使徒的勧告「愛の喜びAmoris Laetitia」で日本の教会がすべきこと:解説(2016年11月改定の再録)

     使徒的勧告「Amoris Laetitia(英訳は『The Joy of Love~On Love in the Family~』カトリック中央協議会訳タイトルは『愛のよろこび―家庭のよろこび、教会のよろこび』)を教皇フランシスコが四月にお出しになって半年を過ぎました。この使徒的勧告は、教皇フランシスコの強い意向で「家庭」を主題に一昨年から昨年にかけて二度開かれた全世界司教会議(シノドス)の成果を受け、全教会、聖職者、信徒に示された家庭にかかわる極めて重要な指針です。勧告が2016年4月に発表されてから16か月たってこの度、カトリック中央協議会がようやく日本語訳を完成、発効した機会に、解説を皆様のご参考として再掲します。「カトリック・あい」の作成した7章までの日本語訳(抄訳を含む)と分かち合いのガイドを合わせてご利用ください。

各国の司教団は対応を始めているが

    イタリア語のほか英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ポーランド語、アラブ語で勧告全文の公式訳が同時発表され、欧米やアジア、アフリカ、中東の国々の信徒の間では幅広く読まれつつあります。米国や独仏、フィリピンなど世界各国の司教団も、それぞれの現状に即した具体策のとりまとめなど対応を始めています。

   残念ながら日本では、日本語の公式訳が、勧告発表後半年を超えた11月になっても出されず、司教団としての具体的な対応もなく、一般信徒はもとより聖職者の間でも、勧告への関心は薄い、というか持ちようのない状態です。

「困難な状況にある家庭に助けを」

    教皇は六月のローマ教区の家庭司牧協議会でも、「使徒的勧告『愛のよろこび』は、皆さんがじっくり考え、対話をするための道具。活用することで『困難な状況』にある家庭を励まし、助けることが出来るのです」と改めて積極的な活用を訴えました。

   「家庭」をめぐる状況は、わが国を含む世界中で厳しさを増しています。勧告から教皇のメッセージを読み取り、それぞれの現状に合った形で具体的な対応を真剣に考え、実行することが求められているのです。

   日本語の公式訳がない段階で、英語版で二百六十ページ、難解な表現が散見される勧告全文を読みこなすのは、多くの方にとって至難の業でしょう。

   そこで、勧告の構成をバチカン放送の日本語訳で、冒頭の序章で教皇が説明された「勧告への思い」「勧告の骨格」「勧告の読み方」を筆者抄訳で紹介し、皆さまの理解の手がかりとさせていただきます。(英語版勧告全文はhttp://w2.vatican.va/content/francesco/en/apost_exhortations.index.htmpから、バチカン放送の日本語版概要はhttp://ja.radiovaticana.va/news/2016/04/11からご覧になれます)

勧告からメッセージを読み取る

    勧告は、序章と九つの章で構成され、一章「みことばの光に照らして」 ニ章「現実と家庭の挑戦」 三章「イエスに向かう眼差し:家庭の召命」 四章「結婚における愛」 五章「愛は豊かになる」 六章「いくつかの司牧的展望」 七章「子どもの教育の強化」八章「弱さを見守り、判断し、補う」 九章「夫婦と家族の霊性」となっています。

   序章で、教皇はまず、勧告への思いを語ります。「家庭による『愛のよろこび』の体験は、教会のよろこびでもあります。・・結婚の制度・慣習に多くの危機の兆候がでているにもかかわらず、結婚して家庭を持ちたい、という願望は、とくに若者たちの間でなお強く・・それに応えるものとして、キリスト教徒の家庭に関する意思表明は、実に良き知らせ、なのです」(一項)。

   そして、家庭をテーマとした二つのシノドスの議論で「家庭をめぐる問題の多様さ、複雑さが明らかになり、そのことが、教義上、道義上、霊性上、司牧上の数々の課題について、幅広い議論を続ける必要があることを認識させました」(二項)と説明。そのうえで、「教義上、道義上、あるいは司牧上の議論の全てが『権威の介入で解決すべきもの』ではありません。教会の教えと実行の一致は確かに必要ですが、・・それぞれの国、地域は、それぞれのもつ文化、伝統や要請の影響を受ける形で、解決策を立てることができるのです」(三項)と地域の教会の独自性を認める考えを示されました。

