・パリ控訴院、延命措置停止された男性に、直後に措置再開を命令

(2019.5.21 バチカン放送)

 フランスで事故による脳の重度損傷と四肢麻痺で長期治療中の男性に20日、延命措置が停止されたが、同日夜、パリ控訴院が治療の再開を命じた。

 担当医師は20日、男性への水分と栄養補給を停止したが、同じ日の夜、パリ控訴院が、両親の訴えを受け入れ、治療の再開を命じ、国連の障害者権利委員会がこの問題を精査し、その結果が発表されるまで、治療を中断しないよう、指示した。

 教皇フランシスコは、控訴院の命令に先立っって、「重い病気の状態にある人々のために祈りましょう。神の贈り物である命を、その初めから自然な死に至るまで、いつも守りましょう。切り捨ての文化に負けてはなりません」とツィートされていた。

 教皇は、2018年4月15日のレジーナ・チェリの祈りと、同年4月18日の一般謁見の席においても、英国の幼児アルフィー・エヴァンズちゃんの名と共に、この男性の名を挙げ、重篤な病状のために、長期間にわたり生命維持治療を受けている世界中の患者たちのために祈り、すべての病者が尊厳と命を尊重され、病状にふさわしい治療を受けられるよう、アピールされている。

2019年5月22日

♰「世界に福音をもたらす情熱的な宣教者の必要性を改めて実感」-二か国訪問を振り返って

(2019.5.8 バチカン放送)

 教皇フランシスコがバチカンで8日、水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中の講話で、7日に終えたブルガリア、北マケドニア二カ国訪問について語られた。

 まず、ブルガリア訪問では、同国で教皇使節として長年過ごされた聖ヨハネ23世の足跡を振り返り、その「地上の平和」を願うメッセージを伝え、皆が兄弟愛の道を歩めるように勧め、同じ精神のもとに、ブルガリア正教会ネオフィト総主教と聖シノドのメンバーとの出会いの喜びを体験することができた、とされた。

 そして、「キリスト者としての宣教の召命は、聖霊の助けのもとに、一致の道具となり得る」ことを実感し、また、ブルガリア正教会の総主教座聖堂である聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂では、聖チリロ・聖メトジオ兄弟の聖画の前で祈り、「今日の世界に福音をもたらす情熱的な宣教者が必要だ」との思いを深くした、と語られた。

 次に、北マケドニア訪問については「1910年スコピエに生まれたマザー・テレサと共に歩む旅」だった、とされ、「小さな体でありながら、聖霊の働きによって力に満ちた、この方に、世界の辺境で活動する教会の姿を見ることができます」としたうえで、マザー・テレサ記念の家で、諸宗教の指導者とともに祈り、貧しい人々と出会い、マザー・テレサに捧げた巡礼聖堂のための礎石を祝別ができた、と成果を示された。

 また、北マケドニアは「1991年に独立した若い国だが、教皇庁はその歩みの最初から支援してきた」としたうえで、この訪問を通して、この国が持つ多民族・多宗教の共存の力と、今、多くの移民を受け入れていることを高く評価した、とし、「北マケドニアがその伝統とルーツを失うことなく、開かれた未来に向かって進んでいくように」と改めて希望を表明された。

そして、最後に、ブルガリアとマケドニアを聖母に託して祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年5月9日

♰「神の愛に動かされ、隣人に愛をもって奉仕したマザー・テレサを模範にして」-北マケドニア訪問

(2019.5.7 バチカン放送)

 教皇フランシスコは7日、北マケドニアを司牧訪問され、大統領、首相はじめ様々な分野の代表らとお会いになった。ローマ教皇の同国への訪問は、今回が初めて。

 首都スコピエに到着された教皇は、大統領府での歓迎式のあと、ギョルギェ・イヴァノフ大統領を表敬訪問、ゾラン・ザーエフ首相と会談された。大統領府のホールでは、北マケドニアの諸分野の代表者や同国駐在の外交団との出会いが行われた。

 教皇は挨拶で、東方と西方を結ぶ橋、様々な文化の潮流が交差する同国の、古代からの豊かな歴史・文化、力強い自然、素晴らしい宗教芸術などに言及。「中でも最も貴重な財産は、多民族、多宗教で構成されている国の形です」と話され、「文化と民族、宗教のるつぼから、他者を尊重しつつ、自分のアイデンティティーを育て、表現できる『平和で安定した共存と関係』が生まれたことは、相互尊重に基づく兄弟的共存の模範です」と讃え、このような多様性の統合、多様性と基本的人権の尊重が、バルカン半島全域に広がることを期待された。

 また、正教会、イスラム教、カトリック、ユダヤ教、プロテスタントなど様々な宗教や、マケドニア人、アルバニア人、セルビア人、クロアチア人など異なる民族が、この国において、美しいモザイクを形作り、その一片一片は、全体のためになくてはならないもの、と強調され、「この美しさは、新しい世代に伝えられる時、一層、輝きを増すでしょう」と期待を述べられた。

