・ 言論NPO設立17周年記念フォーラム 「代表制民主主義は信頼を回復できるのか」

(2018.11.22 言論NPO)

  言論NPO設立17周年記念フォーラム「代表制民主主義は信頼を回復できるのか」

 オープニングフォーラム 報告

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11月21日、言論NPOが設立17周年を迎えるにあたり、記念フォーラム(「東京会議」プレ企画)「代議制民主主義は信頼を回復できるか」が開催されました。
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冒頭、言論NPO代表の工藤泰志は、この3年間、民主主義に関して世界の400人近くの論者と議論を行い、その結果、日本や欧米が抱える最も大きな問題は「代表制民主主義が信頼を失った」ことにある強調。そうした中で、「世界の民主主義が信頼を取り戻し、より強靭なものにするために改革が必要な局面にある。私たち言論NPOもそのための作業を始めることを考えていて、今日がそのスタートだ」と語り、今回のフォーラムの開催の意義を語り、開会のあいさつを行いました。

日本・EUの世論調査結果から明らかになったのは、国民の民主主義への信頼低下

続いて、2018年9月に実施した「日本の民主主義に関する世論・有識者調査結果」から(11月21日公表)、工藤は、日本には民主主義に対し強い信頼がまだ残っている一方、政党に問題解決を期待できないという人が59%いるなど、政治に対する期待が低下していることを指摘。さらに、「国会」、「政府」、「メディア」には信頼を寄せておらず、自衛隊や警察、司法を信頼しているという結果に触れ、「私たちが選挙で参加し、政治家に課題解決を託しているという代表制民主主義の仕組みが、軒並み信頼を失っている」と分析しました。

こうした調査結果も踏まえながら工藤は、「市民が政治から退出しており、世界の民主主義は危機に直面していると判断した。ぜひ、みなさんにも一緒にこの問題を考えていただきたい」と呼びかけ、開会の挨拶を行いました。

工藤の発言を受け、ドミニック・レニエ氏(仏政治刷新新研究基金代表、パリ政治学院教授)が、ヨーロッパで実施した世論調査の結果の説明を行います。レニエ氏は、工藤の発言に賛同するとともに、EUにおける世論の政党への信頼が18%しかないことを紹介。さらに日本の調査結果と同様に、EUでも「軍」や「警察」への信頼が高く、議会への信頼があまりないこと、さらに伝統的メディアへの信頼も危機的で、「25カ国のうちの4カ国でしか、メディアに対する信頼が50%を超えていない」との現状を説明しました。

加えて、国民の大部分は、政治家が腐敗していると考えていること、独裁者によって国を率いてほしいと考える国民が一定数存在することに言及し、「ヨーロッパの民主主義国家はかなり深い問題を抱えている」と断じました。また、こうした問題は調査結果からだけではなく、イギリスのブレグジットでの国民投票や選挙の投票結果でも現れているとし、問題が様々な場面で表面化していることを強調しました。

国会や政党と国民の間にある溝を、どのように埋めればいいのか

レニエ氏の発言を受け工藤は、世論調査の中で、「日本に強い政治リーダーを求めるか」という設問で、国民の20.4%が「自国の経済や社会がより発展するのであれば、多少非民主的でも強いリーダーシップを持っても構わない」と回答したことに言及し、国内でもリーダーシップをより求めていることは、民主主義を考えていく上での重要な課題だと補足しました。

さらに工藤は、政党と国民の代表であるべき国会が市民の支持を得ていないことについてどのように考えればよいのか、と問いかけました。

遅れて登壇した衆議院議員の石破茂氏は、「政党が信頼されていない」という調査分析結果に同調。世論調査の設問について、「政治家が有権者を信頼しているか」という逆の問いも有り得るのではないかと指摘。政治家の中でも、「どうせ難しいことを言っても国民は理解してくれないのだから、この程度の国民に対してこの程度の政治家でよいだろう、というのは絶対に言ってはならない。国民は忙しいのだから、わかりやすく様々なことを表現することが仕事だ」と、政治家の持つ説明責任の重要性を訴えました。

他方、国民にも自らが為政者という自覚がなければ主権国家とはならないと、国民に対しても当事者意識を持つことの必要性を説きました。さらに石破氏は、自衛隊への信頼が高まっている現状についても「極めて信頼が高いことはよいが、これまで自衛隊に対する文民統制の議論が突き詰められたことはない。民主主義と実力組織の関係はよく考えないと、もう一度(第二次世界大戦と)同じことが起こる可能性がある」と、手放しの自衛隊への信頼への問題点も指摘しました。

ギデオン・ラックマン氏(フィナンシャル・タイムズ・チーフ・フォーリン・コメンテーター)も、ジャーナリストの立場から政党への信頼の失墜について話します。「西洋やアジアの民主主義国をみると、伝統的な政治家ではない人々やアウトサイダーに訴えかける人に票がいくことが多くなった。政党はやはりそれなりの規律の中で動かなければならず、そうした規律に縛られて動いていることが国民からみると不誠実に見られることがあるのではないか」と、フランスのマクロン大統領やアメリカのトランプ大統領を例示しながら語りました。

ここまでの議論を受けて、工藤は「今回の日欧の世論調査に共通する傾向は、市民と政党に乖離があることだ。つまり政党が市民のために動いていないとなると、そもそも政党の存在意義は何なのか」と代表制民主主義をとる上での根本的な問いを提示。さらに、政党が極端な民意を利用して地位を得る傾向が、日本のみならずヨーロッパにも見られると分析。このような現状を立て直すことは難しいのか、パネリスト諸氏に問いかけました。

「難問だ」と応答したのはレニエ氏です。「全ての政党が危機にあるということは正しい認識ではない。もっともヨーロッパを見ると、明らかにポピュリストは台頭していることは事実であり、一般国民と政治家との乖離は、今に始まったことではない」と、ヨーロッパに関する自らの見解を主張。また、政府としては一般国民と理性的な議論をすることが難しい時代になったと指摘。このような時代では、共通の利益がどこにあるのかを見定めることは難しいのではないかと分析しました。

工藤は、石破氏が所属する自民党について、様々な人々から支持を受けているのか、それとも棄権する人々が多いために相対的に支持基盤を獲得できているにすぎないのかを問いかけました。

石破氏は「国政選挙の投票率は50%程度しかない。そして50%の得票率で当選できるということは、25%の積極的支持で、70%以上の議席を獲得してしまっている。したがって、当然民意との乖離は生じてしまう」と、選挙制度の構造的な部分に原因があることを指摘しました。

