■2024年3月の教皇と日本の境界の祈りの意向
教皇の意向: 新たな殉教者のために
*世界各地で福音のために生命の危険にさらされている人々が、その勇気と宣教の思いを教会に伝える者となりますように。
教皇フランシスコの3月の祈りの意向について、ビデオ・メッセージは以下の通り。
「今日の教会を映し出す一つの話を語りたいと思います。それはあまり知られることのない信仰の証しです。レスボス島の難民キャンプを訪問した時、一人の男性が私に言いました。「自分はイスラム教徒です。妻はキリスト教徒でした。私の国にテロリストたちがやって来て、私たちに『宗教は何だ』と聞きました。彼らは十字架を身に着けている妻を見て、その十字架を地面に投げ捨てるように言いましたが、妻はそうしませんでした。すると彼らは私の目の前で、妻の喉を切ったのです」。このようなことがまさに起きたのです。
彼は恨みはもっていませんでした。妻の愛の模範、それを受け入れ、死に至るまでの忠実を貫いたキリストに対する愛の模範に、焦点を当てていたのです。兄弟姉妹の皆さん、私たちの間には常に殉教者たちがいることでしょう。それは私たちが正しい道の上にいることのしるしなのです。ある専門家は、キリスト教の初期よりも、現代の方がより多くの殉教者がいると、私に言いました。殉教者の勇気、殉教者の証しは、皆にとって神の恵みです。
祈りましょう。世界各地で福音のために生命の危険にさらされている人々が、その勇気と宣教の思いを教会に伝える者となりますように。そして、殉教の恵みに心を開く者となれますように」
(バチカン放送訳、「カトリック・あい」編集)
日本の教会の意向: 性虐待被害者のために
*聖職者によって心と体に深い傷を負った方々が、いつくしみ深い神のいやしによって慰められますように。
2024年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向: 多様性という賜物のために
*キリスト者の共同体には賜物として多様なカリスマがあること、また、カトリック教会には多様な儀式の伝統があることを、聖霊の導きによって気づくことができますように。
(2024.1.2 バチカン放送) 教皇フランシスコは2日、2024年1月の祈りの意向について以下のビデオメッセージをおくられた。
「教会におけるカリスマの多様性を恐れることはありません。むしろ、この多様性を生きることを喜ぶべきです。すでに初期のキリスト教共同体の中に、多様性と一致はかなり存在していました。その緊張は高いレベルで解決される必要がありました。
しかし、それだけではありません。信仰の歩みを進める上で、他のキリスト教教会や共同体の兄弟姉妹たちとのエキュメニカルな対話の必要もあります。それは混乱や困惑を生むものではなく、キリスト教共同体がただ一つのキリストの体として成長するための、神からの贈り物のようなものです。
たとえば、東方教会について考えてみましょう。東方教会は独自の伝統、特徴的な典礼を持っていますが、信仰における一致を守っています。これは信仰を強めるものであり、分裂させるものではありません。
私たちが聖霊に導かれるなら、豊かさや、差異、多様性は、対立の原因にはなりません。聖霊は、何よりも私たちが、「神の愛する子ら」であることを思い起させてくれます。神の愛において皆が同じであり、皆が異なるのです。
祈りましょう。キリスト者の共同体には賜物として多様なカリスマがあること、また、カトリック教会には多様な儀式の伝統があることを、聖霊の導きによって気づくことができますように」。(編集「カトリック・あい」)
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日本の教会の意向: すべての命を守る
*神が与えてくださったすべての命の尊さを悟り、互いを思いやることができますように。
【12月の教皇と日本の教会の祈りの意向】
教皇の意向: 障がい者のために
*障がい者に社会の関心が注がれ、積極的な参加を大切にする誰一人排除しない諸施策が提供されますように。
(2023.11.29 バチカン放送)
教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージの中で次のように話された。
「私たちの間で、最も不安定な立場の人たちの中に、障がいのある方々がいます。彼らの中には、無知や偏見に基づく拒絶に遭い、疎外感を体験する人もいます。
