さらに、教会が抱える最も深刻な問題は、統治の形態が当の昔に時代遅れになっている現在、いまだに”帝国”として運営されていることであり、その問題の核心は、「少数の男性のみのお仲間」が「教理の御用達業者」であり、「立法者、裁判官、そして裁判員」として振る舞っていることにある、と指摘した。
主要な問題は、”上にいる男性たち”が”下にいる人々”に、見下すような態度で語るような仕組みにあるが、そのような伝達のやり方は、カトリック教会の指導者たちにとって深刻な問題になっている。なぜなら、最近アイルランドで行われた人工妊娠中絶を禁じる憲法条項の撤廃の是非を問う国民投票のように、下にいる人々が声を上げはじめ、枢機卿や司教たちがそれを抑えられないからだ。
マカリース女史はアイルランドの大統領を1997年から2011年にかけて務め、その後、ローマで教会法について学んできたが、1960年代の第二バチカン会議で始まったとされる教会改革の取り組みについて、「公会議に集まった司教たちは、いくつかのとてもいいアイデアをもち、新しい考えを生みましたが、公会議の強い熱意を持って改革を推進する仕組みを残さず、関係した2000人の司教たちすべてが後戻りし、古いやり方に引きずられる状態が続いたのです」と述べた。
教皇フランシスコ自身については、「人をまごつかせています… ある日、あることを言いながら、別の日には、それと反対のことをおっしゃいます」と評しながら、評価するのは、「教会内部での議論を奨励していること、見解の相違が起きるのを恐れないこと」。「彼は議論好きの教皇で、反論されるのが好き」で、それは、前任のベネディクト16世、ヨハネ・パウロ2世のいずれとも全く違っている、と言う。
だが、女性の教会における地位向上について、教皇フランシスコの実績は不十分だ、と見る-一握りの女性たちをバチカンの責任ある地位につけて見せたが、発言権を高めてはいない。女性の司祭叙階問題を地位向上の一環として扱うことはしていない。「女性叙階を否定する教会法上の根拠は”希薄”であるにもかかわらず、です」と彼女は語る。主たる問題は、「女性が”公民権”を奪われている時、教会はどのようにして女性の権利を代表させようと考えるのか」であり、「全世界の教会の6億人にのぼる女性信徒が、これまでのやり方では不可能な、教理、教理の解釈、規範、教会の教えに意味のある貢献をどうしたらできるのか、考えがあるなら教えてもらいたい」と訴えた。
女性助祭について検討したバチカンの委員会の報告が、まだ発表されていないが、彼女によると、報告はまとまったが、さらなる作業が必要だとして、委員会に差し戻されているのだ、という。「でも、人々にはどういうことが話し合われているのか、知る権利がある… なぜ説明してもらえないのか、なぜ最新の状況を教えてもらえないのか、なぜ公表が保留されているのか?」。
カトリック教会について、彼女が悲しく思うのは、「取り組みの最初の段階では変革のチャンピオンのように見えることがよくあるが、時間が経つにつれて、静かになり、逆戻りになること」。「教会は子供たちの人権保護のチャンピオンとされていましたが、過去25年ほどの間に起きたことは、子どもの権利と国連人権宣言を守る約束を反故にする、まさに失態だった」と嘆いた。
しかし、このようなことすべて、そして、アイルランドのカトリック教会の最近の歴史の第一線で起きたかずかずのスキャンダルにもかかわらず、「私は、世界的に大きな影響をもつ教会の一員としての立場を続けます」と言明、「教会が将来、真の変革-若い女性たちと同性愛者たちのような人々の暮らしを改善するような変革-を実行すべく自らを奮い立たせる存在となること」に期待をかける。
「カトリック教会は、ものすごい力、この世界で”良い意味でのツナミ”のような湧き上がる力になることができる。そうすれば、五つの大陸にわたって、神の愛を新たに感じられるような素晴らしい影響力を及ぼすことになるでしょう」。そのために、まず必要なのは、自己反省と自己批判-長い間、優先してこなかった特質を新たにすることなのだ。
(翻訳・「カトリック・あい」南條俊二)
(Tabletはイギリスのイエズス会が発行する世界的権威のカトリック誌です。「カトリック・あい」は許可を得て翻訳、掲載しています。 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher” The Tablet ‘s website address http://www.thetablet.co.uk)