④対話の主役たち-中国当局とバチカン (2018・6・30)
カトリック教会、とくに歴代の教皇は、受け入れがたい理論的立場への批判とそうでないものを常に区別することができ、その一方で、実務的な課題を基礎にした対話を求めることができた。
(セルジョ・チェントファンティ、ベルント・ハーゲンコルト神父=イエズス会士)
だが、中国当局との制度的な接触が確立したのはごく最近、聖ヨハネ・パウロ2世の治世においてだ。非公表の話し合いは当初は、意味のある結果を生むことなく始まった。だが、聖座は対話を続けることを決断し、中国政府に対して敬意を示し、過去と現在の誤解を乗り越えて、カトリック教会の宗教的な本質と国際的なレベルでの聖座の活動の目的を明確にしようとした。
理論的な立場と対話の要請の区別に対するいくつかの類似は、カトリック教会に関して、中国の共産党の思考の中に起きているように思われる-社会における宗教の意味と働きについて哲学的な偏見を保ちながらも、そして、中国全土で変化が起きたのではないにしても、信徒への重大な迫害行為を正当化する姿勢から、信徒の個人的な確信に対して一定の理解を示すように少しづつ変わってきている。
ヨハネ・パウロ2世は2001年に、中国当局との対話の必要性についてこう語った-「聖座が、全カトリック教会の名において、そして、私はそう信じているのですが、全人類家族の利益のために、中華人民共和国の権威者たちとの対話を始めることを望むのは、秘密ではありません。過去の誤解が解けた以上、そのような対話は、中国の人々のため、そして世界の平和のためにともに働くことを、私たちに可能にします」(2001年10月24日のマテオ・リッチ=中国で初めてカトリックを布教したイエズス会士=に関する会議へのメッセージ)。
そして、ベネディクト16世は2007年に、中国との対話について、「中国のカトリック教会はこの国の機構や行政を変えることを使命としていません。男性たち、女性たちにキリストを宣べ伝えるのが使命なのです」(中国の教会への書簡)と述べている。
カトリック教会は、福音を宣言する権利と自由を言明している-厳密に政治的な問題は教会に課せられた使命の対象ではない。公正な社会的、公的秩序の構築は第一の、最も重要な政治の責務だ-だが、当時に、最優先すべき人間的、道徳的な責務であり、教会は、明確な論証、倫理構成、そして預言的な声を通して具体的に寄与し、必要な場合には建設的な批判を行う義務を負っている。
前任者がしたように、ベネディクト16世は、中国の教会に対する書簡のいくつかの箇所で、聖座が中華人民共和国の権威者たちとの対話に前向きであることを強調した。そして、こう期待を述べている-「聖座と中華人民共和国の意思疎通と協力の確固とした形態は-様々な結びつきによって、さまざまな場面での喜びと悲しみを分かち合うことによって、連帯と相互の助けによって、友情は育てられ-ほどなく確立されるでしょう」と。信仰と司牧的な叡智のコンパスを常に忘れず、その一方で、議論される課題の複雑さについて謙虚さをもって認識し、また一方で、正当と認められた非宗教的権威者との常にある闘いを乗り越え、今ある問題への解決策を見つける努力をしなければならない。
このような聖座の一貫した取り組みと教皇の権威に沿って、教皇フランシスコは、対話への関与を継続することを望んでおられる。そして、忍耐と識別をもって、神への信頼からくる洞察力と倦むことのない不屈の精神をもって、中国政府との公式な交渉を続けようとしておられる。このことは、教皇がなぜ、様々な機会に、偉大な中国を訪問し、そのトップと会見することに強い希望を示されるか、の説明だ。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
中国のカトリック教会共同体は、その司教たちとともに –政府から認めらている教会も、認められていない教会も-政府・共産党当局との対話に好意的だ。だが、共通善を作り上げるための真の交渉のリスクを受け入れないなら、教皇フランシスコが強調しているように、 その対話は、純粋に理論的なものにとどまるだろう。(セルジョ・チェントファンティ、ベルント・ハーゲンコルト神父=イエズス会士)
