・[医療ルネサンス]死別ケア①夫失いうつ病②夫が自殺③悲しみ越え④幼子の思い出⑤体験者の会⑥遺族の話に耳を傾ける  (読売新聞)

<1>夫失いうつ病 遺族外来へ

(2018年1月19日 読売新聞朝刊)

 「紅葉がきれいな秋は好きでしたが、今は悲しい季節になりました」。夫(当時51歳)を胃がんで亡くした埼玉県所沢市の会社員A子さん(49)は、昨年11月下旬、色づく街路樹に目を向けてそうつぶやいた。

 夫は2013年10月、健康診断の再検査で胃がんとわかった。胃を全摘する手術を東京都内の病院で受け、職場に復帰した。しかし、食欲がなく、無理に食べるともどしてしまう。抗がん剤もやめざるを得なかった。14年になると入退院を繰り返すようになった。

 結婚して26年。2週間に1度は2人きりで外食を楽しむ、自他共に認めるおしどり夫婦。入院中の夫に面会時間ぎりぎりまで付き添おうとすると、夫は子どものことも気遣って「帰っていいよ」と声を掛けた。

 病状は上向くことなく、がんが分かってわずか1年後の14年10月、夫は逝ってしまった。葬儀後、A子さんは、近所の人の目も避けて家に引きこもりがちに。A子さん自身も夫の死から4か月後に乳がんの手術を受けるなど、ストレスが重なった。

 立ち直りのきっかけをつかもうと、もがくなかで、インターネットで以前読んだ「遺族外来」の記事が頭をよぎった。亡くなった患者の家族の話を聞いてくれるという。15年5月に埼玉県日高市の埼玉医科大学国際医療センターで遺族外来を開く精神科医・大西秀樹さんを訪ねた。

 配偶者を亡くした遺族は、うつ病の発症率や死亡率が高まる。そうした遺族を支援するため、大西さんは07年、予約制の遺族外来を同センターに開設した。

 大西さんは「死別は人生で最もつらい体験にもかかわらず、そのケアは十分ではない。遺族が相談を寄せやすいよう『遺族外来』としました」と説明する。現在、国立がん研究センター中央病院(東京都)や淀川キリスト教病院(大阪市)などでも精神科が遺族向けの外来診療を行っている。

 A子さんは大西さんに「夫には違う治療があったのではないか」「もっとそばにいてあげればよかった」などと胸の内を明かした。

 夫の一周忌が近づくと、A子さんの気持ちは一層沈み込んだ。家事も手につかず、起きるのがやっとに。大西さんは死別の悲嘆によるうつ病と診断した。

 抗うつ薬の服用と受診で病状は少しずつ改善した。A子さんは「ああしたら、こうしたらと言わず、すべてを包み込んでくれる」と大西さんに信頼を寄せる。

 A子さんは徐々に回復し、職場の同僚女性と食事を楽しめるまでになった。夫の3回目の命日を区切りに、2年服用した抗うつ薬もやめることを大西さんに提案し、受け入れられた。「あと何年生きられるかわからないけど、夫の分まで人生を楽しみたい」。今はそう思う。

 

<2>夫が自殺 20年続く悲しみ

(2018年1月22日 読売新聞朝刊)

 年の瀬の神戸港に臨む公園で、神戸市の主婦B子さん(43)は瀬戸内海から吹き寄せる潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。冷たくも心地よい。自宅から30分ほどのこの場所も以前は、死別による心の傷で来ることさえ難しかった。

 1997年5月、B子さんの夫(当時23歳)は自ら死を選んだ。3か月前に長女が生まれたばかりだった。

 前年の春に結婚後、しばらくして夫は飲みに出かけたまま朝帰りするように。長女の誕生後も続き、頭を冷やしてもらおうと、B子さんは実家に戻った。離婚するつもりはなかった。

 夫が自殺したのは、その2週後。遺書には「すべてを捨ててしまった私を憎んでください」とつづられていた。頭が真っ白になり、涙は出なかった。

 数か月後、異変が起き始めた。突然、心臓を串で刺されたような痛みが走った。それから頭痛や胃痛、じんましんなどに悩まされるようになった。

 内科の診療所や病院を3、4か所受診したが、どこも「異常なし」。自分でも子育てのストレス程度に思っていた。仲の良い親戚が、同じような症状で診てもらったことがある神戸赤十字病院心療内科部長の村上典子さんをすすめてくれた。

