・「安楽死は人の命に対する犯罪」ーバチカン教理省が生命倫理に関する書簡

教理省書簡「サマリタヌス・ボヌス」発表(2020.9.22 バチカン放送)

 バチカン教理省が22日、生命倫理に関する書簡「サマリタヌス・ボヌス(良いサマリア人)」を発表した。

教皇フランシスコの承認を受けて発表した書簡は、「重篤段階および終末期にある患者の治療」をテーマとし、「あらゆる形の自殺ほう助に反対」するとともに、「家族と医療従事者に対する支援」の必要を説き、「『治らない患者』は、決して、『治療できない患者』ではない… 終末期の患者にも『受け入れられ、ケアされ、愛される権利』がある」と強調している。

書簡の目的は、福音書の「善きサマリア人」のメッセージを実践するための、具体的な指針を提供すること。「治ることが不可能、あるいはその可能性がないように思われる場合」でも、「医療・看護的、心理的、霊的な寄り添いは避けることのできない義務」と述べている。

*「治らないこと」は「治療ができないこと」と同義ではない

 そして、「回復の可能性がある限り、常に治療がある」というヨハネ・パウロ二世の言葉は、「治らないことは、治療ができないことと、同義ではない」ことを意味している、とし、「寄り添い、耳を傾け、愛されていることを感じさせながら、最後までケアし、患者と共にいることで、孤独や、苦しみや死への怖れを避けることができる」と述べ、福音とイエスの犠牲の光のもとに、苦悩や苦しみの意味を見つめようとしている。

 

*侵すことのできない命の価値

 さらに、「侵すことのできない命の価値は、自然倫理法の柱となる真理であり、法秩序の本質的基礎」とし、「たとえそれが要求されたとしても、人の命に対する攻撃を直接、選ぶことはできない… 堕胎、安楽死、あるいは意図的に自から命を絶つことは、人類文明を損ない… 創造主の名を深く傷つける」と強調。

*命の聖なる価値を曇らせるもの

 また書簡は、命の価値を受容する力を削ぐ、いくつかの原因を挙げている。たとえば、その一つに、ある種の精神や身体の状態がなければ「値する人生」とはいえない、という考え方がある。「同情」「憐み」の誤った解釈も、命の受容を妨げる要因である。真の憐みとは「死をもたらすこと」にあるのではなく、患者を愛情と共に受け入れ、苦しみを和らげる手段によって支えることにある。人を孤独に導く個人主義の拡大も、命の価値を受容する力を削ぐ原因だ。

 

*教会の教えは、「安楽死は、人の命に対する犯罪」

 教会の最終的な教えは、「安楽死は『人の命に対する犯罪』であり、どのような状況においても『本質的に悪い行為』」ということだ。安楽死に対する、あらゆる形式的あるいは即時の物理的な協力は、「人の命に対する重大な罪」であり、いかなる権威もこれを「合法的に」強要、あるいは許可することはできない。安楽死に関する法律を承認する者は、人の命に対する重大な犯罪の「加担者となる」。そして、そうした法律は良心を歪めさせることから、「人々をつまずかせる罪」を負うことになる。絶望や苦悩が、安楽死を願う個人の責任を軽くする、あるいは無いものとすることがあっても、安楽死的行為は、「認容できないものとして残る」としている。

*過剰な延命治療には反対

 書簡は、「尊厳ある死を守る」ことは、「過剰な延命治療を排除する」ことを意味する、と述べ、「避けられない間近に迫った死を前に、一時的で、苦しみを与えるだけの延命処置を断念することは、正当なこと」としている。ただし、その際、「患者に当然与えられるべき通常のケアが中断されることがあってはならない」「栄養と水分の保証は、一つの義務。緩和ケアの中に、安楽死の可能性は決して含まれてはならない」と条件を付けた。「緩和ケア」には、患者とその家族に対する精神的な支援を含めている。

*家族への政府による支援

 ケアにおいて、患者が自分を重荷に感じることなく、「家族の寄り添いと尊重に包まれていることが不可欠。この使命を果たすために、家族は、支援とふさわしい手段を必要としている」とし、各国政府に対しては「家族が持つ第一の基本的な社会的機能とそのかけがえのない役割を認識し、この分野において、家族を支えるための、必要な予算とシステムを整備することが必要」と要望している。