また、日本の両院制は両院が同様の権限をもってしまっていることにも触れ、「同じようなものが二つあって意味があるのか」と、少数意見を尊重できない現行の両院システムに異議を唱えました。また、自らの自民党総裁選出馬経験を踏まえ、本来であれば総裁選に勝利した安倍総理が、石破氏を支持した45%の議員の意見を取り入れなければ次回の選挙では辛酸を舐めることになる可能性が高いが、野党がバラバラである現状では負けることはないだろうと、日本の政治構造そのものにも疑問を投げかけました。

議会は行政の追認機関にすぎなくなってしまったのか

ここで工藤は、日本にあるような与党審査制度がヨーロッパ諸国にも存在するのか問いました。ラックマン氏は、「一般的にはそのようなことに基づいている」と回答。さらに、国民が政党に対して信頼をしていないのはなぜかという問いに関して、「フランスの国民戦線やトランプ大統領の出現に代表される社会の分断の中で、政党は社会を代表できていないと考えられているのかもしれない。亀裂を代表できている党が現れれば、人々は国会や政党に信頼を寄せるのではないか」と語りました。

工藤は、国会の信頼度が低いことに関してどう捉えるのか。また、「日本には与党審査という制度があり、その中で揉まれている問題に国民はあまり触れられない」と、与党審査の抱える問題についても問題提起すると、石破氏が答えます。「与党審査があるのだから、与党は政府を持ち上げるような質問はしなくてもよいのではないか。また、野党もバラバラに質問するのではなく、どこに国民の興味があるのかを把握し、本質的な議論をする必要がある」と指摘。また、小泉政権時代の有事法制についての長期間の野党との議論と調整の末、二党を除いて合意を結べた経験を振り返りながら、「よりよい議論の一致を見出すのが議会の役割。国会は追認機関なのであれば意味がない」と力強く主張しました。

石破氏の発言を受け、工藤は「党議拘束と与党審査をやめるのは無理なのか」と問うと、「与党が運営する政府で与党審査をやめたら意味がない」とは石破氏。また、党議拘束については、全てに党議拘束をかけるわけではないと指摘。実際に過去にも、脳死など死生観に関わる事柄については党議拘束を外したことがあると語る石破氏でした。

 

正確な情報を提供し、政府批判を恐れないことがメディアにとって重要な役割

次に工藤は、「メディアはインフラとしての機能を果たせていないのではないか」という問題意識を提示。ラックマン氏は、トランプ大統領の登場に懸念を示します。「彼は、メディア攻撃、不信感醸成を正当化している。アメリカでは報道の自由が確立されているので多分メディアは生き残るが、世界中のメディア叩きを助長しているのは事実だ。その結果、世界で投獄されている記者数は記録的だ」と語りました。また、報道に対して過剰に批判的になることにも問題意識を示し、「民主主義の抱える問題にはメディアへの攻撃も含まれているからだ」と語るラックマン氏でした。

「メディアに対する攻撃がある」という点について理解を示しつつ、工藤は最後に、一方でフェイクニュースの問題に世界の既存のメディアがどのように取り組めばよいのか、と問いかけました。

「諸外国と日本だと状況は違うと思うが」と前置きしつつも、「日本だとメディアと権力が癒着すると社会が滅びるということは間違いない」と断言するのは石破氏です。「(第二次世界大戦)当時は大政翼賛会しかメディアがなく正確な情報がないために、実に都合がよいストーリーしかなかった。いかにして正確な情報を提供し、政府の批判を恐れないかということが重要だ」と、戦時中を振り返りつつメディアの持つ役割の重要性を提示しました。

また、近年のメディアについて、各々の論調がはっきりしていると指摘。「ただ、市民は普通一種類の新聞しか読まない。それでは一つの論調に市民の意見が固まってしまいよくない。メディアは自分とは違う立場についても紹介すべきだが、商業ジャーナリズムの下では困難だ」と、現代メディアが抱える役割とそれを果たす困難についても言及しました。

今回の議論を振り返った工藤は、「当初の期待よりも何十倍も高いレベルの議論ができた。この議論を後のセッションへ引き継ぎたい」と議論の満足感を示し、オープニングフォーラムは終了しました。

第1セッション「代議制民主主義の危機をどう見るか」報告

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スピードと効率性に欠ける民主主義

「代議制民主主義の危機をどう見るか」をテーマに行われた第一セッションには、欧州から元国会議員二人を含む4人とアジアから2人が参加しました。

司会を務めた工藤は、最初から出席者に単刀直入に聞きました。「なぜ、代議制民主主義は信頼を失っているのか、何が問題なのか」。これに、イタリアのゴジ氏は、「伝統的政治が、国民の新たなニーズに答えられていないのが最大の問題だ」と語ります。「伝統的議論の規範には、理性や統計が必要だが、それが機能しておらず、逆に人々の感情や心に訴えるようになっている」と大衆迎合になりがちな政治の状況を説明しました。さらに、「各地で台頭しているポピュリズムを捉えきれなかったメディアも危機を迎えている。さらに、ソーシャルメディアの管理の仕方も理解されておらず、イタリアの”五つ星運動”はソーシャルネットでできた要素が高い」と分析しました。

さらにゴジ氏は、今の自由民主主義を、プロセスにおいて①意思決定のスピードが足りず、②効率性が悪いのに満足できないために、非自由な強いリーダーを選んでしまうと説明。民主主義を回復するためには、この2点を解消しなければならないが、そのメッセージを伝えるシステムができていないと、民主主義の弱点を指摘しました。この見方を補足するように、イギリスのEU離脱を”BREXIT”と命名したことで知られる元下院議員のマクシェーン氏は、「代議士は5分、有権者に接触しないと民主主義は失われると言うが、民主主義は今、”赤ん坊の時代”なのかもしれない。議論する場で直接、顔を合わせてきちんと議論し、選挙区に帰っても議論しなければいけない」と、民主主義のあり方の初歩を議員が忘れているから、国民感情を受け入れることができない、と話します。

民主主義の危機が言われるようになって、それと反比例するようにポピュリズムが台頭してきました。しかし、フランスの政治学者、レニエ氏は、「ポピュリズムを短く定義すれば、人々の求めに応えることで、今のそれは、ポピュリズムではない。移民など新しい問題が出てきて、文化の衝突や統合の問題などが重なり、移民はイヤだ、となって、そこにポピュリズムが入り込んできた。新聞など民主主義のツール(道具)も、今では役に立たなくなっている」と説明。

