・(解説)教皇が訪日を終えて-日本の教会のリーダーたちに託された重い課題

 公平に抽選がされるならともかく、高いツアー代金(私がボランティアで仲間たちと20年近く続けている50人規模の都内巡礼はバス代、昼食付、現地の謝礼付きで、はるかに安い参加費だ)を旅行業者に払えば一か月も前に席が確保でき、まじめに「自分の足で会場に出かけよう、余裕があったら教皇さまに献金しよう」という人はぎりぎりまで待たされた挙げく、申込者の半分は落とされた。しかも、お年寄りなどには自力でできないことも多い、インターネットでしか受け付けず、苦労して申し込んでも「受け付けました」という、インターネットを使ったシンポジウム受け付けなどで常識になっている確認の返信もなく、落選の通知もない。思いやりを欠き、どう考えても教会のやることとは思われないーそう思ったのは私一人だけではない。

 原因は、複数の関係者から聞いたところでは、事務局がミサの応募受付、座席の配分など一連の作業を事実上、大手イベント業者に”丸投げ”し、旅行業者が相当数の座席をあらかじめ確保して送迎代、食事代、一泊以上の場合は宿泊代とセットで売りさばいた、このため、インターネットで6人枠で申し込んだ人への配分枠が極めて限定されてしまった、ということらしい。

 最近、「身の丈」発言が問題にされた大臣がいたが、これでは、「お金を払いたくない人は、こういう待遇を受けても我慢しろ。それが嫌なら旅行業者に申し込め(とも、公式の参加申し込み要領には書いてさえいなかったので、当然、公平に抽選が行われると思っていた人が多いのだが)」と言っているようなものだ。

 全体の訪日実行委員会の体制、責任者も一般信徒にはほとんど知らされていなかった。ミサが行われる地元の教区の責任分担も不明。ミサの応募受付が長崎と東京で応募の仕方も、締切日も全く違う。ある旅行業者の場合、東京から長崎のミサに出ようとすると、ツアー代は、飛行機代、宿泊代こみでミサのみで一人62000円から85000円、長崎・外海巡礼などが付くと75000円から129000円にもなった。まさに「席の確保は金次第」という「スーパースターの大イベント」と見られても仕方がない。

 狭義の”準備期間”はバチカンの正式発表から「わずか二か月」だったかもしれないが、日本中の司祭、修道者、一般信徒などが参加して準備作業に加わる体制を作るための期間は、司教協議会会長と副会長が教皇に訪日を申し入れてから、5年間あったのだ。繰り返すが、全国の司祭、修道者、一般信徒総参加で、その準備、体制作りを着実に積み上げ、長く失われた日本の教会の一致を取り戻す、絶好の機会として、生かせたはずではないか。

 最初から「無理」とあきらめていたのか、「訪問してくださる確信が持てなかったので準備もしようがない」と思ったのか、それとも、そもそも、「日本の教会を再一致させる機会に役立てよう」という発想がなかったのか-そう考えると、教皇フランシスコが日本に到着された夜に司教たちに「日本の教会は小さく、少数派であっても、それが福音宣教の熱意を冷ますことのないように」と願われたのが、分かるような気がする。

 教皇訪日を「スーパースターの大イベント」に終わらせてしまわないために、真摯な反省とともに、教皇のメッセージをしっかりと受け止め、今回の貴重な体験を生かし、今後の日本の教会の展望を開くよう、リーダーたちに期待したい。

(「カトリック・あい」代表 南條俊二)

 

 

 

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2019年11月29日