    さらに、「この勧告は、今年がいつくしみの特別聖年であることで、とくに時宜を得ています」と強調されます。なぜなら、勧告が「キリスト教徒の家庭に対して、結婚と家庭という贈り物をたいせつにし、寛大さ、献身、貞節、忍耐の徳で強められる愛の中で保ち続けるように勧めるもの」であり、「不完全で、平和とよろこびを欠いた家庭生活となっている、いかなる場合にも、皆がいつくしみと親密さのしるしとなるように励ますもの」だからだ、と説明されています。

 教皇による「読み方」のアドバイス

    続いて、教皇は勧告の骨格について次のように語られます。

   最初の章で「聖書に励まされて、勧告にふさわしい基調」を定め、次章で「家庭が置かれている実情を検証」する。

   さらに「結婚と家庭についての教会の教えのいくつか不可欠な側面を思い起こしつつ、勧告の中心を成す、愛を主題とする二つの章の地ならし」をする。

    次に「神の計画に沿って、健全で実り多い『家を建てる』ように導く、いくつかの司牧上の方向」を強調し、続いて「子育て」にひとつの章すべてを当て、最後に「いつくしみと、主が私たちに求めておられながら不足している司牧上の識別」を勧め、家庭の霊性についての言及で締めくくる。(第六項)

    続く第七項で、教皇は、勧告の読み方をアドバイスされています。

  「勧告は二つのシノドスの豊かな果実を受け、多様な方法で広範な問題を扱ったため、長文になった」と前置きし、「急いで読み飛ばさないように」、家庭を持っている人、家庭司牧に関わっている人は「各章を忍耐強く、慎重に読む」か「自分の関わる課題を扱っている章を注意深く読む」ように勧めています。

   具体的には、結婚したカップルは「第四章と第五章」、司牧を担当する聖職者は「第六章に強い関心をもたれるでしょう」とし、第八章からは「誰もが挑戦を受けているように感じるに違いありません」と説明。

   そのうえで、「私の願いは、勧告を読むことで、すべての方が『家庭生活を愛し、育むように、呼ばれているのだ』と感じてくださること。家庭は『やっかいな問題ではない。一番の、至高の機会』なのです」とご自身の強い思いを述べておられます。

家庭の現実をどうみているか

   欧米の教会関係者の間では、この勧告対して、「シノドスで議論になった『離婚して民法上の再婚をした夫婦に対する聖体拝領などの秘跡を認める』ことの是非について、具体的な判断が示されず、表現が曖昧」などの批判があるようです。この問題に触れるのは紙面の関係もあり別の機会とし、ここでは筆者が注目した点に若干触れたいと思います。

   それは、第二章の家庭をめぐる世界の現状分析です。この部分をじっくり読むことで、今後、教会が具体的にどのような対応をすべきかが見えてくると考えるからです。

   この章で、教皇は、家庭が抱える問題として、行き過ぎた「個人主義」や「仮の状態」を選択する風潮などを挙げ、家庭が、必要な時や便利な時だけ頼る、単なる「仮の場所」となることに懸念を示しました。

   教皇は、これまで教会が結婚、家庭を理想化し、教義・生命倫理・道徳の面しか語ってこなかったことを自省し、そのうえで、人々に幸福への道を示すことが可能な、前向きで受容性ある司牧を呼びかけています。

   そして教会が関心を持つべきテーマとして、産児制限、信仰生活の弱体化、住居問題、幼児の性的虐待、移民問題、キリスト教徒や少数民族・宗教への迫害、障害者、高齢者、貧困、事実婚や同性婚、女性への暴力、ジェンダー思想の問題などを挙げました。

   こうした問題は、勧告の原文でもっと具体的に、明確に指摘されています。日本にそっくり当てはまると思われる記述をいくつか挙げでみましょう。(以下は筆者抄訳)

〈"つかの間"の文化、はかない人間関係〉

   「シノドスに先立つ協議で『culture  of the ephemera("つかの間"の文化)』の様々な徴候が出ていることが指摘されました。私は、人々がこちらの感情的な関係からあちらの関係へと動く速さについて、思いめぐらします。

