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・「福音を人々にもたらす素晴らしさと責任を確信する機会に」-バチカン福音宣教省副長官が「2025年聖年」について語る
(2024.8.23 バチカン放送)
バチカン福音宣教省のサルヴァトーレ・フィジケッラ副長官(世界宣教部門担当)が23日、イタリア・リミニで開かれた交流イベントで「聖年2025」と題されたパネルディスカッションに参加、その意義を語った。
副長官は、教皇フランシスコが勅書『スペス・ノン・コンフンディト』で布告した2025年の聖年がもたらすものを「希望」と「赦し」の二つの観点から説明。
まず、この勅書の表題『スペス・ノン・コンフンディト』が、使徒聖パウロの「(神の栄光に与る)希望が失望に終わることはありません」(ローマの信徒への手紙5章5節)という言葉から取られている、としたうえで、2025年の聖年のテーマが「希望の巡礼者」であることに注意を向け、「希望なしでは、人生の本質をつかみ取ることはできません。『信仰』と『愛』と共に、キリスト教信者の生き方を表す『希望』は、キリスト教生活の本質だからです」と語った。
そして、「聖年のメッセージの特徴は、『希望』そのものに、『与え、捧げ、参加し、希望の具体的なしるしとなる力』を一致させることにあります」と述べ、特に日常的に暴力が見られる現代においては、「希望をもって全教会と人類が歩む必要があり、それゆえに私たちは皆、巡礼者なのです」と強調した。
また、「赦し」について、副長官は、「聖年とは、私たちに与えられた偉大な赦しの告知です」とし、免償は神の賜物であり、そこには売り買いするものは何もありません。神の赦しの経験は獲得するものではなく、歩みを通して恵みとして与えられるもの」と述べ、さらに、「教皇フランシスコの聖年の勅書にあるように、赦しは過去を変えることはできませんが、未来をより良く生きることを助けてくれます」と語り、「聖年が、教会にとって福音を皆にもたらすことの素晴らしさと責任を確信する機会」となることを希望した。
(編集「カトリック・あい」=聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)
・2025年元旦「世界平和の日」のテーマは「私たちの過ちをお赦しください。私たちにあなたの平和をお与えください」
(2024.8.8 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは、2025年1月1日のカトリック教会「世界平和の日」のテーマを「Forgive us our trespasses: grant us your peace(私たちの過ちをお赦しください。私たちにあなたの平和をお与えください)」とお決めになった。
バチカン総合人間開発省が8日発表したもので、同省は声明で「真の平和は、個人、地域、国際のあらゆるレベルでの真の回心によってのみ実現する」と説明。「平和」は紛争の終結によってのみでなく、「傷が癒され、各人の尊厳が認められる新しい現実からも生まれる」と述べている。
カトリック教会の「世界平和の日」は、毎年1月1日の聖母マリアの祭日に祝われる。1967年に聖パウロ6世教皇によって制定されて以来、歴代の教皇はこの日を機会に、国連、人権、外交、経済などのテーマを扱ったメッセージで、教皇の見解を述べてきた。。
教皇フランシスコが選ばれた2025年の「世界平和の日」のテーマ「私たちの過ちをお赦しください。平和をお与えください」は、2025年の聖年に関する聖書と教会の理解に一致する。声明は、このテーマは教皇の回勅「Laudato sí 」と「Fratelli tutti(兄弟の皆さん)」、そして、聖年の中心にある「希望と赦し」に基礎を置いており、「聖年は、他者を非難するのではなく、和解と平和をもたらすよう求める回心の時」と説明。
さらに、「『罪の赦し』と『負債の帳消し』という聖年の伝統に内在する希望に照らして、今日、人類を苦しめている紛争と社会的悪の現実を考えれば、教父たちのこの点に関する考察と合わせて、必要とされている精神的、社会的、経済的、環境的、文化的変化につながる具体的な原則が浮かび上がる」と指摘している。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・バチカンが、 パリ五輪開会式の”いくつかの場面”に悲しみを表明
(2024.8.3 Vatican News)
教皇庁は3日、7月26日に行われたパリ・オリンピックの開会式をめぐり声明を発表。「パリ・オリンピックの開会式のいくつかの場面(certain scenes)に悲しみを覚えるとともに、ここ数日上げられていた、多くのキリスト教信者や他の宗教の信者にもたらした不快感を嘆く声に加わらざるを得ない」と述べた。
また、「全世界が共通の価値観のもとに一致して集う信望ある催しにおいて、多くの人々の宗教的信念を嘲笑するような暗示はあってはならないはず」と言明。最後に、「表現の自由は、当然問題にすべきものではない」としながらも、表現の自由にも「他者の尊重においては限界がある」と強調した。
パリ・オリンピックの開会式では、女装したダンサーらが並んだ様子が、キリストと弟子を描いたレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」の構図に似ていたことから、「キリスト教を嘲弄している」などとして、世界中から批判が上がっているが、バチカンはこれまで沈黙を保っていた。
バチカンの声明全文の英語公式訳は以下の通り。
The Holy See was saddened by certain scenes during the opening ceremony of the Paris Olympic Games and can only join the voices that have been raised in recent days to deplore the offence caused to many Christians and believers of other religions.