率直で、敬意のこもった対話は、相手の立場と役目を認識し、多様性のなかで相手を受け入れる態度-共に歩み、豊かにされ、1人1人が他者と相関する。真の対話のために求められるのは、一人ひとりが自分自身の立場に安心感を持ち、相手の主体性を認めることだ。真の対話は、神のキリストにおける顕現の働きの中で行われる。それによって、神は人間と対話し、救いの関係を打ち立てることを望まれる。
一方で、交渉は-教皇フランシスコによれば-互いに相手から何かを引き出そうとする実務的な手法だ-交渉は常に、「もっと大きなパイの一切れ」を得ることについてのものだ。だが、それは、誰もが「勝者」になるようなやり方でなされる必要がある。だから、どの交渉も、それに続く合意も、常に不完全で、仮のものだ-長い時を経て作り上げられるらせん状の長い道のりのように。
率直で敬意のこもった、意思疎通、多様性における他者の受容、一人ひとりの立場と役目の認識の独特のスタイルと整合性を持った形で、教皇フランシスコは中国政府との公式の対話を維持、推進する姿勢を取り続けてきた。その中で、真の交渉が再開した-実際のところ、決して容易なものではなかったし、突然、中断されることも時々あった。実際、対話を進め、合意に達する意思が、双方から繰り返し強調されながら、合意に達しようとする段階になって、障害が起き、撤回されることがあった。
この点で、指摘する価値があるのは、中国の教会-政府公認の教会も非公認の教会も-の関係者の大部分が、これまで進められた対話に好意的だ、ということだ。好意的な関係者の割合がどれほどか、というのは難しいが、中国の司教たちは、政府公認教会、非公認教会と関係なく、対話の再開と合意への進展を支持している。
政府公認のある司教は、中国政府とバチカンの対話再開のニュースを極めて前向きに歓迎し、「カトリック信者の多数が、教皇を支持し、両者の対話を支持しており、合意に達するよう一所懸命に祈っている」と強調している。
また政府非公認のある司教は、対話の再開は良いことだ、とし、「今、我々は、言葉だけでなく、事実を見る必要があるが、相手を見、話すことは、見るだけよりもいい、見て、話すことでしか、問題に取り組むことはできないから」と述べた。
そして、まさにこれが、対話の動態的で困難な術だ-対話は、互いを近づけ、互いの立場を知り、自分の立場を相手に知らせる働きをする、そして、対話の中で、建前を越えて、互いの真意が明らかにされる。対話を進める中で、時として、相手に譲歩し過ぎた、あるいは、自分の正当な要求が否定された、と感じ、自分たちの期待するものを守る、あるいは期待以上のものを提示することで、双方の間に隔たりが生じるのは当然だ。
しかし、双方が受け入れ可能な合意に達するために、自分自身の期待するものに行き過ぎがあれば、進んで修正することが必要だ。カトリック教会に求められるのは、キリスト教の信仰にとって不可欠なものと、そうでないものを区別することだ。双方が互いに相手を受け入れ、議論と異なる意見を尊重し、問題解決のための異なる提案の基礎となるもっともな理由を理解しようとすることで、真剣な、正しい対話が可能となる。
こうしたことは、とても疲労困憊するものだ。相互信頼と寛大の精神を持ってのみ、交渉を作り上げる数多くの、しばしば疲れ果てるような道のりの中で、対話のリズムは維持できる。双方は、このような責任ある行動を保ち、合意が遠のいたように、あるいは何も得られないように思われる時も冷静さを保ち、相手の誠実さに信頼する心を育てるような、前向きな姿勢を常に保持しながら、互いを近づける小さな歩みを重ねていかねばならない。
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
⑥中国と司教たち:なぜこの問題がそれほど重要なのか?(2018.7.7)
