♰「司牧者の徳は、賢明さと識別、聖霊の知らせを感じ取る力にある」-「アマゾン地域シノドス」開会ミサで

 

教皇フランシスコ、アマゾン周辺地域のための特別シノドス開会ミサで 2019年10月6日教皇フランシスコ、アマゾン周辺地域のための特別シノドス開会ミサで 2019年10月6日  (Vatican Media)

(2,019.10.6 バチカン放送)

 アマゾン周辺地域のための特別シノドス(代表司教会議)が6日、バチカンで始まり、開会ミサで教皇フランシスコは参加した司教たちに、「神から賜物を受けたあなた方は、奉仕のために自分の命を捧げなくてはならない」と説かれた。

この地域シノドスは「アマゾン、教会と統合的エコロジーのための新たな歩み」をテーマに27日まで開かれ、討議要綱に沿って、アマゾンの地域と人々の現実を展望し、統合的エコロジーの視点から同地域が抱える苦しみと希望を見据え、福音宣教、インカルチュレーション、典礼、遠隔地域での司牧などの課題において、教会の新たな歩みを模索する。

6日、教皇が参加司教たちとともに聖ペトロ大聖堂で捧げられた開会ミサには、アマゾンの様々な地域から代表者らが参列。教皇はミサの説教で、神から司教たちが受けた賜物を観想され、「司教たちは契約書によってではなく、按手によって叙階されたこと」を思い起こされた。

そして、按手を受けた司教たちは、その賜物のために、「自らの手を主への取り次ぎのために挙げ、兄弟たちを助けるために差し伸べ、自分の命を奉仕のために捧げなくてはなりません」とされ、さらに「司教たちが受けた賜物は、神と兄弟への愛に燃える”炎”… 炎は何もしないでいると、消えて灰の下に埋もれてしまう。私たちも”そのまま”を良しとすれば、受けた賜物を、恐れや現状維持のための心配という灰の下に埋もれさせてしまいます」と注意を促された。

さらに教皇は、「教会は常に歩み、外に向かい、決して自分の中に閉じこもることがありません… イエスは穏やかな夜風をもたらすためではなく、地上に火を投ずるためにやって来られたのです」と強調。「神は、”臆病な霊”ではなく、”力と愛と思慮分別を持った霊”を私たちにくださったのです」(テモテへの手紙2・1章7節)という、聖パウロの言葉を引用され、「『思慮分別』とは優柔不断や保身的な態度ではありません。それを臆病や恐れと混同してはなりません」と訴えられた。

最後に、「司牧者の徳は、賢明さと識別、聖霊の知らせを感じ取る力にあります」として、「重い十字架を背負い、福音の慰め解放する力、教会の愛を待ち望むアマゾンの人々のため、またアマゾンの人々と共に、自分たちの命を捧げて行きましょう」と司教たちに呼びかけられた。

(編集「カトリック・あい」)

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2019年10月7日