At a prestigious event where the whole world comes together to share common values, there should be no allusions ridiculing the religious convictions of many people.
The freedom of expression, which is clearly not called into question here, is limited by respect for others.
(編集「カトリック・あい」)
(評論)「対話は忍耐強く、平和的に行われる」-教皇 パウロ6世の回勅『Ecclesiam suam(彼の教会)』から60年(Vatican News)
(2024.8.2 Vatican News Andrea Tornielli)
教皇聖パウロ6世の回勅『エクレジアム・スアム(彼の教会)』を発表されてから8月6日で60年になる。
「対話は高ぶらず、相手を刺激したり、感情を害するものであってはなりません。対話の権威とは、話す真理、あふれる愛、示す模範のために内在するものであり、命じたり、押し付けるものではありません。それは乱暴な方法を避け、忍耐強く、寛大に、平和的に行われるものです」。
教皇パウロ6世は、60年前の8月6日に発表された最初の回勅『エクレジアム・スアム』でこのように述べておられる。
同教皇の書簡のたぐいまれな今日性を察するには、このわずかな言葉で足りる。パウロ6世はこの回勅を、教皇に選出されて一年あまりの、第二バチカン公会議が開かれている中で、全文を自筆で記した。
北イタリア・ブレーシャ出身の教皇は、「救いの対話」を「イエスの使命」と定義している。そして、イエスは「これを受け入れるようにと、力づくで強制することはされませんでした。それは驚くべき愛の求めでした。この要求を向けられた者にとってそれは恐ろしい責任を成したとしても、それに愛で応えるか、拒むかを自由に委ねられました」と語られた。
それは、「この対話を始める側の清廉さ、尊敬、共感、善良さ」を浮かび上がらせ、「決めつけや、常に攻撃的な議論、意味のない体裁だけの会話」を退ける関係を表すものだった。私たちは、このアプローチが、ありとあらゆることを裁き、軽蔑的な表現を用い、自分が存在するために「敵」を必要とするような人たちの、現在の「デジタル上のやりとりに特徴づけられるアプローチ」とかけ離れていることに気づかざるを得ないだろう。
パウロ6世にとって、福音宣教と同化された対話は、相手の回心をただちに求めることを目標にしていない。ただし、回心とは常に「神の恵みの業」であり、宣教者の叡智ある論法のおかげではないが… この対話は「自分の救いを、『他者のそれを求めることと、もはや切り離すことができない』と感じる人の精神」を前提としている。つまり、「自分一人だけが救われるということはできない」ということである。同時に「純粋さ」を守り、汚染を防ぐために、囲いを上げたり、世から隔離された要塞に閉じこもっても、やはり救われることはないのだ。
対話は「真理と愛、知性と愛の一致です」。それは、「福音を伝えるためには、この世とその時代に順応することが必要だ」と信じる者のアイデンティティーを無にすることではない。また、一方で、他者を上から見下ろすような、隔たりを作るために、アイデンティティーをことさらに強調することでもない。
パウロ6世は言われる―「教会は、自分が置かれ、生きている世界との対話に、向かわなければなりません。教会は言葉となり、メッセージを発し、会話をすべきです」。なぜなら「回心以前に、いや回心のために、教会は世界に近づき、話しかけることが必要だからです… 世界はそうすること以外には救われません」。
パウロ6世のこの回勅は、冒頭の言葉からすでに、私たちが生きている時代のための、他の貴重な示唆をも含んでいる。回勅のタイトルが『エクレジアム・スアム』、すなわち「彼の教会」とあるように、教会は「彼」、創立者イエス・キリストのものなのだ。それは、私たちの手で築いたものでも、私たちの手柄によるものでもない。教会が及ぼす力は、市場調査や、机上で研究されたキャンペーン、視聴率や、動員率によらない。教会は、大きなイベントや、メディアによるプロモーション、インフルエンサー的な作戦ができるから存在するわけではない。
教会は、多くの「貧しいキリストたち」や、赦された罪人たちの日常の証しを通して、救いの出会いの素晴らしさを輝かせ、希望の地平をもたらすために世にある。教会は、すべての人にイエスの眼差しと交差する機会を与えるために世に存在するのだ。
(翻訳「バチカン放送」、編集「カトリック・あい」)
・バチカン財政、2023年決算で赤字の増加は抑えられたが、長期的な悪化に懸念(CRUX)
さらに、基金からの収入の長期的な傾向は明らかに下降している。Repubblicaの分析によると、募金は2015年から2019年にかけて全体で23%減少しており、さらに減少する見込みだ。この減少は、ロンドンの高級百貨店ハロッズの元倉庫の4億ドル(約610億円)の買収が中止され、イタリアのアンジェロ・ベッチウ枢機卿を含む9桁の詐欺罪で有罪判決を受けたなどの金融スキャンダルに関連している可能性がある。教皇基金は、現教皇の人気に関する”国民投票”と見なされることもあるため、教皇フランシスコをめぐるさまざまな論争も影響している可能性がある。
聖ペトロ使徒座献金が、富裕国の信者減少を主因に減り続けている
しかし、もっと根本的な点として、ほとんどの評論家は、聖ペトロ使徒座献金など教皇基金の収入の大半が裕福な国々から来ていることが、減少の主因だと考えている。裕福な国々では、カトリック教徒の人口が減り続けており、したがってカトリック教徒の献金も何十年も減少を続けている。
