・日本司教団との教皇会見は12日午前中の4つの謁見の一つ、バチカン側からも”リスト”の発表のみ

(2024.4.13 カトリック・あい)

 バチカン広報が12日夕(日本時間13日未明)に発表した教皇フランシスコが同日午前になさった個別謁見のリストによると、まず、ドミニカ共和国駐在教皇大使の ピエルジョルジョ・ベルトルディ大司教、次いで、欧州民主主義・人口委員会のドゥブラフカ・シュイカ副委員長、Papal Foundation(教皇基金)の役員たち、そして最後に「アド・リミナで訪問した日本の司教たち」となっている。

 日本の司教団の教皇との会見はバチカン放送日本語版のみが報道し、Vatican Newsには報道されておらず、教皇が日本の司教たちに何をお話になったのかなども伝えられていない。会見時間が通訳の時間を除けば、司教たちとのやり取りは長くて30分程度だったとみられ、この発表の仕方を見ても、儀礼的」なものにとどまった、とみていいようだ。

 

2024年4月13日

・教皇フランシスコが、ローマ定期訪問の日本司教団と会見

 司教団は同日早朝、バチカンの聖ペトロ大聖堂の地下聖堂で、共同司式によるミサをローマ在住の日本人カトリック共同体と共に捧げた後、バチカン宮殿で教皇との出会いが行われた。

 教皇は日本の司教たち一人ひとりを温かく歓迎され、およそ1時間にわたって、自由な雰囲気の中でお話しになり、祝福を与えられた。

 司教団は8日にローマ到着後、バチカンの福音宣教省、教理省、人間開発省など主な省や、シノドス事務局、「未成年者・弱い立場の成人保護のための委員会」などを訪問、日本のカトリック教会の現状などを報告するとともに、各省、機関から具体的な取り組みなどについて説明を受けた。

13日午前、日本の司教団はローマの城壁外の聖パウロ大聖堂(サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ)を巡礼し、使徒聖パウロの墓前でミサを捧げ、バチカン定期訪問は、ほぼ終了することになる。 

 アド・リミナ(ad limina )とよばれるこの定期訪問では、「使徒たちの墓所へ」を意味するその言葉のとおり、初代教会を支え、宣教に尽くし、ローマで殉教した2人の使徒、聖ペトロと聖パウロの墓参りが行われる。

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 今回のバチカン定期訪問には、日本の全15教区から、以下17名の司教が参加した。※()内は司教叙階年

 前田万葉枢機卿・大阪高松大司教区・大司教(2011)/菊地功大司教・東京大司教区(2004)/中村倫明大司教・長崎大司教区(2019)/松浦悟郎司教・名古屋教区(1999) /大塚喜直司教・京都教区(1997)/ 梅村昌弘司教・横浜教区(1999)/ 勝谷太治司教・札幌教区(2013) / 白浜満司教・広島教区(2016) /ウェイン・バーント司教・那覇教区(2018) /ヨゼフ・アベイヤ司教・福岡教区(2018) / マリオ山野内倫昭司教・さいたま教区(2018) /中野裕明司教・鹿児島教区(2018) / 成井大介司教・新潟教区(2020) /  エドガル・ガクタン司教・仙台教区(2022) /森山信三司教・大分教区(2022) /酒井俊弘司教・大阪高松大司教区・補佐司教(2018) / アンドレア・レンボ司教・東京大司教区・補佐司教(2023)

(編集「カトリック・あい」)

 

2024年4月13日

・菊地・司教協議会会長から司教団ローマ訪問の中間報告

2024年4月12日 (金)アドリミナのために司教団はローマにいます

 今週、日本の司教団は全員で、ローマに滞在しています。といっても司教さんたちが一緒に旅行をしたくなったので団体旅行に出かけたとか言うわけではありません。

 教会法の399条の1項に、教区司教は五年ごとに、教皇様に対して、自分に任せられている教区の状況を報告しなくてはならないと定められているからで、その報告をいつするか、どのようにするのかは、聖座が決めると定められています。

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 私にとっては2007年、2015年に続いて、三回目のアドリミナです。今回から、聖座から指示された「どのように」の部分が、大きく変わりました。現状の司教の総数では、5年ごとの訪問は不可能となり、いまは、今回が9年ぶりであるように、7年から9年くらいのインターバルになっています。

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 以前は、日本の教会を管轄している福音宣教省と、教皇様との謁見へは、司教団全員で出かけましたが、今回からは、調整役となる福音宣教省の担当者が定めたスケジュールに従って、ほぼすべての省庁を、司教団全員で訪問することとされました。以前の時は、福音宣教省や教皇謁見以外では、それぞれの司教が担当している委員会などに対応する役所を、それぞれ訪問していました。ですから一人一人の司教がすべての省庁を訪問することはなく、スケジュールには余裕がありました。

  しかし今回は、朝8時半頃から始まって昼の1時過ぎまで、そして午後も3時くらいから6時くらいまで、ほぼ毎日、いくつもの省庁を、全員で訪問しなくてはなりません。ドレスコードもあります。省庁訪問はローマンカラーにダークスーツ。教皇謁見は司教正装です。おじさんたちばかりが黒ずくめの団体で、ぞろぞろ移動して2024adlimina06いる姿は、特にバチカンを訪れる観光客の中にあって、目立ちます。移動するのも、宿も食事も全員一緒です。

 それぞれの省庁に割り当てられた時間は、大体1時間半ほど。すべてがサンピエトロの周囲にあるのではなく、いくつかの省庁は、ローマ市内の飛び地にもあります。2025年の聖年に向けて、ローマ市内は道路やら何やらの工事中で、どこへ行っても大渋滞。移動も簡単ではありません。(なお掲載している省庁の写真は、訪問した省庁のほんの一部だけです)

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 そのそれぞれの省庁の一時間半ほどで何を話すのか。当然通訳が入りますので(省庁側はイタリア語、こちらは日本語で、相互に通訳が入ります)、実際に使える時間は半分です。まずは省庁側が、自分たちの紹介や、この数年の間に(前回のアドリミナ以降)行った通達や指示などについて説明をし、その後それに対して日本の司教団からの現状の報告を行い、最後にいくつか質問をいただいて、それに答えて、それでほぼ時間は終わります。ですので、何かテーマを決めて、話し合いをするということではありません。基本的に互いの活動の報告をして、聖座側の質問に答えているという状況です。特にこの数年は、教皇様の指示による省庁の再編成が進んでいて、前回のアドリミナの時には存在していなかった省庁や(総合的人間開発省など)、合併で役割が変更になった部署もあります。ですから、その役割について初めて聞くようなこともありました。毎日いろいろと新しいことを学んでいます。そして日本の現状も伝えることができているかと思います。