 99年2月、初めて村上さんを受診し、精神的な症状は目立たず、体の不調が表れるタイプのうつ病と診断された。夫の死後の記憶に欠落している部分があることもわかった。精神的なショックから来ているものと考えられた。抗うつ薬と抗不安薬の服用が始まった。

 その後、何かの拍子に以前のことを思い出そうとすると、意識を失う症状も表れた。外出が怖くなり、引きこもるように。好きだった車の運転や電車に乗ることもできなくなった。

 家にいると、長女の寝顔が夫と重なり、つらかった。母や姉に支えてもらいながら何もできないと自分を責めた。「夫が死んで何年たつのか」との周囲のうわさも耳に入った。そんな時に安心して本音を語れるのが村上さんだった。

 村上さんは「死別の悲しみは時間で癒やされるとは限らない。亡くなった人との関係や死別のかたち、周囲の言動などで長引く」と話す。

 高校生になった長女が「私がいるやん」と付き添ってくれるようになり、5年前から少しずつ出歩いている。最初は近所の散歩から。人通りの多い繁華街へ足を延ばし、今では一人で隣町まで遠出できる。

 B子さんは「悲しみを乗り越えようとするとしんどい。時々立ち止まってもいいから一歩一歩進んでいきたい」と前を向いている。

 

<3>悲しみ越え 看護師志す

(2018年1月23日 読売新聞朝刊)

 奈良県橿原かしはら市のC子さん(32)は市内の看護専門学校3年生。来月の国家試験に受かれば、4月から看護師として歩み始める。

 夫は2014年1月、31歳で尿管のがんのために奈良県立医科大学病院で死去。医師らに支えられながら夫を看取みとったことが、看護師を目指すきっかけとなった。「夫が色んな事に気付かせてくれた」と振り返る。

 夫は13年1月、出張中に血尿が出て近所の診療所を受診し、がんとわかった。この時、長男は2歳、次男が1歳。夫は「長男の幼稚園の卒園式を見られないだろうな」とつぶやいた。C子さんは「しっかりしなきゃ」と自分に言い聞かせつつ、不安ばかりが募った。

 同病院には同年5月初めに入院。2週間後に手術した。しかし術後の検査で、がんがリンパ節などに転移していることが判明。夫は「治すために手術したのに」とやり場のない思いを家族や医療者にぶつけた。

 緩和ケアセンター長で医師の四宮しのみや敏章としあきさんが夫とC子さんから不安や困惑を聞いた。四宮さんは「患者だけでなく、C子さんもストレスを抱えていました。緩和ケアは家族も対象に含まれます。死別ケアは患者が亡くなる前から始まっているのです」と説明する。

 11月に入り、C子さんは主治医に「ご主人は年を越せるかどうかです」と内々に告げられた。長男に父親が亡くなることを伝えるべきか悩んだ。四宮さんは「ちゃんと伝えた方が父親の死を受けとめられる」と助言した。

 「パパは頑張ってきたけど、いなくなるかも」と長男に話した。「いやや」と泣き出す長男を「ママと頑張ろう」と抱きしめた。

 年が明け、「『おじいちゃん、おばあちゃんになっても手をつなぐ』という約束を守れない」と謝る夫に、C子さんは「頑張ってくれてありがとう」と返した。間もなく、夫は安らかに逝った。

 死別後、公園で遊ぶ他の父子の姿を見るのが怖くて、外に出られない時期もあった。しかし徐々に、看病中、医療者が力になってくれたことを思い出し、つらい状況に置かれた患者・家族を支援したいと思うようになった。

 死別のようなつらい出来事が自身の成長につながることを「心的外傷後成長」という。四宮さんは、遺族が周囲のサポートを得て死別のショックをうまく受けとめられれば、「成長」の方向に歩み出せると考えている。「自分の看護経験を今後に生かそうとしてくれている」と目を細める。

 「今日も無事、実習が終わりました」。携帯電話でメッセージを送る。「どこかで見守ってくれていると思う。心も支えられる看護師になる」と誓う。

 