労働力の高齢化と年金債務の増大という将来にわたる問題を考えると、バチカン財政の収入の減少は、バチカンの財務関係者にとって特に心配なことだ。また、世界中から持ち込まれる仕事と複雑さが急速に増加している中で、歳出コストの上昇と収入の減少は、最終的にバチカンは職員を削減するか、職員給与を削減するか、あるいはその両方を余儀なくされる可能性がある、と懸念されている。
バチカンの財務評議会が承認したとされる財務諸表は、教皇庁に関するもので、バチカン市国政府(バチカン美術館からの収入など、物理的な領土の管理に責任を持つ)とバチカン銀行(IOR)の両方が除外されている。IORは2023年に3320万ドル(約50億8000万円)の収入をあげ、59億ドル(約9000億円)の顧客からの預かり資産を持っているが、今後数年間、市国またはIORからの収入がバチカンの広範な赤字を相殺するのに十分である可能性は低い、と考えられており、現時点では損失がどのように維持されるかは不明だ。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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・パロリン国務長官、キーウでゼレンスキー大統領と会見、教皇の寄り添いと和平への努力を強調
・バチカンで「巨額の不動産不正取引裁判」に勝った検察官、ロンドンでの裁判で”逆襲”も警戒必要
(2024.7.7 Crux Editor John L. Allen Jr.)
そしてそれは、バチカンの高位聖職者が関与するロンドンを舞台にした巨額不正疑惑を追及するバチカンの主任検察官アレッサンドロ・ディディが学びつつある教訓だ。
ディディはこの間に取った行動について厳しい批判も受けているが、勝利は勝利であり、少なくとも”試練”は終わったように見える。だが問題は、勝利の”予選通過者”が、名実ともに「ピュロス」(多大の犠牲を払ってローマに勝利した古代ギリシャの王)になることができるかどうかだ。
ミンシオーネは、バチカン国務省が約1億4000万ドルと推定される損失を出してこの不動産を売却した取引で、ロンドンの高等法院が、彼が「誠実に行動した」との判断を下すことを望んでいる。そうなった場合、風評被害に対する金銭的補償をバチカンに請求する可能性もある。
今週、ペーニャ・パラ総務局長はこの事件で証言するためにロンドンに来て、ミンシオーネの代理人であるチャールズ・サメック弁護士の尋問に直面する。尋問は、バチカンの裁判で有罪判決を受けたアンジェロ・ベッチュ大司教の後任である総務局長がロンドンの取引でミンシオーネの代わりを務めたもう一人のイタリア人実業家、ジャンルイジ・トルツィとのやり取りに焦点が当てられそうだ。
この際、英国の法廷はこれまでロンドン事件に関して、バチカンに必ずしも友好的ではなかったことを想起する必要がある。2021年3月、ロンドンの刑事法院のトニー・バウムガートナー判事は、「バチカンの提出書類は非開示と虚偽の陳述に満ちており、ぞっとする」と強く批判したうえで、「バチカンはトルツィが犯罪行為で有罪であると信じる合理的な根拠を示さなかった」と結論付けた。
ディディはロンドンの裁判の結果を待っているが、彼はまた、現実世界にも影響を与える可能性のある、より知的で学術的な別の面での課題にも直面している。
2021年にこの事件のバチカンでの裁判が始まって以来、多くの法律家や法学者が、「基本的な適正手続きの保護が侵害されている」という主張を含め、正当性に異議を唱えてきた。そして、手続きの冒頭で教皇フランシスコから出された4つの有名な「詔勅」、つまり法令が、検察側に有利な”デッキ”を積み上げた、と主張している。
このような根強い批判の中で、ディディは最近、「Annali di Diritto Vaticano(バチカン法の年代記)」のページで長い弁護をせざるを得ない、と感じるようになった。そして、先週、ボローニャ大学の教会法と民法の専門家、バチカンの立法文書評議会の顧問であり、イタリア政府の「宗教の自由と宗教団体との合意に関する委員会」の委員長のジェラルディーナ・ボニから痛烈な非難を浴びた。
4日付けのローマの新聞「Il Messaggero」に掲載されたインタビューで、ボニは、「詔勅は予備調査のみに関係しており、裁判の完全性を損なうものではない」とするディディの主張を強く批判。「捜査と裁判は密接に関連しており、捜査中に行われる活動は、関係者の基本的な保障を侵害できない… この原則は自然法と教会法の両方に基づいている」と主張し、「バチカンの刑事司法制度の欠陥が是正されない限り、その評決がイタリア国家によって承認されず、欧州人権裁判所による制裁に直面するリスクがある」と警告している。
ディディが直面する可能性のある”第3の評決”は、現在バチカンのローマ控訴院で進められている「世紀の裁判」における有罪判決の再審理だ。被告側は有罪判決に異議を唱えただけでなく、ディディ自身も判決を不服として控訴し、被告が「詐欺を成し遂げるために組織的かつ承知の上で行動した」という彼の主張を裁判所は十分に支持していない、と主張している。(裁判官は昨年12月に結論の要約を発表したが、評決の全文は秋までに完成しない見通しだ)。
バチカンの有罪判決が覆されることはないが、ベッチュは5月にドイツの新聞「Die Zeit」のインタビューで、そのような結果を希望する、と述べている。現実には、バチカンの控訴院が法廷の認定を脇に置くことは稀であり、ましてや、これほど世界の注目を浴びている事件の場合はなおさらだが、ディディは自分の法理論の評価を求める結果となったことを後悔することになるかもしれないし、たとえ判決自体が覆されなくても、検察の行き過ぎを批判される可能性がある。
この裁判に関連して、バチカンのリベロ・ミローネ元監査室長が2017年にベッチュと当時のバチカン憲兵隊長、ドメニコ・ジアーニからの圧力で辞任を余儀なくされたことについて、約1000万ドルの損害賠償を求めているという”奇妙”な案件もある。
