・教皇フランシスコの5年を振り返るシンポジウム‐弱者対応で評価、性的虐待対処に批判(CRUX)

( 2018.2.14 Crux 

 ワシントン発―教皇フランシスコの就任から5年間を振り返るカトリックの専門家のシンポジウムが13日から米ジョージタウン大学で始まり、弱者など大衆への司牧と現代世界における教会についての彼自身の姿勢について、教皇は高い評価を受けた。その一方で、教会内部での性的虐待問題による5年間の回顧についての基調講演で始まり、続いて、 the Initiative事務局長のジョン・カー氏の司会で、Catholic News Service編集長のグレグ・エランドソン氏、Catholic Charities of the Rio Grande Valley事務局長のシスター・ノーマ・ピメンテル、CNNの政治問題コメンテーターでUSATodayのコラムニスト、カーステン・パワーズ氏が意見を交換した。

 *中国政府に司教任命の権限は渡せない・・バチカン外交で

 スパダロ師は、フランシスコの世界各地への司牧訪問は教皇としての優先事項となり、特に注目されるのは「開いた傷口」で特徴づけられる地域を訪れたことだとし、フランシスコが「文明の衝突」の枠にはめることを拒否していることを強調したうえで、彼が言う「野戦病院外交」-慈しみの言葉で鼓舞される国家間の連帯の世界展望を基礎に置いている―を概観してみせた。

 「司牧訪問で教皇はご自分の手で開いた傷口に触れ、癒しの行為をされました」とし、具体例として、カイロ、ベツレヘム、韓国、ミャンマー、バングラデシュ、そして米国・メキシコ国境地域への訪問をあげた。

 現在バチカン外交で最も議論を呼んでいる問題として、中国との関係正常化を取り上げた。中国は、1948年に共産党政権が成立して以来、カトリック教会が教皇に忠誠を誓う「地下教会」と政府管理の「愛国天主協会」に分けられている。バチカンと中国の外交関係は1951年以降失われたが、中国国内の司教任命について両者の合意が間近に迫っている、とのうわさが広がっている。

 「批判的な人々は『バチカンが中国政府に叩頭(卑屈に追従)している』と言っているが、一方で、「宣教にとって歴史的な機会であり、より多くの中国人カトリック信徒が信仰の自由を高めるチャンス」と評価する人々もいる」「フランシスコは、ヨハネパウロ2世、ベネディクト16世と同じ道を歩んでいます。中国当局との対話を効果的に進める方途を見つけようとしているのです」と教皇の思いを説明した。

 さらに「中には、中国政府に司教任命の権限を与えることができないか、と問う人もいるが、それは完全な誤りです。バチカンが目指している合意には、そのような内容は含まれていない。誤った印象を与えます」と踏み込み、「カトリック教会の歴史は、司教任命について政治的な権力者との合意を見出す歴史でした」「いつくつかの西欧諸国との合意には今でも、司教任命についてその国の政府が拒否権をもつ例も存在する。世界の中でおよそ12の国が、政府が司教任命に同意あるいは推薦の条件を付けています」「ですから、大事なのは、原則や構造の面から果てしない論争を続けることではない。現実的な司牧的な打開策を見つけること、中国の実際の状況の中でカトリック信徒たちが信仰を生き、宣教活動を続けることができるようにすることです」とバチカンの対中国外交の狙いを説明した。

 そして、教皇フランシスコの下で、バチカンは「教皇が世界の声、求めていることを耳に入れることができるために、人々、国々とつなぐ”アンテナ”」の機能を果たしている、と語った。

*”周辺地域”への司牧

 教皇フランシスコの治世下で主要課題の一つは宣教の周辺地域への司牧活動だが、エランドソン氏は「教皇は、2013年に枢機卿たちから、教会の周りの世界とのかかわりを見直すように求められたのではないか、と思う」とし、教皇選出権を持つ枢機卿たちは、ヨハネパウロ2世、ベネディクト16世と”くびき”をともにした教皇二人のあとで「教会内部の問題にとらわれない、教会を世界の中に入っていくようにする、これまでとは異なったタイプの指導者を求めている。そして、フランシスコは「従来の在俗の人々にとっておそらくそうではなかったやり方で、カトリック教会を理にかなったもの」にした、と指摘。フランシスコが教皇になられた時の第一印象は、世界がホルヘ・マリオ・ベルグリオが何者か知ろうとしている中で、「イエスをじっと見ておられる人のようだ」というものだった、とも語った。