完全なミサ聖祭に向けた道を歩み続け、中国の信徒たちの生活に信頼を与えるために、現在の二つに分かれた教会共同体を一致させる手立てを考える必要がある。そこから、分断を乗り越える力が見つかる。いくつかの分野でまだ弱々しいものを力づけるために協力するように、全ての関係者を招いている。(セルジョ・チェントファンティ、ベルント・ハーゲンコルト神父=イエズス会士)
中国における教会活動には、多くの解かねばならない多くの問題がある。聖座と中国当局との交渉で、特に際立っているのが、司教の任命問題、具体的に言えば、司教候補の選定手続きと教皇が任命に果たす役割についてだ。
他の多くの問題も、この問題と明らかに関連している-その中には、いわゆる”秘密の”(教皇が任命した”地下教会”の)司教たちの中国政府による認証の是非、教皇の任命を受けず、(中国政府公認の愛国教会が認めた)司教たちの教会法上の正当性の有無、中国の司教協議会の構成、教区の範囲の見直し、などがある。これらの問題は、将来の検討と対話の課題とすべきだ。
教皇ベネディクト16世は2007年の中国の教会に宛てた書簡で、なぜ、司教座の問題がそれほど重要なのか、を次のように説明している。
「皆さんご存知のように、中国に見られる特定の教会を結びつけ、それと同様に、世界を通じてすべての他の特定の教会との親しいつながりの根拠となっている深い一致は、その基礎を、同じ信仰だけでなく、共通の洗礼、それ以上に、ミサ聖祭と司教座においています。同様に、司教の一致、聖ペトロの後継者である『ローマ教皇との一致は、永続する、目に見える源であり基礎』であり、使徒的継承によって何世紀も続いている、キリストによって聖ペトロと他の使徒たちの上に建てられた教会とそれぞれの時代の教会の、一致の基礎なのです」
今日、中国におけるカトリック信徒たちが同じ信仰、同じ洗礼、真正のミサ聖祭、そして使徒的継承を維持する司教座を有していることを、誰も疑わない。にも拘わらず、中国のカトリック教会は様々な困難、試練、懸念を経て来ている-亀裂を生じ、痛手を被り、分裂してきた。これは秘跡のレベルで起きてきたわけではなく、秘跡は常に、その基礎において正当なものだった。
だが、実際的なレベル、兄弟的な関係と経路の共通性のレベルで、そうした亀裂が生じた。これらのレベルは、信仰と慈善の生きた体験にとって、世界における共通の使命と証しの効果と同様に、極めて重要なのだ。誰もが知っているとおり、中国で、一つのカトリック教会という核心において、これが危機の引き金をひき、数多くの教区で二つの教会共同体が作られた-ひとつは”秘密の”あるいは”地下の”教会共同体、もう一つは、いわゆる”官製の”あるいは”愛国の”教会共同体-それぞれが自分の司教たち、司祭たちをもった。
この危機は、教会内の判断が原因ではなく、構造的な政治的性質を持った環境に条件づけられたものだった。カトリック教会は、2000年を超える歴史の中で、しばしば自己分裂の誘惑に陥って来た。分裂の原因は、さまざまだった。中国で二つの教会共同体を作るに至らしめた明確な原因は、初代教会で、後にも16世紀のヨーロッパの教会で見られたような、厳格な教理的、道徳的なものではない。第一千年紀と第二千年紀の間に起きた、教義的、教会法的なものでさえない。
中国において教会共同体の分裂を起こした明確な原因は、政治的な種類の、外見的なものだった。過去の責任について安易な修正主義に陥らずに、このように問えるかもしれない-もしも、中国の教会が今日、新しいやり方で世界における固有の存在と役割を考えるように求められたなら、と。これはまた、それぞれの時と場所にある教会に存在する異なった感覚を一つにまとめようとすることで、起きるだろう-世俗的な傾向を強めるほど、精神主義的な傾向を強めるほど、そうなるだろう。こうした二つの傾向は、相手との接触-語り合い、理解し、教会と宣教のために共に歩む-においても続くに違いない。