 もちろん、いくつかの省庁では、日本の司教団から、様々な課題について、対応を質問されたりもしますが、基本的には情報交換です。またいくつかの省庁では、この数2024adlimina08年間に世界中の教区に出した指示を、日本では具体的にどのように生かしているのか、様々に尋ねられたりもします。

  使徒の後継者である司教にとっては、偉大な使徒である聖ペトロと聖パウロの、それぞれの墓所である大聖堂を巡礼訪問し、ミサを捧げることは重要なアドリミナの行事です。また教皇様にお会いして、日本の教会の状況を報告することも大切です。

 今回のアドリミナでは、明日、金曜日の午前中に教皇様とお会いして、2015年以来の日本の教会の現状を報告することになっています。

  今回省庁を訪問して感じていることは、やはりローマから見るとはるか極東にある日本の教会の現状はよく伝わっていないと感じることと、同時に、教皇様の省庁改革によって、それまでの教えてやる、指導してやる、という雰囲気は、少々和らぎ(少々です)、聖座の省庁は、それぞれの教区の手助けのために、宣教活動の支援のためにあるのだということが強調されたことでしょうか。特に、前回2015年と比較しても、いくつかの省庁では信徒の専門家や女性の役職者が見られるようになり、いくつかの部署を除いて、柔軟な雰囲気が広まりつつあると感じさせられます。

  明日の教皇様と司教団の謁見、そして聖ペトロの墓所でのミサ、さらに土曜朝の聖パウロの墓所でのミサで、今回の訪問は終了です。それぞれのバチカンの省庁の皆さんから、日本の教会のみなさん一人一人の宣教活動への貢献と協力に感謝の言葉あることをお伝えします。

(菊地・日本カトリック司教協議会会長・東京大司教)

2024年4月12日

・日本の司教団のバチカン定期訪問始まる

(2024.4.8 バチカン放送)

日本の司教団は、教皇庁への定期訪問のためローマを訪れている。
日本のカトリック司教団の「アド・リミナ」(教皇庁定期訪問)が、4月8日(月)より始まった。

アド・リミナ(ad limina )とは、アド・リミナ・アポストロールム(Ad limina apostolorum)の略で、「使徒たち(聖ペトロと聖パウロ)の墓所へ」を意味する。この言葉は本来、ローマにおける使徒たちの墓を訪れるすべての信者たちの巡礼を指していたが、同時に、すべての司教が行うべき定期ローマ訪問を指すようになった。

全世界の司教がそれぞれ順番にバチカンを訪れ、教皇と出会い、地域の教会の状況や問題について報告するこの定期訪問は、基本的に5年に1度行われる。しかし、この間隔は実際には一つの目安であり、必ずしも5年ごとに行われるとは限らない。

ちなみに、今世紀に入ってからこれまでに、日本司教団のバチカンへの定期訪問は、2001年3月(当時の教皇:ヨハネ・パウロ2世)、2007年12月(当時の教皇:ベネディクト16世)、2015年3月(現教皇:フランシスコ)に行われている。

今回の日本の司教団の教皇庁訪問は、新型コロナウイルスによるパンデミックの影響もあり、実に9年ぶりとなった。

14日(日)までのローマ滞在で、司教らは、教皇フランシスコへの謁見と、使徒聖ペトロ、聖パウロのそれぞれの墓前でのミサを中心に、教皇庁の各省や諸機関の訪問等を行う。

2024年4月9日

・「私は、ベネディクト16世の選出を阻止するために使われた」-教皇フランシスコが新刊本のインタビューで2005年教皇選挙の舞台裏明かす(Crux)

(2024.4.2  CRUX  Senior Correspondent   Elise Ann Allen

Pope Francis says he was used to try to block Benedict’s election in 2005

 ローマ-教皇フランシスコは、スペイン人記者が教皇とのインタビューをまとめた「The Successor」と題する3日発行の本の中で、2005年のベネディクト16世が選ばれた教皇選挙(コンクラーベ)についての質問に答え、自身が彼の選出を阻止する”策略”に利用されそうになったが、それに抵抗し、彼に投票し、4回目の投票で選出されたことを明らかにした。

 2005年の教皇選挙は、同年4月2日にヨハネ・パウロ2世教皇がなくなったのを受けて、4月18日から19日にかけて行われた。

 この教皇選挙でベネディクト16世が選ばれた経過について「The Successor」の章は、教皇フランシスコ(当時のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿)が、教皇選挙が終わった夜、食事に出かけたローマのアルゼンチン料理店のオーナーと友人になった経緯から始まる。

    食事を共にした司祭が、終わったばかりの教皇選挙で「ベルゴリオが教皇に選ばれそうになった」と”冗談”を言ったのをきっかけに、オーナーと友人として付き合うようになったのだが、教皇は、「あの教皇選挙で、周知の事実ですが、私は利用されたのです」と、この本の中で語った。

 選挙に参加した枢機卿たちは、選挙で起きたことについて秘密を守ることを宣誓するが、フランシスコは「教皇にはそれを語る権利があります」としたうえで、自分へ投票する動きが始まり、ある時点で、投票権を持つ115人の枢機卿のうち40人が自分を支持したことを明らかにした。

 そして、この40票は「(教皇ベネディクト16世となる)ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の教皇選出を阻止するのに十分でした。もし私への支持が続いていたら、彼は教皇選出に必要な3分の2の得票に達しなかったでしょうから」と教皇は説明した。

 「私はそのために利用されたわけですが、彼らはその背後で、すでに別の枢機卿を教皇候補として提案することを考えていました。具体的な候補者を誰にするか、その時点で彼らの中で合意には至らなかったが、公表寸前まで来ていました」と語った。

 そして、このような動きが、教皇選挙二日目の19日朝、第2回か第3回の投票を見て、何が起こっているかに気づいたベルゴリオは、コロンビアのダリオ・カストリヨン枢機卿(2018年逝去)のそばに行き、「 私の立候補について冗談を言わないでください。私は今まさに、『そのようなことは受け入れられません』と言おうとするところなんです。 私のことは放っておいてください」と告げた。

 そして、このことがあった後、「ラッツィンガー枢機卿が教皇に選ばれたのです。私自身も彼に投票しました。当時、教皇になることができるのは、彼一人だけでしたから」と述べ、その理由を「前任者のヨハネ・パウロ2世が非常に活動的で、外国訪問にも精力的なダイナミックな教皇で、その『革命的』な教皇職が27年続いた後、教会は、健全なバランスを保つ、過渡期の教皇を求めていたのです」と説明した。

 「もし、私のように問題を起こす人間が教皇に選ばれたら、教皇として何もできなかったでしょう。 当時は、そのようなことは不可能。ベネディクト16世は教会が求める『新しいスタイル』にぴったりでした。彼の教皇職は、バチカン内部で多くの抵抗に遭い、容易なことではありませんでしたが」と付け加えた。