ミローネは1月にバチカンの法廷での最初の訴訟で敗訴し、先週の4日、バチカン控訴院は、彼の控訴を取り下げるかどうかを検討するために簡単な審理を開いた。裁判官が訴訟手続きを拒否した場合、ミローネは、現在、ケビン・ファレル枢機卿が率いるバチカン市国最高裁判所に上訴する選択肢を持つことになる。
ディディは、ミローネの主張が最初に提起された時、「時効によって禁止されるべきである」と主張して反対し、監査室長在任中に他のバチカン職員をスパイした疑いで告発すると警告している。(ミローネは、「バチカンとの契約や雇用慣行に関するイタリアの公文書を監査室が調査するのを手伝わせるために、イタリアの調査会社ファルコを雇っただけで、違法な監視とは無関係だ」と主張している。)
ミローネがバチカンの法廷から満足を得る可能性は低いかもしれないが、ディディの事件への関与は、ディディの動機と戦術の両方が疑問視する新たな”戦線”を開くかもしれない。
公平を期すために言っておくと、ローマのベテラン弁護士であるディディは、この仕事を引き受けた時、この仕事が危険であることを知っていたに違いない。だから、バチカンが過去最大の刑事裁判で勝てるとは想像していなかったろうが、それでもなお、「”戦い”に勝っても、”戦争”には負けるリスク」を負ってもいるのだ。
・教理省、教皇と第二バチカン公会議の正当性を拒否した元駐米大使のヴィガノ大司教に破門判決
(2024.7.5 バチカン放送)
バチカンの教理省が5日、元駐米大使のカルロ・マリア・ヴィガノ大司教に対して、教皇と第二バチカン公会議の教えの正当性と権威を拒否する主張を繰り返している、として、破門の判決を下し、本人に伝えた。
ヴィガノ大司教は、「シズマ」(教会の分裂)を招く態度をとっていると告発され、教理省はその教会法上の裁判の判決を下す会議を4日に開いた。会議では、大司教の公的な主張が「教皇を承認し従うこと、教会のメンバーとの交わり、第二バチカン公会議の教えの正当性と権威を拒否する」ものであり、「シズマに相当する罪と認められた」と結論した。。
・・・・・・・・・・・
長年バチカンで働いてきたヴィガノ大司教は、2018年8月にダブリンで開かれ世界家族会議で初めて世界的な”悪名”を馳せた。
この月に大司教は、教皇フランシスコのアイルランド訪問の最終日に合わせて、同国で多くの聖職者が性的虐待問題を起こし、教会に対する不信感が高まっていたのを背景に、11ページの「証言」を発表。未成年者への性的虐待と成人神学生への性的嫌がらせで告発された元枢機卿のセオドア・マカリックの犯罪を、教皇が隠蔽したと非難し、「教皇は、マカリックに対する告発を知りながら、本人の聖職や旅行に対する制限を緩和した」と主張。教皇の引責辞任を求めた。また、バチカン内に”同性愛文化”が広がっている、 とも主張した。
それ以来、大司教は、教皇フランシスコの「教義上の異端や権力の乱用」を問う公開書簡を一貫して発表し続け、また、第2バチカン公会議が決定した教会改革や典礼改革の多くを拒否し、その決定を受けた伝統的なラテン語ミサを制限する教皇の決定を批判した。
駐米大使に任命される前、ヴィガノ大司教はバチカン市国の次官として勤務していた際に、同市国の過剰支出や管理不行き届きを暴露しようとしてローマで波紋を呼び、内部告発者としての評判を得たが、一方で、多くのバチカン内部関係者から、「一緒に仕事をするのが難しい、気難しい性格」の持ち主と見られていた。
大司教は教理省から6月20日に出頭を求められた直後、「現時点ではカトリック教会において法的身分を有しておらず、同会の聖職者は、教会において適法に使徒職を果たすことが出来ない」と教理省が判断する、伝統主義の聖ピオ十世会(SSPX)の会員になった、との噂があったが、SSPXは、「大司教の発言は、本会の創設者が破門にされた行為を超えている」として大司教と距離を置く立場を表明している。
SSPXは6月24日の声明で、教皇フランシスコが教皇に選出された際に「同意の欠陥」があった、と述べた大司教の声明について、「大司教によれば、ベルゴリオ枢機卿は教皇職を実際とは異なるものとみなし、完全に同意することなく教皇職を受け入れたが、この誤りにより、彼の受け入れは無効となった。したがって、フランシスコの教皇職は”仮の地位”となるだろう」と述べた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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・9月2日からの教皇、東南アジア・オセアニア4カ国訪問の詳細日程発表
(2024.7.5 バチカン放送)
教皇フランシスコが9月に予定される東南アジア・オセアニア4カ国訪問の詳しい日程が5日、発表された。9月2日(月)から13日(金)まで、各国元首とカトリック教会からの招待に応え、インドネシア、パプアニューギニア、東ティモール、シンガポールを司牧訪問される。
この歴訪の行程は次のとおり。
【インドネシア(9月3日‐6日)】
2日(月=ローマから、最初の訪問地、インドネシアのジャカルタに向け出発=3日(火)スカルノ・ハッタ国際空港に到着。空港で歓迎式=4日(水)ジャカルタ市内の大統領官邸(ムルデカ宮殿)で歓迎式典、大統領への表敬、インドネシア各界代表および駐在外交団と会見。ローマ教皇庁大使館で、イエズス会関係者との私的な集い。カテドラルで同国の教会関係者との出会い。若者の家「グラ・ペムダ」でスコラス・オクレンテスの青年たちと交流=5日(木)ジャカルタ市内のモスクで諸宗教代表と会見。インドネシア司教協議会本部で、奉仕活動の支援を受けている人々との出会い。ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムでミサ=6日(金)スカルノ・ハッタ国際空港で送別式、次の訪問国パプアニューギニアのポートモレスビーへ。
【パプアニューギニア(9月6日‐9日)】