<4>幼子の思い出 アルバムに

(2018年1月24日 読売新聞朝刊)

 ハート形をしたアルバムをめくると、着ぐるみを着た医師や看護師らに囲まれて誕生日を祝福される、今は亡き娘の姿。2歳の誕生日に撮影したものだ。病院での日々は、悲しさと共に、楽しい思い出としてよみがえる。

 兵庫県三田さんだ市の前中咲乃さきのちゃんは、2014年3月、620グラムの低体重で生まれた。新生児集中治療室(NICU)を退院後、すくすくと育った。名前は「花が咲くような笑顔の女の子に」との願いからだ。

 異変は約1年後。体重が増えず、嘔吐おうとを繰り返すように。肝臓がんの一種「肝芽腫かんがしゅ」と分かり、県内の子ども病院に入院した。

 採血したり抗がん剤を注入したりする管から細菌に感染して高熱を出した。他の患者からうつったとみられる感染症も発症。笑顔が消えた。抗がん剤の効果も見られず、父の朋人ともひとさん(43)は、ここで治療を続けるべきなのか疑問を持ち始めた。そんな時に淀川キリスト教病院(大阪市)のこどもホスピスを知った。

 「本人は意思表示ができない。治療を続けるべきか僕たちで決めなければ」。朋人さんの提案に、母の恵さん(44)は「治療しないのなら家で一緒に」との思いがあった。

 半信半疑で訪れたホスピスの体験入院は、病院のイメージを一変させた。キャラクターがあしらわれた壁紙、病棟内に流れる歌声……。明るく温かい雰囲気に包まれていた。

 正式に入院を決め、月の半分を家で、残りの半分をホスピスで家族一緒に過ごすことにした。咲乃ちゃんに笑顔が戻り、体調も安定。テーマパークや水族館へ家族で遊びに行った。

 16年1月頃から体力の衰えが目立ち始めた。小児がんの専門医は「3月の誕生日を迎えられるかどうか」と告げた。

 「自分が代わってあげたい」と訴える恵さんを、病院の牧師が慰めた。咲乃ちゃんは、運命にあらがうように誕生日を迎え、こどもの日の2日後、静かに旅立った。

 4か月後、ホスピスの看護師4人が手作りのアルバムを届けに来てくれた。恵さんは「みんなに愛されていました」と写真をなでる。家族の交流会に参加するなど、今も病院は心のよりどころとなっている。

 小児科医を対象に行われたアンケートでは、約9割が「遺族ケアを行うことは意味がある」としつつ、「病院として実施している」との答えは25%にとどまる。調査を行った甲南女子大学准教授の瀬藤乃理子のりこさん(医療心理学)は「手紙やアルバムは、子どもの生きた証しとして遺族の救いになる」と指摘している。

 

<5>体験者の会 悲しみ共有

(2018年1月25日 読売新聞朝刊)

 昨年の師走の夕方、東京・神田駿河台のビルに30~70歳代の男女8人が集まった。家族や友人などを亡くした経験のある人たちだ。

 「夫はがんと分かって2か月で亡くなりました。『もっと早く分からなかったの』と周りから言われ、後悔ばかりでした」。車座になった参加者は、1人ずつ死別体験を語っていく。

 参加者は、NPO法人「生と死を考える会」の会員。月に数回、思いを分かち合う会合を開いている。原則非公開だが、この日は特別に、普段の会合の司会役を務める会員に集まってもらった。

 会は死別の悲しみに苦しむ人の支援を目的に1982年に設立され、現在の会員は約300人を数える。代表の藤井忠幸さん(79)は「プライバシーを守る、悲しみを比較しないといった約束事があるので、安心して話せます」と説明する。

 7年前から会に参加する都内の会社員女性(69)は38年前に1歳の次男を血液がんで亡くした。「うちの家系からなぜ」。親族に問われ、悲しみを表に出すこともできなかった。しばらくすると次男の話題は避けられ、存在自体なかったようにされていると感じた。離婚を経て会に参加。「約30年ぶりに息子と向き合えました」と振り返る。

 14年前、婚約者をがんで亡くした会社員女性(41)は、知人から「これからがある」などと励まされたが、孤独感を募らせるばかりだった。数年ぶりに墓参りした際、涙が止まらなくなった。会に参加し、「『悲しさに年数は関係ないわよ』と言葉をかけてもらい、救われました」とほほ笑む。

