのです。復活された主との出会いによって燃え立たせられた心の内に実現する、神の愛を証しするのです。

 2015年12月に、教皇フランシスコは「慈しみの特別聖年」を始めるにあたり、大勅書「イエス・キリスト、父の慈しみのみ顔」にこう記しておられました。

 「教会には、神の慈しみを告げ知らせる使命があります。慈しみは福音の脈打つ心臓であって、教会がすべての人の心と知性に届けなければならないものです… したがって、教会のあるところでは、御父の慈しみを現さなければなりません」(12)

 私たちは、何を証しする証人なのでしょうか。私たちの教会共同体は、何を証しする証人となっているのでしょうか。対立や、いがみ合いや、差別や排除ではなく、慈しみをもってすべてを包み込み、互いに支え合う愛を、証しする証人でありたいと思います。

(編集「カトリック・あい」)

2021年4月17日

・「慈しみの祈りと行為で暗黒に打ち勝とう」ーボー枢機卿が声明

Soldiers in military armoured vehicles in Myitkhina, MyanmarSoldiers in military armoured vehicles in Myitkhina, Myanmar  (AFP or licensors)

   ミャンマー・カトリック司教協議会の会長、チャールズ・ボー枢機卿は、11日の「主の慈しみの主日」にあたって声明を出し、非人道的で、残忍な、自己破壊の道を否定し、慈しみの振る舞いに徹するように、国民に訴えた。

 「血と涙」「暗黒」「悲しみの記憶」そして「子供たちを悼む母親たち」のただ中にある「真の十字架の道」ーこれが民主選挙で選ばれたアウンサン・スーチー政府を倒した2月1日の軍事クーデターから2か月以上を経たミャンマーについて、ボー枢機卿が表現した言葉だ。

 枢機卿は声明で、軍事クーデターと、それに抗議する人たちに対する治安部隊による血なまぐさい取り締まりが、新型コロナウイルスの感染が引き起こしたこの国の悲惨さに、さらに拍車をかけている現状を慨嘆した。

 政治犯支援協会(AAPP)が11日現在でまとめた数字によると、軍、警察の治安部隊によって殺された人は確認されただけで706人。実際にはこれよりはるかに多い死者が出ているとみられる。

*ミャンマーの人々は十字架の道を歩んでいる

 ボー枢機卿はメッセージで、教会が人々の苦闘に巻き込まれ、彼らの「血と涙」に寄り添っている、としたうえで、彼らに対して、 「あなたがたは本当に十字架の道行きを経験している… あなたがたの多くにとって、十字架の道行きの第13留ー聖母マリアがイエスの亡骸を抱いて悲嘆に暮れる場面ーが現実となった」と心からの同情を示した。

 そして、「聖母マリアのように、母親たちが、息子たち、娘たちが苦しみを受け、殺されるのを目の当たりにしてて、何百人もの母親が癒しがたい涙を流し、心を痛めるす国に、私たちは住んでいる」と述べ、イエスの御心からあふれる恵みが、悲しみに沈む全ての人を癒やしてくださるように、と祈った。

*カチン州のシスターの勇気ある行為を讃える

 枢機卿はまた、2月28日に北部カチン州の州都の街頭で、一人のシスターが治安部隊の前で跪き、平和的な抗議をしている人々に暴力を振るうのをやめるよう訴え、攻撃を思いとどまらせ、世界中で大きな反響を呼んだ出来事を思い起こし、「”邪悪の津波”を前にして、偉大な証しをしたのを、世界は畏敬の念をもって注視しました。私はシスターが示した愛の証しの行為を称賛します。それによってカトリック教会と修道生活が高く評価されました。暗闇の中から、偉大な力をもって周りを広く輝かせる率直な行為でした」と讃えた。

