(2018.12.27 Crux Rome bureau chief Inés San Martín
「私が教皇職にある期間は短いでしょう」と言った人の割に、教皇フランシスコは、ペトロの後継者として7年目の今年の初めから、テンポを落とす兆しを見せていない。
多くの点で、2018年は、今月19日で82歳となったアルゼンチン生まれの教皇にとって、激動の年となった-バチカン改革、聖職者の性的虐待による危機、世界的な規模をもつカトリック教会と中国の歴史的な政府間合意など、多くの骨の折れる戦いに取り組んだ。
教皇の数々の言動は、2018年にいくつもの衝撃波を起こし、終わることがなかった。移民・難民、人身売買、死刑、そして教会で若者と女性の役割を高めることへの要請について人々に語る機会も、数えきれないほどあった。
日々の朝のミサ、毎週の一般謁見、日曜日の相互の祈り、外国訪問、一冊の本になる長いインタビュー、イタリア内外でのスピーチなどなど…2018年を通じて、一つのことが明確であり続けた-2013年に世界を震わせたラテン・アメリカの竜巻は、インターネットを騒がし続けることはなくなったかもしれないが、勢いが衰える兆しをお見せになってはいないのだ。
*移民・難民問題に微妙な姿勢の変化
イタリア移民の出で、アルゼンチン出身で、自身を「移民の波のカクテル」と定義づけたフランシスコは、移民・難民への関心を教皇就任当初から赤らかにしていた。以来、彼は欧州各地の教会、修道院に、少なくとも移民・難民ひと家族を受け入れるように求め、バチカンの壁の内側の二つの教会でも同様のことをし、ギリシャのレスボス島から帰国する際、ご自分の専用機に、イタリアに亡命を希望するシリア難民を乗せて運ぶこともされた。
しかし、3月のイタリアの国政選挙の結果、右左両派の政党が連立政権を作った後、2018年は、教皇のそれまでのような大々的な振る舞いは影を潜め、代わりに、移民・難民に関するご自身の教えの核心-移民・難民を歓迎し、保護し、励まし、同化を勧める一方で、受け入れ国の法律と習慣を尊重すること-を繰り返すことに注意を絞るようになった。
彼は年頭に、移民・難民を恐れるのは罪ではないが、恐怖の感情に動かされるのは罪だ、と語ったが、その後は、移民・難民のことでは、聖座が世界で最もリベラルな組織の一つである理由を思い起こさせるように振る舞った。
*死刑廃止を明確にした
2017年にフランシスコは、死刑は「福音に反します」と語った。聖ヨハネ・パウロ二世教皇が承認したこれまでの「カトリック教会のカテキズム」は、極めてまれで、特別の条件のもとで、死刑は許容しうる、としていた。
そして、今年8月2日、バチカンは、教皇がカテキズムの死刑に関する2267項を変更し、死刑は常に「許容されない」と宣言される、と発表した。カテキズムの死刑に関する表現は、「死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」、さらにカトリック教会は「全世界で死刑が廃止されるために決意をもって取り組みます」などと改められた。
これは、1992年に承認されたカテキズムのこれまでの「教会の伝統的な教えによれば、違反者の身元や責任が完全に確認された場合、それが不当な侵犯者から効果的に人命を守ることが可能な唯一の道であるならば、死刑を科すことも排除されていません」と表現された立場からの離反となる。
これまでの死刑に対する教会のカテキズムは、仮に人を死に至らしめない手段が、不当な侵犯者から人命を守るのに十分に役立つ場合は、それが「共通善の具体的な条件をより十分に踏まえ、人間の尊厳により十分に適うものである」から、司法当局はそのような手段に限定した対応をせねばならない、としていた。
だが、1997年に、ヨハネ・パウロ2世が1995年に出した回勅「Evangelium vitaeいのちの福音」の内容を反映する形で、カテキズムに「死刑執行が絶対に必要とされる事例は、皆無ではないにしても、非常にまれなことになりました」という表現が追加され、今回、さらに根本的な変更がなされたのだ。
*同性愛者と召命の問題
「人を裁く私は誰なのか」という有名になった言葉から、「同性愛者に好意的な教皇」とのラベルがしばしば貼られていたフランシスコだったが、2018年は、聖職にある同性愛者について懐疑的な声が出て来た時にも、その言葉を撤回することはなかった。
今月初めに出版された宗教生活に関する長時間のインタビューの本で、フランシスコは神学校、修道院やその他の聖職者が生活する宗教施設の中での同性愛は「極めて深刻な問題」と発言した。そして「私たちの社会では、同性愛は人気のあるものとさえ見られているようです。このような心理は、教会の活動にも、何らかの仕方で影響を与えます」と語った。
さらに、男性が神学校に入ることを希望する際に、選別することの重要性について、管理責任者たちは「人間的、情緒的な成熟度」をよく見なければならない、と指摘。また教皇は、カトリックの宗教施設に同性愛者の入居させていると彼に話した聖職者に対して、「ただの愛情の表現」だから、「さほど深刻なことではない」としていた。
だが、このインタビュー本で質問者の聖職者に、この論法は「考え違い」と語り、「奉献生活と司祭の生活には、そのような種類の愛の場はありません」と語った。
他のいくつかのテーマについてしたように、教師のフランシスコと”世界教区”の司祭フランシスコには相違がある。4月には、聖職者による性的虐待の被害者で同性愛者の聖職者と会見した際、「そのことは問題ではありません」と話したと伝えられた。「神はあなたをこのように作られ、このようなあなたを愛しておられます。そして、それは私にとって問題ではない。教皇はそのようなあなたを愛し、あなたは今のあなたに幸せを感じるべきだ」と。
*その他もろもろのこと
2018年の主要課題のほかに、過ぎた年を定義するのを助けた教皇のいくつかの振る舞いがある。そしてそれは、様々なやり方での、前年の寄せ集めからの切り貼りのようなものだ。
そのうちの一つが、カトリック教会の最も保守的な陣営から続いて出されている、フランシスコに反対の姿勢だ。今年はそれを、前駐米バチカン大使のカルロ・マリア・ビガーノ大司教が先導した。彼は8月までは教皇にあからさまに挑戦することはなかったが、それ以来、教皇とその側近の何人かに対する非難を始めたのだった。
今年はまた、前任のベネディクト16世が任命したものの現地の信徒たちの反対でその教区に足を踏み入れずにいたナイジェリアの司教の辞表を、フランシスコが受理した際、バチカン批評家たちがこれを、いったん決断したら説得は困難であることで知られた人の初めての”瞬き”と評した。
また今年は、フランシスコが自身の政治的な影響力を世界各地の平和を求めるために使った年でもあった-特に中東地域で、さらに朝鮮半島と、ラテンアメリカで最も問題のある二つの国、ベネズエラとニカラグアでも。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
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