*胎児期と幼少期のケア

 形成異常や疾患を持つ子どもは、受胎の時から、「命を尊重する方法」をもって寄り添われるべきである。「短期間内に死が確実視される胎児の疾患」で、その病状を改善させる治療法がない場合、「いかなる方法によっても、子どもが医療支援計画から見捨てられることなく、自然の死に至るまで、見守られるようにすべき」と述べている。また、「時として強迫観念的なまでの出生前診断」について批判すると共に、「障害を拒絶する文化」が存在する、とし、「堕胎が正当な行為であることは決してない」と強調している。

 

*深い鎮静

 苦痛を軽減するために、医師が、患者の意識を低下させる可能性のある薬を用いることがあるが、「命の終わりを、可能な限り、安らかに迎えることができるようにする目的」での「鎮静措置の正当性」を認めている。「死が真近かにある」場合、終末段階の深い緩和的鎮静措置についても同様だが、「直接的かつ意図的に死をもたらす」ために、鎮静措置が行われることは容認できない、としている。

*植物状態

 意識がない状態にあっても、患者は「その価値を認められ、ふさわしい治療をもって看護」されねばならず、は栄養・水分補給を受ける権利がある。だが、それを続けても効果が期待できず、その処置によって過度の負担を生むなど、「処置がバランスを欠く」こともあり得る。「植物状態患者の看護で負担が長く続く場合、家族に対するふさわしい支援が必要」と述べている。

 

*良心的拒否

 書簡は、安楽死について、現地の教会が立場を明確にし、カトリック系の医療機関が自らの証しをすることを願っている。安楽死を認める法律は、「良心的拒否をもって、それに抗する重大かつ厳格な義務」が生じることを示している。死に直面した人々に寄り添えるように、医師や医療従事者が養成されることが重要、とし、安楽死を望む人に対する精神的支援には「回心を常に促す寄り添いが必要」だが、安楽死の措置がとられる際にその場に同席するなど「安楽死に賛成している」と解釈されるような「外面的ないかなる態度も認められない」と言明している。

2020年9月23日

・新回勅のタイトル「Fratelli tutti」が言外に含む意味は…(VaticanNews)

 私たちは今、戦争、貧困、移住、気候変動、経済危機、新型コロナウイルの世界的大感染に特徴づけられた時代に生きている。

 私たちが出会うすべての人の中に兄弟あるいは姉妹を見、キリスト教徒なら、苦しむ人の中にイエスの御顔を見るーこうすることで、神の御姿に似たものとして造られた人間の尊厳が誰一人として損なわてはならない、ということを確認する。そしてまた、誰も一人では現在の苦境から立ち直れない-互いに対立し、北の国々と南の国々が対立し、富める者と貧しい者が対立し、そして異なる者を排除するようなことを続けていては、立ち直れない、ということも思い起こさせる。

 新型コロナ大感染の最中の3月27日、教皇は、人気のない聖ペトロ広場で、降り注ぐ雨、十字架に掛けられた聖マルケルス像の悲しげな眼差しと「サルス・ポプリ・ロマーニ」(ローマ人の救い) と呼ばれるイコンに描かれた聖母マリアの愛のこもった眼差しを受けて、すべての人の救いを祈られた。

 そこで教皇は語られたー「この嵐の中で… 私たちが、いつも自分の外見を気にし、自我を覆い隠す固定観念のファサードは崩れ去り、私たちが奪い去られることのない共通の財産、兄弟姉妹としての財産が、ふたたび明らかにされます」と。ー新回勅の主題は、「幸いなるかな、私たちの共通の財産」-私たちを兄弟姉妹にする共通の財産ーだ。

 「友愛と社会的友情」という回勅のサブタイトルは、男性と女性を結び付けるものー血のつながりのある親族でなくても、人と人の間に築かれる愛情ーを示している。人と人の関係は、親切な行い、様々な助け、正義の働き、そして、必要な時に思い切った行動ー互いの違いや所属に関係なく、他者に対する公平無私の愛-を通して示される必要がある。

 このような説明を聞けば、新回勅を読むすべての人は、「Fratelli tutti」というタイトルを、その言外の意味を含んだ形で理解できるはずだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2020年9月17日

改・バチカンの”暫定合意”延長方針は、中国政府・共産党の人権弾圧を容認することにならないか?

Top officials optimistic about renewal of Vatican-China deal

 江西省樟树市黄土岗镇の「無原罪の聖母」カトリック教会の聖堂前に翻る中国国旗(2018年撮影=Credit: Thomas Peter/Reuters via CNS.)