 そして、北マケドニアが進めている中東からの数多くの難民・移民への寛大な支援に触れ、「この連帯の鎖をこれからも大切にしていただきたい」と希望された。

 さらに教皇は、1910年にスコピエで生まれたマザー・テレサを思い起こし、「神の愛に動かされ、隣人に愛をもって奉仕し、見捨てられた人、貧しい人のためにひたすら自らを捧げる生き方を世界に示した生涯」を振り返り、北マケドニアの人々が「この偉大な聖人に倣い、神が自分たちに何を望まれているかを発見するために、熱意と希望をもって努力することができるように」と励され、最後に、北マケドニアの調和の維持と、発展と喜びを願いながら、神の祝福を祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2019年5月8日

♰「神は、私たちを、呼び、驚かせ、愛される」-ブルガリア・ソフィアでミサ

(2019.5.5 VaticanNews Robin Gomes)

 ブルガリアを訪問された教皇フランシスコは5日夕、首都ソフィアのアレクサンドル一世広場で主日のミサを捧げられた。

 ミサ中の説教で教皇は、この日のミサで朗読された「復活されたイエスがガリラヤ湖で弟子たちの前に再びお現われになった」福音書の箇所を取り上げられ、それをもとに、弟子としての私たちの人生で出会う、神の三つの素晴らしい業、つまり、「呼び」「驚かせ」「愛される」ことを指摘された。

 イエスが最初にペトロにご自分についてくるように、と呼びかけられたのは、まさにそのガリラヤ湖の岸辺だった、だが今は、痛みと罪の意識という重荷を背負い、自分たちの師の死に際して苦しみ、失望し、そして裏切ったことで意気消沈して、何人かの弟子とともに、漁師の生活に戻っていった。

 「主は、落胆し、あきらめるという狡猾で危険な誘惑ー後に残すと決めたことに立ち戻ろうとする誘惑があることをご存知です。これは、私たちを苔のように、私たちの全ての希望を食い尽くす、自己憐憫に浸らせる”tomb sicology(墓心理学)”。そのようにして、信仰は、あらゆるものを普通のことと思わせる狭量な心に退化してしまうのです」と警告された。

 イエスがお現われになり、もう一度、辛抱強く彼の所に来て、「シモン」と呼びかけられたのは、ペトロが意気消沈しているまさにその時だった。「主は問題を抱えていない、失望していない、罪や欠点のない人たちとお会いになるとは思っておられない。主ご自身が、耐えるようにと男女全てを励ますために、罪と失望に立ち向かわれました。イエスにおいて、神は常に私たちにもう一つチャンスをくださいます。イエスが私たちの人生に直接、呼びかけられた時、私たちの心は若返ります」。

 教皇はまた、「驚きの主が、私たちを驚かせるためだけでなく、私たちが驚くように招かれるのです」と語られ、「弟子たちの網に一匹も魚がかからなかったのをご覧になった主は、彼らに普通でないやり方をするように言われる-(注:夜明けでなく)昼間に漁をするように、と主は、彼らに、もう一度リスクを冒すよう促すことで、彼らの信頼を回復されました」。弟子たちに対するのと同じように、主は「疑い、不信、恐れに打ち勝つのに必要な勇気で私たちを満たすことで、麻痺状態になっている心の壁を打ち壊されたのです」と強調された。

 神がなさる素晴らしい業の三つ目は、御言葉が愛であるゆえに、愛される、ということ。ペトロに求められたように、主は、私たちに愛という言葉を学ぶように求められる。ペトロは自分の弱さを認め、愛するということが、自分自身を中心に置くことをやめ、自分自身でなく、イエスを出発点とすることだ、と理解する。

 教皇は「『キリスト教徒である』ということは、神の愛が私たちの欠点と罪の全てよりも大きいということを悟るための”召喚状”です」と言われ、「今日の私たち大きな失望と困難は、神が愛であることを知ることからくるのではありません。神は、愛し、自らを捧げ、呼びかけ、驚かせる愛なのです」と訴えられた。

 そして、「イエスの言葉のままに舟の右側に網を打つ、という弟子たちの行為の中に、私たちは神の奇跡を見ます-神は私たちの人生を芸術品に変え、私たちを神の愛によって導かれるままになさるのです」とされ、「今日、私たちは未来に向かって神と共に歩むように呼ばれています。私たちが成功しようと失敗しようと、神は、私たちに網を投げるように呼びかけ続けるために、いつもそこにおられるのです」と励まされた。

 最後に教皇は、「若い精神を持った教会は、共通善を求める努力を絶えず行うことで、キリストの愛を証しするように、私たちを促しています。この愛は、私たちが貧しい人たちに仕え、慈善と奉仕の革命の主役となり、消費至上主義と皮相的な個人主義の病理に抵抗できるようにするのです」と強調され、ブルガリアの人々に対して、聖人になることを恐れないように強く求められ、「あなた方の気力、活力あるいは喜びのどれも、奪い去られることはない」という聖句で締めくくられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年5月6日

・教皇、ブルガリア正教会の総主教と会見「貧しい人々と共にあるエキュメニズムを」

(2019.5.5 バチカン放送)

