・未成年者保護、虐待根絶の効果ある戦いはこれからだ(VaticanNews 解説)

(2019.2.24 Vatican News Andrea Tornielli=バチカン暫定報道局長)

(解説)

 未成年者保護のための4日間の会議が24日、教皇フランシスコの閉幕挨拶で終わった。だが、この問題に対するさらなる効果的な戦いに関する仕事はまだ終わらない。

 「この後ろに、悪魔がいます」-教皇は閉幕挨拶の中でこのように即席の言葉を付け加えた。バチカンのサラ・レジーナでのミサの終わりに、祭服を付けたままで、この忌まわしい事柄について、大胆で現実的なやり方で話された。「このような痛々しい問題の中に、私は、小さき者たちの純真な姿さえ容赦しない邪悪な者の手を見ます。このことが私にヘロデのことを考えさせます-彼は権力を失うことへの恐怖に突き動かされ、ベツレヘムにいる全ての子供たちの殺害を命じました」。

 教皇はこれまでにも、海外訪問途上の機上でのジャーナリストたちとのやり取りの際に、性的虐待を”黒ミサ”と対比して語られたことがある。そして「この後ろに、悪魔がいる」、邪悪な者の手がある、と話された。だが、このように言われることは、全ての説明をお忘れになったり、個々の個人的な責任と組織全体の責任を小さくしたりすることを意味しない。もっと深い文脈に置くことを意味するのだ。

 挨拶で、教皇は、教会だけでなく、世界で起きている虐待について話された。だが、これには、教会と関係する場でなされた虐待の重大さを減殺する意図を全く持たない父親であり司牧者の懸念を示そうとしたものだ。なぜなら、この問題の忌まわしい、非人間性は、「教会において、(教会外よりも)はるかに重大で恥ずべきもの」となるからだ。

 信仰生活のあり方を教えてもらおうと信頼して司祭に託した自分の娘や息子が、体も心も取り返しがつかないほどボロボロになって帰って来たのを、親たちは目の当たりにする… 「怒りを露わにするのはもっともなことです… 教会は、神の憤りをそこに見ます-偽者の聖職者に裏切られ、侮辱された親たちの中に」と教皇は語られている。

 教皇は閉幕の挨拶で、福音を宣べ伝えることに人生を捧げている-小さき者たち、自分で身を守ることのできない者たちを教育し、保護し、イエスに倣うことに自身の命をゆだねている-多くの司祭、男女修道者に感謝を示した。邪悪さの底知れない淵に直面しても、善きものを私たちに忘れさせることがない。それははちきれんばかりの無益な自尊心ゆえではなく、模範としてどこを見、誰に倣うかを知る必要のゆえだ。

 しかし、バチカンでの今回の会議は、単に”腹に浴びせた一発のパンチ”ではなかったー参加したちに、邪悪と罪の破壊的な行為、そして赦しを乞い、神の恩寵の助けを願うことを強く意識させた。そしてまた、過去数日の間に浮上してきたものに、効果的に実行することが可能な選択肢をもって、具体的な形を与えようとする硬い意志を証明した。

 罪の重大さの認識と、今回の会議を特徴づけた助けを願う天への止むことのない訴えが、刷新された実際的な決意を伴って、教会の環境が未成年と傷つきやすい成人たちにとってますます安全なものとなることを確実にするように。この決意が社会の全ての他の場所にも広がっていくという希望とともに。、

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2019年2月25日