イギリスメディアで活躍するラックマン氏は、「トランプ大統領は、人々が求めるものを与えようとしている。この姿勢は、いつか問題となって、彼自身に跳ね返ってくるだろう」とトランプ大統領の将来を予測しました。

有権者の気持ちを代弁しているか ――政治家の約束と結果

課題解決が仕事のはずの政治家が信頼を失えば、国民はどこへ行けばいいのか。フィリピンのマルコス独裁体制を批判して暗殺されたベニグノ・アキノ氏を叔父に持つバム・アキノ氏は、「その前の政権がやるべきことをやってこなかったから、独裁者と呼ばれるドゥテルテ大統領が選ばれたのだ。彼は、約束したことをやらなければいけない。人々は結果を見たいのだ」と、政治家の”約束”と”結果”の大事さを強調。ドゥテルテ氏は”約束”を果たすべき、より強いリーダーシップが求められて大統領になったのであり、独裁者とは違う、との見方を示しました。

そしてアキノ氏は、「代議制民主主義とは、私たちの気持ちを代弁してくれるもの。私たちの求めるものを反映するべく選ばれた人たちであって、少数派の利益ではなく、過半数の利益になることをすべきだ」と、上院議員として、地元で貧困問題に取り組んでいる政治家らしく述べるのでした。さらにアキノ氏は、「政治家が約束を果たしていれば問題はないが、代議制民主主義の危機の背後にあるのは、誰がどこを代表しているのか」と指摘。

フィリピンは過去7年、経済成長してきたものの、貧困率は下がっておらず、経済格差が大きくなっている。こうした状況下で、「政治家が信頼を失っているのは、一握りの人たちだけが繁栄して、自分たちはダメだ、と思わせるから。人々が独裁者を好むようになるのは、この格差に問題があるからだ」と力を込めて語るアキノ氏でした。

アジアからもう一人、イェニー・ワヒド氏は、インドネシアのワヒド元大統領の次女で、ダボス会議を主催する世界経済フォーラムからヤング・グローバル・リーダーの一人に選出されたこともあります。「男性は、女性のニーズを理解できるのだろうか。女性の代議員がもっと増え、女性のニーズを推し進めてほしい。それだけでなく、地域や民族のグループの声を反映させていけば、その存在を代表し、それが全体としての代表になっていくのだ」と、多民族国家であり、成熟した欧州民主主義国とは違う、まだまだ若い新興民主主義国家の一員として、また女性の立場から発言します。

社会の分断への対処は

一方、アメリカの中間選挙では、社会の分断が指摘され、トランプ大統領はそれを選挙で利用していたとも言われました。工藤が問います。「ポピュリズム、ナショナリズム、排外主義などが飛び出し、第二のトランプと呼ばれる人も出てきた。こうしたストロング・マンが民主主義の枠組みを攻撃している。こうした分断をどうやったら解消できるのか」。

ゴジ氏は、「国益とネオ・ナショナリズム(右派ポピュリズム、反グローバリゼーションなど)は別だ。決して同等ではなく、ネオナショナリズムは外の敵を必要とするが、ネオナショナリズムが国益を促進することはない」と一国主義、保護主義に警鐘を鳴らします。さらに、「民主主義とグローバリゼーションは一つのジレンマでもあり、その間には新しいバランスが必要だ」と、今後の議論の課題を指摘します。この言葉にアキノ氏は、「ポピュリストたちは約束を守れないだろう。約束したことが、あまりにも大きすぎるからだ」と付け加えました。

マクシェーン氏は、「マレーシアでは、マハティール氏が93歳で首相に返り咲いた。人材不足かもしれないが、民主主義に代わるものはない。民主主義を放棄したら何もなくなる。これからはチェック・アンド・バランスが必要で、民主主義の危機とは言わないでほしい」と、世界の民主主義の現状に望みをつなぎ、民主主義の未来を信じるようでした。

答えが見えそうな議論

「司会者の発言が少ないのは、いい議論が続いた証拠」と言う工藤は、活発な意見交換を終えて、「適切な論点が多くあった。代議員は必要なのか、彼らは課題解決に取り組んでいるのか、公正であるのか。また、民主主義の意思決定のプロセスとスピードが問題になったが、これらを解決するには、議会だけではダメなのではないか。どうしたら政治や議会は、国民の信頼を回復できるのか、私は答えが出そうな予感がしてる」と、様々な意見が飛び出したことに満足そうに話し、第二セッションに移りました。

第2セッション「民主主義への信頼をどう取り戻すのか」報告

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続く第2セッションでは、言論NPO理事を務める近藤誠一氏(近藤文化・外交研究所代表)に司会を交代し、「民主主義への信頼をどう取り戻すのか」をテーマに議論を行いました。

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この第2セッションでは、第1セッションから引き続きの参加となるマクシェーン氏とゴジ氏に加え、アジアの民主主義国からハッサン・ウィラユダ氏(元インドネシア外務大臣)が参加。日本からは、大橋光夫氏(昭和電工株式会社最高顧問)、藤崎一郎氏(日米協会会長、元駐米大使)の2人の言論NPOアドバイザリーボードメンバーが参加しました。

まず、司会の近藤氏が「第1セッションで浮き彫りとなった代表制民主主義の危機を乗り越えるため、今何をすべきなのか」と問題提起。各氏にその処方箋を求めました。

民主主義を機能させるため、一人ひとりが考えるべき

これに対しマクシェーン氏は、代表制民主主義によって全ての人が満足できるような結論を出すことは不可能であるとした上で、それでも代表制民主主義によって出された結論に意味があるのは、代表者たる議員たちが「議論を尽くした末に下した結論」だからこそであると指摘。住民投票のような直接民主主義は、スイスのような成功例はあるとしつつも、往々にして「YesかNoかのボタンを押すだけで愚かな結論を下すことになりがち」と警鐘を鳴らしながら、暗にイギリスのEU離脱の是非を問う国民投票を批判。代表制民主主義に対する人々の不満に対しては、「結局、文句を言わずに民主主義が機能するように自分たちで組み立てていくしかない」と説きました。

さらに、選挙制度のあり方についても同様の視点から、「虹の向こうにいる誰かが完全な制度をプレゼントしてくれるわけではない」とし、自ら模索してい くべきだと語りました。

 