 教皇フランシスコは5日、ブルガリアと北マケドニアへの司牧訪問に出発され、ブルガリアの首都ソフィアから訪問行事を始められた。この訪問は、現教皇の第29回目の海外司牧訪問(イタリアを除く)となる。

 3日間の訪問で、教皇は5日から7日早朝までブリガリア、7日の午前から夕方まで北マケドニアに滞在される。ローマ教皇がブルガリアを訪れるのは、2002年5月の聖ヨハネ・パウロ2世の初訪問以来、教皇フランシスコで2度目。北マケドニアへの教皇の訪問は、今回が初めてとなる。

 5日午前、ローマを出発、現地時間同日午前、ブルガリアの首都ソフィアの空港で、ボイコ・ボリソフ首相の出迎えを受けられた教皇は、民族衣装の子どもたちから花束で歓迎された。ボリソフ首相と空港内のホールで会見の後、ソフィア市内の大統領官邸に向かわれた。

  ブルガリア大統領官邸にルメン・ラデフ大統領を表敬訪問のあと、大統領官邸前広場で同国の各界要人に挨拶をおくられ 、続いてエキュメニカルな出会いとして、ブルガリア正教会の聖シノド館で、ネオフィト総主教と聖シノドのメンバーと会見。さらに、総主教座大聖堂の聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂を訪問し、私的に祈りを捧げられた。

 ネオフィト総主教と聖シノドのメンバーと会見では、「キリストは復活されました」とスラブ語で挨拶をおくられた教皇は、前世紀のブルガリアで、キリストの名において迫害と苦しみを受けながらも信仰を守り、「復活の証し人」となったすべてのキリスト者たちの「血によるエキュメニズム」に言及された。

 教皇は、聖ヨハネ・パウロ2世、そして、教皇使節としてブルガリアで長く過ごし、同国の人々を深く愛した聖ヨハネ23世を思い起こしつつ、「私もまた同じ御父のもとに一致する『兄弟への郷愁』をもって、今皆さんと出会っています」と前置きし、「特に貧しい人々、見捨てられた人々への奉仕、すなわち『貧しい人々と共にあるエキュメニズム』を通し、主を共に証しするよう、私たちは招かれています」と語られた。

 聖チリロ・聖メトジオを模範に、共に福音を告げる必要を強調され、「過去の痛ましい分裂を超えて、未来の交わりを見据え、『宣教のエキュメニズム』の道を歩み、兄弟として成長していきたい」と呼びかけられた。

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 教皇の5日午前、初日のカトリック共同体との行事としては、聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂前広場での正午のレジーナ・チェリの祈り、午後から市内の広場でのミサが予定されている。2日目の6日は、午前中にソフィア郊外の難民施設を訪問のあと、空路で同国南部ラコヴスキに移動。イエスの聖心教会でのミサと初聖体式、聖ミカエル教会でのカトリック共同体と会見され、夕方、再びソフィアに戻られ、ブルガリアの諸宗教代表者らと平和のための集いを主宰される。

 7日早朝、ソフィアの空港での送別式を経て、第2の訪問国、北マケドニアへと向かわれ、首都スコピエの空港到着後、市内の大統領官邸での歓迎式典に臨み、ギョルギェ・イヴァノフ大統領への表敬、ゾラン・ザーエフ首相との会談、北マケドニアの各界代表と会見される。午前中、スコピエ市内のマザー・テレサ記念館を訪問。諸宗教指導者や貧しい人々との出会いを持たれる。さらに、市内の広場でミサをとり行われる。午後、司牧センターで若者たちと、続いて夕方にはカテドラルで北マケドニアのカトリック共同体と交流され、同夜、バチカンに戻られる。

(編集「カトリック・あい」)

2019年5月6日

・米国の有力人権団体が米政府に対中国制裁を要請、バチカンの”暫定合意”を批判(Crux)

 ワシントン発ー米国の国際信教の自由・米国委員会(USCIRF)が1日、世界の信教の自由侵害状況に関する第20回年次報告書を発表し、信教の自由と人権を著しく侵害している国として、中国を強く非難した。 USCIRFは超党派の米連邦政府委員会で、提言は大統領、国務長官、米連邦議会に提出され、米国の対外政策に大きな影響力をもつ。

 報告書は「チベット人は、母国語のチベット語でない言葉で仏教を学ぶことを強制され、あるいは、自分たちの霊的指導者であるダライ・ラマの写真を持っていることで拘留されている。キリスト教徒はその聖書が中国政府によって書き換えられ、自分の教会は閉鎖、あるいは破壊され、司牧者は投獄されている」。さらに「イスラム教徒、特にウイグル・イスラム教徒は、強制的に強制収容所に送られ、自身の意思に反して、言い表せないような虐待、拷問を受け、当局から信仰を捨てるように強要されている」と現状を指摘している。