だが、霊的な感覚の違いを超えて、具体的な選択も存在し、教皇、宣教の証人への忠誠、利害を持たない教会と霊の追求といった重要な価値を生きる実際的な方法を基礎にして作られる。そして、。適当な手段で異なった立場を乗り越え、より大きな教会の常態を経験するようになるために追求されねばならないことは、恐らく、多様な面で存在する。確かなのは、中国の教会の不一致の状況の中で、誰もが苦しんでいる、あるいは少なくとも不快な気持ちでいる-教会の責任者たち、信徒たちの共同体、おそらく中国政府自身でさえもそうなっていることだ。無理解と誤解が続いていることは誰にとっても好ましいことではない。主が、自分たちのただ中におられるという相手の理解は、教会共同体の愛からもたらされる。
そしてこのような文脈の中で、司教の任命と特にその情緒的で有効な一致が極めて重要な課題である。なぜなら、それが中国における教会活動の核心にあるからだ。一致に達するために、数多くの障碍を乗り越えねばならない-その第一の障碍は、政治権力が、司教たちの生活と司牧的な役割を多くの方法で規制しているという「中国独特の状況」-一方に、政府の支持を受けてはいるが教皇の認証を得ていない司教たちがおり、他方に、教皇から任命されながら、国家が認めていない司教たちが存在している-である。
だから、これらの点において教会と政府の責任者の間の合意を追求することは、合意がたとえ不完全であっても、何を置いても必要であり、一層の対立による危害を避けるために緊急な課題なのだ。こうした理由から、現在まで三代の教皇は、カトリックの教会共同体全体の一致を育て、”非合法な”司教たちが完全な霊的交わりに戻り、”政府公認”か”教皇公認”かに関係なく、すでに霊的交わりにある司教たちの忠誠を支持する、という同じ線に沿って対応している。つまるところ、教皇たちは、霊的交わりに満たされて生きる教会の実在への旅を追求してきたのだ。
中国における教会の状況についての問いに対して、ベネディクト16世は次のように答えている。
「要素の多様さは、中国におけるカトリック教会の前向きな発展に好ましいものでした…。教皇と一致したい、という強い願いは、正当性を欠いたまま叙階された(”愛国協会”の)司教たちの間でも決してなくなることはなかった。このことは、霊的な道に全ての司教たちが実際に乗り出すことを可能にた-その間に、私たちは忍耐強く歩みを共にし、ともに一つ一つの作業をしました。彼らの間には、霊的交わりの中にのみ、真の司教がいる、という基本的なカトリック的感性がありました。他方で、ひそかに聖別された(”地下教会”の)司教たちは、国家からは承認されていませんでしたが、ローマに忠誠を誓っていることを理由にして、カトリックの司教たちを投獄し、自由を奪うことは、それが純粋に政治的な理由によるもであるにせよ、中国政府にはできなくなっている、という事実から利を得ています。これは、二つのカトリック教会共同体の間に完全な一致を再確立するための、交渉の余地のない前提条件であり、決定的な助けとなるものです。(「この世の光-教皇、教会、そして時のしるし」=2010年、42ページ=より)
(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)
⑦より完全にカトリック的に、より確実に中国的に(2018.7.13)
中国には、教会法上、違法な司教たちがおり、その一方で、中国政府から公認されていない司教たちがいる。これは、この国で、二つのカトリック教会共同体が共存していることを示すものだ。こうした具体的な問題の解決を目指すために、こうした状況を乗り越えて前向きな刷新を始めるために、対話の精神で交渉が始まる時、取り組まねばならない課題だ。(セルジョ・チェントファンティ、ベルント・ハーゲンコルト神父=イエズス会)
国際的な慣行によれば、国家間の交渉は非公表の形で行われ、最終的な結果だけが公表されるのが普通だ。この理由から、聖座と中国当局のやり取りの詳細はつまびらかでない。にもかかわらず、了解事項にしようとしていることがあるとすれば、それは、教会に二つの事をともに認めるということだろうと想像することができる。その二つとは、二つの教会共同体が併存する教区の司牧責任を一つにすること、司教不在の数多くの教区のための責任も負うようにし、それぞれの教区が、教会と国家の双方から承認され、認知された司牧者を持つことができるようにすること、だ。