新たな課題から生まれる新たな運動を民主主義の活性化につなげていく

ゴジ氏は、国民の政治運動や政党の活性化の必要性に言及。現代の多くの国々で見られる現象として、旧来的な「右」と「左」の分断ではなく、「都市と地方」や「高齢者と若者」など様々な領域での分断が進んでいるとしつつも、そうした新しい課題から新しい運動が生まれると指摘。また、水の確保や気候変動などの新たな課題も新しい運動の端緒になるとし、こうしたことに活性化の好機を見出していくべきと主張しました。

一方で、そうした政治運動や政党は「人々の感情に寄り添い、希望を高めるような成果を出すことにこだわるべき」とも語り、そのためにはしばしば民主主義の欠点と指摘される効率性とスピードを意識することも重要であると留保を付けました。

選挙過程だけでなく、行政も不断の見直しが必要

ウィラユダ氏は、「選挙を通じて自らを改善させることができる点が民主主義の強みだ」とした上で、民主主義は”最終形態”に向けての進化の最中にあるのだから、多少の問題が起きても動揺せず、辛抱強く改善に取り組んでいくべきと訴えました。

一方で、民主主義が機能していないと思われることの要因としては、民主主義によって選ばれた政治部門が国民に福利をもたらすことができていないことがあると指摘。それは議会だけの問題ではなく、行政にも問題があるとし、一例としてインドネシアでは汚職を捜査・起訴し、政府を監視することなどを任務とする「汚職撲滅委員会」が国民の中で最も信頼度が高い機関となっていることを紹介。選挙過程だけでなく行政過程の透明化も民主主義に対する信頼回復のためには不可欠であるとの視点を提示しました。

「3つのC」

藤崎氏は、EU離脱に関する国民投票とそれに伴う混乱を踏まえ、選挙で選ばれた代表が長期的な視野に立って討議し、決定することの重要性を再確認したとしつつ、日本の選挙をめぐる問題点を提示。立候補の自由はあるものの、実際には世襲議員や官僚出身者などの候補者が多く、「地盤」、「看板」、「鞄」がない人はなかなか選挙に出馬できない現状を指摘した上で、こうした現状をchangeし、challenge しようとする人にchanceを与えるべきとする「3つのC」を提唱。そのためには、現行小選挙区制の見直しや、イギリス型の落下傘候補の一般化などが検討に値するとしました。

さらに藤崎氏は、そうして選挙をくぐり抜けた政治家の意識の問題にも言及。「ゴルフの時ですら議員バッジをつけているような人がいる」とし、こうした見え隠れする特権意識をどう考えるかという視点も提示しました。

 

まず、教育から問い直すべき

大橋氏は、民主主義に関する制度の問題ではなく、人間教育の観点から問題提起。まず、日本社会の特質として「宗教や人種に対して比較的寛容であること」や「調和を重んじること」を挙げ、こうした姿勢が民主主義に不可欠であると論及。また、イギリスの政治学者A.D.リンゼイが民主主義を維持していくためには、自らの意見と不一致な意見も真摯に傾聴すべきと述べていたことや、天才物理学者アインシュタインの「人間にとって最も大切な努力は、自分の行動の中に道徳を追求していくこと」などの格言を紹介。民主主義の不完全さを補うことができるのは人間の理性だけであるとし、その理性を身に付けるためには教育が重要であると主張。

「相手の話をきちんと聞くという習慣を身に付けなければ寛容も身に付かない」、「憎悪によって分断を生まないような自己抑制をできるようにすべき」などとしつつ、こうした姿勢を小学校教育の段階から意識して習得するような教育改革を提言しました。

この寛容の精神の重要性については、ゴジ氏も社会が多様化していく中での不寛容の拡大が、分断につながっているとし、今後の民主主義を考えていく上では「寛容が重要なキーワードになると」と指摘。

ウィラユダ氏も多元的な社会で構成されるインドネシアでは、寛容とそのための対話が不可欠であると説明。さらに、世界各地でのポピュリズム勃興の背景には、エリート層に対する大衆の反発があるとし、この両者が対話することの必要性について語りました。

その後、会場からの質疑応答を経て、言論NPO設立17周年記念フォーラムのセッションは終了。議論は明日の「第4回アジア言論人会議」に続きます。

第4回アジア言論人会議 非公開会議 報告

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11月22日午前、ホテルオークラ東京にて、第4回アジア言論人会議「アジアや日本はどのような民主主義を目指すのか」の非公開会議が開催されました。冒頭には、午後の会議に向けて、アジアでの民主主義の現状について、本音の議論や問題意識の共有が展開されました。

構造的な格差とグローバリゼーションに伴う格差

まず、言論NPO代表の工藤泰志は、非公開会議の前の協議で取り上げられた貧富の格差の問題に着目。まず、「貧富の格差」には欧米でしばしば議論となっている構造的な問題とグローバリゼーションに伴う問題の二つがあり、後者が前者の問題を拡大していると指摘。日本では貧富の格差がアメリカほどは大きくはなく、政権も若者や女性に分配を進めようとしているが、それでもなお富の独占が起こっている現状を真剣に考えなければならないという問題意識を提示しました。また、国内における格差と世界全体が抱える構造的な格差を区別する必要があると、論点の整理を呼びかけました。

マレーシアから来日したパネリストは、2018年のマレーシアでの政権交代について、国民の経済への不満が反映していると分析。これまでの一党支配が国民と政治の乖離を促進したことから、新政権に国民のニーズに応えることが重要だと、新政権への期待を示します。もっとも経済活動の促進のためには、政府は国民以外にも企業からのニーズに応えなければならないという実態があるが、企業の要求に応えようとすると、国民の低賃金が前提の議論となってしまい、国民の要求に応えられなくなるという二律背反が課題だと語ります。

また、フィリピンのドゥテルテ大統領を例に挙げ、強権的であっても、貧富の格差という、構造的で短期的には解決が難しい問題を早急に解決するという要求を無視できない、と語るパネリストもいました。仮に国民からの要求に応えられず強権的政権が崩壊したとしても、国民からの要求に応えられるかが選挙での争点となると論じました。

フィリピンのパネリストは、即効性のある改革に向けた強権化のために自国が改憲によって大統領の任期延長を行おうとしていることに言及。しかし国民は経済構造の改革を求めており、政治が国民からの要求に相反していることを改革している事例として上げました。