 そして、この200ページを超える報告書は、米国と国際社会に対して、このように信教の自由を侵害されている人々を守るために、もっと強い行動をとるように要請。米国務省に対して、ミャンマー、中国、エリトリア、イラン、北朝鮮、パキスタン、サウジアラビア、スーダン、タジキスタン、トルクメニスタンの10か国を「特に懸念すべき国」と再度特定することを求め、さらに、これに、中央アフリカ共和国、ナイジェリア、ロシア、シリア、ウズベキスタン、そしてベトナムの6か国を加えることを提起している。

 さらに具体的な措置として、米国に国際信教の自由担当の大統領顧問のポストを国家安全保障会議のメンバーとして設け、米国議会下院が「国際信教の自由法」の実施状況について聴聞し、「宗教の自由の重大な侵害に絡む当事国の官僚、機関、軍の部署」を特定して制裁措置を強化することを、提言している。

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 中国に関して報告書は、「国民の信教の自由を、特にイスラム教徒に対して侵害している中国の機関に対して、米国が他国と協力して制裁措置をとるべきだ」と主張。バチカンが昨年9月に中国政府と国内の司教任命に関する暫定合意に署名したことを、バチカンが中国当局に国内の司教の任命プロセスをコントロールする手段を与え、「物議をかもしている」と批判した。

 また、「USCIRF委員のジョニー・ムーア氏の個人的見解」と断ったうえで、バチカンと中国の暫定合意は「この一年で信教の自由と関係する最も憂慮すべき出来事のひとつ」と断定。「バチカンは国であり教会だ。バチカンは今、中国に対して、国内のキリスト教共同体社会を悪意に満ちて弾圧するライセンスを与えており、問題解決の道義的、法的に重大な責任を負うことになった」とバチカンの責任を追及している。

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 米国では今年、国際信教の自由法施行20周年を迎えるが報告書はそれに先立って1日には公表することとされていた。報告書の執筆担当者たちは「自身の信仰ゆえに残酷で仮借ない扱いを受けている世代」に深い同情を表明し、「法律が施行されて20年の間、信仰を根拠とした差別、暴力、迫害に終止符を打とうとする不断の努力にもかかわらず、世界中の多数の信仰者、非信仰者が2018年に、自身の信仰ゆえに様々な苦しみを経験し続けている」と訴えた。

 報告書は、4月21日にスリランカで復活祭のミサを捧げていたカトリック信徒など250人以上が自爆テロで、さらに26日にニュージーランドで金曜礼拝に参加していたイスラム教信徒50人がテロ攻撃で、それぞれ殺害された直後の発表となった。先週には、ドイツに本部を置くカトリックの国際支援団体「Aid to the Church in Need」も、「2019年は、キリスト教徒にとって最も残忍極まる年に既になっている」とコメントをだした。

 そして、報告書は「世界中で、信教の自由のために戦っている人々は、そうした虐待を犯し、黙認する政府、非政府の責任者たちに警報を鳴らし続けねばならない」「信仰の自由の侵害者たちは公表されなければならず、罰を逃れさせるのは終わりにせねばならない」と締めくくっている。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

 

 

2019年5月2日

・米国の信教の自由担当特使が「バチカンとの暫定合意以後も中国には変化なし」と批判(Crux)

4.23 Crux NATIONAL CORRESPONDENT Christopher White

  ニューヨーク発-米国政府で信教の自由を担当するサム・ブラウンバック 特使が23日、Cruxとの会見に応じ、米国とバチカンは、中国問題を含めて信教の自由を追求するために協力すべきだ、と主張した。

 ブラウンバック特使は、カンサス州選出の上院議員を1996年から5年間勤めた後、2011年から8年間の同州知事を経て、昨年2月から現在のポストに就いた。2011年にカトリックの洗礼を受けている。

 会見で特使は「私たちは、特に信教の自由の問題について、バチカンを支持することを希望している」と述べた。特使は前月、一週間にわたって台湾と香港を訪問中に、中国が国内のイスラム教徒、カトリック教徒、そして仏教徒の対して差別的な措置を強める傾向に懸念を示したうえで、「中国は信仰を持つ人々と戦争状態にある」と批判していた。Cruxとの会見では、この発言を踏まえて、「世界最大の人口を抱える国が、信仰を持つ人々と全面戦争状態にあるのです」とさらに語気を強め、「だが、中国が勝利をおさめることはない」と付け加えた。

 特使の強い言葉は多くの人の関心を引くものだが、(注:このような信教の自由の分野で中国対する厳しい姿勢は)米国国務省の同意を得た者であり、米国が宗教の自由は果敢に擁護することを保障するのは義務だ、と説明した。

 そして、新約聖書でイエスがなさったタラントンのたとえ話を引用して、「多く与えられた者は、多くのことを求められるのです.」と述べ、米国は地球上で最も強力で、”宗教の自由”という相続財産を持った国であり、「私たちは多くのものを与えられています… ですから、信仰の自由を唱道するのが私たちの役目であり、私たちに与えられたものについて責任があるのです」と強調。そうした理由から、宗教の自由について、「私たちは、中国に、門戸を開くよう、圧力をかける必要があります」と語った。

