・連載・回勅「フマネ・ビテ」50周年③拒絶するアングロ・サクソン系米国人とイタリア人の違い(Crux)

 (2018.7.31 Crux Editor John L. Allen Jr.

 思ったほどのファンファーレは鳴らなかったが、これまでの回勅で一番論争の嵐を巻き起こし、議論され、悪く言われ、最も熱心な支持者からは、今までに出された教皇回勅の中で「最も誤解され、正しく評価されていない」と言われる、福者教皇パウロ6世の回勅-「受胎調節に関して」と副題をつけられた「フマネ・ ビテ」-が、50周年記念日を迎えた。

 経口避妊薬に「ノー」と言うことで、教皇パウロ6世は、自らの諮問委員会の大多数の期待を拒んだだけでなく、西欧諸国の台頭しつつあった世俗的な、自由志向の文化に背を向けたように見えた。この教皇の決定はカトリックの内部に、現実に決して終わることのない騒動を巻き起こした。

 ある意味で、「フマネ・ビテ前」の時代と「フマネ・ビテ後」の時代が明確になった。私たちが生きている「フマネ・ビテ」後の時代は、より騒がしく、めちゃくちゃで、混乱している。この時代は何事も当然のことと思われることがなく、教皇が「跳びなさい」と言われても、世界中のカトリック信徒が「どこまで高く飛べばいいでしょうか?」と口をそろえて問うことなど、あり得ない。

 今日、「フマネ・ビテ」を「まったくの死文だ」と言うカトリック信者がいる一方で、その意味のより広い先見性と人間の性行動の目的を回復させ、実践しようと決意した力強い少数派もいる。

 これらの異なった反応は、主に異なる見解や意見によるものだが、この回勅についてかなり客観的に言える点は、「明確にカトリックとしての法の理解を十分にさせるやり方だった」、あるいは「少なくとも理解させねばならなかった」にもかかわらず、そうならなかった、ということだ。

 それは、米国を含めたアングロサクソン文化の中でしばしば誤解される点だ。米国のメインストリートとローマの間には、よく知られた精神の「文化的相違」が、様々にある。

 最近の世論調査によると、西欧のカトリック信者の大多数が「フマネ・ビテ」の教えを拒絶している。たとえば、Pew Research Forumによる2016年の調査によると、毎週ミサに行く米国のカトリック信者で「避妊は道徳的に悪いことだ」と思っているのは、13パーセントにすぎない。司牧レベルでも、ほとんどの司祭たちが「一般のカトリック信者たちは、とうの昔に避妊とは折り合いをつけており、わざわざそのことで告解したりしない」と言うだろう。

 多くのアングロサクソン系米国人にとって、それは、ただの行動と法の間の耐えがたい分断にすぎない。なぜなら、我々は法とは「世俗社会の最少共通項」と考える習慣があるからだ。つまり、法は守られなければならないが、守られないときは二つの可能性しかない。厳重に取り締まるか、法が変えるかだ。

 法が法律書に記載されているにもかかわらず、実際には守られておらず、大々的に無視されているなら、米国の文化は我々に「それは組織全体の信用性を弱める」と考えるよう教える。しかし、カトリック信仰のるつぼである地中海文化圏、とりわけイタリアでは、単純に「法がどう理解されているか」ではないのだ。

 イタリアのユーモア作家のベッペ・セベルニーニ氏は彼の著作「La BellaFigura:A Field Guide to the Italian Mind(イタリア人の物の考え方の案内書)」の中で、イタリア人の考え方を完璧に捉えている。

 あの赤信号が見えますか?世界中のどこにでもある赤信号と同じものに見えますが、実はイタリアの発明なんです。あなたが単純に思うような、命令ではないのです。見た目で思わせるような警告でもない。実際よく考えてみるのに、よい機会だろう。それを考えてみることは、馬鹿げたことではない。無意味かもしれない。たぶん。 でも馬鹿げたことではない。