マレーシアの別のパネリストは、経済格差はこれからも進むだろうと断言。その中で、「弱い国はその分だけ失うものが多い」として、マレーシアが食料自給率向上のために穀物の生産に向けて努力したが、食料品の輸入が止まらず頓挫した結果、一部の貧困層が一貫して残存し政府の対応が追いついていない現状を指摘。これからの政権は、農業や製造業などの衰退してしまった様々な産業や産業間格差に取り組まなければならないと主張しました。

続いて、インドネシアのパネリストはインドネシアの民主化について語りました。「基本的に順調」な民主化の下にも、所得格差は他国同様に存在すると分析。所得格差はグローバル化に基づく効率性向上の要求に関連しており、それによる犠牲者は政府にしか救えないと、政府の責任について言及。しかし、インドネシアは「一緒に貧困であればよい」という思想や、寡占による特権の悪用という根深い問題を抱えており、これらの問題の解決の必要性を強調しました。

さらに、別のインドネシアのパネリストは、インドネシアの民主主義と経済成長の関連について、政権の柱と選挙での争点がGDP成長率や貧困率の削減、通貨下落対策に置かれるなど、経済政策が世論を満足させるために利用されされている点を指摘。加えて、「ジョコ・ウィドド大統領に対しての支持率には世代差がある。ミレニアム世代をどう説得していくかが現政権の課題だ」と、政権支持に関する世代間格差についても言及しました。

民主主義を機能させる上でのメディアやインターネットの功罪

フィリピンのパネリストから、現代社会の持つ問題点について指摘がありました。「インターネットやSNSは誤解を生みやすい。民主主義を機能させるためには、顔を合わせて話をするという基本に立ち返る必要がある」と提案。

また、「アジアは多くの宗教の発祥地でもあり、平和やお互いを尊重するという価値観を培ってきた。この価値観を広げていくことが、ナショナリズムへの対抗になる」と、アジアならではの価値観の重要性を語りました。この見解に同意したフィリピンのパネリストからは、「民主主義とグローバル化のどちらかを選択するという二者択一ではなく、連立方程式を見出す必要があるが、これはアジアの私たち自身が作っていくものだ」とした上で、「強権政治からの離脱は今後様々な国で起きてくるだろう。その時に、公約を実現するという民主主義の価値観に応えなければならない」と、政治家が民主主義において公約を実現するという成果を出すことの重要性を強く訴えました。

ここで、工藤から「ナショナリズムは自国以外を批判して自分たちの支持を集めるパターンだったが、最近のアメリカでは、分断された世論を利用して、自分と異なる立場を攻撃し、支持を集めるという現象が出てきている。アジアにおける国内分断の問題は、考えなくても良いのだろうか」と、新たな論点が投げかけられました。

すると、フィリピンのパネリストから、国内における論争そのものが欠けているとの意見が出ました。その原因は、メディアにあると指摘。「SNSでは短い言葉で単純な発言が多く、反応も単純で、思考力が退廃している。また、最近のマスコミは、政策の掘り下げた分析はあまりせず、汚職問題ばかり報道する」と語りました。そして、この問題の解決のためには、国民も政治家も批判的な思考力を高める必要があるのではないかと提案しました。

加えて、他のフィリピンのパネリストが、SNSは武器のように使われていると指摘がなされ、さらに、フィリピンにおいては、資金力の高い政治家がTVCMを流し、メディア露出度の高い政治家が当選しやすいという現状があると分析し、メディアやインターネットを利用した功罪についても触れられました。

民主主義を確立するときに突き当たる障壁

一方、マレーシアのパネリストは、「国内においては単なるナショナリズムだけではなく、宗教の過激主義が問題になっている」と、宗教に関する問題を紹介。すると、「マレーシアでは、人種と宗教が絡み合って、差別が激化している」と、国内の現状を憂える声が出ました。その原因として、「これまでは、政府が宗教や民族に関する議論を抑えつけてきたが、民主主義や平等を打ち立てたら、議論の基礎がないという問題が生じた。また、政府が主流のメディアを通じて、きちんと政策の説明をしてこなかった」という問題点が挙げられました。その上で、「マレーシア政府は5年後には約束した成果を出さなければならない。少なくともマニフェストの8割は果たせないと国民の支持を失うだろう」と、国民との約束を果たす必要があるという、民主主義国家での政治家の責任が強調されました。

 

続いて、インドネシアのパネリストが、安全保障と表現の自由のどちらを取るかは大きな問題であるとの疑問が提起されました。これについては、各国によってバランスの取り方は違い、欧米の人権団体からやり方を批判されているが、欧米は移民問題もあり二重基準だろうとの指摘がなされ、「各国の状況に合った調整が大事だ」との意見が出されました。また、ナショナリズムとポピュリズムを区別する必要があるとの指摘に対しては、「ポピュリズムを防ぐためには普遍的な価値観を導入するしかないが、今のところそのような価値観がない。ポピュリズムの是正の解決策はまだないが、少なくとも、対話によって解決策を模索しないといけない。国境を超えた課題であれば多くの国が結集する共通の基盤が生まれるので、共通の利害を見出せるかが今後の課題だ」と、国境を超えた対話を形成することの必要性が提示されました。

これにインドネシアのパネリストから賛意が示された上で、「ナショナリズムが国を愛するという意味ならば肯定するべきものだろう。それに対して、ポピュリズムは一時的な押し戻し、エリート層に対する抗議である」と、両者を区別する際の定義を改めることが必要だと提案がなされました。

最後に、代表の工藤が、「今日は、民主主義の構造と新しい変化の問題など、本質的な問題についてかなり議論が深まった。こうした議論が普通にアジアのリーダー間で議論される環境ができればいいと思う」と、今日の議論に満足感を示すとともに、これからの議論のプラットフォーム作りに意欲を見せました。

一方で、イスラム過激派に拘束された日本人ジャーナリストを例に挙げながら、最近国境を超えた課題解決に携わっている人が肩身の狭い思いをする傾向が日本にあるという現状を憂えました。そのような現状の中でも、「民主主義が人々の権利や幸せに貢献していることを証明し続け、市民の支持を得て、競争力を増していくことが必要」であり、そのような大きな流れを作っていきたいとの決意を語りました。そして最後に、「皆さんがアジアの民主主義をけん引してほしい」と集ったアジア各国のリーダーたちに大きな期待を寄せ、非公開会議を締めくくりました。

セッション1「アジアの民主主義は信頼を取り戻せるのか」

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「アジアや日本はどのような民主主義を目指すのか」をテーマに言論NPOによる「第4回アジア言論人会議」は22日、都内のホテルで開催され、日本、フィリピン、マレーシア、インドネシアからの国会議員などが熱のこもった議論を展開しました。