 また、インタビュアーの「ベネディクトの選出に関して聖霊が何を語ったか」との問いに、フランシスコは、「聖霊のメッセージは明白でした―『ここは私が仕切る。 策を弄する余地はない』です」と答えた。

 2013年に歴史的な教皇職辞任で世界に衝撃を与えたベネディクト16世は、特に伝統的なラテン語のミサ、司祭の独身制、教会の道徳神学のさまざまな側面の問題をめぐって、教皇フランシスコの”イデオロギー的な敵対者”として風刺されることが多かった。

 フランシスコ自身は、こうした見方に繰り返し反論し、「自分は彼と良好な関係を築いており、バチカンにおいてアドバイスをいただける『賢いおじいさん』だった」と言明しているが、フランシスコはベネディクトの教皇職退任後に広がった”教皇並立”の見方を快く思わず、ベネディクトが2022年12月31日に亡くなるまで、さまざまな方法で彼のを口を封じしようとした、とも言われている。そして、フランシスコは、2023年1月5日にベネディクト16世の葬儀ミサを司式し、前任者の葬儀を主宰した史上初の教皇となった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年4月5日

・コプト教会が「同性愛者の祝福は受け入れられない」とカトリック教会との神学的対話を中断(Crux)

Pope Francis, right, arrives for his weekly general audience in St. Peter’s Square at The Vatican, with the leader of the Coptic Orthodox Church of Alexandria, Tawadros II, Wednesday, May 10, 2023. (Credit: Alessandra Tarantino/AP.)
(2024.3.9 Crux  Managing Editor  Charles Collins)

 東方教会の中で影響力持つエジプトのコプト教会が7日、「同性愛者への祝福」を認めるというバチカンの方針に対し、「あらゆる形態の同性愛関係」は許容できない、として、カトリック教会との間で続けてきた神学的対話を中断することを確認した。

 バチカンは昨年12月18日に教理省長官の名で“Fiducia Supplicans: On the Pastoral Meaning of Blessings」と題する文書を発表、「結婚に関する伝統的な教会の教義は変わらない」としつつ、「結婚とは程遠い状態のカップルが、教会での祈りに参加する場合」には、個人的な慎重さと知恵を発揮し、 司牧的かつ自然発生的な祝福をもって彼らを神に身を委ねたい」とした。

 この文書は、カトリック教会で大きな論争を巻き起こしており、一部の司教協議会は、「同性愛者のカップルを祝福すると思われるものはすべて拒否する」と言明している。

 7日に発表されたコプト教会の教会会議の声明で、「コプト教会は、あらゆる形態の同性愛関係を拒否する、という確固たる立場を確認する。同性愛関係は、聖書と、神が人間を男性と女性に創造した定めに違反するものであり、どのような祝福も、そのような関係は、罪に対する祝福であり、受け入れられない」と言明している。

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 教皇は1月26日に、「『司牧的かつ自然発生的な祝福』の意図は、さまざまな状況に置かれ、自分の道を前進するために、時には出発するために、助けを求めるすべての人々に対して、主と教会がどれほど親密であるかを具体的に示すことにある」とされ、「強調したいことの1つ目は、これらの祝福は、いかなる文脈や典礼的性格の外であっても、受け取るために道徳的な完全性を必要としない、ということ。 2つ目は、カップルが自発的に(祝福を)求めるために名乗り出たとき、祝福されるのは(同性結婚をした人々)ではなく、単に二人で祝福を求めた人たちだけだ、ということです」と説明されていた。

 だが、コプト教会による今回の動きにより、カトリック教会との関係が冷え込んだように見える。教皇フランシスコとコプト教会の首長であるタワドロス2世教皇は昨年5月10日に初めて会談し、この日を毎年恒例の「コプト教徒とカトリック教徒の友好の日」と定めた。その後、教皇フランシスコが、リビアでイスラム過激派によって斬首されたコプト正教会事務局の職員21人を殉教者として認め、カトリック教会と東方教会の間の最も重要な信仰一致運動の勝利とされ、バチカンのキリスト教一致推進省のブライアン・ファレル長官も「これは関係の新たな時代の始まりだ」と述べていた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年3月10日

・「教会は男女の『相補性』を見直す必要」-3月8日「国際女性の日」に向けた会議で女性たち(Crux)

(2024.3.6 Crux  Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

 ローマ 発– 3月8日の国連「国際女性の日」を前にした6日、ローマのイエズス会本部会議場で「女性のリーダーシップ―より輝かしい未来に向けて」と題するパネル・ディカッションが行われ、出席者たちは、最近の女性の地位向上の世界各国の取り組みを称賛する一方、教会において女性が重要な地位に就くための機会を広げるためにさらなる努力が必要、と訴えた。

 また、教会の「相補性( complementarity)神学」、つまり「結婚、家庭生活、宗教的リーダーシップにおいて男性と女性は異なる相互補完的な役割と責任を負っている」という考え方を見直すよう求めた。

 相補性の概念は、カトリック教会が長年、女性司祭の禁止を擁護するために使われており、ヨハネ・パウロ二世教皇も、叙階された司祭職が男性の才能や才能により適している理由として補完性を頻繁に引用していた。

 出席したカトリックの女性神学者やリーダーたちは、補完性の再検討を求め、「一部の解釈は、男性的と女性的とされるものの間に分裂を生み出している」と述べた。

*バチカンでも、指導的立場の女性には特別な見方がされている

 またバチカン報道局のクリスティアーヌ・マレー副局長は、女性はバチカンに「新鮮で革新的な」視点をもたらしているものの、「女性がバチカンの指導的なポストに任命されると、その女性は『権力行使者』と定義づけられてしまう。男性はそうでないのに…」と嘆き、「まるで権力のオーラがあるように、です。与えられた仕事は『権力』ではなく、『奉仕』なのです」と指摘した。

 さらに、「礼儀正しさ、繊細さ、思いやり、共感などの特質は、常に女性らしさと結びついていますが、本質的に性別に結びついているわけではない。男性でも経験し、表現できる社会になっていることに注意せねばなりません」と語って、会場の喝さいを浴びた。

 Verbum Deiの会員で豪州カトリック大学のザビエル神学センター所長のメイブ・ヒーニー博士は、「女性のリーダーシップは神学的問題」とし、特に「相補性」に触れた。

 「特定の神学人類学は、男性と女性がもたらすものを過度に本質化しすぎており、役に立たず、実際の人間の経験を反映していない」と述べ、「これらの人類学的視点は通常、男性と女性の間の相補性に向いている。そして、相補性は、権威、リーダーシップ、知性に対して、愛、精神性、育成を『男性の貢献とは本質的に異なる女性の貢献』と言われることがあります」と指摘。