 また特使は、先の台湾、香港訪問中に、昨年9月にバチカンが中国と暫定合意し、バチカンが国内の司教の任命について中国政府に発言権を認めたとされていることを批判。「この暫定合意以来、中国政府はカトリック教会共同体の人々への虐待を続けている。近い将来、事態が変わる兆候も見えない」と指摘していた。

 Cruxとの会見で、こうした批判は、チベット仏教徒たちの抱いている懸念を受けたものだとし、彼らが、この暫定合意が「中国政府にとって都合のいい宗教指導者を選び取る」ような宗教団体規制の前例となることを心配している、と説明した。「宗教団体は、自身の指導者を自分で選ぶことができなければなりません」と強調、独裁主義的な政権は常に、宗教指導者を統制下に置こうとする、と付け加えた。

 暫定合意について特使は、「バチカン、中国の両当事者以外には内容は分からない」として、政府としての特権を擁護する一方で、「大事なことは、信仰を持った人々が抑圧されないようにすることだ」とし、「それは、他と関さりを持たずになされるものではありません」と語った。

 暫定合意に署名したバチカンへの批判は、米国のバノン前大統領上級顧問などからも出ている。これについて、バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿は今月初め、ローマで開かれた現代のキリスト教徒迫害に関するシンポジウムで「変化は一晩で起きない。忍耐が必要」と釈明し、「私たちが希望するのは、(注:合意が)信教の自由を制限するのではなく、助けることです」と述べていた。

 これに対して、特使はCruxに「教会がこれまで長い間、信教の自由を促進しようと努めてきたことに敬意を表する」とし、特に、ニカラグアとベネズエラで現地教会が継続的な努力をしてきたことを称賛した。そして、戦術的な違いにもかかわらず、米国とバチカンはともに、宗教的な自由において善を推進する力であることを強調し、「カトリック教会は宗教的な自由の灯台となってきました… そして、私たち(米国)は彼らを支持したいのです」と、バチカンに賢明な対応を求めた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。Cruxのニュースはグーグルで「Crux」と検索するとご覧になれます。

 

 

 

2019年4月24日

・トランプ政権の立役者、バノン氏がローマで会見、バチカンの中国との暫定合意を批判(Crux)

(2019.4.1 Crux   Elise Harris and John L. Allen Jr. )

 ローマ発-あなたが、教皇フランシスコの、聖職者による性的虐待危機への対応にとどまらず、共産中国と司教の指名に関する合意、大衆迎合主義と愛国主義的動きに対する連続的な批判、移民の権利への熱烈な支持、など、あらゆる分野での振る舞いに苛立ちを感じている保守派のカトリック信徒だとしよう。仮にそうであるとすると、あなたは程度の差こそあれ、トランプ政権の立役者であるスティーブ・バノン前米大統領上級顧問と同じ船に乗っていることになる。そして彼はあなたに提案がある-ユダヤ教とキリスト教の文明を守る”剣闘士”となる目的を掲げた研究所のために一年を使わないか、と。

 バノン氏が3月30日、Crux とのインタビューで明らかにしたところによると、研究所は、イタリア中部にあるシトー修道会所有の大修道院施設を使って、試験的プログラムを今秋始める。2020年に予定する正式開所の時点では約100人の学生と追加の教官をそろえる、といい、「”剣闘士”の理想は”一点張り”であるということだ。”剣闘士”は技術や身体、あるいは勇気についてのものではない。最大の特徴は、素晴らしい”一点張り”だ」と説明した。研究の狙いは、「なぜこの文明が、文化が特別なのか」「何が特別にしているのか」について教え込むことー雑音と対決的な文化の中で、その伝統的遺産を守る能力をもって、旧約聖書とそのユダヤ教のルーツ、そして律法に関するすべてから、近代に至るすべてのことまで理解するようにすること、と強調した。研究所の設立、運営資金については、今のところバノン氏の私財によるが、「何人かの優れたカトリック信徒が資金を提供してくれようとしている」という。

 

   *聖職者による性的虐待問題で破産寸前の全米のカトリック教会に必要な対応

 また、この研究所が対象とするのは、教皇の抱えている課題にただ対応するだけでなく、教皇が批判を受けている3つの分野ー聖職者による性的虐待、中国問題、大衆迎合主義への姿勢ーも扱う、とした。関連して、「アメリカの全カトリック教会は、劇的な介入を受けることなく、組織犯罪組織の規制を目的としたRICO法(米国の刑法及び刑事訴訟法の関係条項)の下で訴追され、今後10年の間に、破産管財人のもとに置かれることになり得る」と警告。

 「(教会が)涙の結末を迎えようとしているのは明白だ」とし、「当局は教会を暴徒のように扱おうとしている… RICO法は資産を速やかに差し押さえ、換金し、誰にでも与えることができる。犠牲者たちとその弁護士の努力は徒労に終わる」。そうした事態を避けるために、資格を持った一般信徒が教会に代わって資産保護の交渉を行えるような調停委員会の設置、を提唱した。「いまやほとんど破産寸前の状態だ。教会は、専門家、一般信徒、適正な評価をし、財政的に制御不能にならないように交渉などで対応できる人物を必要としている」。