言論NPOの日本の民主主義に関する世論調査では、3割を超える人が日本の将来を「今よりも悪くなる」と見ており、約6割の人が「政党」、「国会」、「政府」を信頼していないことが明らかになりました。また、強権的な指導者が人気を集めるポピュリズムが広まりつつあり、民主主義自体への懐疑的な見方が高まっている現状を政治の現場にいるパネリストはどう見ているのか、そしてアジアの民主主義が直面する課題を明らかにしようとするものです。

アジアの民主主義の発展で連携を

議論の前に、言論NPO代表の工藤泰志が挨拶に立ちました。「昨日の言論NPO設立17周年記念フォーラムで、私たちは、”民主主義は信頼を回復できるのか”と問題を提起し、世界の有識者と議論を重ねてきた。代表制民主主義が信頼を失い始めているのは、欧米でも共通した現象が見られ、民主主義は民意を代表しているのかと非難され、効率性を欠いている、とも言われている。さらに、スマートメディアの普及で、社会の断層は進んでいる、との声もある」との認識を示したうえで、今回のフォーラムで、アジアの民主主義の未来のために、人権や平等といった価値を守り、社会を発展させるには連携するしていくスタートにしたいと語りました。

次に元国連事務次長の明石康氏が挨拶を行いました。明石氏は、カンボジア内戦を経て、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の国連事務総長特別代表として1993年5月に国民議会選挙を実施し、同国再建の基礎を築いたその人です。明石氏は、「当時、カンボジア人によって国連が去った後に(選挙を)しなければと思っていたのだが、それだと何百年も掛かるかもしれないということで、UNTACが実施した」と当時を振り返りつつ、民主主義の重要性と共に、民主主義の導入の仕方についても、慎重に見極める必要性を強調しました。
そして、アジアと世界の変革が急速に進む中で、テーマを絞った議論、効果の高い議論が必要であり、今回の議論が、アジアの中でもこうした議論がなされるようなスタートになることへの期待を示し、挨拶に代えました。

当初、会議に出席予定だったマレーシアの下院議員、ヌルル・アンワール氏のビデオメッセージでは、「一党支配や権威主義傾向がある中で、アジアの人たちは勤勉であり、よりよい解決策を見出している。創造力のある市民の声を抑えてはいけない。アジアの国々は東からも西からも良いところを学び、多元的な見方ができるのが強みだ。日本からはインスピレーションをもらい、人と人との対話で、より強いアジアができる」と、言論NPOが始めたアジア言論人会議への期待を寄せました。

 

自国の民主主義を問われて ――行き過ぎた雑音が心配とも

第一セッションのテーマは「アジアの民主主義は信頼を取り戻せるのか」です。司会を務めた工藤はまず、日本、フィリピン、マレーシア、インドネシア各国の国会議員らに、「自分の国の民主主義に満足しているか、危機感を持っているか」と単刀直入に尋ねました。

インドネシアの元外相、ウィラユダ氏は、「生き生きとした活力ある民主主義でハッピーだ」と顔を綻ばせました。「32年間続き、発言の自由もなかったスハルト体制から脱却し、1998年に改革を決断。権威主義はもはやなく、人権擁護も改革の柱の一つだ。民主化は短期間で行われ、人口から見れば、インド、米国に次ぐ第三の民主大国ともてはやされた」と語りました。さらに、投票率は70~80%で、5%以上の経済成長率は更に成長が見込まれ、アメリカの投票率が下がっていることもあり、インドに次ぐ第二の民主大国になるかもしれない、と笑顔のウィラユダ氏。「自治権を与えられた地方の活力もある」と余裕を見せるのでした。

同国のワヒド元大統領の次女、イェニ―・ワヒド氏は、「インドネシアの人たちは、最も楽観的な人間」としながらも、「言論の自由が行き過ぎると、安定した権威主義的な時代がよかった、という人もいる」など、新たな民主主義がもたらすノイズが懸念を指摘します。しかし、全体的に見れば、「民主主義は最もいい仕組みで、かつ国内で穏健派が主流になってきたこともあり、イスラムの寛容の精神という価値観を守りつつ、今の軌道を楽観主義で歩んでいけば、将来、実を結ぶことになるだろう」と楽観的な見方を示しました。

強権的人物が選ばれたのは

工藤が次に指名したのは民主主義の中の強権的政治家、ストロングマンがいるフィリピンです。マルコス独裁体制を批判して暗殺されたベニグノ・アキノ氏を叔父に持つ上院議員のバム・アキノ氏は、「民主主義への信頼性は変わらず存在している」と語ります。ただ、民主主義にとって重要であるメディアについては、ソーシャルメディアの発展や、現在の国民の風潮から、既存メディアが国民の望むものを提供できず、メディア自身が危機に陥ってしまった結果、国民が強権的な人物を選んだのかもしれないと指摘。こうした状況を生み出さないためにも、「国民が努力して民主主義を守らなければいけない」と語ります。そして、「これまで公約も実現できていないのが、私たちが学んだ教訓であり、人間の尊厳を真ん中に置いた政権が必要となってくるだろう」と、次を見据えるかのようなアキノ氏でした。

ヴィラリン氏はフィリピンの野党の下院議員で、労働者の権利向上などに力を入れていることで知られています。「フィリピンの民主主義はワナにはまって、ドゥテルテ大統領に利用されているのではないか」と語り、民主主義の制度を使って制度を攻撃しているとの見解を示します。一方で、6.8%の経済成長があり繁栄する中でも、経済格差は拡大中で、大統領はこれに対応できていないと、野党議員らしい視点で語ります。さらに、「マルコス時代は終わり、自由競争の時代になったが、雇用とか正義とか課題はずっと無視されたままだ。金がある者の民主主義で、もっと市民の声を取り戻すべきだ」と、不満を口にするヴィラリン氏です。

マハティール首相は権威主義的?

