
・タグレ枢機卿が枢機卿団の新主席にー「同輩中の第一人者」の地位



教皇に続いて、基調講演をしたアルフォード会長は、今回の集会のきっかけとなった3月19日の教皇のメッセージを振り返り、「家族による、そして家族への」福音宣教の必要性を強調。
「家族こそが福音を受け入れる場であり、そこから最も恵まれない人々へと福音が届く場であることが多い。そのようにして、家族は『家庭教会』であり、『世界を変革するための生命の細胞』という二重の性質を体現しているのです」と述べた。
そして、「多くの家族がストレスや負担を抱え、それが緊張や分裂を招いています。今日の世界において、こうした問題は、キリストの受難に照らして対処される必要があります… 教皇フランシスコが使徒的勧告『愛の喜び』が述べておられるように、家族生活が最も”暗い”時、見捨てられたイエスとの一致こそが、崩壊を回避する助けとなります。現教皇も、メッセージの中でこの考えに呼応され、『神の恵みへの信頼』と聖性を求めるキリスト教的な願望を再び呼び覚ますために、まさにその脆さを認識することにおいてこそ、結婚という召命の美しさを呼び起こすことを学ばなければならない、と述べて居られます」と語った。
この大規模な国際集会の中で、アルフォード修道女は、イエスとサマリアの女との親密な出会いに言及した。二人は一日の最も暑い時間帯に井戸で出会う。後の会話から明らかになるように、その女は「脆弱で不規則な家庭環境」の中で暮らしていた。
アルフォード会長は、ドミニコ会のマイケル・パルチ神父の考察を参考にしながら、会話が展開していく様子を考察した。
彼女は、最初の接し方を「やや挑発的」な「いちゃつき」と表現した。男と女が二人きりで話しており、そのやり取りは、イエスが彼女に真実を突きつけるまで曖昧なままだった。「行って、あなたの夫を呼んで……ここに戻ってきなさい」と。女性は完全に正直に答えた。「私には夫がいない」。するとイエスはこう返した。「『私には夫がいない』と言うのは正しい。あなたは五人の夫を持っていたが、今一緒にいる人はあなたの夫ではないからだ」。
彼女はそこで、自分が預言者の前に立っていることに気づき、やがて村の人々に自分に何が起きたかを伝えずにはいられなくなった。
アルフォード会長にとって、この福音書のエピソードは福音宣教の段階をも示している。「まず、信じたいという願いが呼び覚まされます。次に、『避けたい』と思う段階、すなわち相手の脆さや弱さと向き合う段階が来る。その人は非難されるのではなく、教えに心を開き、それを理解するよう励まされ、最終的にはそれを他の人々と分かち合うことになるのです」と語った。
そして、「もう一つの視点は、教皇フランシスコが大切にしておられた『イエスの眼差し』という概念から得られます。その眼差しは、他人を避けようとしていた孤独な女性を、信頼に値する人物へと変え、彼女自身の価値を再発見させる手助けをするのです… これが可能となるのは、イエスが『彼女が創造された現実のすべて』―欠点も、彼女の内側に秘められた新しい命の約束も―を見ているからです」と指摘。
さらに、「イエスのこの見方は、今日において特別な意義を持ちます。関係を『見る』ためには、それを探し求めなければならないからです… 関係は物理的な物体ではないが、確かに存在しており、「関係性を見据える視線」を通じて再発見されなければなりません… これは家族の中で特に重要です。なぜなら、人間の社会的現実―とりわけ家庭―は『関係性によって成り立っている』からです」と述べた。
アルフォード会長はまた、教皇フランシスコが『愛の喜び』で、サマリアの女について4回言及されたことを指摘した。
聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、家族に関するもう一つの使徒的勧告『家庭-愛といのちのきずな-』の中でサマリアの女に直接言及してはいないが、イエスとの対話の一節には言及している。
教皇レオ14世は、これら二つのテキストを「若者、夫婦、そして家族への奉仕に向けた教会の教義的・牧会的取り組み」への励ましとして提示している。
「3人の教皇に共通する概念の一つが『漸進性の法則』です。すなわち、人間は『成長のさまざまな段階を経て、道徳的な善を知り、愛し、実現する』ということです。… これは『法即の漸進性』ではなく、『法の客観的な要求を理解し、評価し、あるいは完全に実行する立場にない主体による、自由な行為の慎重な行使における漸進性』なのです」と指摘。
「したがって、先の2人の教皇は、『法そのものが道を示す神の賜物である』という理想を擁護しつつ、多くの人々が法の客観的な要求を理解し、評価し、あるいは完全に実行することができないという事実も認識しておられます」と語った。