 そして、「私は『女性と男性の間に違いがない』と言っているのではありません。女性と男性の差を先鋭化したり本質化したりしないでほしい、とだけお願いしているのです」と語り、 この目的を達成するために、彼女はスイスの司祭であり神学者であるハンス・ウルス・フォン・バルタザール師の「使徒ペトロとマリアの原則」に言及して、次のように述べた。

 「この原則は、たとえ司祭叙階されていなくても、女性が教会で重要な役割を果たせることの理由を説明するために、教皇フランシスコが頻繁に引用されています。 バルタザール師は天才ですが、彼の著作には十分な抑制と均衡がなかった… 私見では、彼の相補性神学は不完全です。イエスの男性性と教会の女性性を過度に強調し、女性を『受容的で霊的』であり、男性のより『積極的で知的』な性質に対応し、時には応えるものとして示しているからです」と強調。「相補性が問題ではない。教会内で男女の役割が徹底的に対比される場合、特にそれが権力の役割に基づいて構築されている場、が問題です」。

*「叙階神学」は再検討する必要がある

 

 ヒーニー博士はまた、教会の叙階神学の再検討を求め、「現在の形では、叙階神学は…あらゆる分野での意思決定を叙階に結び付けているが、洗礼を受ける中で私たちは皆、キリストに紹介されている。それは誰もが果たすべき役割を持っていることを意味し、叙階された聖職が変わる可能性もあります」とし、「私は女性に司祭叙階を認めるべきだ、とは言いませんが、認めるべきでない、とも言いません。 それを私が問題にしているわけではない。統治と権力、そして聖職者職との間の結び目を解き、女性や一般信徒が教会における意思決定に大きな役割を果たせるようにするには、さまざまなレベルでのしっかりとした見直しが必要だ、と申し上げたいのです」と強調した。

 また、教皇フランシスコがフォン・バルタザールの「使徒ペトロとマリアの原則」に頻繁に言及されていることについて質問されたヒーニー博士は、「『シノダリティ(共働性)と協調的リーダーシップ』というテーマについての考察はまだ始まったばかりであり、教皇だけでなく、すべての教会指導者に対して、私たちは時々、多くを求めすぎることがあります… 教皇の口から出る言葉のすべてに権威あるわけではない。 私たちは皆、神学的に形成されており、教皇や司教も含めて、全員が神学的に形成されているものであることを常に認識しておく必要があります」と答えた。

 教皇の枢機卿顧問会議にこれまで2回参加し、教会における女性の役割などについて語り、女性問題に関して教皇の顧問立場にあるとされているスペイン人のシスター・リンダ・ポシエも「使徒ペトロとマリアの原則」について問題を提起。

 教皇フランシスコは、この会議に送った書面メッセージで、「神の知恵の賜物」が「教会の、そして世界のすべての人の、これまで以上の献身として実を結ぶように祈ります。 女性と男性の平等かつ補完的な尊厳が一層大切にされますように」と述べられた。

*外交の世界でもgender biasesが依然存在する

 

 討議に参加したある国の大使は、「外交の世界でもgender biases (男女の役割について固定的な観念を持つこと、社会の女性に対する評価や扱いが差別的であることや社会的・経済的実態に関する女性に対する”神話”を指す)が見られる」と指摘し、具体的に、「外交官の男性は軍縮や安全保障の分野に割り当てられることが多いのに対し、女性にはよりソフトな問題や社会プロジェクトが与えられる傾向が強い」と説明した。

  キアラ・ポロ駐バチカン・豪州大使氏、「女性の指導的役割について”二重の基準”」が存在することを嘆き、「女性がトップに到達するために目立つ必要がある一方で、自信を持って指導力を発揮するやり方について”監視”されている」と指摘した。

 国際修道会総長連盟のシスター・パトリシア・マレー事務総長は、「女性修道者が教会内で、しばしば貧困、人身売買、移民などの問題の周縁部や最前線で役割を果たしていること」を強調。自身が所属する修道会の創設者の言葉を引用し、「女性には素晴らしいことができない、というような男性と女性の役割の違いはありません」と述べ、現在の教会では、女性の声がさまざまなやり方で伝えられており、その進展の具体例として、昨年10月のシノダリティ(共働性)がテーマの世界代表司教会議(シノドス)総会第一会期では、女性に初めて議決権が与えられるなど、女性の存在が大きくなったことを挙げた。

*シノドス総会では女性の叙階職、説教師、新機関の設立などが検討されているが…

 

 そして、総会第一期では「女性が助祭職に就くことや、女性が説教師となること、バチカンに新たな機関を創設することなどが検討」されているが、「すぐに決定できることではなく、時間がかかるでしょう」と述べ、今年10月のシノドス総会第二会期でも決定に至らない可能性を示した。

 シノドス事務局のシスター・ナタリー・ベカール次長も、教会を「非官僚的でより関係性の高い」教会にする、というシノドスの目標を強調し、女性の役割、女性が教会の指導者となる機会を増やしたいという願望は「時代のしるし」であり、「教会は、さらなる平等を求める女性たちの声に耳を傾けなければなりません。女性たちには教会の活動、特に意思決定のプロセスにもっと参加したい、という強い願望がある…  教会には多様な経験を持つ女性がたくさんいます」と述べた。

 また、女性としてバチカンで指導的地位で働いてきた自身の経験から、「教会は家族のようなものですが、あることにおいて他の人より優れている人もいる… 枢機卿や司教たちと協力して仕事をするという良い経験をしましたが、他の人たちと協力するのは文化、教育、背景の違いから、難しいこともあり、それは冒険でもあり、非常に豊かな経験でもありました」と語った。

 ベカール次長はCruxのインタビューで、女性の指導的立場への参加に関する議論が「過度に西洋的な視点に支配されているのではないか」という懸念について、「そのような誘惑はありますが、シノドス総会では、参加者皆の声を聞いています… 世界中から集まった参加者の意見は、『女性の役割をもっと認識してほしい』というものでした。 多くの女性が教会で指導的立場に就くこと、より多くの女性が教会運営に参加することを求める声が、参加者のどこからも上がりました」と説明。

*女性の参加の具体案で意見の違い… 多様性を考慮する必要

 そして、「意見の 違いは、『女性の参加が具体的にどうあるべきか』にあります。女性の助祭叙階を強く主張する人もいます。 このような要望は、西側諸国だけではなく、他の国々にもあるかもしれませんが、どこにもある、というわけではない… 世界共通のレベルで何を決定するかについては、多様性をすべて考慮する必要があります。 各国・各地域にそれぞれの教会文化があることを認識し、尊重しなければなりません。それは西洋人にとっても、そして欧米の私たちにとっても非常に重要です」と強調した。