社会制度は、教育、雇用、また創造性を発揮できる場所へのアクセスを通して、彼らの計画を支えなければなりません。障がい者の受け入れを促進する計画やイニシアチブが必要です。 その中でも特に、付き添うことを望む人の大きな心が必要です。
それは、社会においても、また教会生活においても、様々な能力を持ったこれらの人たちの貢献と才能に対して開かれたものとなるように、私たちのメンタリティーを少し変える必要を意味しています。それゆえに、完全にバリアフリーの小教区を作ることは、物理的なバリアを取り除くことを意味するだけではありません。それはまた、「彼ら」について話すのをやめて、「私たち」について話し始める必要があると理解することでもあるのです。
祈りましょう。障がい者に社会の関心が注がれ、積極的な参加を大切にする誰一人排除しない諸施策が提供されますように」。
(編集「カトリック・あい」)
日本の教会の意向: 召命のために
*司祭・修道者・信徒が、救いの福音を社会に伝え、神からの呼びかけに応えることができますように。
■11月の教皇と日本の教会の祈りの意向
♰教皇の意向: 教皇のために
・・教皇が、自らの使命を果たす者として聖霊の助けを受け、託された民の群れとともに歩み続けることができますように。
(2023.11.1 バチカン放送)
教皇フランシスコは、この意向について、ビデオメッセージで次のように述べた。
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・主が私を祝福してくださるように祈ってください。皆さんの祈りは、私に力をもたらし、聖霊に耳を傾けながら、識別し、教会に付き添うことを助けてくれます。
・教皇であることは自身の人間性を失うことではありません。むしろ、私の人間性は、神の聖なる忠実な民と共に、日毎に成長するのです。なぜなら、教皇であることもまた一つの歩み、牧者であることの意味に気づいていく過程なのです。そして、この過程の中で、より慈愛に満ち、慈しみ深く、また、神なる御父がこれほどにも忍耐強くあるように、何よりも忍耐強くあることを学ぶのです。
・すべての教皇は、その登位直後に、恐れや、めまいのような感覚、どのように厳しく評価されるだろうかとの思いに襲われるだろうと思います。なぜなら、主は私たち司教に、自分たちのしたことを真摯に理解するように命じるでしょうから。
・皆さんに情けある裁きをお願いします。そして、教皇が、− それが誰であれ、今は私の番ですが – 聖霊の助けを受け、その助けに従順であるようにと祈ってください。
・祈りましょう。教皇が、自らの使命を果たす者として、常に聖霊の助けを受け、イエスから託された民の群れとともに歩み続けることができますように。私に対する皆さんのこの祈りを、沈黙のうちに祈りましょう。
・私のためにお祈りください。どうかお願い致します。
(編集「カトリック・あい」)
♰日本の教会の意向: 死者のために
・・すべての死者が、神のもとで永遠の安息を得ることができますように。
■10月の教皇と日本の教会の意向
教皇の意向: シノドスのために
*教会が、生活様式のすべての場面で傾聴と対話を大切にする姿勢を、聖霊の導きによって、世界の隅々にまで行きわたらせることができますように。
(2023.9.29 Vatican News)
教皇の世界祈りネットワークが制作した10月の教皇ビデオの中で、教皇は世界代表司教会議(シノドス)の力学がどのように教会の宣教の使命を前進させているか、を振り返られ、 「祈りと識別力を通して、聖霊は私たちが『耳の使徒職』、つまり神の言葉を語るために神の耳で聞くことを実行できるよう助けてくださいます」と語られた。
そして、「そうして、私たちはキリストの心に近付きます。私たちの使命とキリストから湧き出て私たちをキリストに引き寄せる声です」とされ、メッセージの最後に「この声は、私たちに次のことを明らかにしています。それは、宣教の核心はすべての人に手を差し伸べ、すべての人を求め、すべての人を歓迎し、誰も排除することなくすべての人を巻き込むことです」と説かれた。
また、世界のすべての信者に対して、シノドス総会の期間中、「教会が、その本来の在り方として、あらゆるレベルで耳を傾け、対話をするように、世界の隅々に聖霊によって導かれる」ように祈ることを勧められた。