 驚くべきことに、米国でもっとも極端に政治的な人物の一人(注:バノン氏)が、そうした努力は政治と関係なく行われるべきだ、と主張した。「こうした動きは、保守派、伝統主義者、ラテン語ミサを主張するカトリック信者から最も進歩派に至る幅広い層によってなされねばならない。教会の”政治”は脇に置いて、共に力を合わせ、聖職者たち、高位聖職者を助け、共に働かねばならない」と述べた。

 また、バノン氏は最近表に出た高位聖職者との個人的かかわりに触れた。それは、前枢機卿で現在は広範囲の性的虐待と不適切行為で裁かれている前司祭であるセオドア・マカリックと、ペンシルバニア州大陪審報告で性的虐待問題への対応が批判されワシントン教区長を辞任したドナルド・ワール枢機卿で、「大統領執務室に2人を連れて行ったのは私だ。ワシントン教区長の枢機卿が新任の大統領に会うのは慣例になっており、ワール枢機卿がそうだったが、マカリックと2人でトランプ大統領に会うことを希望した。私が大統領の日程にそれを入れる立場にあり、2人を執務室で大統領に合わせ、大統領が彼らにあいさつし、1時間ほど歓談した」という。

   *バチカンと中国の合意批判ー1億のカトリック信者裏切る行為、暫定合意公表せずは国際条約違反

 中国問題について、バノン氏は、教皇フランシスコが道を誤っている、と強調。「教皇と国務長官は、中国共産党と合意に署名したのだ。中国共産党は中国国民ではない… 中国共産党は習近平・国家主席とその取り巻きの過激な構造を持っている、統制を最優先する全体主義独裁体制であり、宗教の破壊を基本としている」と警告し、「この合意には、バチカンと中国共産党の完全な外交関係樹立の狙いがある-香港を、台湾を、1億人のカトリック信者を 裏切る行為だ。そのようなことはできない」と強く批判した。

 そして、昨年9月に署名された中国国内の司教たちの選任についての暫定合意の具体的内容が未だに公表されていないことに不満を表明し、「外交関係に関するウィーン条約」の署名者として、外交関係において密約を禁じた条約の規定を守る義務がある、と指摘した。

 バノン氏は、国外追放されている中国の資産家の支援を受けて、一億ドルの基金で「法の支配」を設立し、基金をバチカンが合意の全容を明らかにする求める訴訟の資金に充当することを明らかにした。「彼らは外交上の密約を禁止した国際条約の署名者だ。彼らが署名した内容を守れないのは、きわめて明白だ」と言明し、本来、「訴訟」よりも「説得」が望ましいが、(注:説得が利かないなら)裁判は、国連本部のあるニューヨークで起こすことになるだろう、と述べた。

 

   *「大衆迎合主義批判」を批判

 世界の政治における大衆迎合主義の風潮の高まりー米国のトランプからイタリアのマッテオ・サルビーニ、ブラジル新大統領のジャイール・メシアス・ボルソナーロに代表される-については、教皇は非難をやめるべきだ、と主張。「教皇と彼の取り巻きの人々がしていることは、悪い奴らだ、と決めつけることだ。こうしたことから、全ての問題が起きてくる。災難をもたらすだけだ。やめなければならないと思う」と語った。

 最後にバノン氏は、以前から、自身の前のボスであるトランプ大統領と教皇フランシスコにある共通点があると思っていた、とし、「彼とトランプは同じレベルにある… 彼は毎日、ニュースを発信し、とても世事に長けている。どのようにしたらヘッドラインを飾ることができるかを、とてもよくわきまえている。彼らはとても似ている…ミツアナグマ(注:「見かけに比べて男らしい」か?)だ。

 そしてフランシスコは「闘士だ。たくさんのことでとても感動している」と最後に高い評価を述べた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。Cruxのニュースはグーグルで「Crux」と検索するとご覧になれます。

 

 

 

 

2019年4月2日

・教皇、モロッコ訪問の最後に、ラバトで1万人ミサ

(2019.3.31 バチカン放送)

 教皇フランシスコは31日、モロッコ訪問の最後の行事として、首都ラバトでミサを捧げられた。ミサ後、ラバト=サレ空港での送別式の後、ローマに向け特別機で発たれた。

 モロッコ訪問初日の30日に、ムハンマド6世国王をはじめ同国の各界要人や、イスラム教関係者との出会いと対話を持たれた教皇は、訪問2日目の31日、モロッコのカトリック共同体との触れ合いをテーマとされ、午前、女子修道会が運営する農村社会福祉センターを訪問、さらにラバトのカテドラルでカトリック司祭・修道者との集いに出席された後、午後に最後の公式行事として、ラバト市内のスポーツ施設でミサを司式された。

 複合スポーツ施設、スタッド・ムーレイ・アブドゥラには、モロッコ全土から、60カ国を出身とする、約1万人の信者たちが集まり、スペイン語で行われたミサの説教で教皇は、ルカ福音書の放蕩息子のたとえを観想しつつ、キリスト者が進むべき道を示された。