(2020.9.16改  カトリック・あい)

 中国国内での司教任命に関するバチカンと中国の暫定合意が2018年9月22日に発表されて3年、月末に期限を迎えるが、バチカンのナンバー・ツー、ピエトロ・パロリン国務長官が14日、カトリック教会内部にさせ異論が出ているこの暫定合意の更新を示唆する発言をした。

 また、15日付けのカトリック系有力メディアLiCAS.newsが、バチカン関係筋の話として伝えるところによると、教皇フランシスコは、すでにこの暫定合意を現在の内容のまま、さらに2年延長することに同意しており、中国側の対応を待っている、という。

 中国政府・共産党はこのところ、国内のカトリック教会を管理・統制下に置く動きを強め、これに抵抗する”地下教会”の司教、司祭、信徒を様々な形で弾圧する動きを強めている。そればかりでなく、香港、新疆ウイグル自治区、チベット自治区などで人権や信教の自由を求める人々を弾圧しているとして、世界の人権団体や国連の人権関係者など国際社会から強い批判を浴びている。

 国務長官はこの春のある会議で、暫定合意に批判的な声に対して、バチカンの狙いは「信教の自由の推進を助け、相手国のカトリック教会共同体の正常化を実現すること」であり、「そのために忍耐強さが必要だ」と強調した。だが、最近の中国政府・共産党の動きをみる限り、暫定合意は”正常化”には程遠く、バチカンの”忍耐強さ”の”証し”としての合意の更新は、そうした中国政府・共産党の動きを容認することになりかねない。

 カトリック教会だけでなく、中国のプロテスタント、イスラム、仏教などの信徒たちへの中国政府・共産党の動きに対して、国際社会の中で強まっている批判、懸念に、教皇フランシスコもバチカンの外交政策者も十分耳を傾け、暫定合意の延長、更新が中国国内のみならず、国際社会に与える影響について慎重に判断する必要があるのではなかろうか。

 

 第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ教徒大虐殺を、当時の教皇ピオ12世がそれを知りながら、対策を講じなかったとして、戦後70年以上たった今も、非難され続けている。現在のバチカンの中国政府・共産党への対応を見ていると、同じ様なことが繰り返されることにならないか、懸念する見方も、関係者の中に出てきているようだ。

 教皇ヨハネ・パウロ2世は2000年3月にバチカン・聖ペトロ大聖堂での特別ミサで、過去2000年にわたるカトリック教会の過ちを認め、神に赦しを求めたが、教皇の説教の後の7人の高位聖職者による共同祈願で「イスラエルの民に対して犯した罪」についても告白されたものの、第二次大戦中のナチスの大虐殺について具体的に言及することはなく、米国の有力メディアやユダヤ教徒指導者などから「この問題を避けた」と批判された。

 教皇フランシスコはこの問題の解明に前向きな姿勢を見せ、バチカンは今年3月から、第二次大戦中のピオ12世時代の資料を、研究者に対して公開を始めた。

 公開を決めた際、教皇は「教会は歴史を恐れていない」とし、ピオ12世の時代は「きわめて困難な出来事が続いた時代で、人として、そして教会として何が賢明なのか、実に苦しい決断が迫られていた。その決断を、『消極的で寡黙だ』と受け止めた人もいたかも知れない」と語っていたが、中国への対応について、このような”弁明”が繰り返されないように望みたい。

 

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「バチカン、中国双方の意思は”契約”の更新」とバチカン国務長官(CRUX)

(2020.9.15 Crux  SENIOR CORRESPONDENT  Elise Ann Allen)

 イタリアの通信社ANSAによると、バチカンのピエトロ・パロリン国務長官は14日、イタリアのジュゼッペ・コンテ首相も出席した会議に出た際、記者団に対して、中国との合意は「10月」に期限を迎えるが、双方共通の意思は”契約”を更新することだ、と述べた。この会議のテーマは「(注:国家主権の尊重、紛争の平和的解決、人権と諸自由の尊重などを掲げた)ヘルシンキ宣言から45年、(昨年8月に95歳でなくなったバチカンのベテラン外交官)シルべストリー二枢機卿、そして バチカンの東方外交」だった。

 一方、中国も、外務省の趙立堅報道官が10日の定例記者会見で、「期限を迎えるバチカンとの司教任命に関する取り決めを、中国政府はさらに2年延長することを希望しているのか」との記者の質問に、こう答えた。