 170万の人口のほどんどがカトリックを含むキリスト教徒のカチン州では、教会を含む祈りの場所が、反政府勢力の破壊活動を阻止しようとする軍の攻撃と暴力にさらされており、特に、国境地域で、軍と反政府勢力の戦闘が激化。多くの難民が発生している。情報筋によると、州西部モニン市のバプテスト教会、カトリック教会、英国国教会が軒並み襲撃され、仏教寺院なども標的にされている。

*慈しみによって暗黒の時を乗り越える

 枢機卿は、ミャンマーの暗黒の時と苦難の解毒剤として、「善行、言葉、そして力強い祈り」を求めた。それはイエスが、聖ファウスティナ・コヴァルスカ(「神の慈しみ」運動の創始者で1938年に33歳でなくなったポーランドの修道女)に対して何回かの啓示されたものだが、「慈しみは善行から始まる。国民の多くが飢えに苦しんでいる今、これまで以上に、私たちの共同体社会は慈しみを必要としています。私たちは、もてる資源を分かち合う必要があります。どれほど貧しくても、何か分かち合えるーそれが神の慈しみのしるしです」と強調。

 「善い行いは今、どこでも必要。慈しみの主は私たちに、行いと一致しない信仰を持たないことを、私たちに思い起こさせます。私たちの周りの何千人もの人々ー国内の難民キャンプにいて、新型コロナや軍事クーデターの被害を受けている人たちを含めてーが苦しんでいます」と述べた枢機卿は、「恐れと不安、恐怖の中で生きている何百の人々も安らぎと慰めの言葉を必要としていますーイエスが『恐れるな。私はいつもあなたがたと共にいる』と言って、弟子たちを安心させたように」と語った。

 そして、「人々に極度の苦しみを味わわせている新型コロナウイルスの大感染と軍事クーデターの”二つの大きな山”を克服するためには(行為だけでなく)祈りも必要です… 信仰を持ち、絶えず祈りなさい」と信徒たちを促し、イエスが弟子たちに話された言葉を引用して、「もしあなたがたが、からし種ほどの信仰をもっているなら、山に『動け』と命じれば、山は動くでしょう」とした。

 声明の最後に枢機卿は、「残虐で非人間的、そして自滅の道をたどる代わりに、『イエスの光で、私たちはいかなる暗闇にも打ち勝つ』ことを確信したアッシジの聖フランシスコにならって、平和の道具となるように、信徒たちを強く促した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年4月13日

・「神の愛を受け、勇気をもって証し続ける」菊地大司教の復活節第二主日の説教

2021年4月10日 (土) 週刊大司教第二十一回:復活節第二主日

Img_20210407_191211-1 復活節第二主日は、ヨハネパウロ二世によって、「神の慈しみの主日」と定められています。この主日について、2016年の「司教の日記」に記事がありますので、是非ご一読ください。こちらのリンクから2016年4月3日の「司教の日記」の記事に飛びます。(写真は、暗闇に輝く、カテドラル鐘楼の十字架)

 新型コロナウイルスによる感染は終息せず、あらためて検査で陽性になる方が増えているようです。東京教区の一部では、4月12日から一か月間、蔓延防止等重点措置の対象となることが発表されています。教区内の対象地域は23区、八王子市、立川市、武蔵野市、府中市、調布市及び町田市とされ、期間は4月12日(月曜日)午前零時から5月11日(火曜日)午前零時までとなっています。

 東京都によれば、都民に対しては以下の要請がなされています。(事業者には別途要請があります)

  • 都県境を越えた不要不急の外出・移動の自粛。特に、変異株により感染が拡大している大都市圏との往来の自粛(新型インフルエンザ等対策特別措置法第24条第9項)

  • 日中も含めた不要不急の外出・移動の自粛(法第24条第9項)医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要な場合を除き、原則として外出しないこと等を要請

  • 混雑している場所や時間を避けて行動すること(法第24条第9項)

  • 措置区域において、営業時間の変更を要請した時間以降、飲食店にみだりに出入りしないこと(法第31条の6第2項)

  • 会食において会話をする際のマスク着用の徹底(法第24条第9項)