今年5月の総選挙で下院議員に当選したマレーシアのチェン氏は、市民団体のリーダーとしてクリーンで公平な選挙を求めて活動を続けてきました。それが選挙で実を結んだ形になったチェン氏は、「今度は公約を果たさなければならない。新政権誕生前は、連合政権を作って汚職撲滅などを掲げ、貧困層のため経済を立て直そうと訴えてきたが、なかなか実現は難しそうだ」と、現実の厳しさを話します。

そうした中でも「ゆっくり手をつけながら、少しでも経済を変えていくために予算配分を考えつつ、財政の立て直しが大事だ」と、公約にじっくり取り組んでいく姿勢を示していました。これに補足するように発言したのはマレーシアの政府・政党関係者を手助けしてきたスフィアン氏で、「強権主義的な傾向を持ったマハティール首相が返り咲いたが、権威主義的な文化を改められるか、民主主義下のノイズに、どう対処していくか。時間がかかるかもしれないが、国民に背を向けられないようにしたい」と慎重に語りました。

日本が問われる、民主主義をいかに機能させるか

次は日本の国会議員の番です。まず、国民民主党代表の玉木雄一郎氏。「日本は完全な民主主義国で、それをどう機能させるか、どうアップデートさせるかが問われている」と現状を語ります。その上で、「政治家が誰を代表しているのかが重要で、日本の高齢化が進む中で、次の世代にいかに負担を残さないようにするか。

与野党談合して、現役世代で解決できるよう選挙で訴えていく必要がある」と意気込みを語ります。一方で、国民の代表が集まる国会については、国会での与野党のやり取りが、初めから終わりまでゲームのようなもので国民はシラけており、将来の問題を解決する機能を果たしているとは言えない。国会が機能するために国会をどうように変えていくのかが課題だと指摘しました。

一方、自民党の衆議院議員・小泉進次郎氏。「トランプ大統領のお陰で、民主主義の観点から言えば、今はチャンスだ。アメリカが統率力を失いつつある中で、法の支配や民主主義の価値を図るスタートが今、始まった」と語ります。

そして、「ポスト平成の民主主義をどう語るか。自由民主党というのはいい名前で、自由と民主という言葉は、前向きな響きがあるが、よく考えると個人の自由と多数の民主は、時々、衝突する。衝突を理解しながら、そこをうまく調和させてバランスを取って、国民の声を聞いて反映させる。民主主義とは何か、それを語るチャンスがきたのではないか」と指摘。

選挙制度が中選挙区から小選挙区になったことで、小選挙区では一対一で対決姿勢を見せなければならないが、日本が直面する課題については、「党派を超えた超党派で取り組まなければいけない。その難しさとジレンマを特に感じている」と自分に言い聞かせるような小泉氏でした。

人々の声を”聞く”プロジェクト

パネリスト全員の発言を踏まえて工藤は、「欧州では社会に断層ができて、民意と政党の乖離が出てきているが、政党は民意の代表になっているのか」と、問い掛けました。「私は、”聞く”というプロジェクトを始めた。人々に寄り添い、人々にとって何が重要なのか、一般市民に政党に入ってもらう仕組みを作った。ポピュリストが、人気があるのは、人々の問題を見つけるのがうまいからだ」と、明解に話すのはアキノ氏でした。

これに対しワヒド氏は、アジア特有の視点を持ち出しました。「多くの人は、欧米の民主主義をアジアに適用しようとするが、欧米とアジアでは政治の文化が違う。アジアではむしろ、コンセンサスを調和することで守るメカニズムが存在している。アジア独自の民主主義を形成する必要があり。それを社会に適応させていく必要がある」と語りました。

 

国会改革で与野党は一生、握手できない?

この意見に小泉氏は、「アジアのコンセンサス作りがすごく難しいのは、価値観が多様化しているからだ。一つのグループ内でも多様化していて、身動きできないこともある」と話しました。一方で、「民主的価値が弱体化していくのを目にして、野党がいるのも民主主義だ。野党がいることの価値を、もう一度、語る必要があるのではないか」と語ります。

 さらに、「今の国会の仕組みを続けていくと、与野党のやり取りはずっとショーになっていく。国会改革で何が難しいかというと、与野党が握手できないこと」と指摘。根本的改革を成し遂げるためには、成功体験を作ることで、山の頂に上るには、まず一歩を進めなければいけない、と与野党が課題解決に向けて協力する必要性を説きます。 こうした小泉氏の見解に対して、共に国会改革に力を入れている玉木氏は、「ペーパーレス化、一つできなかったら先に進めない。時々、政権交代できること、それが実のある改革につながる」と指摘。その上で、「まず野党の私たちが力をつけなければいけない。今後の党運営では、国民の声を聞くメカニズムが大切で、多様な民意をくみ上げる仕組みの再構築の能力が問われる」と話すのでした。

 

最後に工藤から、日本が直面する課題を解決していく中で、政治や政党の役割はどうなっていくのか、と投げかけれた小泉氏は、有権者と話をする中で、「きっと政治は何とかしてくれる」と思って、政治を頼ってくれる有権者が大勢いることを紹介。

その上で、「政治が国民を信じなければ、国民は政治を信じない。さらに、メディアを含めたいわゆる政治コミュニティが変わっていくことが大切ではないか」と語り、政治コミュニティの住人一人ひとりが、もう一度、民主主義や政治を考えていく必要性を指摘しました。

こうした議論を受けて工藤は、民主主義を考えていく上で、我々、有権者自身が問われている局面であるということを実感したと同時に、世界で始まっている民主主義を考えるという舞台を、きちんと日本にもつくっていく必要性を感じた。そのために、言論NPOは汗をかいてきたいと思う、と決意を表明し、第一セッションを締めくくりました。

セッション2 「アジアの民主主義の目指すべき姿とは」

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続く第2セッションでは、「アジアの民主主義の目指すべき姿とは」をテーマに議論を行いました。

この第2セッションでは、アジア各国のパネリストは第1セッションから引き続きの参加となり、日本からは小泉、玉木両議員に代わり、近藤誠一氏(近藤・文化外交研究所代表、元文化庁長官)と本名純氏(立命館大学国際関係学部教授)が新たに議論に加わりました。

第1セッションの議論で浮き彫りとなった民主主義の危機的状況を踏まえ、工藤は「民主主義の未来を守るため、我々民主主義国家は何をすべきか。そして、どのように連携すべきか」と各氏に問いかけました。

今こそ民主主義の優位性を証明する必要がある

ウィラユダ氏はまず、「非民主的な中国の国家運営が人々の生活水準を一気に引き上げたため、これを手本とする国が出始めている」とし、現在の民主主義国家は中国を中心とした権威主義国家との競争に直面していると指摘。そうした状況の中では、民主主義の高尚な理念をひたすら説いたところで逆に反発を生むだけであるため、「権威主義よりも民主主義の方が人々の生活をより良くすることができる」ということを証明することが大事だと主張しました。