 中国、バチカン双方の努力のおかげで「暫定合意は、二年前の合意以来、成功裏に実行されてきた… 今年初め以来、新型コロナウイルスの世界的大感染の中で、双方は互いに助け合い、世界の人々の健康を守ることに努め、一連の積極的な意思疎通を通して、相互の信頼と合意を重ねてきた」と語り、中国とバチカンの双方は「親密な意思疎通と協議を維持し、二国間関係の改善を続けるだろう」

 新型コロナウイルスが3月にイタリアを襲った際、中国は他の多くの国々と共に、医師の派遣や医療器材の提供などの援助を実施した。中国の二つの慈善団体もマスクなど保健資材をバチカンの薬局に送っている。これに対し、バチカンは中国の支援を感謝する声明を発表した。

 だが、大感染の中で、バチカンやローマ中の多くの修道会などに食料や医療器材を送った台湾に対しては、そのような感謝の表明をしなかった。欧州の中でバチカンは、台湾と外交関係を持つ唯一の国であるにもかかわらずだ。

 教皇フランシスコの下でバチカンが中国と外交関係を結ぶことを強く希望していることは、以前から知られている。中国国内の司教任命に関する暫定合意は、外交関係樹立への一歩だと多くの関係者に受け取られていた。その一方、新型コロナウイルス大感染の中で、中国と並んで援助の手を差し伸べた台湾に対するバチカンの”沈黙”は、どこまで台湾に対して(注:外交の)扉を開いたままにするのか、を示す明確なサインだった。

 だから、暫定合意の更新についてのパロリンの楽観主義が、バチカンの”東方外交政策”をテーマにした会議の際に、改めて明らかにされたのは、特に驚くことではないだろう。

 東方外交は、もともと1960年代後半の東西ドイツの関係正常化をを指す言葉だったが、時がたつにつれて、教皇パウロ6世の下で、和解と合意を通して東欧の共産主義国との関わりを深めることを意味するようにもなった。教皇フランシスコを含めたその後継者は(在位期間が極めて短かったヨハネ・パウロ1世を除き)皆、中国に同じ基本的な対応をしている。

 14日の会議のテーマに一つとなったシルべストリー二枢機卿は、東西冷戦時代にバチカンの東方教会省の長官を務め、ソ連と西側諸国の緊張緩和にバチカンが関与した際の立役者だった。枢機卿は1975年にヘルシンキで開かれ、ヘルシンキ合意を達成した「全欧安全保障協力会議」に、その準備段階から関わり、合意実現に貢献した。

  司教任命に関する教皇フランシスコと中国の暫定合意を批判する人々は、「カトリック教会と他の宗教、宗派に対して、中国が長年にわたって否定してきたのが「自由」であり、暫定合意は中国に、(注:人権や信教の自由を否定する政策を)抵抗を受けることなく続けることを認めることを意味する」と合意延長に強く反対している。

 だが、バチカンも中国も長い時間をかけて試合をする達人だ。パロリンは、春に開かれた信教の自由に関する会議で、こうした批判に対して、合意を達成する聖座の目的は、「信教の自由を進めるのを助け、相手国のカトリック教会共同体の正常化を実現すること」としたうえで、忍耐強さが必要なことを強調し、「歴史は一日では作られません。歴史は長いプロセスです。私たちは、そうした視点に立たねばならないと思います」と語っている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年9月15日

・教皇、10月のアッシジ訪問時に新回勅 「Fratelli tutti(すべての兄弟)」ーバチカン発表(Crux)

(2020.9.5 Crux  SENIOR CORRESPONDENT Elise Ann Allen

 ローマ発ー新型コロナウイルスの大感染終息の展望が見えず、行動に大きな制約を受ける教皇フランシスコの今後が注目される中で、教皇が10月3日にアッシジを訪問され、その場で新回勅「 Fratelli tutti(すべての兄弟)」に署名されることが、公式に明らかになった。教皇フランシスコの回勅は、教皇就任直後の2013年6月の「Lumen Fidei((信仰の光)、2015年5月の「Laudato si’(ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に」に次いで三つ目となる。

 バチカン広報の発表に先立ち、アッシジの聖フランシスコ聖堂の責任者、エンゾ・フォルトゥナ―ト神父が5日に出した声明によると、教皇は10月3日にアッシジを訪問され、聖フランシスコの墓所で信徒が参加しない個人的なミサを捧げられた後、新回勅「 Fratelli tutti(すべての兄弟)」に署名される。バチカンのマテオ・ブルーニ報道官も5日、この内容を確認、新回勅は「友愛と社会的友好」に関するもので、教皇はその日のうちにバチカンにお戻りになる、と説明した。