6日(金)教皇、パプアニューギニアのポートモレスビー・ジャクソン国際空港に到着。空港で歓迎式=7日(土)ポートモレスビー市内のガバメントハウスに総督を表敬訪問。国際会議場APECハウスでパプアニューギニアの各界代表及び駐在外交団との会見。カリタス・テクニカル・セカンダリースクールで子どもたちとの出会い。扶助者聖母巡礼聖堂でパプアニューギニアおよびソロモン諸島の教会関係者との集い=8日(日)ポートモレスビーのローマ教皇庁大使館で首相と会見。サー・ジョン・ギーズ・スタジアムでミサ。ポートモレスビーからバニモへ。バニモのカテドラルで同教区の信者たちとの出会い。学校で宣教師たちと私的な集い。再びポートモレスビーへ=9日(月)ポートモレスビーのサー・ジョン・ギーズ・スタジアムで若者たちのとの集い。ジャクソン国際空港で送別式。東ティモールのディリへ。
【東ティモール(9月9日‐11日)】
9日(月)教皇、東ティモール・ディリのプレジデンテ・ニコラウ・ロバト国際空港到着。空港で歓迎式。ディリ市内の大統領官邸で歓迎式典、大統領への表敬、東ティモール各界代表および駐在外交団と会見=10日(月)ディリ市内の学校で障害児との出会い。カテドラルで教会関係者との集い。ローマ教皇庁大使館でイエズス会関係者と私的にお会いに。タシ・トルの広場でミサ=11日(火)ディリのコンベンションセンターで若者たちとの出会い。プレジデンテ・ニコラウ・ロバト国際空港で送別式。シンガポールへ。
【シンガポール(9月11日‐13日)】
11日(月)教皇、シンガポール・チャンギ国際空港到着。空港で歓迎式。黙想センターでイエズス会関係者と私的な集い=12日(火)国会議事堂で歓迎式典。大統領への表敬。首相と会見。シンガポール国立大学・文化センターで各界代表および駐在外交団と会見。競技場シンガポール・スポーツ・ハブでミサ=13日(水)カトリック系施設に高齢者と病者を訪問。カトリック・ジュニア・カレッジで諸宗教の若者たちとの出会い。チャンギ国際空港での送別式を経て、ローマへの帰途に。
・7月は教皇の一般謁見お休みに、日曜正午の祈りは継続
(2024.7.3 バチカン放送)
教皇フランシスコの水曜恒例の一般謁見は、夏期の慣例に従って、7月中はお休みになる。8月7日から再開される。日曜正午のお告げの祈りは、7月中も毎週行われるが、7月7日は、教皇がイタリア・トリエステを訪問されるため、お告げの祈りは現地でのミサの後半に行われる予定。
・「『正義の戦争』の概念の見直しを検討中」-パロリン国務長官が言明
また、ダモッソ記者の著書について、「興味深い方法で、平和への深い願いを前面に出しています… 多くの人々とのインタビューから浮かび上がるのは、平和に関する総合的な分析です」と評価し、ジャーナリストの徹底的な調査が「教会は紛争を止める本当の力を持っていないが、憎しみと敵意の壁を打ち破るために行動するよう、すべての人間の良心に呼びかけることができ、友愛こそ正義、連帯、包摂、地球への配慮への真の道であることを示すことができる」と指摘した。
授賞式に先立って、国務長官は数人のジャーナリストと話をし、ウクライナと中東の紛争について問われると、「これらの戦争は決して正義の戦争ではありません」とし、エルサレムの正義と平和委員会の声明に言及したうえで、「自衛の戦いとしての正義の戦争という概念について、今日多くの議論があります。しかし、現在使用可能な武器(の多様化、高度化)によって、この概念は非常に困難になっており、概念について決定的な立場(を示すこと)はないと思いますが、(カトリック教会としての)の概念の見直しを検討中です」と語った。
(以下、英語原文のまま)
Lebanon urgently needs a new president
The Secretaqry of State also commented on his recent visit to Lebanon. Asked about the possible solutions he envisages for the Lebanese crisis, he remarked that the priority at the moment is the election of the new President of the Republic: “The most important thing is having a president, closing this institutional crisis which is damaging the whole country”, he said.
He also expressed his hope that Chrsitians may play an active role within the Lebanese system. “(The election) certainly won’t be the magic solution, but we will begin to address the problems when all the institutional rolesare filled,” he stated.
Cardinal Parolin confirmed that Maronite Cardinal Mar Bechara Boutros Al-Rai is an active actor in this context, “He has always tried to unite Christians and it seems that there is a willingness on the part of the Christian parties to unite, to propose one or more commonly accepted candidates”.