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シノダリティ(共働性)をテーマとするシノドス総会は、10月4日に始まる。それは、バチカンが準備文書と会合の準備に関する指示を発表した2021年9月に始まった2年間のプロセスを経たもの。この間、世界中の何百人ものカトリック教徒がそれぞれの教区で、準備文書で提起された質問について話し合ってきた。そのまとめは、それぞれ国・地域の司教協議会に集約され、それをもとに、大陸レベルで会合が開かれた。
シノドス総会は、10月4日からの第一期に始まり、2024年10月の第2期の会合で閉幕する2部構成となる。今総会には、女性を含む議決権を持つ363人が参加。 これまでに総会の通例だった各国・地域の司教協議会の代表に加え、教皇フランシスコによって個人的に任命された者、一般信徒代表、「兄弟教会の代表」、「霊的アシスタント」、または「専門家および進行役」として者も出席する。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
日本の教会の意向: 福音宣教のために
*シノドスの歩みに合わせて、社会に福音を宣べ伝える使命を思い起こさせてくださいますように。
■9月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向: 周辺に追いやられて生活する人々
・社会の周辺に追いやられて非人道的な環境の中で生活する人々が、社会の仕組みから見落とされたり、必要のない者として扱われたりすることがありませんように。
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(2023.8.29 バチカン放送)教皇フランシスコは、この意向をめぐり、ビデオを通し次のように話された。
「ホームレスの人が道端で亡くなっても、インターネットの検索やニュースの最初のページに出ることはないでしょう。どうして、私たちはここまで無関心になることができたのでしょうか。経済的利益に見合わないから、と多くの人が切り捨てられる文化を、どうして容認できるでしょうか。私たちの生活、町、生き方を支配するこの文化をどうして認められるでしょうか。
この状況を直視しないで、無理に違う方向を見ようとするなら、首の筋を違えることでしょう。
お願いです。貧困や、依存症、精神疾患、障がいを理由に、周辺に追いやられて生活する人々を「見えない存在」にすることをやめましょう。受け入れに重点を置き、それを必要とするすべての人を認めることに力を入れましょう。それは、受け入れや、もてなしの文化、屋根やシェルター、愛や人間的温かさを与える文化です。
祈りましょう。社会の周辺に追いやられて非人道的な環境の中で生活する人々が、社会の仕組みから見落とされたり、必要のない者として扱われたりすることがありませんように」
(編集「カトリック・あい」)
日本の教会の意向: すべての被造物
・地球温暖化を止めるために働く人たちを力づけてくださいますように。
■8月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向:「ワールドユースデー(世界青年の日)」のために
(2023.7.27 バチカン放送)
教皇フランシスコは、8月1日からポルトガルの首都リスボンで開かれる「ワールドユースデー(世界青年の日)大会が、世界の若者たちにとって、生活の中で福音を生き、証しする良い機会となるように、次のような問答の形で期待を語られた。
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若者たち:私の地区の教会に行くと、年配の人しか見かけません。もう教会はお年寄りのものなのでしょうか?
教皇:教会は、”高齢者のクラブ”ではありません。また、同様に”若者たちのクラブ”でもありません。もし”お年寄りのクラブ”になるなら、教会は「死ぬ運命」にあるでしょう。聖ヨハネ・パウロ2世は「若者と一緒に生きるなら、あなたがたも若くなる」と言われました。教会は、年老いないように、若い人たちを必要としています。
若者たち:親愛なる教皇フランシスコ、このワールドユースデーのために、『マリアは出かけて、急いで山里に向かった(ルカ福音書1章39節)』というモットーを選ばれたのはなぜですか?
教皇:自分が神の母になることを知ったばかりのマリアは、そこで”自撮り”をしたり、目立とうとはしませんでした。マリアが最初にしたことは、奉仕するために、助けるために、大急ぎで歩き始めることでした。皆さんも、他の人たちを助けるために歩き出すことを、マリアから学ばなければなりません。
若者たち:ワールドユースデー・リスボン大会に何を期待しておられますか?