 新回勅のタイトルは、聖フランシスコの説話集の第6巻にある「Let us all, brothers, look to the Good Shepherd who suffered the passion of the Cross to save his sheep(我らすべて、兄弟たち、羊を救うために十字架に掛けられた良き羊飼いに倣おう)」からとられた。

 この箇所ではさらに「主の羊は、苦難と迫害、侮辱と空腹、衰弱と誘惑、そして他のすべての中で、主に付き従った。それゆえに、永遠の命を主からいただいた」とし、 「だから、私たち神の僕にとって大きな恥は、聖人が(実際に)そうした苦難に耐えて得た栄光と名誉を、単に彼らの行いを詳述するだけで得たいと思うことだ」と語っている。

  教皇フランシスコが2013年に教皇に選ばれた時、兄弟姉妹関係の模範として聖フランシスコの名を取ったことを考えれば、それをテーマにした回勅を、アッシジで、聖フランシスコの祝日の前日に署名することを選んだのは、驚くようなことではない。教皇は、就任当初から、アッシジの聖フランシスコを社会正義の模範とし、特に、貧困、平和、友愛に関してそうして、祝辞を祝ってきた。

 教皇選出から数日後、5000人の記者たちを前にした教皇は、この13世紀の聖人の名をいただこうと思ったのは、教皇に選出されることが確実になり、祝福の抱擁をしたサンパウロ大司教のクラウディオ・ウンメス枢機卿から「貧しい人々を忘れないように」と言われた時だったことを明らかにした。そして、「その言葉は私に響きました-貧しい人、貧しい人、と。そしてすぐに貧しい人々のことを考え、アッシジのフランシスコのことを考えたのです。それから、全ての戦争のことを考えました。投票結果の整理がまだ続いている最中にです」と語り、「聖フランシスコは、私にとって『平和の人』でもあるのです」と付け加えた。

  そして、「それが、教皇の名前として私がフランシスコを選んだ顛末です。私にとって、彼は貧しさの人、平和の人、被造物を愛し、保護する人です」と強調し、聖フランシスコを「貧しい教会を望む貧しい人」としたうえで、「私は、貧しく、貧しい人々のための教会をための教会をどれほど愛しようとしていることでしょう」と訴えた。それ以来、貧困と不平等との闘い、兄弟愛の絆を新たにすることによる平和の追求、そして環境への配慮は、すべてフランシスコの教皇職の主題となった。

 世界のカトリック教会はじめキリスト教諸教会が参加する「被造物の季節」月間は、アッシジの聖フランシスコを記念する10月4日で終わりを迎える。新回勅の署名は、その締めくくりの日の前日に行われるが、その月間は、来年まで続く、教皇が2015年に出された環境回勅「Laudato Si」5周年の記念年の一部でもある。したがって、新回勅には、環境問題だけでなく、他の社会正義に関するテーマも盛り込まれる可能性がある。

 フォルトゥナ―ト神父は、Cruxの取材に対して、教皇のアッシジ訪問は「大きな意味を持ちます。なぜなら、教皇が、聖フランシスコと友愛についての聖霊によって与えられた預言の核心にあたる文書に署名されることになるからです」と語り、フランシスコは「私たちに、人々とその尊厳を守ることの重要性を教えています。そして、教皇フランシスコは、新回勅を策定される時に、このことを認識し、考慮されているのだと思います」と述べた。

 そして、新型ウイルス大感染の後の世界で、「この友愛という感覚は、従来よりも重要性を大きく増しており、それは隣人であることを意味し、共にいて、互いに愛し、敬意を払うことを意味しています」と語った。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年9月6日

・教皇、9月1日「被造物を大切にする世界祈願日」を前に重油汚染モーリシャスの為に祈る・10月4日まで「地球のジュビリー」を記念  

 

 

 

2020年8月31日

・駐バチカン大使に岡田氏、教皇に信任状を奉呈

日本の岡田誠司大使より信任状を受け取る教皇フランシスコ 2020年8月29日
日本の岡田誠司大使より信任状を受け取る教皇フランシスコ 2020年8月29日  (Vatican Media)

(2020.8.30 カトリック・あい)