Asked if there is dialogue with the Shiite community, Cardinal Parolin implied that dialogue is not lacking, but the problem is above all on the side of Hezbollah: “They are stake-holders in the game and have their candidate. The question is finding a candidate that it is accepted by all parties”, he said.
Release of prisoners could help peace process in Ukraine
Cardinal Parolin also spoke about Ukraine, and was asked about the proposal presented by the Hungarian Prime Minister Orbán to Ukrainian President Zelenskiy, in his capacity as rotating president of the European Union, for an immediate ceasefire to facilitate a peace negotiation. “As far as I know, until now the Ukrainians have always refused”, said the Vatican Secretary of State. He recalled hat for the Ukrainian government if there are no guarantees “this could only be a pause to then start again in an even cruder, harsher way.”
However, Cardinal Parolin, reiterated the Holy See’s hope that there “can be a truce, and then a negotiation”.
Regarding the exchange of prisoners for which the Holy See has successfully mediated, Cardinal said that he foresees other releases “because – he explained – it is a mechanism that works which is distinct from that of children, where there are various realities involved. In the case of prisoners it is essentially an exchange of lists that are delivered to the two parties, so I imagine that this activity will continue a little which I believe is very positive and which can create conditions that could also favour peace and possible negotiations”, he said.
We need values to preserve democracy
Finally, in his conversation with the reporters, Cardinal touched on the 50th Italian Social Weeks in Trieste, which kicked off on Tuesday and will see the participation of Pope Francis on July 7.
In this regard the Secretary of State remarked that the theme chosen for this edition focused on democracy is particularly relevant at this time “because – he noted – democracy is facing a crisis in many parts of the world and I believe that it is also very important for Catholics to reiterate the importance and need to be in favour of democracy and above all to fill it with values.”
“Democracy – he noted – is not a simple mathematical exercise, who has more and who has less, but is above all an exercise of values, it is about drawing inspiration the values that make social coexistence possible. Therefore, I believe that the contribution that Catholics can make is very valid, I hope that something good comes from these social weeks,” Cardinal Parolin concluded.