 たとえ話の中で、放蕩息子の帰還を喜び、祝祭の準備をする父を前に、怒りと不満を感じ、「私のものは全部お前のものだ」(ルカ福音書15章31節)という父の言葉にもかかわらず、弟の帰りを共に喜ぶことができない兄の態度に注目され、「父のこの言葉は、物質的なことだけでなく、自分の愛と憐みに加わるように、との招きであり、これこそがキリスト教の最も大きな豊かさであり、遺産なのです」と語られた。

 さらに教皇は「放蕩息子の帰還を喜ぶ父の愛を共にし、敵意を持たず、兄弟として生きることで、自分たちの共同体をオアシスとすることができます」と話され、家の入口ですれ違う「惨めさを体験した息子の帰還を祝う父の愛」と「父のその憐みと赦しに一種の裏切りを感じる兄の気持」の双方を見つめた教皇は、「二つの心の衝突と分裂は私たちの社会、共同体、そして自分自身の心の中に見られるもの」と指摘された。

 最後に教皇は、イエスがこのたとえ話を通して「父の心を観想するよう招いておられます」と述べ、「その父の心を知ってこそ、私たちは互いを兄弟として毎日発見することができるのです」と説かれた。

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*教皇のミサ中の説教の公式発表(後半の挨拶を除く)の全文英訳は以下の通り

HOLY MASS HOMILY OF THE HOLY FATHER FRANCIS Prince Moulay Abdellah Sports Complex (Rabat) Sunday, 31 March 2019


 

“When he was still far away, his father saw him, took pity on him, ran to meet him, threw him around his neck and kissed him” ( Lk15:20).

Thus the Gospel places us in the heart of the parable that manifests the attitude of the father in seeing his son return: shaken in the bowels he does not wait for him to come home but surprises him by running towards him. An expected and desired child. A father moved to see him return.

But that wasn’t the only time the Father started running. His joy would be incomplete without the other child’s presence. For this reason he also goes out to meet him to invite him to participate in the feast (see v. 28). However, it seems that the eldest son did not like the welcome parties; he cannot bear the joy of his father and does not recognize his brother’s return: “that son of yours,” he says (v. 30). For him his brother continues to be lost, because he had already lost him in his heart.

In his inability to attend the party, he not only does not recognize his brother, but neither does he recognize his father. He prefers being an orphan to fraternity, isolation at the meeting, bitterness at the party. Not only does he struggle to understand and forgive his brother, he cannot even accept having a father who can forgive, willing to wait and watch so that no one is left out, in short, a father capable of feeling compassion.

On the threshold of that house the mystery of our humanity seems to manifest itself: on the one hand there was the feast for the rediscovered son and, on the other, a certain feeling of betrayal and indignation at the fact that he was celebrating his return. On the one hand, hospitality for the one who had experienced misery and pain, who had even come to smell and desire to eat what the pigs ate; on the other hand, irritation and anger at making space for those who were not worthy or deserved such an embrace.

Thus, once again the tension that exists between our people and in our communities emerges, and even within ourselves. A tension that, starting from Cain and Abel, lives in us and that we are called to face. Who has the right to remain among us, to have a place at our table and in our assemblies, in our concerns and occupations, in our squares and cities? It seems that the fratricidal question continues to resound: am I perhaps my brother’s keeper? (see Gen 4 : 9).

On the threshold of that house appear the divisions and the clashes, the aggressiveness and the conflicts that will always strike the doors of our great desires, of our struggles for fraternity and so that every person can already experience his condition and dignity as a son already.

But in turn, on the threshold of that house will shine with all clarity, without speculations or excuses that force him away, the desire of the Father: that all his children take part in his joy; that no one lives in non-human conditions like his youngest son, nor in his orphanness, isolation and bitterness like his eldest son. His heart wants all men to be saved and come to the knowledge of the truth ( 1 Tim 2: 4).

Certainly there are many circumstances that can fuel division and conflict; the situations that can lead us to clash and divide are undeniable. We can’t deny it. We are always threatened by the temptation to believe in hatred and revenge as legitimate ways to get justice quickly and effectively. But experience tells us that hatred, division and revenge only kill the soul of our people, poison our children’s hope, destroy and take away everything we love.

Therefore Jesus invites us to look and contemplate the heart of the Father. Only from here can we rediscover ourselves every day as brothers. Only starting from this broad horizon, able to help us overcome our myopic logic of division, we will be able to reach a gaze that does not claim to obscure or disprove our differences by seeking perhaps a forced unity or silent exclusion. Only if we are able every day to raise our eyes to heaven and say “Our Father” will we be able to enter into a dynamic that allows us to look and dare not live as enemies, but as brothers.

“All that is mine is yours” ( Lk 15,31), says the father to the eldest son. And it does not refer only to material goods but to participate in his own love and compassion. This is the greatest legacy and wealth of the Christian. Because, instead of measuring or classifying ourselves according to a moral, social, ethnic or religious condition, we can recognize that there is another condition that no one can cancel or annihilate since it is a pure gift: the condition of loved, expected and celebrated children from the Father.

