・アマゾン地域シノドス8日目:地域の人々と地球の”叫び”を聴き、行動することが必要

(2019.10.15 VaticanNews )

 アマゾン地域シノドスは15日午後、最終回となる12回目の全体会議を教皇出席のものとに開いた。会議には173人の司教が参加。16日朝からは言語グループ別の会議を再開し、作業結果は17日午後の全体集会に報告される予定だ。

 アマゾン地域の人々は、自分たちと結びついた教会を望んでいる。会議出席者たちは、教会が彼らが十字架にかけられていることを忘れてー無関心、不作為の罪を犯すことになるー哀れな人々のことを話すことはできない、と反省した。

 -教会は、福音を出発点として、人々と地球の叫びを聴くように求められている。これが、良きサマリア人に倣い、殉教の可能性を恐れない宣教師、最も小さきものを守る者となる唯一の道。参加者の一人が大胆に述べたように「死のために生きるよりも、命のために戦って死ぬ方がよい」。シノドスは、機能的解決策にとどまるのではなく、聖霊が豊かに注がれるような場を残すべきだ、との意見を考慮に入れつつ、討議を続けた。

*虐待を放置せず、人々が共同責任を感じられるようにする

 アマゾンの脆弱な地域の人々は、しばしば「自分たちが見捨てられている」と考えている。例えば、ストリートチルドレン。教会は、彼らが自尊心を高めるのを助け、犠牲者になるのを防ぐように求められている。このような悲劇は、結局のところ、根本的な問題が解決されていないことから生じている。この地域自体が、間違いなく虐待の被害者となっている。必要なのは、人々自身が自分の運命の構築に共同責任を感じられるようにすること。信徒たちは、自分の権利を取り戻し、神が約束された王国に向かって旅を続け、率直に、希望をもって生きる義務を引き受ける最前線に立つ必要がある。

*被造物を守り育てる科学の基本的な役割-教会法に「環境規定」を

 人々と地球の両方からの助けを求める叫びは、すべての人を巻き込む。信徒たちは、すべての被造物の価値を認識すよう求められている。私たちの”共通の家”を守り育てることは、キリスト教徒の召命に根ざしている。

 行動することは、個人、地域社会、そして世界にとって必須だ。無関心でいることはできない。全ての世代の将来が危機に瀕している。アマゾン地域を人為的な破壊から守ることは、全人類に関わる責任だ。会議では、気候変動に地球規模で対応するために、国際レベルで科学者や学者が教皇庁科学アカデミーの協力体制を作ることが提言された。また、教育分野で、私たちの”共通の家”を守り育てることに、一般の人々を認識を高めるため、もっと多くのことをする必要が表明された。環境に関する信徒の義務についての規定(環境規定)を教会法に入れることも提起された。

*環境的回心のために

 教会の魅力は、キリストとその福音への環境的な、協働で完全な回心への呼びかけを想定して、歩みを深めることにある。地球家族として共に歩むことは、「アマゾン地域は、特定の国々にも、国々を統治する者にも属さない」との考えを基にした、広がりを持った招きだ。地域の国々は管理者であり、自らの行為に説明責任を負っている。 信徒-独身あるいは既婚の-が自力で作った日々の賜物を通して、”秘跡”としての教会は、アマゾン地域に作られ、キリストの存在を宣言する。それが必要なことは、共同体社会の生きた経験と既に受けている賜物によって挑戦を受けることを受け入れる霊性と秘跡神学のために述べられている。この点で、地域教会のレベルで取り組みを調整する努力が行われていることは励みになる。

 

*諸関係の対称性-相違を超えた”we”の構築が急がれている

 聖霊に触発された異文化間の対話の重要性も指摘された。その際に求められるのは、「関係の対称性」を手にするために、出しゃばったり、独り占めにするような習慣を手放すことだ。謙遜は「自分たちには”共通の家”を守り育てる共同責任がある」という共通の確信を基礎にした対話に、必要な態度である。単独ではできないことも、協力すれば可能になる。私たち一人一人が異なっているゆえに、一人一人が一緒になった”we”を、急いで構築する必要がある。また、理論を実践でテストできる異文化間対話の積極的な推進体制を作ることが奨励される。

*司祭不在の教会共同体の問題

 アマゾン地域の深刻な司祭不足の問題も改めて話し合われた。この地域では、司祭の訪問が年に1回か2回しかない教会共同体が全体の7割を占めると推定されている。復活祭、聖霊降臨祭、生誕祭など、信徒生活の中心となる行事に、秘跡も、神の言葉も、祝いの祭儀を受けることができず、中には、他宗派の祭儀に参加を余儀なくされ、「羊飼いのいない羊」のような状態に置かれている信徒もいる。

 普遍教会は、このような状況に無関心することはできない。聖霊の声に心を開く、勇気ある選択がなされる必要がある。これに関して、「刈り取りのために働き手を送られる収穫の主」に祈ることの重要性、神の民の司牧が「主の第一の関心」であることを司教の1人が指摘した。だから、私たちは神に問題解決を願わねばならない。

 

*福音宣教への情熱が薄れている

 福音宣教への熱意が、中心部から遠く離れた地域で薄らいでいる問題も取り上げられた。特に一部の地域では、持続することが不可能な大規模な鉱物資源の採掘事業が、疾病の拡大、麻薬取引、人々の自信の喪失などを引き起こしている。国際社会は、こうした事業への投資がされないよう強く働きかける必要がある。アマゾン地域は宣教師を必要としている。現地の人々が信じることのできるのは彼らだけだからだ。

 イエスに触発された宣教師の巡回チームのことが取り上げられた。彼らは、休むことなく、留まるところもなく、村々を巡った。”動き続ける”教会の模範だ-宣教司牧を後にすることは、創造的な行為よりも過去を大事にすることを意味する。そうしたやり方はもはや通用しない。新たな取り組みが強く求められている。周りの世界が先に進む中で、私たちは”役に立たない”ではいられない。福音は語るべき何かを、常に持っている。それはまた、「環境的な回心」の一部をなしている。宣教の新しい形に心を開くことは、女性と若い人々の取り込みを意味する。

*地域から引き裂かれた都市の移住者、そして食糧問題への貢献

 男女の日々の活動に協働性と団体性をもって従事することが、教会に求められている。改めて、移住者ー根を抜かれ、都市に植え付けられた人々ーの問題が、会議の関心となった。

 諸都市で、彼らは、それまで住んでいた地域とは対照的な、政治的、社会的、経済的、空虚で、絶望的ともいえる個人主義と向き合うことを強要されている。そこに福音を存在させるのは義務であり、そうすることで、都市は宣教と聖別の場となる。

 原住民の人々を主役と考える文脈の中で、宣教司牧を勧めることが必要だ。聖書に語られているように特定の人々と土地の結びつきの強さを知ることは、彼らが自分の土地から引き裂かれることの重さを理解する助けとなる。自分の領域を守ることは、アマゾン地域の(森林など)生物群系とそこに暮らす人々の生き方にとって、極めて重要だ。その意味で、原住民の人々の「妥協することのない防御」は推奨される。これには、彼ら自身の文化、自身の神学、自身の宗教に対する権利が含まれる-それは、全人類のために守られるべき財産だ。

 この会議では、最後に食料の問題が取り上げられた。アマゾン地域は、その淡水とともに、世界の飢えの削減に貢献することができる。世界の淡水の26㌫はこの地域からきているという事実から、出席者の一人が、持続可能なプロジェクトを奨励すべきだと、主張した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2019年10月17日