(2017.11.14 「カトリック・あい」)11月2日から11日にかけて、菊地功・新潟司教を筆頭に、新潟、東京、横浜、埼玉教区の聖職者、一般信徒有志が参加して、イスラエル・ヨルダン巡礼を行った。
2日夜、成田を発った一行は、空路イスタンブール経由でテルアビブに入り、3日はまず、ヤッフォでペトロが寄留したシモンの家、聖ペトロ教会を訪れた。そして、パウロと関係の深い港湾都市カイザリアの遺跡見学を経て、地中海側を北上、カルメル山のムフラカ修道院でミサ、ガリラヤ湖畔のティベリア泊、4日は山上の垂訓教会で野外ミサのあと、シリアとの国境近くゴラン高原を回って、ガリラヤ湖に下り、カファルナウムの遺跡、パンと魚の奇跡の教会、ペトロ首位教会などをキリストの足跡をたどり、船からもキリストが行われた業の数々を想起した。
5日はマグダラの町の遺跡、メギドの太古からの遺跡を見学したあと、キリストは少年期を過ごされたナザレの受胎告知教会、近くのヨハネ教会でミサ。6日はヨルダンに入り、旧約聖書にも出てくる高原の古い町、マダバのギリシャ正教聖堂を経て、モーゼ終焉の地、ネポ山の教会でミサ。
ペトラで宿泊。7日は早朝から教会跡もあるペトラの王国遺跡の見学。8日はヨルダン川のイエス受洗の場所、荒れ野での試練の地、死海文書の歴史的発見で有名なクムランの遺跡を巡り、エインカレムのマリア訪問教会でミサ、洗者ヨハネ教会を訪問。
9日はいよいよエルサレム。オリーブ山のふもと、キリストの涙の教会、ゲッセマネの園の教会、ヤッファ門からビアドロローサを十字架を負われたイエスを思い起こしつつ登り、ゴルゴダの丘、聖墳墓教会に入り、十字架上で苦しまれ、息を引き取られ、埋葬され、よみがえられるまでを黙想。午後は少し時間を巻き戻して、最後の晩餐の場所、同記念教会、鶏鳴教会でミサ。
最終日10日は、ベツレヘム。郊外にある羊飼いの野の教会の洞窟聖堂でミサの後、降誕教会、さらにマリア授乳の岩屋へ。エルサレムに戻り、嘆きの壁、テルアビブ空港に向かう途
中、復活されたイエスが二人の弟子に出現されたエマオで巡礼を締めくくった。
*35年前に聖地巡礼をした当時に比べ、関連施設や道路が驚くほど整備され、巡礼者や観光客も、とくに聖墳墓教会、ビアドロローサ、生誕教会などに集中して、現地で静かに瞑想し、イエスを感じることは難しかった。また、イスラエル政府がパレスチナ自治区との間に壁の建設を続け、エルサレムも東と西で分けられ、通過の際にはイスラエル軍の厳重な検問を受けるなど、厳しい政治の現実にも心を乱された。
しかし、キリストがマリアからお生まれになり、成長し、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、福音を人々に伝え、捕らえられ、十字架上で亡くなられたのち、復活された、その現地を巡ることで得られた恵みは何ものにも代えがたいものだった。とくに、菊地司教という願ってもないリーダーのもと、参加者の方々の連帯、旅行代理店とガイドの方々の支援があいまって、充実した巡礼となったことに感謝したい。
個人的には、暮れなずむ静寂のガリラヤ湖の船上から、イエスがペトロたちを弟子とされ、人々に福音を説かれ、数々の奇跡を行われた場所を目の当たりにし、イエスの姿を思い起こすことができたこと、ルカ福音書に登場するエマオで、夕暮れの道をたどり、パンを割かれたとされる宿の跡にある聖堂の廃墟、イエスと同時代の墓所などに立ち、沈黙の祈りと共に、イエスが私たちの傍にいて下さるという実感をもてたことは、大きな恵みだった。モーゼ終焉の地・ネポ山頂上から死海と「約束の地」を一望にして、彼の思いと行動、神への信仰の強さを実感したことも収穫だった。このような機会を与えて下さった主に感謝!
また、12月に東京大司教に就任される菊地司教と巡礼をともにさせていただき、温かさの中に芯のある、牧者としての力がにじみ出る人柄に接することができ、巡礼に参加した信徒一同の間に、今後の日本の教会のリーダーとしてのご活躍への期待が一段と高まったことも、付け加えておきたい。(南條俊二記・写真も)