[ケアノート]曽野綾子さん 食べ物に気持ち込め…夫・三浦朱門と最後の1年(読売新聞)

(2018年1月14日 読売新聞朝刊)作家の曽野綾子さん(86)は、2017年2月に夫で作家の三浦朱門さんを91歳で亡くしました。亡くなるまで約1年間の自宅介護を「介護の態勢を整えるのが大変だった」と振り返ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 三浦は極めて健康な人でした。歩くのが好きで、晩年になってからも、ともすると東京都大田区の自宅から渋谷まで(約12キロ)歩いちゃう。「電車賃がただになるでしょ」というのが理由だそうです。ケチな性分を隠しませんでした。

 病気も何もなかったのですが、亡くなる1年ぐらい前から、ふらっと転ぶようになりました。原因は分かりません。食事も割とちゃんと食べていました。歩行の機能が悪くなったとしか思えないのです。

 もっとも、転んで額や目のまわりにアザを作り、「三浦さん、そのアザどうしたんですか?」と聞かれると、「女房に殴られたんです」と大喜びで答えていましたけど。

(曽野さんは、それまでに3人の介護を経験していた。曽野さんの母と、三浦さんの両親だ。そうした経緯もあり、自宅の中は段差や敷居をなくし、車いすで移動しやすいようにしてあった。)

 転ぶようになってからしばらくして、車いすを使うようになりました。三浦はボランティアをしていたので、車いすを扱うのに慣れていました。小回りを利かせて家の中を自由に行ったり来たり。「僕は車いすを自分でこげるから、どこへでもいける」という感じでしたね。

 だから、「ビールを飲みたい」と言われても、私はできるだけ取って来ないようにしていました。自分で冷蔵庫まで取りに行き、飲みたい時に冷たいビールを飲んでいましたよ。

 (三浦さんは当初、トイレなど大抵のことは自分でした。しかし、何かあった時に、人手がないというわけにはいかない。曽野さんは、昼夜、誰かが介護できるよう、その人繰りに苦労した。)

 うちには住み込みも含めて家政婦さんが2人、交代で働いてくれていました。日曜に来てくれる看護師さん1人を含めて態勢を整えるのは、大変でした。

 介護中、私がトラウマになったのは入浴です。浴槽に移すのに失敗し、洗い場に横たわらせてしまった三浦を、持ち上げることができませんでした。

 そのためしばらくは、椅子に座らせてシャワーだけにしました。でも、やはり、もう少し丁寧に洗ってあげたいと思っていました。ヘルパーさんが通ってくれるようになり解決しました。

 三浦は、だんだんと口数が減っていきました。食事は割と食べていましたが体力がなくなったんだと思います。明るい話もあまりしなくなりました。ただ、本と新聞は意識がなくなる直前まで読んでいました。新聞の書評欄や広告に目を通しては、「これを買って来て」と言っていました。

 介護中は、奥さんなり介護する人が、一番してあげたいことをすればいいと思います。私は食べ物でした。リンゴを4分の1すってジュースを飲ますというのが、私がしてあげたいことだったんです。ほかには、寝間着をきれいにしておこうとか。

 人間は年齢とともに変わります。それならば、変わった点に合わせて付き合えばいい。疲れた顔をしたら、「一緒に休みましょう」とか。そんなことはお手の物でした。

(曽野さんは、三浦さんが老人ホームに入居できるよう準備を進めていた。自分が病気など何かの理由で、三浦さんの介護ができなくなることも想定してのことだ。)

 ある日突然、私が倒れて、三浦がいきなり老人ホームに連れていかれても、不自由するでしょう。だから、2人で時々ホームに遊びに行かせてもらっていました。

 亡くなる直前のことです。普段自宅に往診してくださる医師がホームにいらして、三浦の体調を診てくださいました。すると、「血中酸素が足りない」と言われ、救急車で緊急入院したんです。

 入院当初はまだ体調は普通で、冗談や私の悪口などを言っていました。ただ、間もなくして眠ると、それから足かけ8日か9日の間、ほとんど意識がなくなったままです。

 私は小説家だしカトリックだから、人は死ぬものである、とよく考えていました。だから、驚いたことは一つもありません。悪いことは常に予測していましたから。

 そして、最期の朝。病院で三浦の呼吸が止まったことに気付きました。何もすることはありません。私はただ、三浦の髪をなで続けました。

 窓の外に目をやると、雪をかぶった富士が見え、朝日が昇ろうとしていました。美しい昇天の朝とも言えました。

 (聞き手・荒谷康平)

 その・あやこ  1931年、東京都生まれ。聖心女子大学を卒業し、53年に結婚。79年にローマ法王庁よりバチカン有功十字勲章を受章した。95年から2005年まで日本財団の会長も務める。03年には文化功労者に選ばれた。「神の汚れた手」「哀歌」など著書多数。

  ◎取材を終えて

 「大変だったのは介護を人に頼むこと」「(弱っていく姿を見ても)驚いたことは一つもない」「普通の人生の変化」。インタビューの間、生き生きとした笑顔を絶やさず、大きな声ではっきりと話し続ける曽野さんの気丈さに、圧倒された。代表作の一つに、過酷な土地で布教に努めるカトリック修道士を描いた「二月三十日」がある。逆境のさなかでもてんたんとして歩み続ける修道士が、曽野さんの姿と重なった。

このエントリーをはてなブックマークに追加
2018年1月14日