 東京大司教区としては、また別途、公示しますが、これまでの対応を変更はしませんが、対策がすでに長期におよび、慣れや、疲れも見られることから、今一度、感染対策を徹底するように、それぞれの小教区にお願いします。

 また信徒の皆さん、司祭修道者の皆さんにあっては、今一度、気を引き締めて、共にこの困難な時期を乗り越えていくことができるように、互いに支え合い励まし合いながら、務めて参りましょう。

 以下、本日夕方6時公開の週刊大司教第21回のメッセージ原稿です。

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復活節第二主日B(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第21回 2021年4月11日

 使徒言行録は、互いに助け合い支え合う初代教会共同体の姿を描き、心と思いを一つにした共同体の有り様そのものが、復活の主を証しする福音宣教となっていた、と指摘します。

 使徒ヨハネは「神を愛するとは、神の掟を守ること」と記し、「私たちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子どもたちを愛します」と加えることで、神の望まれる生き方をする者は互いに愛し合い、大切にしあうのだ、と指摘します。

 ヨハネ福音は、有名な弟子トマスの不信仰の話です。結局トマスは信じたのですから、この話を「トマスの不信仰」と言われてしまうのは、トマス自身には不本意でしょうが、実際にはこの話は、愛する弟子を何としてでも自らの愛のうちに包み込もうとして手を尽くされる、イエスご自身の慈しみと愛の深さを見事に表現しています。

 イエスは、恐れにとらわれ、扉を閉ざしている弟子たちのもとに現れ、自らがそうされたように、勇気を持って外に出て福音を証しせよ、と弟子を派遣します。そのために弟子たちを、自らの慈しみと愛で包み込もうとされます。勇気と希望を与えるこのイエスの言葉は、困難を抱え、不安の内にある私たちにも、今日、同じように告げられる言葉です。

 私たちは、扉を閉ざして逃げるのではなく、心と思いを一つにして、互いに支え合いながら、勇気を持って福音を証しするように、と派遣されています。それは罪の枷(かせ)に縛られ、暗闇の内にとらわれている世界に、解放と希望と光を伝えるためであります。イエスは私たちを慈しみと愛で包み、守ってくださいます。

 復活節第二主日は、教皇ヨハネパウロ二世によって「神の慈しみの主日」と定められました。「人類は、信頼を持って私の慈しみへ向かわない限り、平和を得ないであろう」という聖ファウスティナが受けた主イエスの慈しみのメッセージに基づいて、「神の慈しみと愛に身を委ね、受けた慈しみと愛を分かち合う必要」について黙想する日であります。

 1980年に発表された回勅「慈しみ深い神」で、教皇はこう指摘されています。

 「愛が自らを表す様態とか領域とが、聖書の言葉では「憐れみ・慈しみ」と呼ばれています」(慈しみ深い神3)

 その上で、「この『愛を信じる』とは、慈しみを信じることです。慈しみは愛になくてはならない広がりの中にあって、いわば『愛の別名』です」(慈しみ深い神7)と言われます。

 すなわち、「悪と利己主義と恐れの力に負けている人類」に、「赦し、和解させ、また希望する」ために、心に力を与えてくれるのは、神の愛であり、その愛が目に見える形で具体化された言葉と行いが、神の慈しみであると指摘されています。

 同時に教皇は、「憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける」という山上の垂訓の言葉を引用しながら、「人間は神の慈しみを受け取り経験するだけでなく、他の人に向かって、『慈しみをもつ』ように命じられている」と、神の慈しみは一方通行ではなくて、相互に作用するものだ、とも語ります。(慈しみ深い神14)

 信仰における同じ確信をもって、教皇フランシスコは、「福音の喜び」にこう記していました。

 「教会は無償の憐れみの場でなければなりません。」(114)

 誰ひとり排除されてもいい人はいない。誰ひとり忘れ去られてもいい人はいない。神の愛を身に受けて、それに包まれ、勇気を持って希望を証しし、告げ知らせてまいりましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2021年4月10日