  さらに、「シノドス総会は、さまざまな大陸からの多様な声をさらに聞くための場です。 私たちの教会も、私たちの世界と同様に多極化しています。そうした中で、世界では、気候変動、移民・難民、平和の探求など、すべての優先分野で、女性がすでに大きな役割を果たしている」と語った。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年3月7日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」⑤イエスは言われるー「ぜひあなたの家に泊まりたい」と

(2024.3.1 バチカン放送)

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第5回目は、「徴税人ザアカイ」のエピソード(ルカ福音書19章1-10節)で、イエスが木の上にいたザアカイに「急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」という言葉を観想するよう勧めている。

 ルカ福音書19章に登場するザアカイは、徴税人の頭で、金持ちだった。エリコの町を通るイエスを一目見たい、と思ったが、群衆に遮られて見えなかったため、木に登った。その場所を通りかかったイエスは上を見上げ、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」と言われた。ザアカイは急いで降りて、喜んでイエスを迎え、財産の半分を貧しい人々に施す、と約束し、イエスは「今日、救いがこの家を訪れた」と言われた。

 第5回目の内容は次のとおり。

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 私たちが今日一日を共にする言葉、それは、イエスを見るためにいちじく桑の木の上に登ったザアカイにイエスがかけた言葉です。その木のそばを通ったイエスは、彼を見上げて言われました。叱るような口調ではなく、招く口調でした―「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」。ザアカイ、私は言う、私の言葉を聞きなさい、ぜひあなたの家に泊まりたいのだ、と。

 この言葉は私たちにとっては、「あなたの生活に親密に関わりたい。群衆の間や、広場や、教会の中で会うだけでは十分でない」という意味。教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』の冒頭の言葉を思い出させます―「私はすべてのキリスト者に、『どのような場、状況にあっても、今この瞬間、イエス・キリストとの人格的な出会いを新たにするように』と呼びかけたいと思います。少なくともイエスとの出会いを妨げないよう、日々努力することをお勧めします」(3項)。

 このようなキリストとの人格的な出会いとは、何によって成り立つのでしょうか。それは、何年も写真だけで知っていた人と実際に出会うようなものです。私たちの人との関係で起きることが、この違いを理解するのを助けてくれるでしょう。それは、ある人を「単に知っている状態」から、「深く愛する状態」に移る時です。

 あなたが若い男性、若い女性なら、これをよく理解できると思います。「深く愛すること」だけが、人生を本当に変えられるのです。それは自然の愛においても、精神の愛においてもです。そして、イエスは、決して失望させることのない愛の対象なのです。

(編集「カトリック・あい」)

2024年3月2日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」④再びつまずいても、神と共に敵に立ち向かう

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第4回は、ヨハネ福音書の「姦淫の女とイエス」(8章1-11節)を取り上げた。

 姦淫の現場で捕らえられた女を真ん中に立たせたファリサイ派の人々が「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」と言い、イエスを試そうとした。イエスは「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と答えられた。

 これを聞いたものは、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってゆき、イエス独りと、真ん中にいた女が残った時、イエスは言われた。「女よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」。女が「主よ、誰も」と言うと、イエスは言われた。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない」。

 枢機卿は、「これからは、もう罪を犯してはいけない」というイエスの言葉を通し、自分の心をよく見つめるように勧め、次のように語った。

 ・・・・・・・・・・・・・

 今日、受け止めたいイエスの言葉は、「姦通の女」を訴えていた者たちが立ち去った後で、イエスが女に向けた言葉です。「女よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」「主よ、誰も」「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない」。

 「これからは、もう罪を犯してはいけない」-私たちも皆、よく自分を問いただせば、犯しがちな、たくさんの罪の隣に、他とは異なる形の罪があることに気づくでしょう。それは、「密かに執着し、告解はしても、本気で止める意志の無い罪」のことです。

 聖アウグスティヌスは、『告白』の中で官能の罪との戦いについて記しています。それは彼が「私に貞潔と節制をお与えください」と神に祈っていた時のことです。しかし、それに対し一つのささやきが「主よ、すぐにではなく」と付け加えるのでした。

 しまいには、自分に対して叫ぶ時がやってきます。「なぜ明日なのか?」明日という言葉は、ラテン語でcrasと言います。「なぜcras(明日)というのか。なぜ今ではないのか?」自由を味わうためには、「もうたくさんだ!」と叫びさえすれば十分なはずです。

 では具体的にどうしたらいいのでしょうか。ただちに神の御前に出て、話しかけるのです。「主よ、あなたは私の弱さをよくご存知です。ですから、あなたの恵みだけを頼りに申し上げます。今後、あの満足、あの放縦、あの友人関係、あの怨恨、あの財政上のごまかし、等々、私が自覚し、あなたもご存知のあの罪はもう、たくさんです。あなたの赦しの秘跡に与りに参ります」

 あなたはまた罪に陥るかもしれません。私たちも再びつまずくかもしれません。しかし、神のために、何かが変わりました。あなたの自由は神を味方につけたのです。今や、あなたは神と共に同じ敵に立ち向かうのです。罪の隷属から解放され、神と自分自身と平和のうちに生きることが、いかに、ずっと素晴らしいかが分かるようになるでしょう。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用は「聖書協会・共同訳)に改めています)

2024年2月27日

・「教皇の数知れぬ訴えは聴き入れられていない…」ロシアのクライナ侵略2年(Vatican News )

ウクライナ・ミコライウの墓地 2022年3月ウクライナ・ミコライウの墓地 2022年3月  (ANSA)

(2024.2.24 Vatican News  Andrea Tornielli)

 ウクライナにおける2年間の戦争、爆撃と苦難の後、攻撃を止め、公正な和平交渉の席に着くために、これ以上何が起こる必要があるのだろうか。

 ここ数か月の聖地から届いた恐ろしいニュース、そして、今はロシアの反体制派、ナワリヌイ氏の死が、ウクライナからの戦争のニュースをトップ記事から押しやったとしても、私たちは今日、ウクライナのことを思い出したい。

 私たちは、この戦争を目撃した人々、憎しみの論理に屈しない人々、24か月にわたる爆撃に心が折れた人々の苦しみを和らげるために祈り、行動し続ける人々の声を届け、数字に語らせながら、ウクライナのことを伝えてきた。なぜなら、今やしばしば世間の注目から遠い所で起きている残酷な現実が、この戦争の不条理な非道を物語っているからである。

 数キロメートルの領土を征服するために、何万人もの人命が犠牲になり、若者をはじめとする何万もの人々が負傷し、障害を負い、ウクライナの町全体が破壊され、何百万もの避難民が国外で生活し、無数の地雷が罪なき人々の未来の生活を脅かそうとしている…。攻撃を止め、公正な和平交渉の席に着くためには、もうこれ以上何が起こる必要があるだろうか?

