・バチカン教理省長官が「女性司祭問題」巡り、有力枢機卿を暗に批判(Tablet)

(2018.6.1 Tablet Christa Pongratz-Lippitt , Christopher Lamb)

 バチカン教理省長官のルイス・ラダリア・フェレール大司教(28日に枢機卿に昇格)が先月末、カトリック教会における女性の司祭叙階の可能性を改めて否定する声明を出したが、これによって、欧州の有力カトリック指導者、クリストフ・シェーンボルン枢機卿が最近明らかにしたこの問題についての立場と真っ向から対立することが、明確になった。

 教理省は5月30日付けバチカンの日刊紙L’Osservatore Romanoに声明を掲載、女性を司祭に叙階できないことに疑問を表明することは「信徒の中に深刻な混乱を引き起こす」と”警告”していた。声明は「『Ordinatio Sacerdotalis』(教皇ヨハネ・パウロ2世が1994年に出した使徒的書簡。女性の司祭叙階を禁じることの理由を列挙した)が示した教義の決定的な意味合い」という表題を掲げている。

 ラダリア長官は声明について、ヨハネ・パウロ2世の教えについて”疑問に対して”この声明を書くことを決意した、とし、「確定している教義を疑問視する声がいくつかの国で出ていることに対して強い懸念を持った」と書いている。さらに「これを確定的なものでないと考え、確定した”ex cathedra”(権威あるもの)ではない、将来の教皇あるいは公会議によって決定は覆すことができる、と主張されている」とし、「そうした権威に対する疑いの種をまくことは、カトリック教会の構造の一部としての司祭叙階についてだけでなく、誤りのない方法でカトリック教会の教義を教える教導権についても、信徒の中に深刻な混乱を生む」と批判した。

 ウィーン大司教のシェーンボルン枢機卿は4月1日付けの地元紙Salzburger Nachrichtenに掲載された復活祭インタビューで、バチカンの評議会を通じて(女性の司祭叙階禁止の方針の)変更の可能性について言及し、女性叙階の問題は、「バチカンの(キリスト教一致推進の)会議でのみ、明確にできる。教皇お1人で問題解決はできない。一教皇のデスクから判断を出す問題にしては、重要過ぎる」と語っていた。 記者からの「これは、女性の司祭叙階問題に限ったことか」との問いに対しては「助祭、司祭、そして司教の叙階を念頭に置いている」と述べた。

 また「女性の助祭の検討を進める指示は、教皇フランシスコの実の判断で可能か」との問いには、「良いことだとは思わない」と答え、「教会は共同体。重要な決定は共同でなされる必要がある」との判断を示した。

 さらに、このような問題を議論する会議の開催を支持するか、との問いに対しては、「教皇フランシスコが協力に進めておられる、全世界司教会議で議論するやり方を続けることを希望する。いつ開かれても歓迎する。教皇ヨハネス23世は、誰もが予想しない時が会議を開く時だ。私は聖霊に信を置いている」と具体的な考えを語った。

 これに対して、28日に正式に枢機卿となるラダリア長官は「男性のみが司祭職に就くことができるという教会の考えは誤ることのない教え。カトリックの信仰の、変わることのない、”決定的な”部分をなすものだ。「女性の司祭叙階は認めない」とする教皇フランシスコの下で出された教義に関する声明の大半で、教理省は「男性であるということは、司祭職に『欠かせない要素』」であり、カトリック教会は男性の使徒を選んだキリストの決定に”拘束”される」と述べている。

 長官は、この誤りのない教えは、司教会議や “ex cathedra”を語る司教によってだけでなく、全世界の教皇と共に歩む司教たちによって宣言されたものであり、”疑問の余地なく維持される”教義だ、とした。そして、ヨハネ・パウロ2世は『Ordinatio Sacerdotalis』を出す前に、各国の司教協議会の指導者たちに相談したこと、そして彼ら全員がこの教えを支持し、従うことを言明していたことを明らかにし、ヨハネ・パウロ2世教皇は”一人で歩く”ことをお望みにならず、”妨げられることにない、生きた伝統”に耳を傾けることを心掛けておられた、とも述べた。

 さらに、教皇フランシスコは2015年に、ヨハネ・パウロ2世は「長い長い熱心な議論」を経て、女性の司祭叙階問題に関する方針を出された、と語っており、「フランシスコは、(これに代わる)新たな教義を出さず、聖ペトロの後継者として与えられた権威をもって、いかなる疑いも起きないように、普遍的な教導権が、教会の歴史を通じた信仰の蓄積に属するものであることを公式に確認し、明白にした」と説明した。

 また、74歳の長官は、女性叙階の拒否は「(女性を男性よりも)下に置くのでなく、互いを豊かにする」ことを意味する、聖母マリアの地位の高い役割は教会の女性的、男性的両方の重要さを示すものだ、と強調し、「男女の間の違いが持つ意味と良さを理解」、違いのある中で、何を補うべきか、について苦悶、努力することは、現代の文化において、これまでよりもさらに重要だ、と強調した。

 教皇フランシスコご自身は、教会における女性の役割を高めることに努力されており、2016年8月には、女性の助祭について調査・検討する委員会を設置した。だが、この委員会のリーダーはラダリア長官であり、バチカンの関係者の間では、女性の助祭を認める動きに先んじて、司祭職に関する教えを強化する方向で、長官が介入するのではないか」との観測が出ている。

 2009年に、前教皇ベネディクト16世は助祭の役割と司祭職に明確な一線を引くる法的指示を出し、助祭は教会に奉仕するが、”キリストの権威”に与ることのできるのは司祭、司教である、と「司祭は”キリストの位格”において行動する」としたカトリック教会の教えに沿った判断を示している。助祭職と司祭職の区別の明確化は、助祭職に女性を認める可能性を開く一方、司祭職からは決定的に女性を排除することになる。

 ラダリア長官はこう書いている-「キリストはこの秘跡を12人の弟子-すべてが男性-に授けると判断された。そして、彼らは別の男たちにそれを伝えた。教会は常に、主のこの決定を守ってきた-司祭職を女たちに授ける可能性は除かれている」と。

 1975年に、当時の教皇パウロ6世が、英国国教会のドナルド・コガン・カンタベリー大主教に送った手紙で、女性の司祭叙階に反対を表明した近代で最初の教皇として、こう書いていた-「きわめて基本的な理由から、女性を司祭に叙階することは認められない」。これに対して、大主教は教皇に返書を送り、英国国教会では、女性の司祭叙階を支持する意見で一致しつつある、と説明していたが、現在、英国国教会では、女性が(司祭となっているのはもちろん)指導者の中で最も高い地位に就くに至っている。

 過激な運動組織、We Are Church International (WACI) はこのほど、女性をカトリック司祭に叙階するのを禁じるのは「決定的な性質に由来するもの」であり「信仰の蓄積に属する真実」とするラダリア長官の主張に強く反対する声明を出している。

 

(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)

(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher”   The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)

 

 

 

 

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2018年6月5日