教皇:リスボンで「未来の世界の種」を見ることができたら、と思います。それは「愛が中心にある世界」、「私たちが兄弟姉妹である、と感じることができる世界」です。私たちは今、戦争の中にいます。私たちには、何か別のものが必要。それは、「福音を証しすることを恐れない世界」「喜びのある世界」です。私たちキリスト者が喜びを持たないなら、私たちは信頼に値せず、誰も私たちを信じてくれないでしょう。
若者たち:私たちは祈ります。リスボンで開催されるワールドユースデーが、若者たちにとって、生活の中で福音を生き証しするよい機会となりますように。
日本の教会の意向: 核兵器廃絶のために
被爆国として、核兵器廃絶に向かっての歩みを導いてくださいますように。
■7月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向: 聖体を中心に据えた生活のために
私たちカトリック教徒が、聖体の祭儀を生活の中心に据えて人間関係を根本から見直し、神とすべての兄弟姉妹との交わりへ導かれますように。
日本の教会の意向: 家族の絆のために
互いをいたわり、家族の絆を神の愛の実現として社会に示すことができますように。
■6月の教皇と日本の教会の祈りの意向
*教皇の意向: 拷問の廃止のために
国際社会で拷問廃止が実現され、被害者とその家族への支援を、具体的な方法で保証することができますように。
(2023.5.30 バチカン放送)
教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように語られた。
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・拷問。何ということでしょう、拷問とは! 拷問は過去の歴史ではありません。残念ながら、今日のわたしたちの歴史の一部です。いったいどうして人間の残酷な力はここまで大きいのでしょうか。
・非常に暴力的な形の拷問がある一方で、たとえば、屈辱的な扱いをしたり、意識を失わせたり、非人間的な状況の中で多人数を拘留するなど、人から尊厳を奪い去る、他の複雑な形のものもあります。しかし、これらは新しいものではありません。イエスご自身がどのように拷問を受け、十字架につけられたかを考えてみましょう。
・この拷問の恐怖を終わらせましょう。あらゆるものの上に人間の尊厳を置くことは根本的なことです。 さもなければ、拷問の犠牲者は人ではなく「物」になってしまいます。そして、無情な虐待によって、死を招いたり、一生残る心理的・肉体的ダメージをもたらす可能性があります。
・祈りましょう。国際社会で拷問廃止が実現され、被害者とその家族への支援を、具体的な方法で保証することができますように。
*日本の教会の意向: 聖霊の恵みのために
聖霊に満たされ、聖体に養われて、神の言葉をいつも守っていくことができますように。
■5月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向: 教会の諸活動と諸団体のために
教会の諸活動や諸団体が、宣教の使命を日々新たにし、世の中の求めに応じた奉仕に、そのカリスマを捧げることができますように。
(2023.5.2 バチカン放送)
教皇フランシスコの5月の祈りの意向についてのビデオメッセージは次の通り。
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教会の諸活動は一つの恵み、教会の豊かさです。それは皆さんです。これらの活動は、その対話の力をもって、福音宣教の使命の奉仕に向かって、教会を新たにします。そのカリスマにおいて、福音の魅力と新しさを示す新しい方法を日々見出します。
どのようにしてでしょうか? 異なる言語を話しながら、− それは異なるものに見えても、実際には違いを作り出している創造力なのですが – 常に理解し、理解させることによってです。そして、司教や小教区の奉仕のために働くことで、自分の中に閉じこもろうとするあらゆる誘惑を避けるのです。なぜなら、それは危険になりうるからです。
聖霊の力に、挑戦に、今日の世界の変化に答えながら、常に活動の中に留まってください。教会の調和の中に留まってください。なぜなら、調和は聖霊の賜物だからです。
祈りましょう。教会の諸活動や諸団体が、宣教の使命を日々新たにし、世の中の求めに応じた奉仕に、そのカリスマを捧げることができますように。奉仕のために…。
日本の教会の意向: 子どもたちのために
子どもたちが、聖母マリアの心を心とすることができますように。
■4月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向: 平和と非暴力の文化のために
「国家としても、また市民としても、武器の使用を控え、平和と非暴力を推進していけますように」
(2023.3.30 バチカン放送)
教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように話された。
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・暴力なしで、生き、話し、行動することは、屈することでも、負けることでも、何かをあきらめることでもありません。それはすべてを熱望することです。