 「苦しむウクライナ」への関心を喚起するための教皇フランシスコの数知れぬ訴えは、聴き入れられず、もはや戦争と暴力が紛争解決の手段であるかのような様相である。将来の戦争を見据えた軍拡競争は今や現実となり、これすら避けがたいものとして容認されている。

 幼稚園や学校の建設や、効率的な医療システムへの出資、飢餓との闘い、地球の保護を目的とするエコロジー的移行の促進などのためには決して捻出できない資金が、軍備となると常に準備されている。外交は交戦のサイレンの前で沈黙しているように見える。平和、交渉、停戦、対話などの言葉は、疑いの目で見られる。ヨーロッパは、それぞれのリーダーが個々の主人公を演じる以外に、多くの気力を持っていなかった。

 今ほど、戦争の論理に屈しないことが必要とされている時はない。教皇が疲れを知らず祈り続けるように、平和の賜物を神に絶えず祈り求めなければならない。降り積もる憎しみの灰の下に、希望の熾火が燃えていることに気づかなくてはならない。

 問題に立ち向かい、平和に賭け、人類の未来を担うことができる、預言的かつ創造的で自由な、新しいリーダーシップが必要である。私たちを自滅に導く「軍閥」の「兄弟殺し」の論理に屈しない人々の声を、力強く断固として聞かせる、すべての人の責任ある努力が必要とされている。

(翻訳「バチカン放送」、編集「カトリック・あい」)

2024年2月25日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」③「『繋がり』は、信仰によって得られる」

(2024.2.23 バチカン放送)

 Vatican News が企画した、教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第3回は以下の通り。

 枢機卿はこの回で、イエスが死んだラザロを生き返らせるエピソードの中で、ラザロの姉妹マルタに言った「信じるか」(ヨハネ福音書11章26節)を観想すべき言葉として取り上げた。

 マルタと姉妹マリアの兄弟ラザロは病気で死に、イエスが彼らの所に来た時には、すでに墓に葬られて4日もたっていた。イエスは「あなたの兄弟は復活する」とマルタに言い、「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と尋ねられた( ヨハネ福音書11章17-27節)。

 **********

 今日、かみしめる言葉は、イエスがラザロの姉妹に向けて、死んだ兄弟の墓の前で言った「信じるか」という問いかけです。

 あなたがカテキズムで覚えたことや、「信徒信条」で繰り返し唱えていることを、すべて一瞬脇に置いてください。そして、あなたと神しかいない、秘密の場所に入ってください。そして、自分に尋ねてみてください。「私は信じているか」「私は本当に信じたことがあるのか。誰かや、普遍の教会を介してだけでなく、自ら信じたことがあるのか」と。

 聖パウロは、「人は心で信じ、口で公に言い表す」と記しています( ローマの信徒への手紙10章10節)。私の信仰告白は、心の奥底から来ているでしょうか。信仰は新しい地平を開きます。それは、「自分は何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか」という、人間の最も重要な問いに、唯一誠実な回答を与えることができるものです。

 ITの時代、それは私たちにこれまでにない信仰のイメージを見せてくれます。それはインターネット接続のイメージです。Googleのページを開けば、あなたはもう、繋がっています。仮想空間の世界があなたの前に開きます。

 これと似たようなことが、信仰によって得られます。回線も要らなければ、コストもゼロです。短い祈りで、心の単純な動きで、机の上にあるキリストの御絵を見つめるだけで、あなたはもう、繋がっているのです。繋がるのは、仮想空間の世界ではありません。現実の世界です。それは唯一、真に現実のものです。なぜなら永遠だからです。それは神の世界です。

 試してみてください。私が言うことが本当であるかが分かるでしょう。

(編集「カトリック・あい」)

2024年2月25日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」②「私たちに必要な、ただ一つのことは」

(2024.2.22 バチカン放送)

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の2回目、「マルタとマリアの家に迎えられた時のイエスの言葉」は次の通り。

・・・・・・・・・・・

 イエスを家に迎えたマルタは、もてなすためにせわしく立ち働きますが、妹マリアはイエスの足元もとに座って、話に聞き入ります。マルタがイエスに、「マリアに手伝うように言ってください」と頼むと、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけです。マリアは良い方を選びました。それを取り上げてはなりません」(ルカ福音書10章42-43節)とお答えになりました。

 今回の黙想のテーマは、イエスが言われた「必要なことはただ一つだけです」という言葉です。福音書に記されたイエスの言葉はとても「濃度」が高い。一滴、一滴を味わうものです。そして、今日の一滴は、イエスが、あれこれとせわしく働くマルタにかけた言葉―「マルタ、マルタ…  必要なことはただ一つだけ」です。

 この言葉は今、私たち一人ひとりに向けられています-「必要なことはただ一つだけ」。

 もし、あなたがこのただ一つのことを持っているなら、たとえ他に何も持っていなくても、すべてを持っていることになります。もし、あなたがそれを持っていないなら、たとえ全世界を持っていても、何も持っていないことになるのです。

 この「だた一つの必要なこと」とは、何でしょう。19世紀の偉大な哲学者で信仰の人、セーレン・キェルケゴールに語ってもらいましょう。

 「人は、人生の無駄遣いについてよく話す。しかし、無駄に費やされたのは、人生の喜びや心配事に惑わされて、神が存在し、その人、まさにその人自身が神の御前に立っていることに、決して気づかない男(そして「女性」を私が加えます) の人生だけである(キェルケゴール『死に至る病』)」。

 「ただ一つの必要なこと」とは、何でしょうか。イエスはそれについて、二つのたとえ話をもって語られました-そのためにすべてを売り払う価値のある隠された宝」、そして「すべての真珠を売り払ってでも得る価値のある貴重な真珠」です。( マタイ福音書13章44-46節)。

 必要なことはただ一つ、それは「神の御国」、すなわち「神」なのです。

(編集「カトリック・あい」)

2024年2月23日

・カンタラメッサ枢機卿の四旬節の”小さな黙想”①「私は人生に何を求めているのだろうか」

(2024.2.21 バチカン放送)

 復活祭に備える悔い改めの時、四旬節が始まり、教皇フランシスコはじめ、ローマ在住の枢機卿、教皇庁諸機関の責任者たちが18日午後から23日午後にかけて、個人的な形で黙想期間を過ごしている。

 この機会に、Vatican Newsは、教皇付き説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿に、ビデオを通した数分間の黙想を依頼した。6回にわたって行われる小さな黙想で、枢機卿は毎回、イエスの言葉を一つ示し、それを一日中、心の中で思いめぐらすように、と勧めている。

 第一回目の黙想で、カンタラメッサ枢機卿は、イエスが最初の弟子たちとの出会いの場面で言われた、「何を求めているのか」(ヨハネ福音書1章38節)という言葉を取り上げた。

 第1回目の内容は次のとおり。

**********

  私は、6日にわたって、皆さんと共に毎回、1分程度の黙想を分かち合って欲しいと求められ。1分間で話せる、ほんのわずかな言葉で、一日を、そして全生涯を満たすことができるもの、それはイエスの口から出た言葉です。