 新型コロナウイルスの世界的大感染の影響で着任が遅れていた駐バチカン日本大使の岡田誠司氏が29日、バチカンで教皇フランシスコと会見、信任状を奉呈、教皇が受理された。

 前任の中村芳夫氏は元経団連事務総長という異例の前歴を持ち、2016年5月に着任、昨秋の教皇訪日準備のため通常の任期3年を超える4年近く大使を務め、今年4月10日付けで退任したが、生え抜きの外交官で直前まで駐南スーダン大使を務めていた岡田氏の着任は、前任者の退任から4か月余り遅れとなった。

 岡田新大使は、1956年生まれ。1981年に外務省に入り、アジア大洋局・日韓経済協力室長、中東アフリカ局・アフリカ第二課課長、 在ケニア日本国大使館公使参事官、中東アフリカ局・アフリカ部参事官などを経て、2017年から2020年6月まで駐南スーダン共和国大使。

2020年8月30日

・9月1日からの「被造物の季節」を前に欧州司教協議会会議と欧州教会会議が共同声明

Pope Francis marking last year's Season of CreationPope Francis marking last year’s Season of Creation 

 また、共同声明は、この月間を諸宗教の一致を進める機会とする視点から、コンスタンティノー プル総主教だった故ディミトリオス1世の1989年の一致に向けた呼びかけを思い起こし、この呼びかけは、CECとCCEEが共同で組織した欧州信仰一致会合によって具体化した、と述べ、今回の月間もその延長上にあることを強調した。

 さらに、現在の新型コロナウイルスの世界的大感染について、「人の健康、幸福に関する条件がいかに壊れやすいものなのかを、改めて示している」とし、これを機に「こうした感染症への警戒を高め、地球上での持続可能な生存の条件を整えることの重要性を、真剣に考えねばなりません。環境破壊、気候変動などの脅威も高まる中で、一層、その必要性が増しています」と訴えた。

 最後に共同声明は、この「被造物の季節」を”Jubilee for the Earth”をテーマに進めることを提案。「”Jubilee”の概念は聖書がもとになっており、社会的、経済的、生態学的な現実の間で公正かつ持続可能な均衡が保たれる必要を強調しています…  聖書から得られる教訓は、生命のシステムそのものの均衡を取り戻すために必要なことに関心を向け、平等、正義、持続性を確保すること、私たちの”共通の家”を守るために”預言的な声”が必要である、ということです」としている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2020年8月29日

・9月1日から世界の教会の「被造物の季節」月間、コロンバン会が地球環境保護の動画を配信

 

Season of Creation. Season of Creation.  

 聖コロンバン会は、1917年にアイルランドのエドワード・ガルビン、ジョン・ブロウィックの二人の神父によって設立され、現在、世界15か国で活動しており、日本での宣教活動も70年を超えている。

The Columbans’ “Jubilee for the Earth”

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2020年8月29日

・教皇、性的虐待隠ぺいを疑われるポーランドの大司教の辞表を75歳の誕生日に受理

(2020.8.14 カトリック・あい)

 教皇フランシスコは13日、ポーランド・グダニスク教区長のスラヴォイ・ジジェク・グロズ大司教から出されていた辞表を受理、同教区の暫定管理者としてエルブロンク教区長のヤセク・エジエルスキ司教を任命した。

 この人事を発表したバチカン広報は、以上のこと以外、一切のコメントを出していないが、13日は、グロズ大司教の75歳の誕生日だった。古都グダニスクの教区長という同国のカトリック教会では極めて権威の高い地位の大司教の辞表を、”司教定年”の75歳を迎えたその日に教皇が受理するのは、極めて異例。聖職者による性的虐待と高位聖職者によるその隠ぺい問題が深刻になっているポーランド教会の”隠蔽の文化”に幕を引こうとする断固とした姿勢を示したもの、との見方が教会関係者の間に出ている。

 日本でも、”規模”や”程度”に差はあるものの、聖職者による性的虐待の被害者からの訴えや多額の詐欺被害に責任者として適切な対応をしていないとされる教区の代表が、間もなく”定年”を迎える例があり、教皇の今回のポーランド教会問題に関係した対応が、どのように影響するか注目される。

 国際通信社APによると、ポーランドにおける聖職者による性的虐待とグロズ大司教による隠ぺいは、昨年、同国で上映されたドキュメンタリー映画「Tell No One」で取り上げられ、大きな問題となった。同映画で、大司教は、幼児性愛者として知られたフランシゼク・シブラ神父-同国の”英雄”、連帯のリーダーだったレヒ・ワレサ氏の指導司祭だった-の葬儀の席で、彼の性的虐待行為を知りながら、賞賛しているところが描かれている。