 多くのイタリア人は、赤信号を見ると、彼らの頭脳は禁止された(赤だ!止まれ!通り過ぎるな!)とは知覚しません。代わりに、刺激を感じます。それじゃあ、オーケーだ。何の赤だ?歩行者信号の赤?朝の7時だ。こんなに早い時間に歩行者はいない。つまり、通行可能な赤だ。「完全な赤」と言うわけじゃない。だから、行ってもいい。交差点の赤?どんな交差点だ?見通しのいいところで、道路にはなにもない。だから、赤ではない。「ほとんど赤」か「どちらかといって赤」だ。どうしようか?ちょっと考えて、それから行こう。

 そして、もしすごいスピードで車が行き来する交通の多い危険な交差点の赤だったら?-何の疑問の余地もない。私たちはもちろん止まって、青信号を待つ。フィレンツェにはこういう表現がある。「完全な赤」-「赤」は「官僚的に決まった言葉」、そして「完全な」は「個人的コメント」だ。

 こういう決め方が軽々しくされているのではないことに、注目してもらいたい。それらはほとんどいつも、後で正しかったと分かる、筋道の通ったプロセスを経た結果なのだ。筋道の立て方に失敗したら、そのときは救急車を呼ぶことになる。これが、交通規則であれ、法律であれ、税金であれ、個人的な行動であれ、どんな種類のものであれ、イタリア的な規則の捉え方なのだ。

 もしこれを「ご都合主義」というなら、自尊心から生まれたご都合主義であって、利己主義からではない。彫刻家のベンベヌート・チェリーニは、「自分は芸術家だから、規則を超越している」と思っていた。ほとんどのイタリア人はそこまでは思わないが、「自分たちで規則を解釈する権利はある」と思っている。
私たちは、「禁止は禁止」「赤信号は赤信号」という考えは受け入れない。私たちのやり方は、「それについて話し合いましょう」というものだ。つまり、法というと、「それについて話し合いましょう」と言うのが、いつも、カトリック的本能だったのだ。バチカンは永遠に無差別的で厳格で融通の利かないように思える教令を出す。

 しかし、それは「空間」(地球の隅々まで広く異なる文化圏に広がる1憶3千万の人間のいる教会)と「時間」(2千年を超えて続く伝統)を超越する法律を公布しようとするからなのだ。

 具体的状況にその法をどう適用するかについては、いつも「司祭が穏当な判断をするだろう」という常識的理解が法令には暗号化されている。それは、「不服従」ではなく、むしろ「良い司牧的やり方」とみなされる。

 ある意味で、それが教皇フランシスコの回勅「愛の喜び」が米国のカトリック信者たちの大部分に理解されなくしていた理由のひとつだった。同時に、特定の状況に応じて異なる適用の仕方をするよう用心深く扉を開きながらも、教皇が「法は変えていない」と主張したとき、米国人は矛盾を感じたのだ。

 その一方で、イタリア人は、いつものように「それが仕事」と思った。もちろん、これは、イタリア人の物の考え方を説明しただけで、それを必ずしも擁護しているわけではない。アングロサクソン人の典型が厳正さに向かうのに対し、イタリア人の物の見方に生来組み込まれた悪徳は、無統制だ。それは、内側が腐っていようと、外見をきれいに維持して満足している「bella figura(好印象の) 宗教」についても言えることだ。

 たとえば、ほかの車が2列にも3列にも止まっているローマの通りで車を駐車しようとしたことのある人なら誰でも、きっと、「もう少し交通規則にゆとりがあったって、この国が損するわけではなりだろうに」と言うだろう。

 結論がどうあれ、大事なことは、「カトリックを理解するためには、違いがあることを知っていなければならない」ということだ。おそらく、我々は「フマネ・ビテ」が発布された50年前に、その教訓を学んでいなければならなかったのだ、だが今日、この回勅は、どこから見ても、全く妥当性を失ってはいない」。

(翻訳「カトリック・あい」岡山康子)

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