 毎回、それを一つずつ提示しますから、その言葉を一日中、いわば魂のチューインガムのように、どうかよく「噛みしめて」くださるようにお願いします。

 さっそく今日噛みしめる言葉にまいりましょう。それは、イエスが、ご自分の後ろに従って来る洗礼者ヨハネの二人の弟子たちに向けて尋ねた、「何を求めているのか」という言葉です。

 その後の展開を思い出してください。弟子たちが「先生、どこに泊まっておられるのですか」と尋ねると、イエスは「来なさい、そうすれば分かる」と答えられました。

 ここで重要なのは、「何を求めているのか」というイエスの問いかけです。これを聞いておられる兄弟姉妹の皆さんも、「私は人生に何を求めているのだろうか」と自問したことが、これまでに一度はあるでしょう。

 すぐに答えが見つからないなら、私が助け舟を出しましょう。あなたが求めているものは皆が求めているもの、それは「幸福」です。フロイトより先に、聖アウグスティヌスはそれを理解しました。「皆が、幸せになりたいと言っていました」。

 フロイトと異なり、アウグスティヌスはこの普遍的な衝動に理由を与えました。アウグスティヌスは『告白』の冒頭で、神に言います。「あなたは、私たちをあなたのために作られました。私たちの心は、あなたの中で憩うまで、安らぎを得ることはありません」と。

 兄弟姉妹の皆さん、まさにここに、あなたの多くの悲しみや不安の説明があることを考えてみてください―自分は、「神」という生きた水に満たされた泉の代わりに、ひび割れた水槽の中に水を探してはいなかっただろうか。

(編集「カトリック・あい」)

2024年2月22日

・枢機卿や司教たち21人がプラハで”秘密会議”、ジェンダー問題など話し合い

(2024.2.8  La Croix  Loup Besmond de Senneville )

   La Croixはこのほど、昨年9月にアメリカの保守系シンクタンクがチェコの首都プラハで主催した会議に、9人の枢機卿を含む21人のカトリック司教が出席したことを確認した。

 プラハの中心部の5つ星ホテル「The Mozart Hotel」の会議場で開かれた「ジェンダーイデオロギー、科学、神の啓示の性質」をテーマとする”秘密会議”は、教皇フランシスコの高齢と健康問題の増大から、カトリック教会の統治の終わりが近づいているという思いが高まっている中で行われた。

  出席者のうち、枢機卿9人の中には、ヴィルヒリオ・ド・カルモ・ダ・シルバ(東ティモール)、オズワルド・グラシアス(インド)、ウィリアム・ゴー(シンガポール)、パトリック・ドロザリオ(バングラデシュ)などアジアの教会指導者が目立ち、欧州からは、ウィレム・エイク(オランダ)、アンジェロ・バグニャスコ(イタリア)、ドミニク・ドゥカ(チェコ共和国)の3枢機卿。枢機卿以外にも、サルバトーレ・コルディレオーネ大司教(米サンフランシスコ)を含む多くのアフリカ系および米国系の高位聖職者が出席した。

 出席者たちの多くは、その後ローマへ向かい、バチカンで10月に一か月かけて開かれたシノダリティ(共働性)をテーマとする世界代表司教会議(シノドス)総会に参加した。

 早晩、フランシスコの後継者を選出するために召集される、選挙権を持つ枢機卿たちは、互いのことをあまりよく知らない。130人のうち、ローマに住んでいるのは25人だけだ。 他の枢機卿たち世界中に散在しており、皆が集まってカトリック教会とその統治の将来について考える機会はほとんどない。

 そうした中でプラハで枢機卿など主だった高位聖職者が集まった”秘密会議”については、昨年9月29日にアブジャ(ナイジェリア)のイグナティウス・カイガマ大司教が自身のフェイスブックにこの会合について投稿したにもかかわらず、これまでほとんど秘密にされてきた。この会議のことは、開催費用を全額負担した主催者の米保守系シンクタンク「Austin Institute for the Study of Family and Culture」のウェブサイトにも掲載されていない。

 会議に呼ばれた講演者として判明している中で特に注目に値するのは、属人区「Opus dei」の会員でハーバード大学の教授、ロバート・ガールで、「ジェンダーイデオロギーと受肉:人類学的異端の治癒」と題した講演を行った。

 その前の日には、ユトレヒトのアイク枢機卿による「レズビアンのアイデンティティとジェンダー研究から神の妻、母、娘への旅」と題する講演があった。講演で枢機卿は、「『ジェンダー理論』は、家族とキリスト教信仰の宣言に対する脅威」と警告したという。

 Austin Institute for the Study of Family and Cultureがこのような会議を主催するのはこれが初めてではない。2022年末にも会議を主催し、出席したオーストラリアの故ジョージ・ペル枢機卿は、未成年性的虐待の容疑で投獄され、その後無罪釈放となった経験を語り、フランシスコの路線を厳しく批判した。

 亡くなった後もペル枢機卿の信奉者はおり、プロテスタントの牧師からカトリック司祭となった、新自由主義のアクトン研究所の創立者、ロバート・シリコ神父は、プラハの会議で「ペル枢機卿の神学的遺産」をテーマに講演した。

 プラハ会議の出席者たちの多くは、LaCroixの電話取材に応じなかったが、Austin Institute for the Study of Family and Cultureのマーク・レグネラス所長はメールでのやり取りで、同研究所がこのイベントを主催したことを認め、 「広範な人々を招き、自由な議論の機会となった」と述べたうえ、「要するに、”知的な隠れ家”です」と付け加えた。 だが、同研究所が3日間の会議(および「研修」)の費用をどこから調達したのか、高位聖職者の誰を招待するかをどのように決めたのか、などの問いには答えなかった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.com(有料)でご覧になれます。
LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

 

 

 

2024年2月13日

・次期教皇の選挙権を持つ枢機卿たちは、皆が”同じ群れ”ではない(LaCroix)

(2024.2.10 La Croix  Robert Mickens)

 教皇フランシスコが任命した枢機卿が全員、教皇の教会改革のビジョンを完全に共有しているわけではない。したがって、彼の後継者が誰になるのかを予測するのは困難だ。

 「Birds of a feather flock together(同じ羽の鳥たちは群れを成す)」という英国の古い諺があるが、カトリック教会の枢機卿たちにそれが当てはまるだろうか?教皇フランシスコから”赤い帽子”を受け取った全員が、彼と同じ方向に進んでいるだろうか?