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・今年3回目の枢機卿顧問会議(C9)、「女性の教会での役割拡大」「未成年者保護」など協議して閉幕
(2024.6.18 Vatican News Alessandro De Carolis)
今年3回目の枢機卿顧問会議(C9)が17、18両日、教皇フランシスコ出席のもとに行われ、教会における女性の役割と未成年者の保護の問題に焦点が当てられた。
教会における女性の役割では、「女性について」ではなく「女性と共に」考えることが、考察と議論のテーマとなり、初日の17日には、修道女と二人の大学教授2人が基調報告を行った。
バチカン報道局が18日発表したところによると、報告者はシスターLinda Pocher、南スイス応用科学芸術大学のValentina Rotondi教授、イタリアのピアセンツァのアルベロ―ニ神学研究所のDonata Horak教授。Rotondi教授は、「世代間の深い関係という文脈で、経済をケアと適切な管理としてとらえるというビジョンを強調」し、Horak教授は「教会法に関するより広範な考察の文脈で、正義と慈悲、協議権と審議権、階層原理と聖体拝領の教会論、民主化と君主制モデルなど、さまざまな二律背反」を指摘した。
発表によると、これを受けた会議の議論では、キンシャサ大司教のフリドリン・アンボンゴ・ベスング枢機卿が、C9がテーマとしてこれまで4回にわたって女性の役割を取り上げたことを振り返り、「私たちの教会では、ミサに参加する信徒の半分以上が女性であるにもかかわらず、教会で責任を持たされる女性はほとんどいない」としたうえで、「教会における女性の役割をもっと広げていかねばならない、ということが、これまでの基調報告や議論を通じて改めて明らかになった… 教皇が言われるように、『教会は女性』であり、教会共同体で『母性』が重視されなければならない」と述べた。
またボンベイ大主教のオスワルド・グラシアス枢機卿も、女性の教会における役割の重要性を高めていく必要があることに同意し、「私はインド出身だが、インドの一部の地域では女性の重要性は低く、『二流』扱いされている。今、教会はそれを改め、女性に、家族、社会、政治における適切な地位を与えるよう取り組んでいる」と説明。教会における女性のリーダーシップには「多くの可能性がある。私の経験では、女性は、男性が考えない視点で問題に対処できることを何度も経験している。女性の教会における役割の拡大に大いに期待している」と語った、という。
2日目、18日の協議では、ボストン大司教のショーン・パトリック・オマリー枢機卿による「未成年者保護委員会の活動によって開かれた保護の分野での展望」に関する報告も行われ、グラシアス枢機卿は、この分野における「司教会議の活動と運営方法」に焦点を当てた意見を述べた。
最後に、「公会議の枢機卿たちが出身する世界各地の状況、特に現在起こっている紛争」に焦点を当てた意見交換もされた。次回は今年12月の予定。
枢機卿顧問会議のメンバーは2023年3月7日に刷新され、現在は以下の枢機卿によって構成されている。国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿、バチカン市国およびバチカン市国行政区の教皇庁委員会の議長フェルナンド・ベルゲス・アルザガ枢機卿、キンシャサ大司教のフリドリン・アンボンゴ・ベスング枢機卿、ボンベイ大司教のオスワルド・グラシアス枢機卿、ボストン大司教のショーン・パトリック・オマリー枢機卿、バルセロナ大司教のフアン・ホセ・オメラ・オメラ枢機卿、ケベック大司教のジェラルド・ラクロワ枢機卿、ルクセンブルク大司教のジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿。およびサンサルバドルデバイア大司教セルジオダロシャ。書記はクレシマの名誉司教マルコメリーノ司教。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
・バチカンが「教皇の役割と首位性の行使に関するキリスト教の他教会との対話」の成果文書発表
(2024.6.13 VATICAN NEWS)
バチカンのキリスト教一致推進省が13日、教皇の役割と教皇の首位性の行使をめぐるエキュメニカル対話の成果をまとめた文書「ローマの司教」を発表した。第二バチカン公会議後の歩みの中、約30年前にヨハネ・パウロ2世教皇の招きに応えて始まった「教皇職をめぐるエキュメニカル対話の成果」をまとめたもの。
文書は、この対話の目的は、「他のキリスト教諸教会と分かち合える教皇の首位性の行使の形を探求することにある」とし、「たとえ、すべての神学的対話が「そのテーマを同じレベルで、あるいは同じ深さで扱った」ものではないとしても、この最も議論されてきた神学問題への新しいアプローチをしるすことは可能」と述べた。
そして、「これらの神学的対話の実りの一つは、歴史的にキリスト教の一致の妨げとなってきた『ペトロをめぐるテキスト』の新たな解読であり、「対話のパートナーたちには、その後の教義的発展の時代錯誤な影響を避け、使徒たちの間でのペトロの役割を再考することが願われた」としている。