 会では、専門家らを招き、文学や哲学などから死生観を学ぶ講座も開いている。

 埼玉医科大学国際医療センター(埼玉県日高市)の遺族外来にも、がんで伴侶を亡くした遺族が3か月ごとに集まる。昨年12月初旬に集まったのは男女7人。臨床心理士の石田真弓さんが進行役となり、精神科医も同席して「この3か月間のよかったことと困ったこと」を中心に話し合った。

 同県入間市の男性(80)は、妻と最後に旅行した栃木県日光市を同10月に再び訪れたことを報告した。妻が好きだった日光のようかんを仏前に供えようと思い立ってのことだった。悲しみで景色を楽しめなかったという。

 埼玉県鶴ヶ島市の男性(80)は「妻を亡くし、友人などから『元気?』『頑張って』と言われても人ごとに聞こえる。参加者の気持ちは同じで安心する」と語った。

 石田さんは「死別の悲しみは時間だけで解決するのは難しい。経験者同士の話し合いで、自分の考えや他の人の考えを知り、悲しみを表に出すことで心持ちが変わる」と話す。

<6>遺族の話に耳を傾ける

(2018年1月26日 読売新聞朝刊)

 ◇Q&A

 *埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科教授・大西秀樹さん*

 死別体験者の支援について、埼玉医科大学国際医療センターで遺族外来を開く大西秀樹さんに聞きました。

 ――近年、死別ケアの重要性が叫ばれています。

 「医療の進歩で乳幼児死亡率が低下し、平均寿命も延びました。また、核家族化と少子高齢化が進み、以前より人間関係が狭く濃くなっています。それだけに親しい人との死別は悲しみが深く、心身に大きなストレスがかかります」

 ――具体的な影響は。

 「配偶者を失うと、精神面でうつ病の発症率と自殺率が高まり、身体面では心血管疾患の発症率が上昇します。男性では死別後半年以内の死亡率も高まるという調査結果もあります」

 ――遺族はどこに相談したらいいでしょうか。

 「身近な相談者は家族や友人だと思いますが、話しにくいことがあれば、死別体験者でつくる自助グループへの参加や医療機関の受診が考えられます。がんの場合は、がん診療連携拠点病院の相談支援センターを訪ねてみてください」

 ――遺族外来はどのようなケアを行っていますか。

 「まず、遺族から丁寧に話を聞き、問題点を把握します。うつ病などの精神疾患が認められた場合、薬を処方します。労災や相続などが絡む問題も、遺族の心を苦しめます。問題に応じて専門家を紹介することがあります」

 ――何げない一言で傷つく遺族がいると聞きます。

 「『頑張ってね』『あなたがしっかりしないと』といった励ましは、本人が一層つらくなります。『あなたの気持ちが分かります』という言葉も、本人の悲しみの深さは誰にも分かりません。これらは『役に立たない援助』と呼ばれます。また、亡くなる前の健康状態や亡くなった原因、経過を詮索するのはやめましょう」

 ――遺族にはどのように接すればいいでしょうか。

 「遺族の話に耳を傾けることが大きな支えになります。声がけで言葉に詰まったときは『かける言葉がありません』と正直に伝えましょう」

 ――理想的な医療機関の支援を教えてください。

 「患者の死が近く予期される場合、ケアは死後に始めるのではなく、患者家族の支援の一環として生前から始めます。配偶者のどちらかが病床にあると、精神的な支えを失い不安になっているので、生活面の悩みなどの相談に乗ることが大切です。患者が亡くなった際は、『困ったことがあったらいつでも来てください』と声をかけることで、遺族も『病院との関係が切れるのではなく、よりどころがある』と安心できます」

 ――適切な支援でどのような経過をたどりますか。

 「死別当初は深い悲嘆の中にあっても、徐々に愛する人のいない人生に適応できるようになります。そこに至る時間は人によって異なるので焦らないことも大切です」(原隆也)

 ◇1986年、横浜市立大学医学部卒。神奈川県立がんセンターなどを経て、2007年から現職。精神科医として、がん患者や家族、遺族の心のケアにあたっている。

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2018年1月25日