 最近起きた出来事は、教皇フランシスコが任命した枢機卿全員が、いわゆる”Francis bishops(フランシスコ司教たち)」、つまり彼の熱狂的な支持者である高位聖職者ではないことを、改めて印象付けた。

 バチカン教理省が昨年12月に発表した祝福の司牧的意味に関する宣言「Fiducia supplicans」で、同性愛カップルに祝福を与えることを条件付きで認めると読める方向を打ち出したが、アフリカを中心に多くの司教や枢機卿から、極めて否定的な反応が出されたのだ。

*枢機卿顧問会議のメンバーから、教皇の改革路線に反旗

 この宣言に対する否定的な反応の主役となったのは、キンシャサ(コンゴ民主共和国)のフリドリン・アンボンゴ・ベスング枢機卿で、教皇フランシスコから赤い帽子を授けられただけでなく、教皇の枢機卿顧問会議(C9)を構成する9人のうちの1人でもある

 64歳のカプチン・フランシスコ会士は、フランシスコが教皇に選ばれた2013年当時、コンゴ民主共和国の47の教区の中で最も小さい教区の司教だった。ヨハネ・パウロ2世教皇によって司教に叙階されて9年経っており、そのまま司教定年まで務めると思われていたが、教皇フランシスコは2016年に西部のムバンダカ=ミコロ教区の大司教に昇進させ、その15か月後、同国最大のキンシャサ大司教区の共同大司教に抜擢。8か月後に単独の大司教となり、さらに1年足らず、2019年10月に枢機卿に任命され、昨年3月に枢機卿顧問会議のメンバーとなった。

 アンボンゴ枢機卿はアフリカ・マダガスカルの司教協議会連盟(SECAM)の会長でもあり、会長としての立場から、昨年1月、アフリカ地域の全司教に対して、「アフリカ大陸では同性愛者に祝福はしない」ことを強い調子で宣言する声明を出した。

 教皇は、このアンボンゴ枢機卿の声明以降も、教会が同性愛者やその他の「障害」や「不規則な結合」をしている人々をもっと進んで受け入れるよう強く訴えてきている。

 他の教会改革関連の問題で、アンボンゴ枢機卿がどこまで教皇の路線に反対しているのか、一つ一つ検証してはいないが、重要なのは、「100%は同意していない」ということだ。

*次の教皇選挙で現教皇任命の枢機卿が圧倒的多数を占めるが…

 教皇フランシスコが任命したC9の他のメンバーはどうだろう?何人が本当に”フランシスコ司教”なのか? 特定の問題、あるいは教皇が教会を導こうとしている方向について、彼と根本的に意見が相違する枢機卿がどれだけいるだろうか? これは次期教皇を選ぶ際に重要な問題となって来る。

 教皇選挙権を持つ枢機卿の圧倒的多数はフランシスコが教皇になってから選ばれた人たちだ。だから、枢機卿たちが、フランシスコの路線を引き継ぐ人物を新教皇に選ぶのはほぼ確実、との見方も成り立つ。

 2月12日現在で、教皇選挙権を持つ80歳未満の枢機卿は130人。そのうち、フランシスコによる任命が95人、ベネディクト16世による任命が27人、ヨハネ・パウロ2世による任命が8人だ。枢機卿の中には高齢者も多いので、世界代表司教会議(シノドス)総会第二会期が始まる10月10日までに、9人が選挙権を失い、フランシスコ任命が91人、ベネディクト任命24人、ヨハネ・パウロ2世任命はわずか6人となる。

 選挙権を失う9人の中には、フランシスコの主要”同盟者”でC9メンバーの米国のショーン・オマリー枢機卿(6月29日に80歳)も含まれる。 フランシスコが枢機卿にしたパナマのルイス・ラクンザ枢機卿(同2月24日)。 ベネズエラのバルタザール・ポラス枢機卿(同10月10日)もそうだ。C9のもう一人の主要メンバー、インドのオズワルド・グラシアス枢機卿も12月24日には80歳を迎える。つまり、それまでにフランシスコが新たに枢機卿を任命しないなら、教皇選挙権を持つ枢機卿についてパウロ6世教皇が定めた120人の”上限定員”に戻る、という訳だ。

 

 

*ヨハネ・パウロ二世教皇の影は今も…

 

 そうした中で、ヨハネ・パウロ2世が任命した教皇選挙権を持つ枢機卿6人が、数は少ないながら、次の教皇選挙で決定的な役割を果たす可能性がある。6人のうち、オーストリアのクリストフ・シェーンボルン枢機卿は、教皇フランシスコの重要な”同盟者”だが、2025年1月下旬には80歳になる。既に司教を引退したボスニアのヴィンコ・プルジッチ枢機卿も78歳だが、他の4人はまだ75歳以下だ。

 フランスのフィリップ・バルバラン枢機卿(73)は、性的虐待事件への対応が不十分だったとして、約4年前にリヨン大司教の職を辞任したこともあり、教皇選挙に大きな影響力を持つとは思われない。 昨年4月に74歳でザグレブ大司教を退任したクロアチアのヨシップ・ボザニッチ枢機卿も同様である。

 だが、残る2人は、教皇選挙権を持つ枢機卿たちが(教皇としての適性を)詳しく調べようとする対象となるだろう。 どちらかが、新教皇の”妥協候補”として浮上する可能性がある。

 その2人は、ハンガリーのペテル・エルデ枢機卿とガーナのピーター・タークソン枢機卿だ。前者は、伝統主義者の中央ヨーロッパ人、後者は穏健なアフリカ人。

 エルデはまだ71歳で、エステルゴム・ブダペスト教区の大司教を21年以上、欧州司教協議会連盟(CCEE)の会長を2016年まで10年務め、教会法弁護士であり、穏健派から保守派までバチカンの当局者多くと強いつながりを持っている。教皇フランシスコの路線とは、全く異なる方向に舵を切りながらも、公の場で彼を批判しないように注意してきた。 昨年1月に”保守派の代表”と目されてきたジョージ・ペル枢機卿の一周忌のミサがローマで行われた際は、ミサを司式する予定をキャンセルしたが、それより前、ペル枢機卿の死後に発表された記事で、教皇を厳しく批判する姿勢を見せていた。

 75歳のタークソン枢機卿は現在、バチカンの科学アカデミーと社会科学アカデミーの総裁を務めている。 ローマで教育を受けた聖書学者で、ガーナのケープコースト教区の大司教を務めた後、ベネディクト16世にバチカンの正義と平和協議会の会長に任命され、同協議会がバチカンの機構改革で再編統合されて出来た「総合人間開発省」の初代長官を5年余り務めた。一昨年1月に73歳で長官職を解かれている。

 ともあれ、世界のカトリック教会の枢機卿たちは、すでに”ポスト・フランシスコ”に向けた用意を始めている。 バチカンの”観測者”たちは双眼鏡を手に、鳥たちがどの方向に飛ぼうとしているのか、を注意深く観察することになるだろう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.com(有料)でご覧になれます。
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2024年2月13日