   彼らは、ソーシャル・ネットワークのラインに沿って、愛情が消費者の気まぐれさで繋がったり、切れたりし、その関係が瞬時に『閉じ』られるもの、と思い込んでいます。・・全てが使い捨て自由、誰もが使って捨てる、手に入れて壊す、最後の一滴まで搾り取るのです・・」(三九項)

〈結婚しない若者、人口の減少〉

  「いくつかの国で、多くの若者が経済的な動機のほか、様々な理由で結婚を先延ばししています。・・結婚や家庭の価値を軽く見るイデオロギーの影響・・結婚や家庭を持つことで自由や自主性が失われることへの懸念。・・私たちは情熱と勇気をもって結婚の課題に取り組むように勧める言葉、議論、若者の心に届く助けになる方法を見つける必要があるのです」(四〇項)

  「人口の減少は・・世代間の関係がもはや確かなものではないという状況だけでなく、経済的な貧困と将来への希望喪失をもたらしています。背景にはバイオテクノロジーの進歩、工業化の進展、性革命、過剰人口がもたらす経済的な問題への恐怖など・・消費第一主義もまた、人々が子供を持つのを妨げ、ある種の自由とライフスタイルが維持できるように働いています」(四二項)

〈信仰の弱体化、孤立する家庭〉

  「いくつかの社会に見られる信仰と宗教的行為の弱体化は、家庭に影響を与え、困難の中でさらに彼らを孤立させています。・・育児の困難さ、新たな命を歓迎することへのためらい、高齢者を重荷と見る傾向も・・」(四三項)

〈増加する高齢者、重荷扱い〉

  「高度に工業化された社会では、出生率低下の中で高齢者人口が増えており、重荷とみなされる場合がある。一方で、彼らが必要とする介護が愛する者たちに緊張をもたらしている・・傷つきやすく、人に頼らねばならない高齢者が時として、経済的利益のために不当に搾取されているのです」(四八項)

〈対話なき家庭、あふれる娯楽〉

  「・・両親は疲れきって帰宅し、話をする気力もなく、多くの家庭では一緒に食事をすることもない。一方で、テレビなど娯楽手段があふれ、両親が子供たちに信仰を伝えるのをさらに難しくしています」(五〇項)。

〈家庭内暴力、憤りと憎悪の増殖〉

  「家庭内暴力が社会的な対人攻撃の新たな形を生み出しています。・・家族が互いに支え合おうとせず、参加を促す働きがみられず、両親の関係がしばしば対立的、暴力的、あるいは両親と子供たちが敵対関係にある・・家庭内暴力は、最も基本的な人間関係で憤りと憎悪を増殖する土壌を作ります」(五一項)

日本の教会が求められているのは

   2016年7月の上智大学主催「家族に未来を考える」シンポジウムで同大学の田渕六郎教授が各種調査をもとに、次のように指摘しました。

   日本では「家庭が一番大切」と考える人が近年急激に増え、回答者の半分近くを占めている。だが一方で、若者の未婚率がここ六十年で三四%から七二%に上昇、一家族あたりの平均子供数は二人を割り込み、結婚しない中高年、離婚して再婚しない中高年も大幅に増えている。結果、一人暮らしの高齢者も四人に一人にのぼり、そのうち「困った時に頼れる人がいない」との回答が二割を占める、という深刻な事態になっている。

    田渕教授は「多くの人が大切、と考えている『家族』の形成が、当たり前でなくなっている。政策支援とともに、地域社会など様々なコミュニティが再構築され、支援、連携を進める必要がある」と訴えました。

   深刻な少子高齢化の進展。その中で、家庭崩壊が起き、家庭内外での他への思いやりの喪失、子供の養育あるいは親の介護に疲れた人々が自ら、あるいは共に命を絶つという惨事も毎日のように起きている・・。

   日本社会が直面しているこうした問題に、真剣に具体的に取り組み、少しでも「愛のよろこび」「家庭のよろこび」を広げるように努めること。それをしなければ日本社会に光をもたらす「教会のよろこび」につながらないのではないでしょうか。 

(南條俊二 公益財団法人・世界平和研究所研究顧問、元読売新聞論説副委員長) (「カトリック生活2016年9月号に掲載・2016年11月9日 改訂)

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2017年8月30日