 司会のカー氏から「教皇のお気に入りの修道女」と持ち上げられたシスター・ピメンテルは、教皇が出合いに重きを置かれていることは、カトリック教会が「私たちは一つの家族」であることを思い起こさせる、と述べた。2015年の衛星通信による”バーチャル謁見”で教皇は彼女に語り掛け、米国・メキシコ国境で移民を受け入れている彼女の活動をたたえ、「あなたに感謝します。そして、あなたを通して、米国のそうした活動をされているすべての修道会のシスターの皆さんに感謝します。あなた方をとても愛しています」と呼び掛けていた。

 自分の活動に関して、シスターは「移民の方々との強い関係を作ることは、国境警備や役所の方々と同様に、とても重要です」「教皇が言われました。いくつもの橋を架けるように、『私たちは正しいことをしている』と」「私たちを支え、勇気づけ、話しかけてくださる教皇を通して、中南米の教会共同体の中で人々は教会の一部になっていることに喜びを感じています」と付け加えた。

* 聖職者による性的虐待、教会改革、そして抵抗の動き

 教皇は前向きな司牧の姿勢で高い評価を受ける一方で、聖職者による性的虐待問題は「いまだに続いており、完全に拭い去れない恐れがある」とパワーズ氏は指摘した。 先月のチリ訪問のあと、同国オソルノ教区のホアン・バロス司教の問題の対応を誤ったとする批判に、教皇は悩まされることになった。バロスは、性的虐待で有罪になったフェルナンド・カラディマ神父の”保護者”だった。神父の被害者たちはバロスが性的虐待を知っていて隠蔽したと訴え、これを受けて、バチカンは、性的虐待捜査の責任者であるマルタのチャールズ・シクルナ大司教をチリに派遣し、この問題の調査に当たらせている。

 パワーズ氏は「被害者の声を聴き、真剣に扱わねばなりません。何か選択肢があれば、その違いは被害者にゆだねるべきです」と述べた。エランドソン氏は「チリの問題は、いまだに性的虐待の危機に悩まされている多くの米国人カトリック教徒にとっての“PTSD(心的外傷後ストレス障害)”と同じだ」と指摘。「シクルナについて言えば、彼は捜査の実績を持っている。好ましい動きだが、十分ではない」「振舞の達人、慈しみと赦しの達人である教皇が個人的にこの問題に対応する方法を見つけるべきだと思う」と強調した。

 これとは別の問題として、エランドソン氏は、教皇フランシスコに対する抵抗が「家庭に関する使徒的勧告 Amoris Laetitia」、とくに離婚して再婚した人々に聖体拝領を慎重に、条件付きで認めるという方向を打ち出したことをめぐって起きていることを取り上げ、「この方向に懸念を持つ人々の中には、教皇を直接の対象とするのでなく、『本人が必ずしも意図していない所に行こうとするかも知れない教皇と連携しようとする人々』を対象に批判している人もいる」と指摘。カトリック教徒たちが「とても恐れるに違いない」というような「恐れを抱かせるような言葉」で、分裂を起こさせる恐れがある、と警告した。

 パワーズ氏は「教皇フランシスコを批判する人たちの多くは、自分たちの政治と神学を混同した保守的なカトリック教徒だ」と断言。「フランシスコは、米国の人々のすべての政治的な説得に挑戦すべき」であるとして、2015年に教皇が米議会下院で演説したことを例に挙げ、「もし本当のカトリック教徒なら、イデオロギーの信奉者にはならない。そしてカトリック教会はどちらの政党とも連携しない。そのようなことはあり得ない」と述べた。

 性的虐待をめぐる議論―教義上の問題や対応がどうなるか不確実さ―にもかかわらず、この日の午後の意見交換は、教皇フランシスコの「慈しみ」をもって終了した。エランドソン氏は「教皇フランシスコの治世の今後がどのようなものになろうとも、彼の『慈しみ』のメッセージがカトリック教会から失われることはない、と期待したい」とし、「教皇フランシスコについて私が一番好ましいと思っていることは、慈しみの特別聖年で具体的に表現された」「唯一の不満は、特別聖年が二年だったらよかったのに、ということだ」と締めくくった。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

 

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2018年2月17日