*教皇の首位性の起源
議論の中心となっている問題の一つは、ローマの司教の首位性について、カトリック教会は神権的制度と理解しているのに対し、大部分のキリスト教教会はそれを単に人権的制度と解釈している点であり、文書は、「エキュメニカル的な解明は、この伝統的な二分法に新しい視野をもたらすことに貢献した… それは首位性を、神権的、人権的双方の立場から教会に対する神の御旨の一部として、また人類の歴史を通し媒介されたものとして、考えるものだった」と述べた。
*重大な障害は第1バチカン公会議の教義的な定義
そして、「重大な障害は、第1バチカン公会議の教義的な定義に表されるものにあった」とし、「いくつかのエキュメニカル対話は、第2バチカン公会議の歴史的背景と教えに照らし、この公会議の再読に取り組む上での有望な進展をしるした」。そうして、教皇の普遍的権限の教義的な定義に、「その範囲と限界を特定しつつ」異なる解釈が与えられ、同様に「無謬性の教義の論述を明確にするとともに、キリスト者の一致は真理と愛における一致であるがために、その目的のいくつかの面に同意し、ある状況下では、教導職の個人的な行使の必要性をも認識した」としている。
だが、これらの解明にもかかわらず、「対話は、無謬性と福音における首位性との関係、全教会の完全性、司教の合議制の行使、および容認の必要について、依然として懸念を表明している」ことを認めている。
*教会の和解のための役務
多くの神学的対話は、「普遍的なレベルでの首位の必要」を認めているが、一部の対話では、「使徒的伝承に言及しつつ、教会のその起源から、キリスト教は特定の位階を占めるいくつかの使徒座の上に成り立ち、その使徒座の間でローマが首位である」との主張がされ、またいくつかの対話は、「教会生活のあらゆるレベルにおいて首位とシノドスの間に相互の依存があること」を強調している、と指摘。
*首位性とシノドス性
さらに文書は、対話の恩恵があったもう一つの議題は、実際的な性質のテーマで、「グロバリゼーションと宣教上の必要」という今日的状況に関連したもの、とし、「対話を通し、21世記における首位性の行使のためのいくつかの原則が見極められた」と述べた。
最初の一般的な合意は、「教会のあらゆるレベルでの、首位とシノドスとの間にある相互の依存と、それに伴う首位の協働的な態度の必要」であり、次に、「すべての信者の信仰感覚に基づく『共同体的』な側面と、特に司教の共働性に表される『シノダル(共働的)』な側面、そして、首位権的機能によって表される『個人的』な側面」のつながりに関するもの。
多くの対話の中では「地方レベルと普遍レベルにおける首位性の行使のバランスの必要」が強調され、総主教たちによる古代教会のモデルからインスピレーションを受けた、地方分権化への招きがあった。
相互援助の原則も強調され、「ローレベルで適切に対応できる問題は、ハイレベルにもたらされることはない」。また、いくつかの対話は、カトリック教会との「多様性における一致」の受け入れ可能なモデルを定義するためにこの原則を適用している。
*作業をめぐる示唆
これらを踏まえた最初の勧告は、カトリック教会側による、第1バチカン公会議の教えの新たな解釈。ローマの司教の様々な責任、「特に、西方教会における長としての役務と、諸教会の交わりにおける一致の首位的役務」をより明確に区別すること。そして、教皇にとっての部分教会であるローマ教区での役務の行使により重点を置いた考察の必要だ。
もう一つの勧告は、カトリック教会のシノドス性の発展に関するもの。特に「各国および各地域でのカトリック司教協議会の権限と、彼らの共働性との、そしてローマ教皇庁との関係のさらなる考察」だ。また、普遍的レベルでは、「シノドスの歩みにおける神のすべての民のより良い関与の必要性」を強調するものがあった。そして、最後の勧告は、「世界レベルでの諸教会の指導者の定期的会合を通した『和解の交わり』の促進」だ。
(編集「カトリック・あい」)
・教皇がイスラエル、パレスチナの大統領らと「祈りの集い」をバチカンで開いて8日で10年
集いから10年、世界は今、新たな戦争の脅威にさらされ、イスラエルとパレスチナの間でもガザ地区での先の見えない戦闘で多くの犠牲者が出続けている。そうした中で、教皇は「祈りの集い」10周年を迎える8日、バチカン庭園を訪れ、四人で植樹したオリーブの前で、改めて平和を祈られる。
2014年の6月8日の「祈りの集い」は、教皇が同年5月に聖地を巡礼した際、ペレス大統領とアッバス大統領に、一致して平和を祈る機会を呼びかけたことにより実現した。
バチカン庭園で行われた祈りには、教皇と両大統領、そしてバルトロメオス1世総主教をはじめ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から各使節が参加。三つの宗教それぞれの祈りを通して、人民間に平和の賜物を願い求めた。祈りの後には、4人で、平和の象徴であるオリーブの苗をバチカン庭園に植えた。
(編集「カトリック・あい」)