(解説)”定年”まで10年以上残して辞任する司教が6年で3人-明治に出来た教区割、”司教定員″見直し必要?

(2019.5.6 カトリック・あい)

  バチカン広報発表によると、教皇フランシスコが4月27日、福岡教区の宮原良治司教から出されていた辞任願いを受理され、空位期間のための使徒座管理区長に、大名町司教座教会主任の杉原寛信神父を任命された。

  宮原師は1955年生まれで、司教定年とされている75歳まで10年以上を残しての辞任となるが、最近、定年よりもはるか以前に辞任する司教が目立つ。昨年6月に、やはり1955年生まれの幸田和生・東京教区補佐司教(当時63歳)が教皇から辞任願いを受理されて引退、2013年7月には1953年生まれの谷大二・さいたま教区司教(当時60歳)が辞任願いを受理されている。

 カトリックの教会法によると、司教は「神の制定に基づき付与された聖霊によって使徒の座を継ぐ者であり、教理の教師、聖なる礼拝の司祭及び統治の奉仕者になるように教会の牧者として立てられる」(第375条〈1〉)とされ、教皇から直接任命され、司教区という”独立王国”の君主ともいわれる大きな権限を教区の教会、司祭、聖職者に対して与えられている。

 それだけ重い責任を負っているため、いったん教皇から任命を受けたら、司教定年とされている75歳に達するまでは「健康を損なうか、または他の重大な理由により、司教の職務を続けることが困難になった場合」(教会法401条2項)を除いて、辞任しない、辞任させられない、というのが重い役割に見合う司教の権利であり、義務でもあるといえる。

 だが、3人の場合、いずれも、辞任の理由が一般信徒を含めて、公式の説明はなく、噂だけが飛び交っているのは残念なことだ。一般に重要な機関のトップが任期を全うせずに突然辞任する場合、記者会見など何らかの形で公式の説明がなされるのが常識だが、教会には、いまだに「説明責任」を果たすことの重要性が認識されていない、と思わざるを得ない。

 日本では、わずか43万人の信徒に対して、16もの教区に、16人もの司教ポスト(現在大阪教区に二人いる補佐司教を除く)がある。このうち、東京教区の麹町教会(信徒数1万6500人=2017年12月31日現在)にも満たない信徒数の教区が7つもあり、それぞれに司教ポストがある。

 その一方で、日本最大の信徒数を抱える東京教区では、教区長の菊地功大司教が着座して1年半たった今も、教皇から補佐司教の任命がなく、しかも前任地の新潟教区長の後任も任命がないため兼務を余儀なくされる、という状態が続いている。司教の”人材不足”の一方で、任期を10年以上残して辞任する司教が続出している、というのは異常と言うしかない。

 このような異常な状態の中で、わずか43万人の信徒に対して、16もの教区に16人の司教ポストを維持する必要があるのか。以前、別の機会に、日本の教会は北海道、東日本、西日本、四国、九州つまりJRと同様の教区分けに改め、4人の大司教ないし司教、大きな教区には補佐司教を置き、必要な教区はいくつかのブロックに分けて司祭のブロック長にするべきだ、と申し上げたことがある。

 明治維新前後からの日本の教会の教区割の変遷を見ると、1846年(弘化2年)に、 日本使徒座代理区が設立された後、明治になって9年(1876年)に北緯と南緯の2区に、1888年に南緯代理区から中部代理区が分離されて現在の大阪教区、1891年に北緯代理区から北海道と東北地方が分離されて函館使徒座代理区、一方で北緯代理区は東京大司教区に、1912年に新潟使徒座知牧区が独立、南緯代理区は長崎教区に昇格、1922年に名古屋使徒座知牧区が独立、昭和初め1927年に長崎教区から鹿児島使徒座知牧区が独立、戦後1947年に鹿児島・・から琉球列島使徒座管理区などを経て、1972年に那覇教区に昇格した。

 要するに、教区割は計画的にまとまって作られたわけではなく、主として、明治維新後、西欧から入ってきた様々な修道会主体に教会建設、布教が行われ、その活動拡大とともに、バチカン主導で分離独立が繰り返され、しかも、ほとんどの教区が100年以上前の明治時代に出来たものなのだ。それを後生大事に堅持し、適格者の有無よりも司教ポストの維持を優先しているように見えるのは、これも異常というしかない。

 教区割を見直そうという動きがなかったわけではない。いまから30年ほど前、第二バチカン公会議を受けた教会刷新の動きの中で、まず、東京、横浜、埼玉の3教区を再編統合して、首都圏教区を作ることを提唱された方がおられた。だが、大多数の司教たちの反対で、構想以前の段階で潰れてしまった、と聞く。

 日本の信徒数は2007年の44万301人から2017年に43万3813人に漸減し、聖職者・修道者・神学生は同じ期間に8526人から7053人に大きく減っている。激動を続ける現代社会にあって人々と共に歩み、福音の喜びを伝えようとする日本の教会としての一致した具体的な努力は、第二バチカン公会議の成果を受けた第一回、第二回全国福音宣教推進会議のあと、途絶えたままだ、このような傾向を結果として放置しているといってもいい。

 日本という小さなカトリックの共同体に16もの”独立王国”が分立している状態を抜本的に改めること、現代の世界と日本の実情に合わせて教区を抜本的に再編することは、日本の教会の一致した取り組み、活力と魅力のある教会づくりの大きな契機になると考える。 

 相次ぐ司教の”若年辞任”を単なる個別のケースとして見過ごすことなく、前向きの努力に生かす司教団の自覚と奮起を切に求めたい。

 (南條俊二)

 

 

 

 

 

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2019年5月6日