 同神父の性的虐待の被害者たちは、性的虐待を行なった司祭たちを擁護したとしてグロズ大司教を含む同国の司教24名のリストを添付した告発状を、昨年の聖職者性的虐待問題に関する世界司教協議会会長会議の前に、教皇に提出している。

 第二次世界大戦後、長い間、ソ連支配下の共産政権のもとにあったポーランドでは、カトリック教会は道徳的な権威としての立場を続け、1980年代のポーランドのソ連支配、共産党支配からの離脱の運動の中で、精神的な拠り所としての役割を果たし、1978年に初のポーランド出身の教皇、聖ヨハネ・パウロ2世が登場、東西冷戦崩壊の精神的推進力となったことで、その権威はピークに達した。

 だが、最近の聖職者による広範な性的虐待が露見、しかも、高位聖職者の複数がその隠ぺいを図り、被害者の信徒たちを肉体的だけでなく精神的にも深く傷つける事態が深刻化するに至って、教会の権威は急速に低下、聖ヨハネ・パウロ2世についてさえも、生前の聖職者性的虐待問題への対応の責任が問題にされる事態となっている。

 

2020年8月14日

・バチカン高官が、カトリック教会における”男性優位”を批判、女子修道会のあり方見直し提唱(Crux)

(2020.7.30 Crux Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

 ローマ発ーバチカンの奉献・使徒的生活会省長官のジョアン・ブラス・ジ・アビス枢機卿が、スペイン修道会協議会の公式誌SomosCONFERと会見し、カトリック教会における”男性優位”の現状を批判、修道生活の全面的かつ根本的な刷新の必要を訴えた。

 枢機卿は「多くの場合、奉献された男性と女性の関係は、服従と支配の病んだシステムになっており、自由と喜びの感覚が奪われ、”誤った従順”がなされている」と述べ、一部の修道会ではトップに権力が集中しすぎ、法務や税務の関係者との関係を優先し、「対話と信頼の忍耐強く、愛のある態度が少しもされていない」と問題点を指摘した。

 ただ、このような指摘は、教皇フランシスコが推進している、教会の福音化のための構造改革の視点から見た、修道生活の広範な見直しの一部だ。

 修道会と一般信徒の運動体の中で数多く起きている数々の不祥事、司祭職、修道職への召命の減少、急速な世俗化、そして奉献された女性たちに対する虐待と搾取の圧力は、修道生活における内的危機の要因となっている。

 枢機卿は「欧州、オセアニア、南北アメリカ大陸の数多くの国では、奉献生活への召命が不足しており、奉献生活者の多くは高齢で、忍耐力を欠くことで傷ついています… 教皇フランシスコが『大量出血』と言われたように、男女を問わず、奉献生活を辞める人が後を絶ちません。多くの修道会や運動体が縮小し、消滅するようになっている」と深刻な現状を語った。

 このような現状から、「時代の変化」は、「キリストに従うことに回帰する新たな感性、共同体のおける誠実な兄弟・姉妹的生活、制度改革、権威乱用の克服、そして物の所有、使用、管理に関する透明性の確保」へと進んでいるが、古く薄弱な規範が、現代の世界の中でキリストを証しするために必要な変革を妨げている、と指摘。

 そして、司祭、司教、修道会や一般信徒の奉献された共同体の創設者を含め、多くの不祥事が起きている中で、「多くの奉献された男性と女性は、歴史のこの瞬間に、創設者が聖霊によって得ていた力の核心に近づこうと努めているのです」とも述べ、それは、「ある時」の文化的、宗教的な伝統を確認しつつ、教会と現在の教導職の叡智によって導かれるのを可能とする、過程の一つであり、そのために、奉献された人々が「勇気」、さもなければ教皇フランスコがparresiaという言葉で表現される「大胆さ」をもって、全教会の歩むべき道と一体となるように、求められている、と強調した。