“All that is mine is yours”, even my capacity for compassion, the Father tells us. We do not fall into the temptation to reduce our belonging as children to a question of laws and prohibitions, duties and obligations. Our belonging and our mission will not come from voluntarism, legalism, relativism or integrism, but from believing people who will implore every day with humility and constancy: “come your Kingdom”.

The evangelical parable presents an open ending. We see the father praying to the eldest son to enter and participate in the feast of mercy. The Evangelist says nothing about the decision he made. Will it be added to the party? We can think that this open ending has the purpose that every community, each of us, can write it with his life, with his look and his attitude towards others. The Christian knows that there are many dwellings in the Father’s house, and only those who do not want to participate in his joy remain outside.

2019年4月1日

・教皇フランシスコ、モロッコ訪問ー国王とエルサレム平和共存の共同アピール

(2019.3.30 バチカン放送)

*モロッコの首都ラバトに到着

 教皇フランシスコは30日、ローマのフィウミチーノ空港から特別機で出発され、現地時間同日午後、モロッコの首都ラバトに到着された。空港では、ムハンマド6世国王が教皇を出迎え、民族衣装の少年少女が教皇に花束を贈った。

 歓迎式に臨んだ教皇は、続いて、空港の応接室で、デーツ(なつめやし)など、伝統のもてなしを受けられた。この後、公式の歓迎行事が行われるラバト市内の「ハッサンの塔」の広場に向かわれた。国王のオープンカーと、教皇のパパモービルが並走する中、沿道の市民たちは熱心に歓迎した。

*モロッコの各界代表らとの出会い

 教皇フランシスコは30日、首都ラバトで、公式の歓迎行事と、各界代表との出会いに出席された。

 公式の歓迎行事が行われた「ハッサンの塔」の広場では、各界要人の他、大勢の市民が教皇を歓迎した。国歌演奏や使節の紹介など、歓迎の儀式の後、教皇は広場に設けられた舞台で、モロッコ国民に向け、到着の挨拶をおくられた。

 この中で教皇は、美しい自然、古代文明の足跡、心を魅了する歴史に恵まれたモロッコを訪問した喜びを表され、ムハンマド6世国王の温かい招きに感謝を述べ、この訪問が「イスラム教とキリスト教の宗教間対話と相互理解を促す機会となる」ことへの期待を表明された。

 今から800年前の「アッシジの聖フランシスコと、スルタン、アル=マリク・アル=カーミルとの歴史的出会い」を思い起こされた教皇は、「過激主義や憎悪が分裂と破壊を生む世界にあって、出会い、手を伸べ合う勇気は、平和と調和への道です」と語られ、「アフリカとヨーロッパの橋としての役割を持つこのモロッコの地から、より連帯ある世界、すべての人の豊かさと特徴を尊重した誠実で勇気ある対話の構築に、いっそうの努力を呼びかけたい」と述べられた。

 また、「より開かれ、多様化し、連帯に満ちた社会の構築のためには、対話の文化と協力的態度が大切」であり、この道をたゆまず進むことで「分裂と恐れの原因となる無理解と偏見を共に克服することができるでしょう」とされ、「真の対話における宗教的要素の重要性」を指摘されたうえで、「神への信仰は、相互の違いを尊重しつつ、一人ひとりの尊厳と権利を認め、兄弟として生き、善と愛と平和の価値を広めるよう招くもの」と強調された。

 教皇はまた、「良質な対話の中で、環境保護や、貧困撲滅、移民などの問題についても、考察を深めていく」ことを希望され、モロッコに神の祝福と保護を祈られた。

*教皇、ムハンマド6世国王とエルサレム巡る共同アピール

 教皇フランシスコは30日、訪問先のモロッコで首都ラバトの王宮に、ムハンマド6世国王を表敬訪問され、エルサレム巡る共同アピールを出された。

 共同アピールは、エルサレムの唯一性と聖性、人類と3つの唯一神教の信者たちのための共通の遺産、出会いの場所、平和的共存の象徴としての性質を認めるもの。このアピールを通し、教皇と国王は、エルサレムの多宗教的性格、霊的側面、文化的特徴を推進することを願った。

 

*イスラム教の研究所を訪問

 モロッコ滞在中の教皇フランシスコは30日、ムハンマド6世国王と共にラバト市内のイスラム教研究所を訪問され、関係者から温かい歓迎を受けられた。

 この訪問で、教皇はこの研究所の歴史や組織を説明するビデオをご覧になったほか、モロッコの宗教相の挨拶や、この研究所で学ぶヨーロッパとアフリカの学生の話しに耳を傾けられた。この研究所での出会いでは、ユダヤ教と、キリスト教、イスラム教の伝統音楽がオーケストラによって演奏された。

 ムハンマド6世研究所は、原理主義や暴力を抑え、イスラム教指導者と説教師の育成することを目的に、2015年に創立された。

2019年3月31日