このようなことが、痛みを伴わずにできる、とは思えない。不快、苦痛、犠牲、憤りは避けがたく、新たな緊張を引き起こす可能性さえある。しかし、こうした「針の孔に糸を通す」ようなことであっても、よきことの洗い清めと先駆けになることを、私たち全員が願っている-そこには勝者も敗者もないが、双方の寄与は価値あるものとなるだろう。バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿が語っている-「大事なのは、石板を拭いてきれいにするとか、知らないふりをするとか、たくさんの信徒や司祭の苦痛に満ちた道を魔法で消し去る、というようなことではありません。神の助けのもとに、今よりも穏やかで、兄弟愛に満ちた未来を創るための、たくさんの試練の人間的な、精神的な投資をすることなのです」。
仮に、異なる感覚を尊重しつつ、中国におけるカトリック教会にとって、より兄弟愛的で一致を進める新たな始まりがあるとすれば、それはまず、より完全にカトリック的に、より確実に中国的になろうと働いている信徒たちの、秘跡と霊的生活に、プラスの効果をもたらすことになるだろう。
さらに、それは、教会の活動と中国社会とのより大きな調和のための、新たな活力を解放すること、を可能にする。そして、その成否は、関係する一人ひとりの献身と善意にかかっている。中国におけるカトリックは、総人口の一部として純粋に数字でみれば貧弱に見えるが、常に活動的である。社会不安を育てる”外部の力”によって宗教が利用されることを恐れる当局の極めて多くの制限と規制の下でも、福音宣教の刷新された働きは、多くの実を結ぶことが可能だ。
政府が司教を認知するのが、法律と手続きをもつ国家に関係する問題だとすれば、司教に教会法上の正当性を与えるのは教会に関係する問題、ということになる。このことを理解するために、教会とは何か、を確認する必要がある。紀元後二世紀に、聖イレネオは、教会を「霊的な交わり」-キリストの使徒たちから、司教たちの途切れることのない継承を通して続いてきた教会の伝統を宣言し、伝えるもの-と定義している。教会の伝統の保証としての司教たちの使徒的継承は、教会それ自身を構成するものだ。同時にそれは、教皇が司教を自己の判断で任命しようと、合法的な選任を確認する形をとろうと、使徒的継承と司教職の真正を保証するのが、教会なのである。
たとえ、法的に適った形で叙階されても、聖ペトロの後継者(教皇)と全世界で活動している他の司教たちと霊的交わりをもたなければ、聖職者としての職務を正当性をもって実行することはできない。その価値があると判断する者に正当性を与え、完全なカトリック的交わりに加わることを改めて認め、司牧の責任をゆだねる権限は、ローマ司教、地上におけるキリストの代理者、カトリック教会全体の霊的指導者(である教皇)に委ねられている。
中国について言えば、この確信をもって始まる―中国で行われてきた教皇の信認を欠いた新司教の叙階は、不正ではあるが、合法(極めて特別なケースをのぞいて)だった。このような憂うべき変則的な状況にもかかわらず、中国におけるカトリック教会は常に”一つ”を維持してきた。なぜなら、ローマから”離れた”存在として正式に自己を確立することは一度もなく、さらに言えば、(ローマ-教皇-の権限の優越性を否認する教義上の立場を念入りに作り上げることが一度もなかったからだ。
しかし、考慮すべきもう一つの側面がある。それは、教皇と一致したいという強い熱望が常に、正当性を欠いた形で叙階された中国の司教たちの間に存在してきた、ということだ。こうした司教たちの変則的な状況にもかかわわず、教皇と一致したいという彼らの熱意の認識は、ここ数年の間に生まれてきた二つの対立する意見とは関係がない-正当性を欠いた司教たちが誠実であることを信じる者は、彼らの悔い改めを受け入れる(彼らのうち何人かの不適当な行為を、大目に見ることはないが)-その一方で、彼らの誠実性を信じない者は、頻繁に彼らを非難している。