各国の連携のあり方についても、民主主義に基づく生活改善の成功例・失敗例を共有すべきであるとし、自身が2008年に立ち上げた「バリ民主主義フォーラム」もそうした場になっていると説明。さらに、この「アジア言論人会議」も、各国が経験を持ち寄る場として最適であると高く評価しました。

その上でウィラユダ氏は、「バリ民主主義フォーラム」が「アジアにおける民主主義の普及」を目的として掲げていたにもかかわらず、むしろアジアの民主化が後退している現状を踏まえ、「民主主義は一歩進んで二歩下がるもの。大事なのは常に地域共通のアジェンダとし、連携を深め続けていくことだ」と現状を嘆かずに粘り強く取り組んでいくことの重要性を説きました。

 

「アジア型民主主義」に向けた連携を

アキノ氏はまず、民主主義を「振り子のように揺れ動くもの」と表現。政府に権限を集中しすぎたために汚職が頻発し、その対策として三権分立を進めたフィリピンの経験を振り返りつつ、このように「揺れ動く中で改善し続けるしかない」と語りました。

一方、自国の強権的なロドリゴ・ドゥテルテ大統領への向き合い方に関しては、政治家任せではなく国民各自が「自分がガバナンスの中心にいる」という自覚が必要であるとすると同時に、各国のネットワークを強め、その助けによって民主主義の基盤を固める必要があるとし、連携の必要性を強調しました。

もっとも、ここでいう民主主義とは欧米のモデルそのものではなく、「アジアに合うようにカスタマイズすべき」とも主張。例えば、欧米の裁判では弁護士の果たす役割は大きいが、フィリピンの貧困層ではなかなか弁護士に依頼できない現状を挙げ、基本的な枠組みは残しつつも、「民主主義にアジア独自の修正を加えるべき」との見解を述べ、そのためにもやはり各国の連携が必要と語りました。

 

求められるのは尊厳ある政治

これを受けて本名氏も、欧米型民主主義の限界が見える中、アジアの新しい民主主義モデルが登場し、「民主主義のサバイバルが始まる」と予測。ただ、そうした中でも不可欠なのは「dignity(尊厳)ある政治」や「寛容」であるとし、これをメインストリームとしていくためのネットワークをアジアで張りめぐらせる必要があると強調。それができなければ、ポピュリズムの言説に既存の政治が抵抗できず、やがて個人、とりわけマイノリティの尊厳が侵される悲劇を引き起こすと警鐘を鳴らしました。

その上で本名氏は、今回の「アジア言論人会議」に参加した日本・インドネシア・マレーシア・フィリピンの4カ国がいずれも島国ないし半島国家であり、アジア大陸、とりわけ中国との地理的距離感があることに着目。こうした共通の状況を有する4カ国が独自のネットワークを形成することの意義を提示しました。

ヴィラリン氏も、世界各地で人々の不安につけ込み、憎悪をかき立てるような政治が横行する状況の中では、人々の本当のニーズにきちんと共感した、尊厳ある政治が求められていると主張。

一方で、権威主義の特徴として男尊女卑が著しいことなど個人の尊厳を軽視することを指摘。その上で、今月のアメリカ中間選挙では女性当選者が過去最多となったり、全米初のLGBT(性的少数者)の州知事が誕生したことなどから、「人間の尊厳を侵す政治に対する反発は必ず起こる」とし、ここに民主主義の逆襲の目はあるとの認識を示しました。

そして、アジアではすでに各国議員で構成される人権擁護に関するネットワークがあることを紹介。こうしたネットワークを市民社会レベルでも構築していくべきと語りました。

 

「相互尊重」と「寛容」をいかに守るか

スフィアン氏は、マレー系、中華系、インド系などから構成される典型的な多民族国家であるマレーシアの経験を踏まえ、「相互尊重」と「寛容」を民主主義における重要理念として提示。そして、こうした価値を破壊しようとするポピュリストの言説にいかに対抗していくかが今後重要な課題となると語りつつ、そのためには法の支配を徹底することや、単なる多数派支配ではなく、少数派にも配慮した立憲民主主義の原点に立ち返ることの必要性を指摘。これは各国共通の課題である以上、やはり連携は不可欠であると述べました。

SNSに起因するリスクにどう対応すべきか

ワヒド氏は、「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)大国」であるインドネシアの視点から問題提起。SNSは閉じられた世界の中で、「自分の見たいものしか見ない」傾向を助長すると解説しつつ、それは政治的な意見に対しても同様であると指摘。自分とは異なる意見、特に対立する政党の意見に対しては目を向けようとしなくなるため、これが社会の分断や非寛容を生む要因になっていると分析。こうした問題は今後ますます民主主義にとって大きなリスクになっていくと予測しつつ、各国共通の課題であると語りました。

日本が果たすべき役割

次に工藤は、民主主義を守るため、日本は何をすべきか、アジア各国は日本にどのような期待をしているのかを尋ねました。

近藤氏はまず、民主主義を車、国民を運転手に喩え、「国民が適切に民主主義を運転できなければ事故を起こしてしまう」とし、国民の意識改革や教育の重要性について論究。その上で、日本の民主主義の状況について、欧米のような深刻な危機には至っていないとの認識を示しつつ、アキノ氏が言うところの「振り子」が振れすぎないように専心する必要があると指摘。民主主義の高尚な理念を上から目線で説くことよりも、安定的に民主主義を「運転」している姿を、アジアの若い民主主義国家に見せていくことこそが日本の役割であると語りました。

ワヒド氏は、混乱の最中にある国にとっては手本となる国が必要であり、アジア各国にとってはそれがまさに日本であるとし、ウィラユダ氏もこれまでアジア各国の民主主義国家は連携に消極的であったが、現下の危機にあたっては「民主主義のベテラン」である日本の果たす役割は大きいと期待を寄せました。

スフィアン氏は、海上安全保障や気候変動など、日本がすでに様々な分野で進めている「能力構築支援(キャパシティ・ビルディング)」に言及し、これを民主主義分野でも進めていくことに期待を寄せました。すでに欧米の財団などから様々な支援はあると紹介しつつも、「欧米のアドバイスよりは、同じアジアの国である日本のアドバイスの方が受け入れやすい」とアジアという枠内での協力関係構築の意義を強調しました。

議論を受けて最後に工藤は、「民主主義の価値を守るためこれからも汗をかいていきたい」と今後に向けた抱負を述べつつ、前日の「言論NPO設立17周年記念フォーラム」と合わせて2日間にわたる民主主義対話を締めくくりました。

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2018年11月23日