 また、枢機卿は、多くの修道女たちが経験している”燃え尽き症候群”にも言及した。

 この問題は、バチカンの新聞の毎月の女性特集Donna, Chiesa, Mondoの7月号のテーマに取り上げられ、「修道女たちがしばしば経験する精神的ストレス、ないしはトラウマ」に関する記事の中で、世界の男子修道会と女子修道会のそれぞれの連盟が共同で設置したパーソナル・ケア委員会のメンバーで心理学者のシスター・マリアンヌ・ルングリは、同委員会の目的は「元気にあふれた共同体の構築」と「権力の乱用や性的虐待など”タブー視”されてきた問題を話し合う妨げの除去」で、その一環として、奉献者たちが自分の権利、限界、義務について理解し、仕事をよく準備できるような「行動規範」の策定を進めている、と語っている。

 そして、特に修道女の場合、無休、無休で家政婦同様の仕事に縛り付けられる場合が少なくない、それは、「何を願うことができ、何を願うことができないかを、修道女が知る基本… 一人一人が行動規範、司教や修道院長との取り決めを手にせねばならない。明確な取り決めによって、落ち着いた修道生活ができるからです… いつ何時、世界の他の場所に派遣されるか分からない、あるいは、休暇に出かけられない、と気に病むことなく、一年の仕事が保証されれば、平和と精神的な安定が得られます」と述べた。

 さらに、「もしそのような約束がなければ、ストレスを抑えることはできません。自分の生活をコントロールできず、計画を立てられないなら、精神的な健康が損なわれます」と語り、司教や修道院との取り決めで明確にすべき内容として、給与規定、毎年の決まった休日、まともな日常生活、インターネットへのアクセル、数年ごとの長期休暇などを挙げ、「ルールを取り決めることで、虐待が防止され、虐待が起きた特にに対処する方法が明確になります」。

 また「耳を傾けてもらえない中で、いつも交渉せねばならない、というのは辛いことです… はっきりしたルールがあれば、虐待を受けるのを避け、虐待が起きた時の対応の仕方をはっきりできます」とし、不公平な扱いを避けるためにも、旅行や勉学のようなことについての修道院の明確な規範が設けられる必要がある、と強調。こうしたことすべてが、虐待を受けていた姉妹たちが容易に前向きに生活できるようにする信頼される環境を作り上げる助けとなる、と述べた。

 「修道女が性的な虐待を受けた時のことを理解するの難しい。それが日々の現実でも、恥ずかしくて口に出せません… 修道会のメンバーが、彼女の苦しみに理解と共感をもって、強く生きることができるように助けてくれる、という確信を彼女が持てるようにせねばならないのです」と訴えた。

 

 バチカンの報道局で働いているシスター・ベルナデット・レイスが書いた別の記事では、奉献生活に入る女性の数が減っているのは、以前よりもそれが魅力的でなくなっている、という社会的要因もあるとしているー少女たちは、教育を受けるために修道院に入れられる必要がなくなり、若い女性は、勉強して仕事の機会を得るために修道生活に頼る必要がない。

 ブラス・ジ・アビス枢機卿は、先のインタビューで、現代の世界の中で、奉献生活を送ろうとする人々のための育成の「活力に満ちた時間」を確立するように、「多くの行動様式を改めねばならない」としたうえで、奉献者の育成は一生続くものだが、育成の初期か継続的な育成の”隙間”は、「共同体における奉献生活とほとんど同一視されないような個人的な態度が進んで、関係が汚染され、孤独と悲しみを作り出すことを許してきた」と述べた。

 そして「多くの共同体では、『他者はイエスの現存』であり、他者に愛される者として共同体における変わらぬ存在だということを保証することができるのだ、という認識を少しも深めるていない」とし、奉献者の育成で、最優先で再教育される必要があるのは、「いかにしてイエスに付き従うか」、そして、いかにして男女の共同体の創設者たちが育てられたか、を彼らに教えること、だと語った。

 「既成のモデルを伝えるではなく、教皇フランシスコが言われるように、一人ひとりに与えられたカリスマの深遠に入っていくのを助ける、福音書に示された重要な手順を作り上げること、教皇はしばしば強調されるように、すべの召命は、『福音宣教の急進主義』に向かうように呼ばれていること」に留意するよう、関係者に求めた。

 「福音書では、この『急進性』はすべての召命に共通したものとされています… 一等席の弟子と二等席の弟子というものは存在しません。福音宣教の道は誰にとっても同じ」。だが、奉献者の男女は特に「神の王国の価値を尊ぶ生活様式ーキリストの生き方である貞操、貧困、従順」を生きることとされている。これは「教皇フランシスコが提案され、実行された生き方の改革に、より忠実に、そして教会全体で参加するよう求められている」ことも意味している、と語っている。

 

2020年8月1日