・60年前、聖ヨハネ23世が回勅『地上の平和』の中で言われたように、戦争は狂気、道理を外れたものです。あらゆる戦争、すべての武力衝突は、常にすべての人の敗北のうちに終わります。
・平和の文化を育てましょう。正当防衛の場合でも、目標は平和であることを忘れないようにしましょう。恒久的平和は、武器を用いない平和でしかありえません。
・日常生活においても、国際関係においても、非暴力を私たちの行動の基準にしましょう。祈りましょう。国家としても、また市民としても、武器の使用を差し控え、非暴力の文化を推進していくことができますように。
日本の教会の意向: カトリック学校のために
「カトリック教育のすばらしさを伝えるものとなりますように」
【3月の教皇と日本の教会の祈りの意向】
教皇の意向: 虐待の犠牲者のために
*教会のメンバーによって傷つけられた人々が、その教会の中で、痛みと苦しみに対する具体的な方策を見出すことができますように。
教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオを通し次のように述べられた。(2023.3.2 バチカン放送)
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「虐待、特に教会のメンバーによって行われた虐待を前に、赦しを乞うだけでは十分ではありません。赦しを乞うことは必要ですが、それだけでは足りません。赦しを願うことは被害者にとってよいことですが、被害者こそがすべての中心であるべきです。被害者たちの苦しみや心理的な損害は、答えを見出した時に、癒しが始まります。それには、彼らが経験した恐怖に対して償い、このようなことが二度と起きないように予防する具体的な行動がなくてはなりません。
教会は虐待の悲劇を、それがいかなる種類のものであっても、隠そうとすることはできません。それが家庭や、クラブや、その他の組織の中の虐待であってもです。教会は、家庭や社会において、その問題を解決し、明るみに出すことを助けるための、模範であるべきです。そして、教会は被害者の話を聞き、心理的に寄り添い、保護するための確かな場を提供しなくてはなりません。
祈りましょう。教会のメンバーによって傷つけられた人々が、その教会の中で、痛みと苦しみに対する具体的な方策を見出すことができますように」
日本の教会の意向:性虐待被害者のために
*無関心から解放され、被害を受けられた人たちが神の慈しみの手による癒やしに包まれますように。
【2月の教皇と日本の教会の祈りの意向】
*教皇の祈りの意向:小教区の教会のために
「交わりを中心に据えた小教区の教会が、信仰と友愛の共同体として成長し、最も困窮している人々を招き入れることができますように」
(2023.1.30 バチカン放送)教皇フランシスコは、この祈りの意向について、ビデオメッセージで次のように述べられた。
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「小教区の教会に「ご自由にお入りください」という貼り紙をすべきではないか、と思うことがよくあります。小教区の教会は、身近な共同体であるべきです。お役所的でない、人間を中心に据え、そこで人が秘跡の恵みに与ることができる場所でなくてはなりません。小教区は、奉仕と寛大さの学び舎に戻る必要があります。疎外された人々に、また共同体の人、すべての人に常に扉を開いたものであるべきです。小教区は、ある種の社会的地位を保証する、一部の人々のクラブではありません。お願いします。どうか大胆であってください。私たちの小教区のあり方を皆で考え直そうではありませんか。祈りましょう。人々の交わり、教会的交わりを中心に据えた小教区の教会が、信仰と友愛の共同体として成長し、最も困窮している人々を招き入れることができますように」。
*日本の教会の意向: 難民のために
「難民の人たちが、困難の中にも将来に対する希望を持ち続けられますように」
■2023年1月の教皇と日本の教会の祈りの意向
教皇の意向: 教育に携わる人たちのために
*教育に携わる人たちが、信頼される証し人となって、競争ではなく友愛を育みながら、とりわけ幼く傷つきやすい者の助けとなることができますように。
(2023.1.10 バチカン放送)
教皇フランシスコは、2023年1月の祈りの意向について、次のビデオメッセージをおくられた。
「私は教育に携わる人たちに新しい教育科目を加えるよう提案したいと思います。それは友愛です。教育は、最も弱い立場の人たちを無視することがないよう、私たちが友愛の意味を取り戻すための、その歩みを照らす愛の行為です。教育者は、自分の知識だけでなく、自分の信念、生きた関わりを証しする人です。教育者とは、頭と、心、手の、3つの言語をうまく扱える人です。そして、より注意深く耳を傾けられ、共同体の作り手となる人々です。なぜでしょうか。なぜなら、彼らはこの証しの種をまいているからです。祈りましょう。教育にたずさわる人たちが、信頼される証し人となって、競争ではなく友愛を育みながら、とりわけ幼く、傷つきやすい人たちの助けとなることができますように。
日本の教会の意向: 世界の平和のために
*聖ヨハネ・パウロ二世が教えてくださった「戦争は人間のしわざ」を思い起こさせてくださいますように。